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有島武郎 - 或る女(アクセス), 5.1 或る 女

5.1或る 女

郵船 会社 の 永田 は 夕方 で なければ 会社 から 退け まい と いう ので 、葉子 は 宿屋 に 西洋 物 店 の もの を 呼んで 、必要な 買い物 を する 事 に なった 。 古藤 は そん なら そこら を ほ ッ つき 歩いて 来る と いって 、例の 麦稈 帽子 を 帽子 掛け から 取って 立ち上がった 。 葉子 は 思い出した ように 肩 越し に 振り返って 、・・

「あなた さっき パラソル は 骨 が 五 本 の が いい と おっしゃって ね 」・・

と いった 。 古藤 は 冷淡な 調子 で 、・・

「そう いった ようでした ね 」・・

と 答え ながら 、何か 他の 事 でも 考えている らしかった 。 ・・

「まあ そんなに とぼけて ……なぜ 五 本 の が お好き ? 」・・

「僕 が 好き と いう んじゃない けれども 、あなた は なんでも 人 と 違った もの が 好きな んだ と 思った んです よ 」・・

「どこまでも 人 を お からかい なさる ……ひどい 事 ……行って いらっしゃい まし 」・・

と 情 を 迎える ように いって 向き直って しまった 。 古藤 が 縁側 に 出る と また 突然 呼びとめた 。 障子 に はっきり 立ち 姿 を うつした まま 、・・

「なん です 」・・

と いって 古藤 は 立ち戻る 様子 が なかった 。 葉子 は いたずら 者 らしい 笑い を 口 の あたり に 浮かべて いた 。 ・・

「 あなた は 木村 と 学校 が 同じで いら しった の ね 」・・

「そう です よ 、級 は 木村 の ……木村 君 の ほうが 二 つ も 上 でした が ね 」・・

「あなた は あの 人 を どう お 思い に なって 」・・

まるで 少女 の ような 無邪気な 調子 だった 。 古藤 は ほほえんだ らしい 語気 で 、・・

「そんな 事 は もう あなた の ほう が くわしい はず じゃ ありません か ……心 の いい 活動家 です よ 」・・

「あなた は ? 」・・

葉子 は ぽん と 高飛車 に 出た 。 そして に やり と しながら がっくり と 顔 を 上向き に はねて 、床の間 の 一 蝶 の ひどい 偽い物 を 見やって いた 。 古藤 が とっさ の 返事 に 窮して 、少し むっと した 様子 で 答え 渋って いる の を 見て取る と 、葉子 は 今度 は 声 の 調子 を 落として 、いかにも たよりない という ふうに 、・・

「日盛り は 暑い から どこ ぞ で お 休み なさい まし ね 。 ……なるたけ 早く 帰って 来て ください まし 。 もし かして 、病気 でも 悪く なる と 、こんな 所 で 心細う ござんす から ……よくって 」・・

古藤 は 何 か 平凡な 返事 を して 、縁板 を 踏みならし ながら 出て行って しまった 。 ・・

朝 の うち だけ からっと 破った ように 晴れ渡っていた 空 は 、午後 から 曇り始めて 、まっ白 な 雲 が 太陽 の 面 を なでて 通る たびごとに 暑気 は 薄れて 、空いちめん が 灰色 に かき曇る ころに は 、膚寒く 思う ほどに 初秋 の 気候 は 激変していた 。 時雨 らしく 照ったり 降ったり して いた 雨 の 脚 も 、やがて じめじめ と 降り続いて 、煮しめた ような きたない 部屋 の 中 は 、ことさら 湿り が 強く 来る ように 思えた 。 葉子 は 居留地 の ほう に ある 外国人 相手 の 洋服屋 や 小間物屋 など を 呼び寄せて 、思いきった ぜいたくな 買い物 を した 。 買い物 を して 見る と 葉子 は 自分 の 財布 の すぐ 貧しく なって 行く の を 怖れ ないで はいられなかった 。 葉子 の 父 は 日本橋 で は ひとかど の 門戸 を 張った 医師 で 、収入 も 相当に は あった けれども 、理財 の 道 に 全く 暗い の と 、妻 の 親 佐 が 婦人 同盟 の 事業 に ばかり 奔走 して いて 、その 並み 並み ならぬ 才能 を 、少しも 家 の 事 に 用いなかった ため 、その 死後 に は 借金 こそ 残れ 、遺産 といっては あわれな ほど しか なかった 。 葉子 は 二人 の 妹 を かかえ ながら この 苦しい 境遇 を 切り抜けて 来た 。 それ は 葉子 であれば こそ し 遂 せて 来た ような もの だった 。 だれ に も 貧乏 らしい けしき は 露 ほど も 見せ ないで いながら 、葉子 は 始終 貨幣 一 枚 一 枚 の 重さ を 計って 支払い する ような 注意 を していた 。 それ だ のに 目の前 に 異国情調 の 豊かな 贅沢品 を 見る と 、彼女 の 貪欲 は 甘い もの を 見た 子供 の ように なって 、前後 も 忘れて 懐中 に ありったけ の 買い物 を してしまった のだ 。 使い を やって 正金 銀行 で 換えた 金貨 は 今 鋳 出さ れた ような 光 を 放って 懐中 の 底 に ころがって いた が 、それ を どう する 事 も でき なかった 。 葉子 の 心 は 急に 暗く なった 。 戸外 の 天気 も その 心持ち に 合槌 を 打つ ように 見えた 。 古藤 は うまく 永田 から 切符 を もらう 事 が できる だろう か 。 葉子 自身 が 行き 得 ない ほど 葉子 に 対して 反感 を 持って いる 永田 が 、あの 単純な タクト の ない 古藤 を どんなふうに 扱ったろう 。 永田 の 口 から 古藤 は いろいろな 葉子 の 過去 を 聞かされ は しなかったろう か 。 そんな 事 を 思う と 葉子 は 悒鬱 が 生み出す 反抗的な 気分 に なって 、湯 を わかさせて 入浴し 、寝床 を しか せ 、最上等の 三鞭酒 を 取りよせて 、したたか それ を 飲む と 前後 も 知らず 眠って しまった 。 ・・

夜 に なったら 泊まり 客 が ある かも しれない と 女中 の いった 五つ の 部屋 は やはり 空 の まま で 、日 が とっぷり と 暮れて しまった 。 女 中 が ランプ を 持って 来た 物音 に 葉子 は ようやく 目 を さまして 、仰向いた まま 、すすけた 天井 に 描かれた ランプ の 丸い 光輪 を ぼんやり と ながめて いた 。 ・・

その 時 じた ッ じた ッ と ぬれた 足 で 階子 段 を のぼって 来る 古藤 の 足音 が 聞こえた 。 古藤 は 何 か に 腹 を 立てて いる らしい 足どり で ずかずか と 縁側 を 伝って 来た が 、ふと 立ち止まる と 大きな 声 で 帳場 の ほう に どなった 。 ・・

「早く 雨戸 を しめ ない か ……病人 が いる んじゃ ない か 。 ……」・・

「この 寒い のに なん だって あなた も 言いつけ ない んです 」・・

今度 は こう 葉子 に いい ながら 、建て付け の 悪い 障子 を あけて いきなり 中 に はいろう と した が 、その 瞬間 に はっと 驚いた ような 顔 を して 立ちすくんで しまった 。 ・・

香水 や 、化粧品 や 、酒 の 香 を ごっちゃに した 暖かい いきれ が いきなり 古藤 に 迫った らしかった 。 ランプ が ほの暗い ので 、部屋 の すみずみ まで は 見えない が 、光 の 照り渡る 限り は 、雑多に 置き ならべられた なまめかしい 女 の 服地 や 、帽子 や 、造花 や 、鳥 の 羽根 や 、小道具 など で 、足 の 踏みたて 場 も ない までに なっていた 。 その 一方 に 床の間 を 背 に して 、郡内 の ふとん の 上 に 掻巻 を わき の 下 から 羽織った 、今 起き かえった ばかりの 葉子 が 、はでな 長襦袢 一つ で 東 ヨーロッパ の 嬪宮 の 人 の ように 、片臂 を ついた まま 横 に なって いた 。 そして 入浴 と 酒 と で ほんのり ほてった 顔 を 仰向けて 、大きな 目 を 夢 の ように 見開いて じっと 古藤 を 見た 。 その 枕 もと に は 三 鞭酒 の びん が 本式 に 氷 の 中 に つけて あって 、飲み さし の コップ や 、華奢 な 紙 入れ や 、かの オリーヴ 色 の 包み物 を 、しごき の 赤 が 火 の 蛇 の ように 取り巻いて 、その 端 が 指輪 の 二つ はまった 大理石 の ような 葉子 の 手 に もてあそばれて いた 。 ・・

「お 遅う ござんした 事 。 お 待た さ れ な すった んでしょう 。 ……さ 、お はいり なさい まし 。 そんな もの 足 で でも どけて ちょうだい 、散らかし ちまって 」・・

この 音楽 の ような すべすべ した 調子 の 声 を 聞く と 、古藤 は 始めて illusion から 目ざめた ふうで は いって 来た 。 葉子 は 左手 を 二の腕 が のぞき 出る まで ずっと 延ばして 、そこ に ある もの を 一 払い に 払いのける と 、花壇 の 土 を 掘り起こした ように きたない 畳 が 半 畳 ばかり 現われ 出た 。 古藤 は 自分 の 帽子 を 部屋 の すみ に ぶち なげて 置いて 、払い 残さ れた 細形 の 金鎖 を 片づける と 、どっか と あぐら を かいて 正面 から 葉子 を 見すえ ながら 、・・

「行って 来ました 。 船 の 切符 も たしかに 受け取って 来ました 」・・

と いって ふところ の 中 を 探り に かかった 。 葉子 は ちょっと 改まって 、・・

「ほんとに ありがとう ございました 」・・

と 頭 を 下げた が 、たちまち roughish な 目つき を して 、・・

「まあ そんな 事 は いずれ あと で 、ね 、……何しろ お 寒かった でしょう 、さ 」・・

と いい ながら 飲み 残り の 酒 を 盆 の 上 に 無造作に 捨てて 、二三 度 左手 を ふって しずく を 切って から 、コップ を 古藤 に さ しつけた 。 古藤 の 目 は 何 か に 激昂 している ように 輝いて いた 。 ・・

「僕 は 飲みません 」・・

「おや なぜ 」・・

「飲み たく ない から 飲ま ない んです 」・・

この 角ばった 返答 は 男 を 手 も なく あやし 慣れて いる 葉子 に も 意外だった 。 それ で その あと の 言葉 を どう 継ごう か と 、ちょっと ためらって 古藤 の 顔 を 見やっている と 、古藤 は たたみかけて 口 を きった 。 ・・

「永田 って の は あれ は あなた の 知人 です か 。 思いきって 尊大な 人間 です ね 。 君 の ような 人間 から 金 を 受け取る 理由 は ない が 、とにかく あずかって 置いて 、いずれ 直接 あなた に 手紙 で いって あげる から 、早く 帰れって いう んです 、頭 から 。 失敬 な やつ だ 」・・

葉子 は この 言葉 に 乗じて 気まずい 心持ち を 変えよう と 思った 。 そして まっし ぐら に 何 か いい 出そう と する と 、古藤 は おっかぶせる ように 言葉 を 続けて 、・・

「あなた は いったい まだ 腹 が 痛む んです か 」・・

と きっぱり いって 堅く すわり 直した 。 しかし その 時 に 葉子 の 陣立て は すでに でき上がって いた 。 初め の ほほえみ を そのまま に 、・・

「え ゝ 、少し は よく なり まして よ 」・・

と いった 。 古藤 は 短 兵 急に 、・・

「それにしても なかなか 元気 です ね 」・・

と たたみかけた 。 ・・

「それ は お 薬 に これ を 少し いただいた から でしょう よ 」・・

と 三 鞭酒 を 指さした 。

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