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或る女 - 有島武郎(アクセス), 49. 或る女

49. 或る 女

手術 を 受けて から 三 日 を 過ぎて いた 。 その 間 非常に 望ましい 経過 を 取って いる らしく 見えた 容態 は 三 日 目 の 夕方 から 突然 激変 した 。 突然の 高熱 、 突然の 腹痛 、 突然の 煩 悶 、 それ は 激しい 驟雨 が 西 風 に 伴われて あらし が かった 天気 模様 に なった その 夕方 の 事 だった 。 ・・

その 日 の 朝 から なんとなく 頭 の 重かった 葉子 は 、 それ が 天候 の ため だ と ばかり 思って 、 しいて そういうふうに 自分 を 説 服して 、 憂慮 を 抑えつけて いる と 、 三 時 ごろ から どんどん 熱 が 上がり 出して 、 それ と 共に 下腹部 の 疼 痛 が 襲って 来た 。 子宮 底 穿 孔 なまじっか 医 書 を 読み かじった 葉子 は すぐ そっち に 気 を 回した 。 気 を 回して は しいて それ を 否定 して 、 一 時 延ばし に 容態 の 回復 を 待ちこがれた 。 それ は しかし むだだった 。 つや が あわてて 当直 医 を 呼んで 来た 時 に は 、 葉子 は もう 生死 を 忘れて 床 の 上 に 身 を 縮み上がら して おいおい と 泣いて いた 。 ・・

医 員 の 報告 で 院長 も 時 を 移さ ず そこ に 駆けつけた 。 応急 の 手 あて と して 四 個 の 氷嚢 が 下腹部 に あてがわ れた 。 葉子 は 寝 衣 が ちょっと 肌 に さわる だけ の 事 に も 、 生命 を ひっぱ たか れる ような 痛 み を 覚えて 思わず き ゃっと 絹 を 裂く ような 叫び声 を たてた 。 見る見る 葉子 は 一 寸 の 身動き も でき ない くらい 疼 痛 に 痛めつけられて いた 。 ・・

激しい 音 を 立てて 戸外 で は 雨 の 脚 が 瓦屋根 を たたいた 。 むし むし する 昼間 の 暑 さ は 急に 冷え冷え と なって 、 にわかに 暗く なった 部屋 の 中 に 、 雨 から 逃げ延びて 来た らしい 蚊 が ぶ ー ん と 長く 引いた 声 を 立てて 飛び回った 。 青白い 薄 闇 に 包まれて 葉子 の 顔 は 見る見る くずれて 行った 。 やせ細って いた 頬 は ことさら げっそり と こけて 、 高々 と そびえた 鼻筋 の 両側 に は 、 落ち くぼんだ 両眼 が 、 中 有 の 中 を 所 きらわ ず おどおど と 何物 か を さがし求める ように 輝いた 。 美しい 弧 を 描いて 延びて いた 眉 は 、 めちゃくちゃに ゆがんで 、 眉間 の 八 の 字 の 所 に 近々 と 寄り集まった 。 かさかさに かわき きった 口 び る から は 吐く 息 気 ばかり が 強く 押し出さ れた 。 そこ に は もう 女 の 姿 は なかった 。 得 体 の わから ない 動物 が もだえ もがいて いる だけ だった 。 ・・

間 を 置いて は さし込んで 来る 痛み …… 鉄 の 棒 を まっ赤 に 焼いて 、 それ で 下 腹 の 中 を 所 きらわ ず えぐり 回す ような [#「 ような 」 は 底 本 で は 「 や う な 」] 痛 み が 来る と 、 葉子 は 目 も 口 も できる だけ 堅く 結んで 、 息 気 も つけ なく なって しまった 。 何 人 そこ に 人 が いる の か 、 それ を 見回す だけ の 気力 も なかった 。 天気 な の か あらし な の か 、 それ も わから なかった 。 稲妻 が 空 を 縫って 走る 時 に は 、 それ が 自分 の 痛み が 形 に なって 現われた ように 見えた 。 少し 痛み が 退く と ほっと 吐息 を して 、 助け を 求める ように そこ に 付いて いる 医 員 に 目 で すがった 。 痛み さえ なおして くれれば 殺されて も いい と いう 心 と 、 とうとう 自分 に 致命 的な 傷 を 負わした と 恨む 心 と が 入り乱れて 、 旋風 の ように から だ じゅう を 通り抜けた 。 倉地 が いて くれたら …… 木村 が いて くれたら …… あの 親切な 木村 が いて くれたら …… そりゃ だめだ 。 もう だめだ 。 …… だめだ 。 貞 世 だって 苦しんで いる んだ 、 こんな 事 で …… 痛い 痛い 痛い …… つや は いる の か ( 葉子 は 思いきって 目 を 開いた 。 目 の 中 が 痛かった ) いる 。 心配 そうな 顔 を して 、…… うそ だ あの 顔 が 何 が 心配 そうな 顔 な もの か …… みんな 他人 だ …… なんの 縁故 も ない 人 たち だ …… みんな のんきな 顔 を して 何事 も せ ず に ただ 見て いる んだ …… この 悩み の 百 分 の 一 で も 知ったら …… あ 、 痛い 痛い 痛い ! 定子 …… お前 は まだ どこ か に 生きて いる の か 、 貞 世 は 死んで しまった のだ よ 、 定子 …… わたし も 死ぬ んだ 死ぬ より も 苦しい 、 この 苦しみ は …… ひどい 、 これ で 死な れる もの か …… こんなに されて 死な れる もの か …… 何 か …… どこ か …… だれ か …… 助けて くれ そうな もの だ のに …… 神様 ! あんまりです ……・・

葉子 は 身 もだえ も でき ない 激痛 の 中 で 、 シーツ まで ぬれ と おる ほど な 油 汗 を からだ じゅう に かき ながら 、 こんな 事 を つぎつぎ に 口走る のだった が 、 それ は もとより 言葉 に は なら なかった 。 ただ 時々 痛い と いう の が むごたらしく 聞こえる ばかりで 、 傷ついた 牛 の ように 叫ぶ ほか は なかった 。 ・・

ひどい 吹き 降り の 中 に 夜 が 来た 。 しかし 葉子 の 容態 は 険悪に なって 行く ばかりだった 。 電灯 が 故障 の ため に 来 ない ので 、 室 内 に は 二 本 の 蝋燭 が 風 に あおら れ ながら 、 薄暗く ともって いた 。 熱 度 を 計った 医 員 は 一 度 一 度 その そば まで 行って 、 目 を そば め ながら 度 盛り を 見た 。 ・・

その 夜 苦しみ 通した 葉子 は 明け がた 近く 少し 痛み から のがれる 事 が できた 。 シーツ を 思いきり つかんで いた 手 を 放して 、 弱 々 と 額 の 所 を なでる と 、 たびたび 看護 婦 が ぬぐって くれた の に も 係わら ず 、 ぬるぬる する ほど 手 も 額 も 油 汗 でし とど に なって いた 。 「 とても 助から ない 」 と 葉子 は 他人事 の ように 思った 。 そう なって みる と 、 いちばん 強い 望み は もう 一 度 倉地 に 会って ただ 一目 その 顔 を 見たい と いう 事 だった 。 それ は しかし 望んで も かなえられる 事 で ない の に 気づいた 。 葉子 の 前 に は 暗い もの が ある ばかりだった 。 葉子 は ほっと ため息 を ついた 。 二十六 年間 の 胸 の 中 の 思い を 一 時 に 吐き出して しまおう と する ように 。 ・・

やがて 葉子 は ふと 思い付いて 目 で つや を 求めた 。 夜通し 看護 に 余念 の なかった つや は 目ざとく それ を 見て 寝床 に 近づいた 。 葉子 は 半分 目つき に 物 を いわ せ ながら 、・・

「 枕 の 下 枕 の 下 」・・

と いった 。 つや が 枕 の 下 を さがす と そこ から 、 手術 の 前 の 晩 に つや が 書き 取った 書き物 が 出て 来た 。 葉子 は 一生懸命な 努力 で つや に それ を 焼いて 捨てろ 、 今 見て いる 前 で 焼いて 捨てろ と 命じた 。 葉子 の 命令 は わかって い ながら 、 つや が 躊躇 して いる の を 見る と 、 葉子 はかっと 腹 が 立って 、 その 怒り に 前後 を 忘れて 起き上がろう と した 。 その ため に 少し なごんで いた 下腹部 の 痛み が 一 時 に 押し寄せて 来た 。 葉子 は 思わず 気 を 失い そうに なって 声 を あげ ながら 、 足 を 縮めて しまった 。 けれども 一生懸命だった 。 もう 死んだ あと に は なんにも 残して おき たく ない 。 なんにも いわ ないで 死のう 。 そういう 気持ち ばかり が 激しく 働いて いた 。 ・・

「 焼いて 」・・

悶絶 する ような 苦しみ の 中 から 、 葉子 は ただ 一言 これ だけ を 夢中に なって 叫んだ 。 つや は 医 員 に 促されて いる らしかった が 、 やがて 一 台 の 蝋燭 を 葉子 の 身近に 運んで 来て 、 葉子 の 見て いる 前 で それ を 焼き 始めた 。 めらめら と 紫色 の 焔 が 立ち上がる の を 葉子 は 確かに 見た 。 ・・

それ を 見る と 葉子 は 心から がっかり して しまった 。 これ で 自分 の 一生 は なんにも なくなった と 思った 。 もう いい …… 誤解 さ れた まま で 、 女王 は 今 死んで 行く …… そう 思う と さすが に 一抹 の 哀愁 が しみじみ と 胸 を こそ い で 通った 。 葉子 は 涙 を 感じた 。 しかし 涙 は 流れて 出 ないで 、 目 の 中 が 火 の ように 熱く なった ばかりだった 。 ・・

また も ひどい 疼 痛 が 襲い 始めた 、 葉子 は 神 の 締め 木 に かけられて 、 自分 の からだ が 見る見る やせて 行く の を 自分 ながら 感じた 。 人々 が 薄気味わる げ に 見守って いる の に も 気 が ついた 。 ・・

それ でも とうとう その 夜 も 明け 離れた 。 ・・

葉子 は 精 も 根 も 尽き 果てよう と して いる の を 感じた 。 身 を 切る ような 痛み さえ が 時々 は 遠い 事 の ように 感じられ 出した の を 知った 。 もう 仕残 して いた 事 は なかった か と 働き の 鈍った 頭 を 懸命に 働か して 考えて みた 。 その 時 ふと 定子 の 事 が 頭 に 浮かんだ 。 あの 紙 を 焼いて しまって は 木部 と 定子 と が あう 機会 は ない かも しれ ない 。 だれ か に 定子 を 頼んで …… 葉子 は あわてふためき ながら その 人 を 考えた 。 ・・

内田 …… そうだ 内田 に 頼もう 。 葉子 は その 時 不思議な なつかし さ を もって 内田 の 生涯 を 思いやった 。 あの 偏 頗 で 頑固で 意地っぱりな 内田 の 心 の 奥 の 奥 に 小さく 潜んで いる 澄み とおった 魂 が 始めて 見える ような 心持ち が した 。 ・・

葉子 は つや に 古藤 を 呼び寄せる ように 命じた 。 古藤 の 兵 営 に いる の は つや も 知っている はずだ 。 古藤 から 内田 に いって もらったら 内田 が 来て くれ ない はず は ある まい 、 内田 は 古藤 を 愛して いる から 。 ・・

それ から 一 時間 苦しみ 続けた 後 に 、 古藤 の 例の 軍服 姿 は 葉子 の 病室 に 現われた 。 葉子 の 依頼 を ようやく 飲みこむ と 、 古藤 は いちずな 顔 に 思い 入った 表情 を たたえて 、 急いで 座 を 立った 。 ・・

葉子 は だれ に と も 何 に と も なく 息 気 を 引き取る 前 に 内田 の 来る の を 祈った 。 ・・

しかし 小石川 に 住んで いる 内田 は なかなか やって 来る 様子 も 見せ なかった 。 ・・

「 痛い 痛い 痛い …… 痛い 」・・

葉子 が 前後 を 忘れ われ を 忘れて 、 魂 を しぼり出す ように こう うめく 悲しげな 叫び声 は 、 大雨 の あと の 晴れやかな 夏 の 朝 の 空気 を かき乱して 、 惨 ま しく 聞こえ 続けた 。 ・・

( 後編 了 )


49. 或る 女 ある|おんな 49. una mujer

手術 を 受けて から 三 日 を 過ぎて いた 。 しゅじゅつ||うけて||みっ|ひ||すぎて| その 間 非常に 望ましい 経過 を 取って いる らしく 見えた 容態 は 三 日 目 の 夕方 から 突然 激変 した 。 |あいだ|ひじょうに|のぞましい|けいか||とって|||みえた|ようだい||みっ|ひ|め||ゆうがた||とつぜん|げきへん| In the meantime, his condition, which seemed to be taking a very favorable course, suddenly changed dramatically from the evening of the third day. 突然の 高熱 、 突然の 腹痛 、 突然の 煩 悶 、 それ は 激しい 驟雨 が 西 風 に 伴われて あらし が かった 天気 模様 に なった その 夕方 の 事 だった 。 とつぜんの|こうねつ|とつぜんの|ふくつう|とつぜんの|わずら|もん|||はげしい|しゅうう||にし|かぜ||ともなわ れて||||てんき|もよう||||ゆうがた||こと| ・・

その 日 の 朝 から なんとなく 頭 の 重かった 葉子 は 、 それ が 天候 の ため だ と ばかり 思って 、 しいて そういうふうに 自分 を 説 服して 、 憂慮 を 抑えつけて いる と 、 三 時 ごろ から どんどん 熱 が 上がり 出して 、 それ と 共に 下腹部 の 疼 痛 が 襲って 来た 。 |ひ||あさ|||あたま||おもかった|ようこ||||てんこう||||||おもって|||じぶん||せつ|ふくして|ゆうりょ||おさえつけて|||みっ|じ||||ねつ||あがり|だして|||ともに|かふくぶ||うず|つう||おそって|きた 子宮 底 穿 孔 なまじっか 医 書 を 読み かじった 葉子 は すぐ そっち に 気 を 回した 。 しきゅう|そこ|うが|あな||い|しょ||よみ||ようこ|||||き||まわした 気 を 回して は しいて それ を 否定 して 、 一 時 延ばし に 容態 の 回復 を 待ちこがれた 。 き||まわして|||||ひてい||ひと|じ|のばし||ようだい||かいふく||まちこがれた それ は しかし むだだった 。 つや が あわてて 当直 医 を 呼んで 来た 時 に は 、 葉子 は もう 生死 を 忘れて 床 の 上 に 身 を 縮み上がら して おいおい と 泣いて いた 。 |||とうちょく|い||よんで|きた|じ|||ようこ|||せいし||わすれて|とこ||うえ||み||ちぢみあがら||||ないて| ・・

医 員 の 報告 で 院長 も 時 を 移さ ず そこ に 駆けつけた 。 い|いん||ほうこく||いんちょう||じ||うつさ||||かけつけた 応急 の 手 あて と して 四 個 の 氷嚢 が 下腹部 に あてがわ れた 。 おうきゅう||て||||よっ|こ||ひょうのう||かふくぶ||| 葉子 は 寝 衣 が ちょっと 肌 に さわる だけ の 事 に も 、 生命 を ひっぱ たか れる ような 痛 み を 覚えて 思わず き ゃっと 絹 を 裂く ような 叫び声 を たてた 。 ようこ||ね|ころも|||はだ|||||こと|||せいめい||||||つう|||おぼえて|おもわず||ゃっ と|きぬ||さく||さけびごえ|| 見る見る 葉子 は 一 寸 の 身動き も でき ない くらい 疼 痛 に 痛めつけられて いた 。 みるみる|ようこ||ひと|すん||みうごき|||||うず|つう||いためつけ られて| ・・

激しい 音 を 立てて 戸外 で は 雨 の 脚 が 瓦屋根 を たたいた 。 はげしい|おと||たてて|こがい|||あめ||あし||かわらやね|| むし むし する 昼間 の 暑 さ は 急に 冷え冷え と なって 、 にわかに 暗く なった 部屋 の 中 に 、 雨 から 逃げ延びて 来た らしい 蚊 が ぶ ー ん と 長く 引いた 声 を 立てて 飛び回った 。 |||ひるま||あつ|||きゅうに|ひえびえ||||くらく||へや||なか||あめ||にげのびて|きた||か|||-|||ながく|ひいた|こえ||たてて|とびまわった 青白い 薄 闇 に 包まれて 葉子 の 顔 は 見る見る くずれて 行った 。 あおじろい|うす|やみ||つつま れて|ようこ||かお||みるみる||おこなった やせ細って いた 頬 は ことさら げっそり と こけて 、 高々 と そびえた 鼻筋 の 両側 に は 、 落ち くぼんだ 両眼 が 、 中 有 の 中 を 所 きらわ ず おどおど と 何物 か を さがし求める ように 輝いた 。 やせほそって||ほお||||||たかだか|||はなすじ||りょうがわ|||おち||りょうがん||なか|ゆう||なか||しょ|||||なにもの|||さがしもとめる||かがやいた 美しい 弧 を 描いて 延びて いた 眉 は 、 めちゃくちゃに ゆがんで 、 眉間 の 八 の 字 の 所 に 近々 と 寄り集まった 。 うつくしい|こ||えがいて|のびて||まゆ||||みけん||やっ||あざ||しょ||ちかぢか||よりあつまった かさかさに かわき きった 口 び る から は 吐く 息 気 ばかり が 強く 押し出さ れた 。 |||くち|||||はく|いき|き|||つよく|おしださ| そこ に は もう 女 の 姿 は なかった 。 ||||おんな||すがた|| 得 体 の わから ない 動物 が もだえ もがいて いる だけ だった 。 とく|からだ||||どうぶつ|||||| ・・

間 を 置いて は さし込んで 来る 痛み …… 鉄 の 棒 を まっ赤 に 焼いて 、 それ で 下 腹 の 中 を 所 きらわ ず えぐり 回す ような [#「 ような 」 は 底 本 で は 「 や う な 」] 痛 み が 来る と 、 葉子 は 目 も 口 も できる だけ 堅く 結んで 、 息 気 も つけ なく なって しまった 。 あいだ||おいて||さしこんで|くる|いたみ|くろがね||ぼう||まっ あか||やいて|||した|はら||なか||しょ||||まわす||||そこ|ほん||||||つう|||くる||ようこ||め||くち||||かたく|むすんで|いき|き||||| 何 人 そこ に 人 が いる の か 、 それ を 見回す だけ の 気力 も なかった 。 なん|じん|||じん|||||||みまわす|||きりょく|| 天気 な の か あらし な の か 、 それ も わから なかった 。 てんき||||||||||| 稲妻 が 空 を 縫って 走る 時 に は 、 それ が 自分 の 痛み が 形 に なって 現われた ように 見えた 。 いなずま||から||ぬって|はしる|じ|||||じぶん||いたみ||かた|||あらわれた||みえた 少し 痛み が 退く と ほっと 吐息 を して 、 助け を 求める ように そこ に 付いて いる 医 員 に 目 で すがった 。 すこし|いたみ||しりぞく|||といき|||たすけ||もとめる||||ついて||い|いん||め|| 痛み さえ なおして くれれば 殺されて も いい と いう 心 と 、 とうとう 自分 に 致命 的な 傷 を 負わした と 恨む 心 と が 入り乱れて 、 旋風 の ように から だ じゅう を 通り抜けた 。 いたみ||なお して||ころさ れて|||||こころ|||じぶん||ちめい|てきな|きず||おわした||うらむ|こころ|||いりみだれて|せんぷう|||||||とおりぬけた 倉地 が いて くれたら …… 木村 が いて くれたら …… あの 親切な 木村 が いて くれたら …… そりゃ だめだ 。 くらち||||きむら|||||しんせつな|きむら||||| もう だめだ 。 …… だめだ 。 貞 世 だって 苦しんで いる んだ 、 こんな 事 で …… 痛い 痛い 痛い …… つや は いる の か ( 葉子 は 思いきって 目 を 開いた 。 さだ|よ||くるしんで||||こと||いたい|いたい|いたい||||||ようこ||おもいきって|め||あいた 目 の 中 が 痛かった ) いる 。 め||なか||いたかった| 心配 そうな 顔 を して 、…… うそ だ あの 顔 が 何 が 心配 そうな 顔 な もの か …… みんな 他人 だ …… なんの 縁故 も ない 人 たち だ …… みんな のんきな 顔 を して 何事 も せ ず に ただ 見て いる んだ …… この 悩み の 百 分 の 一 で も 知ったら …… あ 、 痛い 痛い 痛い ! しんぱい|そう な|かお||||||かお||なん||しんぱい|そう な|かお|||||たにん|||えんこ|||じん|||||かお|||なにごと||||||みて||||なやみ||ひゃく|ぶん||ひと|||しったら||いたい|いたい|いたい 定子 …… お前 は まだ どこ か に 生きて いる の か 、 貞 世 は 死んで しまった のだ よ 、 定子 …… わたし も 死ぬ んだ 死ぬ より も 苦しい 、 この 苦しみ は …… ひどい 、 これ で 死な れる もの か …… こんなに されて 死な れる もの か …… 何 か …… どこ か …… だれ か …… 助けて くれ そうな もの だ のに …… 神様 ! さだこ|おまえ||||||いきて||||さだ|よ||しんで||||さだこ|||しぬ||しぬ|||くるしい||くるしみ|||||しな|||||さ れて|しな||||なん||||||たすけて||そう な||||かみさま あんまりです ……・・

葉子 は 身 もだえ も でき ない 激痛 の 中 で 、 シーツ まで ぬれ と おる ほど な 油 汗 を からだ じゅう に かき ながら 、 こんな 事 を つぎつぎ に 口走る のだった が 、 それ は もとより 言葉 に は なら なかった 。 ようこ||み|||||げきつう||なか||しーつ|||||||あぶら|あせ||||||||こと||||くちばしる||||||ことば|||| ただ 時々 痛い と いう の が むごたらしく 聞こえる ばかりで 、 傷ついた 牛 の ように 叫ぶ ほか は なかった 。 |ときどき|いたい||||||きこえる||きずついた|うし|||さけぶ||| ・・

ひどい 吹き 降り の 中 に 夜 が 来た 。 |ふき|ふり||なか||よ||きた しかし 葉子 の 容態 は 険悪に なって 行く ばかりだった 。 |ようこ||ようだい||けんあくに||いく| 電灯 が 故障 の ため に 来 ない ので 、 室 内 に は 二 本 の 蝋燭 が 風 に あおら れ ながら 、 薄暗く ともって いた 。 でんとう||こしょう||||らい|||しつ|うち|||ふた|ほん||ろうそく||かぜ|||||うすぐらく|| 熱 度 を 計った 医 員 は 一 度 一 度 その そば まで 行って 、 目 を そば め ながら 度 盛り を 見た 。 ねつ|たび||はかった|い|いん||ひと|たび|ひと|たび||||おこなって|め|||||たび|さかり||みた ・・

その 夜 苦しみ 通した 葉子 は 明け がた 近く 少し 痛み から のがれる 事 が できた 。 |よ|くるしみ|とおした|ようこ||あけ||ちかく|すこし|いたみ|||こと|| シーツ を 思いきり つかんで いた 手 を 放して 、 弱 々 と 額 の 所 を なでる と 、 たびたび 看護 婦 が ぬぐって くれた の に も 係わら ず 、 ぬるぬる する ほど 手 も 額 も 油 汗 でし とど に なって いた 。 しーつ||おもいきり|||て||はなして|じゃく|||がく||しょ|||||かんご|ふ|||||||かかわら|||||て||がく||あぶら|あせ||||| 「 とても 助から ない 」 と 葉子 は 他人事 の ように 思った 。 |たすから|||ようこ||ひとごと|||おもった そう なって みる と 、 いちばん 強い 望み は もう 一 度 倉地 に 会って ただ 一目 その 顔 を 見たい と いう 事 だった 。 |||||つよい|のぞみ|||ひと|たび|くらち||あって||いちもく||かお||み たい|||こと| それ は しかし 望んで も かなえられる 事 で ない の に 気づいた 。 |||のぞんで||かなえ られる|こと|||||きづいた 葉子 の 前 に は 暗い もの が ある ばかりだった 。 ようこ||ぜん|||くらい|||| 葉子 は ほっと ため息 を ついた 。 ようこ|||ためいき|| 二十六 年間 の 胸 の 中 の 思い を 一 時 に 吐き出して しまおう と する ように 。 にじゅうろく|ねんかん||むね||なか||おもい||ひと|じ||はきだして|||| ・・

やがて 葉子 は ふと 思い付いて 目 で つや を 求めた 。 |ようこ|||おもいついて|め||||もとめた 夜通し 看護 に 余念 の なかった つや は 目ざとく それ を 見て 寝床 に 近づいた 。 よどおし|かんご||よねん|||||めざとく|||みて|ねどこ||ちかづいた 葉子 は 半分 目つき に 物 を いわ せ ながら 、・・ ようこ||はんぶん|めつき||ぶつ||||

「 枕 の 下 枕 の 下 」・・ まくら||した|まくら||した

と いった 。 つや が 枕 の 下 を さがす と そこ から 、 手術 の 前 の 晩 に つや が 書き 取った 書き物 が 出て 来た 。 ||まくら||した||||||しゅじゅつ||ぜん||ばん||||かき|とった|かきもの||でて|きた 葉子 は 一生懸命な 努力 で つや に それ を 焼いて 捨てろ 、 今 見て いる 前 で 焼いて 捨てろ と 命じた 。 ようこ||いっしょうけんめいな|どりょく||||||やいて|すてろ|いま|みて||ぜん||やいて|すてろ||めいじた 葉子 の 命令 は わかって い ながら 、 つや が 躊躇 して いる の を 見る と 、 葉子 はかっと 腹 が 立って 、 その 怒り に 前後 を 忘れて 起き上がろう と した 。 ようこ||めいれい|||||||ちゅうちょ|||||みる||ようこ|はか っと|はら||たって||いかり||ぜんご||わすれて|おきあがろう|| その ため に 少し なごんで いた 下腹部 の 痛み が 一 時 に 押し寄せて 来た 。 |||すこし|||かふくぶ||いたみ||ひと|じ||おしよせて|きた 葉子 は 思わず 気 を 失い そうに なって 声 を あげ ながら 、 足 を 縮めて しまった 。 ようこ||おもわず|き||うしない|そう に||こえ||||あし||ちぢめて| けれども 一生懸命だった 。 |いっしょうけんめいだった もう 死んだ あと に は なんにも 残して おき たく ない 。 |しんだ|||||のこして||| なんにも いわ ないで 死のう 。 |||しのう そういう 気持ち ばかり が 激しく 働いて いた 。 |きもち|||はげしく|はたらいて| ・・

「 焼いて 」・・ やいて

悶絶 する ような 苦しみ の 中 から 、 葉子 は ただ 一言 これ だけ を 夢中に なって 叫んだ 。 もんぜつ|||くるしみ||なか||ようこ|||いちげん||||むちゅうに||さけんだ つや は 医 員 に 促されて いる らしかった が 、 やがて 一 台 の 蝋燭 を 葉子 の 身近に 運んで 来て 、 葉子 の 見て いる 前 で それ を 焼き 始めた 。 ||い|いん||うながさ れて|||||ひと|だい||ろうそく||ようこ||みぢかに|はこんで|きて|ようこ||みて||ぜん||||やき|はじめた めらめら と 紫色 の 焔 が 立ち上がる の を 葉子 は 確かに 見た 。 ||むらさきいろ||ほのお||たちあがる|||ようこ||たしかに|みた ・・

それ を 見る と 葉子 は 心から がっかり して しまった 。 ||みる||ようこ||こころから||| これ で 自分 の 一生 は なんにも なくなった と 思った 。 ||じぶん||いっしょう|||||おもった もう いい …… 誤解 さ れた まま で 、 女王 は 今 死んで 行く …… そう 思う と さすが に 一抹 の 哀愁 が しみじみ と 胸 を こそ い で 通った 。 ||ごかい|||||じょおう||いま|しんで|いく||おもう||||いちまつ||あいしゅう||||むね|||||かよった 葉子 は 涙 を 感じた 。 ようこ||なみだ||かんじた しかし 涙 は 流れて 出 ないで 、 目 の 中 が 火 の ように 熱く なった ばかりだった 。 |なみだ||ながれて|だ||め||なか||ひ|||あつく|| ・・

また も ひどい 疼 痛 が 襲い 始めた 、 葉子 は 神 の 締め 木 に かけられて 、 自分 の からだ が 見る見る やせて 行く の を 自分 ながら 感じた 。 |||うず|つう||おそい|はじめた|ようこ||かみ||しめ|き||かけ られて|じぶん||||みるみる||いく|||じぶん||かんじた 人々 が 薄気味わる げ に 見守って いる の に も 気 が ついた 。 ひとびと||うすきみわる|||みまもって|||||き|| ・・

それ でも とうとう その 夜 も 明け 離れた 。 ||||よ||あけ|はなれた ・・

葉子 は 精 も 根 も 尽き 果てよう と して いる の を 感じた 。 ようこ||せい||ね||つき|はてよう||||||かんじた Yoko felt that her spirit and roots were about to run out. 身 を 切る ような 痛み さえ が 時々 は 遠い 事 の ように 感じられ 出した の を 知った 。 み||きる||いたみ|||ときどき||とおい|こと|||かんじ られ|だした|||しった もう 仕残 して いた 事 は なかった か と 働き の 鈍った 頭 を 懸命に 働か して 考えて みた 。 |しざん|||こと|||||はたらき||なまった|あたま||けんめいに|はたらか||かんがえて| I tried to work hard with my slow-working mind to see if there was anything I had left behind. その 時 ふと 定子 の 事 が 頭 に 浮かんだ 。 |じ||さだこ||こと||あたま||うかんだ あの 紙 を 焼いて しまって は 木部 と 定子 と が あう 機会 は ない かも しれ ない 。 |かみ||やいて|||きべ||さだこ||||きかい||||| だれ か に 定子 を 頼んで …… 葉子 は あわてふためき ながら その 人 を 考えた 。 |||さだこ||たのんで|ようこ|||||じん||かんがえた ・・

内田 …… そうだ 内田 に 頼もう 。 うちた|そう だ|うちた||たのもう 葉子 は その 時 不思議な なつかし さ を もって 内田 の 生涯 を 思いやった 。 ようこ|||じ|ふしぎな|||||うちた||しょうがい||おもいやった あの 偏 頗 で 頑固で 意地っぱりな 内田 の 心 の 奥 の 奥 に 小さく 潜んで いる 澄み とおった 魂 が 始めて 見える ような 心持ち が した 。 |へん|すこぶる||がんこで|いじっぱりな|うちた||こころ||おく||おく||ちいさく|ひそんで||すみ||たましい||はじめて|みえる||こころもち|| For the first time, I felt as if I could see the clear soul lurking in the depths of Uchida's eccentric, stubborn, and stubborn mind. ・・

葉子 は つや に 古藤 を 呼び寄せる ように 命じた 。 ようこ||||ことう||よびよせる||めいじた 古藤 の 兵 営 に いる の は つや も 知っている はずだ 。 ことう||つわもの|いとな|||||||しっている| 古藤 から 内田 に いって もらったら 内田 が 来て くれ ない はず は ある まい 、 内田 は 古藤 を 愛して いる から 。 ことう||うちた||||うちた||きて|||||||うちた||ことう||あいして|| ・・

それ から 一 時間 苦しみ 続けた 後 に 、 古藤 の 例の 軍服 姿 は 葉子 の 病室 に 現われた 。 ||ひと|じかん|くるしみ|つづけた|あと||ことう||れいの|ぐんぷく|すがた||ようこ||びょうしつ||あらわれた 葉子 の 依頼 を ようやく 飲みこむ と 、 古藤 は いちずな 顔 に 思い 入った 表情 を たたえて 、 急いで 座 を 立った 。 ようこ||いらい|||のみこむ||ことう|||かお||おもい|はいった|ひょうじょう|||いそいで|ざ||たった ・・

葉子 は だれ に と も 何 に と も なく 息 気 を 引き取る 前 に 内田 の 来る の を 祈った 。 ようこ||||||なん|||||いき|き||ひきとる|ぜん||うちた||くる|||いのった Yoko prayed for Uchida's arrival before taking her last breath. ・・

しかし 小石川 に 住んで いる 内田 は なかなか やって 来る 様子 も 見せ なかった 。 |こいしかわ||すんで||うちた||||くる|ようす||みせ| ・・

「 痛い 痛い 痛い …… 痛い 」・・ いたい|いたい|いたい|いたい

葉子 が 前後 を 忘れ われ を 忘れて 、 魂 を しぼり出す ように こう うめく 悲しげな 叫び声 は 、 大雨 の あと の 晴れやかな 夏 の 朝 の 空気 を かき乱して 、 惨 ま しく 聞こえ 続けた 。 ようこ||ぜんご||わすれ|||わすれて|たましい||しぼりだす||||かなしげな|さけびごえ||おおあめ||||はれやかな|なつ||あさ||くうき||かきみだして|さん|||きこえ|つづけた Yoko's mournful cry, forgetting about the past and the other, as if to squeeze out her soul, continued to be heard horribly, disturbing the clear summer morning air after the heavy rain. ・・

( 後編 了 ) こうへん|さとる