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或る女 - 有島武郎(アクセス), 12.1 或る女

12.1 或る 女

その 日 の 夕方 、 葉子 は 船 に 来て から 始めて 食堂 に 出た 。 着物 は 思いきって 地味な くすんだ の を 選んだ けれども 、 顔 だけ は 存分に 若く つくって いた 。 二十 を 越す や 越さ ず に 見える 、 目 の 大きな 、 沈んだ 表情 の 彼女 の 襟 の 藍 鼠 は 、 なんとなく 見る 人 の 心 を 痛く さ せた 。 細長い 食卓 の 一端 に 、 カップ ・ ボード を 後ろ に して 座 を 占めた 事務 長 の 右手 に は 田川 夫人 が いて 、 その 向かい が 田川 博士 、 葉子 の 席 は 博士 の すぐ 隣 に 取って あった 。 そのほか の 船客 も 大概 は すでに 卓 に 向かって いた 。 葉子 の 足音 が 聞こえる と 、 いち早く 目 くば せ を し 合った の は ボーイ 仲間 で 、 その 次に ひどく 落ち付か ぬ 様子 を し 出した の は 事務 長 と 向かい合って 食卓 の 他 の 一端 に いた 鬚 の 白い アメリカ 人 の 船長 であった 。 あわてて 席 を 立って 、 右手 に ナプキン を 下げ ながら 、 自分 の 前 を 葉子 に 通ら せて 、 顔 を まっ赤 に して 座 に 返った 。 葉子 は しとやかに 人々 の 物 数奇 らしい 視線 を 受け流し ながら 、 ぐるっと 食卓 を 回って 自分 の 席 まで 行く と 、 田川 博士 は ぬすむ ように 夫人 の 顔 を ちょっと うかがって おいて 、 肥った から だ を よける ように して 葉子 を 自分 の 隣 に すわら せた 。 ・・

すわり ず まい を ただして いる 間 、 たくさんの 注視 の 中 に も 、 葉子 は 田川 夫人 の 冷たい ひとみ の 光 を 浴びて いる の を 心地 悪い ほど に 感じた 。 やがて きちんと つつましく 正面 を 向いて 腰かけて 、 ナプキン を 取り上げ ながら 、 まず 第 一 に 田川 夫人 の ほう に 目 を やって そっと 挨拶 する と 、 今 まで の 角 々 しい 目 に も さすが に 申しわけ ほど の 笑み を 見せて 、 夫人 が 何 か いおう と した 瞬間 、 その 時 まで ぎ ご ち なく 話 を 途 切らして いた 田川 博士 も 事務 長 の ほう を 向いて 何 か いおう と した ところ であった ので 、 両方 の 言葉 が 気まずく ぶつかりあって 、 夫婦 は 思わず 同時に 顔 を 見合わせた 。 一座 の 人々 も 、 日本 人 と いわ ず 外国 人 と いわ ず 、 葉子 に 集めて いた ひとみ を 田川 夫妻 の ほう に 向けた 。 「 失礼 」 と いって ひかえた 博士 に 夫人 は ちょっと 頭 を 下げて おいて 、 みんな に 聞こえる ほど はっきり 澄んだ 声 で 、・・

「 とんと 食堂 に おいで が なかった ので 、 お 案じ 申しました の 、 船 に は お 困り です か 」・・

と いった 。 さすが に 世慣れて 才 走った その 言葉 は 、 人 の 上 に 立ち つけた 重み を 見せた 。 葉子 は にこやかに 黙って うなずき ながら 、 位 を 一 段落 と して 会釈 する の を そう 不快に は 思わぬ くらい だった 。 二 人 の 間 の 挨拶 は それなり で 途切れて しまった ので 、 田川 博士 は おもむろに 事務 長 に 向かって し 続けて いた 話 の 糸目 を つなごう と した 。 ・・

「 それ から …… その ……」・・

しかし 話 の 糸口 は 思う ように 出て 来 なかった 。 事もなげに 落ち付いた 様子 に 見える 博士 の 心 の 中 に 、 軽い 混乱 が 起こって いる の を 、 葉子 は すぐ 見て取った 。 思いどおりに 一座 の 気分 を 動揺 さ せる 事 が できる と いう 自信 が 裏書き さ れた ように 葉子 は 思って そっと 満足 を 感じて いた 。 そして ボーイ 長 の さしず で ボーイ ら が 手 器用に 運んで 来た ポタージュ を すすり ながら 、 田川 博士 の ほう の 話 に 耳 を 立てた 。 ・・

葉子 が 食堂 に 現われて 自分 の 視界 に は いって くる と 、 臆 面 も なく じっと 目 を 定めて その 顔 を 見 やった 後 に 、 無頓着に スプーン を 動かし ながら 、 時々 食卓 の 客 を 見回して 気 を 配って いた 事務 長 は 、 下 くちびる を 返して 鬚 の 先 を 吸い ながら 、 塩 さび の した 太い 声 で 、・・

「 それ から モンロー 主義 の 本体 は 」・・

と 話 の 糸目 を 引っぱり出して おいて 、 まともに 博士 を 打ち 見 やった 。 博士 は 少し 面 伏せ な 様子 で 、・・

「 そう 、 その 話 でした な 。 モンロー 主義 も その 主張 は 初め の うち は 、 北米 の 独立 諸 州 に 対して ヨーロッパ の 干渉 を 拒む と いう だけ の もの であった のです 。 ところが その 政策 の 内容 は 年 と 共に だんだん 変わって いる 。 モンロー の 宣言 は 立派に 文字 に なって 残って いる けれども 、 法律 と いう わけで は なし 、 文章 も 融通 が きく ように できて いる ので 、 取り よう に よって は 、 どうにでも 伸縮 する 事 が できる のです 。 マッキンレー 氏 など は ずいぶん 極端に その 意味 を 拡張 して いる らしい 。 もっとも これ に は クリーブランド と いう 人 の 先例 も ある し 、 マッキンレー 氏 の 下 に は もう 一 人 有力な 黒幕 が ある はずだ 。 どう です 斎藤 君 」・・

と 二三 人 おいた 斜向い の 若い 男 を 顧みた 。 斎藤 と 呼ば れた 、 ワシントン 公使 館 赴任 の 外交 官 補 は 、 まっ赤 に なって 、 今 まで 葉子 に 向けて いた 目 を 大急ぎで 博士 の ほう に そらして 見た が 、 質問 の 要領 を はっきり 捕え そこねて 、 さらに 赤く なって 術 ない 身ぶり を した 。 これほど な 席 に さえ かつて 臨んだ 習慣 の ない らしい その 人 の 素性 が その あわて かた に 充分に 見えすいて いた 。 博士 は 見下した ような 態度 で 暫時 その 青年 の どぎまぎ した 様子 を 見て いた が 、 返事 を 待ちかねて 、 事務 長 の ほう を 向こう と した 時 、 突然 はる か 遠い 食卓 の 一端 から 、 船長 が 顔 を まっ赤 に して 、・・

「 You mean Teddy the roughrider ?」・・

と いい ながら 子供 の ような 笑顔 を 人々 に 見せた 。 船長 の 日本 語 の 理解 力 を それほど に 思い 設けて い なかった らしい 博士 は 、 この 不意打ち に 今度 は 自分 が まごついて 、 ちょっと 返事 を し かねて いる と 、 田川 夫人 が さ そく に それ を 引き取って 、・・

「 Good hit for you , Mr . Captain !」・・

と 癖 の ない 発音 で いって のけた 。 これ を 聞いた 一座 は 、 ことに 外国 人 たち は 、 椅子 から 乗り出す ように して 夫人 を 見た 。 夫人 は その 時 人 の 目 に は つき かねる ほど の 敏捷 さ で 葉子 の ほう を うかがった 。 葉子 は 眉 一 つ 動かさ ず に 、 下 を 向いた まま で スープ を すすって いた 。 ・・

慎み深く 大さじ を 持ち あつかい ながら 、 葉子 は 自分 に 何 か きわ立った 印象 を 与えよう と して 、 いろいろな ま ね を 競い合って いる ような 人々 の さま を 心 の 中 で 笑って いた 。 実際 葉子 が 姿 を 見せて から 、 食堂 の 空気 は 調子 を 変えて いた 。 ことに 若い 人 たち の 間 に は 一種 の 重苦しい 波動 が 伝わった らしく 、 物 を いう 時 、 彼ら は 知らず知らず 激昂 した ような 高い 調子 に なって いた 。 ことに いちばん 年 若く 見える 一 人 の 上品な 青年 ―― 船長 の 隣 座 に いる ので 葉子 は 家柄 の 高い 生まれ に 違いない と 思った ―― など は 、 葉子 と 一目 顔 を 見 合わした が 最後 、 震え ん ばかりに 興奮 して 、 顔 を 得 上げ ないで いた 。 それ だ のに 事務 長 だけ は 、 いっこう 動かさ れた 様子 が 見え ぬ ばかり か 、 どうかした 拍子 に 顔 を 合わせた 時 でも 、 その 臆 面 の ない 、 人 を 人 と も 思わぬ ような 熟 視 は 、 かえって 葉子 の 視線 を たじろが した 。 人間 を ながめ あきた ような 気 倦 る げ な その 目 は 、 濃い まつ毛 の 間 から insolent な 光 を 放って 人 を 射た 。 葉子 は こうして 思わず ひとみ を たじろが す たび ごと に 事務 長 に 対して 不思議な 憎しみ を 覚える と ともに 、 もう 一 度 その 憎む べき 目 を 見すえて その 中 に 潜む 不思議 を 存分に 見 窮めて やりたい 心 に なった 。 葉子 は そうした 気分 に 促されて 時々 事務 長 の ほう に ひきつけられる ように 視線 を 送った が 、 その たび ごと に 葉子 の ひとみ は もろくも 手きびしく 追い 退けられた 。 ・・

こうして 妙な 気分 が 食卓 の 上 に 織りなさ れ ながら やがて 食事 は 終わった 。 一同 が 座 を 立つ 時 、 物 慣らさ れた 物腰 で 、 椅子 を 引いて くれた 田川 博士 に やさしく 微笑 を 見せて 礼 を し ながら も 、 葉子 は やはり 事務 長 の 挙動 を 仔細に 見る 事 に 半ば 気 を 奪われて いた 。 ・・

「 少し 甲板 に 出て ごらん に なり まし な 。 寒く と も 気分 は 晴れ晴れ します から 。 わたし も ちょ と 部屋 に 帰って ショール を 取って 出て 見ます 」・・

こう 葉子 に いって 田川 夫人 は 良 人 と 共に 自分 の 部屋 の ほう に 去って 行った 。 ・・

葉子 も 部屋 に 帰って 見た が 、 今 まで 閉じこもって ばかり いる と さほど に も 思わ なかった けれども 、 食堂 ほど の 広 さ の 所 から でも そこ に 来て 見る と 、 息 気づまり が し そうに 狭苦しかった 。 で 、 葉子 は 長 椅子 の 下 から 、 木村 の 父 が 使い 慣れた 古 トランク ―― その 上 に 古藤 が 油絵 の 具で Y ・ K と 書いて くれた 古 トランク を 引き出して 、 その 中 から 黒い 駝鳥 の 羽 の ボア を 取り出して 、 西洋 臭い その に おい を 快く 鼻 に 感じ ながら 、 深々と 首 を 巻いて 、 甲板 に 出て 行って 見た 。 窮屈な 階子 段 を やや よ ろ よろし ながら のぼって 、 重い 戸 を あけよう と する と 外気 の 抵抗 が なかなか 激しくって 押しもどさ れよう と した 。 きりっと 搾り 上げた ような 寒 さ が 、 戸 の すき から 縦 に 細長く 葉子 を 襲った 。 ・・

甲板 に は 外国 人 が 五六 人 厚い 外套 に くるまって 、 堅い ティーク の 床 を かつ かつ と 踏みならし ながら 、 押し黙って 勢い よく 右往左往 に 散歩 して いた 。 田川 夫人 の 姿 は そのへん に は まだ 見いださ れ なかった 。 塩気 を 含んだ 冷たい 空気 は 、 室 内 に のみ 閉じこもって いた 葉子 の 肺 を 押し 広げて 、 頬 に は 血液 がち くちく と 軽く 針 を さす ように 皮膚 に 近く 突き進んで 来る の が 感ぜられた 。 葉子 は 散歩 客 に は 構わ ず に 甲板 を 横ぎって 船べり の 手 欄 に よりかかり ながら 、 波 また 波 と 果てし も なく 連なる 水 の 堆積 を はるばる と ながめ やった 。 折り重なった 鈍 色 の 雲 の かなた に 夕日 の 影 は 跡形 も なく 消えうせて 、 闇 は 重い 不思議な 瓦 斯 の ように 力強く すべて の 物 を 押し ひしゃ げ ていた 。 雪 を たっぷり 含んだ 空 だけ が 、 その 間 と わずかに 争って 、 南方 に は 見られ ぬ 暗い 、 燐 の ような 、 さびしい 光 を 残して いた 。 一種 の テンポ を 取って 高く なり 低く なり する 黒い 波 濤 の かなた に は 、 さらに 黒ずんだ 波 の 穂 が 果てし も なく 連なって いた 。 船 は 思った より 激しく 動揺 して いた 。 赤い ガラス を はめた 檣燈 が 空 高く 、 右 から 左 、 左 から 右 へ と 広い 角度 を 取って ひらめいた 。 ひらめく たび に 船 が 横 か しぎ に なって 、 重い 水 の 抵抗 を 受け ながら 進んで 行く の が 、 葉子 の 足 から からだ に 伝わって 感ぜられた 。 ・・

葉子 は ふらふら と 船 に ゆ り上げ ゆり 下げられ ながら 、 まんじ り と も せ ず に 、 黒い 波 の 峰 と 波 の 谷 と が かわるがわる 目の前 に 現われる の を 見つめて いた 。 豊かな 髪 の 毛 を とおして 寒 さ が しんしんと 頭 の 中 に しみこむ の が 、 初め の うち は 珍しく いい 気持ち だった が 、 やがて しびれる ような 頭痛 に 変わって 行った 。 …… と 急に 、 どこ を どう 潜んで 来た と も 知れ ない 、 いやな さびし さ が 盗 風 の ように 葉子 を 襲った 。 船 に 乗って から 春 の 草 の ように 萌え出 した 元気 は ぽっきり と 心 を 留められて しまった 。 こめかみ が じん じん と 痛み 出して 、 泣きつか れ の あと に 似た 不愉快な 睡気 の 中 に 、 胸 を ついて 嘔 き 気 さえ 催して 来た 。 葉子 は あわてて あたり を 見回した が 、 もう そこ い ら に は 散歩 の 人 足 も 絶えて いた 。 けれども 葉子 は 船室 に 帰る 気力 も なく 、 右手 で しっかり と 額 を 押えて 、 手 欄 に 顔 を 伏せ ながら 念じる ように 目 を つぶって 見た が 、 いいよう の ない さびし さ は いや 増す ばかりだった 。 葉子 は ふと 定子 を 懐妊 して いた 時 の はげしい 悪 阻 の 苦痛 を 思い出した 。 それ はおり から 痛ましい 回想 だった 。 …… 定子 …… 葉子 は もう その 笞 に は 堪え ない と いう ように 頭 を 振って 、 気 を 紛らす ため に 目 を 開いて 、 とめど なく 動く 波 の 戯れ を 見よう と した が 、 一目 見る や ぐらぐら と 眩暈 を 感じて 一 たまり も なく また 突っ伏して しまった 。 深い 悲しい ため息 が 思わず 出る の を 留めよう と して も かい が なかった 。 「 船 に 酔った のだ 」 と 思った 時 に は 、 もう から だ じゅう は 不快な 嘔感 の ため に わなわな と 震えて いた 。 ・・

「 嘔 け ば いい 」・・

そう 思って 手 欄 から 身 を 乗り出す 瞬間 、 からだ じゅう の 力 は 腹 から 胸 もと に 集まって 、 背 は 思わず も 激しく 波打った 。 その あと は もう 夢 の ようだった 。


12.1 或る 女 ある|おんな 12.1 Una mujer

その 日 の 夕方 、 葉子 は 船 に 来て から 始めて 食堂 に 出た 。 |ひ||ゆうがた|ようこ||せん||きて||はじめて|しょくどう||でた 着物 は 思いきって 地味な くすんだ の を 選んだ けれども 、 顔 だけ は 存分に 若く つくって いた 。 きもの||おもいきって|じみな||||えらんだ||かお|||ぞんぶんに|わかく|| 二十 を 越す や 越さ ず に 見える 、 目 の 大きな 、 沈んだ 表情 の 彼女 の 襟 の 藍 鼠 は 、 なんとなく 見る 人 の 心 を 痛く さ せた 。 にじゅう||こす||こさ|||みえる|め||おおきな|しずんだ|ひょうじょう||かのじょ||えり||あい|ねずみ|||みる|じん||こころ||いたく|| 細長い 食卓 の 一端 に 、 カップ ・ ボード を 後ろ に して 座 を 占めた 事務 長 の 右手 に は 田川 夫人 が いて 、 その 向かい が 田川 博士 、 葉子 の 席 は 博士 の すぐ 隣 に 取って あった 。 ほそながい|しょくたく||いったん||かっぷ|ぼーど||うしろ|||ざ||しめた|じむ|ちょう||みぎて|||たがわ|ふじん||||むかい||たがわ|はかせ|ようこ||せき||はかせ|||となり||とって| そのほか の 船客 も 大概 は すでに 卓 に 向かって いた 。 ||せんきゃく||たいがい|||すぐる||むかって| 葉子 の 足音 が 聞こえる と 、 いち早く 目 くば せ を し 合った の は ボーイ 仲間 で 、 その 次に ひどく 落ち付か ぬ 様子 を し 出した の は 事務 長 と 向かい合って 食卓 の 他 の 一端 に いた 鬚 の 白い アメリカ 人 の 船長 であった 。 ようこ||あしおと||きこえる||いちはやく|め|||||あった|||ぼーい|なかま|||つぎに||おちつか||ようす|||だした|||じむ|ちょう||むかいあって|しょくたく||た||いったん|||ひげ||しろい|あめりか|じん||せんちょう| あわてて 席 を 立って 、 右手 に ナプキン を 下げ ながら 、 自分 の 前 を 葉子 に 通ら せて 、 顔 を まっ赤 に して 座 に 返った 。 |せき||たって|みぎて||なぷきん||さげ||じぶん||ぜん||ようこ||とおら||かお||まっ あか|||ざ||かえった 葉子 は しとやかに 人々 の 物 数奇 らしい 視線 を 受け流し ながら 、 ぐるっと 食卓 を 回って 自分 の 席 まで 行く と 、 田川 博士 は ぬすむ ように 夫人 の 顔 を ちょっと うかがって おいて 、 肥った から だ を よける ように して 葉子 を 自分 の 隣 に すわら せた 。 ようこ|||ひとびと||ぶつ|すうき||しせん||うけながし|||しょくたく||まわって|じぶん||せき||いく||たがわ|はかせ||||ふじん||かお|||||こえ った|||||||ようこ||じぶん||となり||| ・・

すわり ず まい を ただして いる 間 、 たくさんの 注視 の 中 に も 、 葉子 は 田川 夫人 の 冷たい ひとみ の 光 を 浴びて いる の を 心地 悪い ほど に 感じた 。 ||||||あいだ||ちゅうし||なか|||ようこ||たがわ|ふじん||つめたい|||ひかり||あびて||||ここち|わるい|||かんじた やがて きちんと つつましく 正面 を 向いて 腰かけて 、 ナプキン を 取り上げ ながら 、 まず 第 一 に 田川 夫人 の ほう に 目 を やって そっと 挨拶 する と 、 今 まで の 角 々 しい 目 に も さすが に 申しわけ ほど の 笑み を 見せて 、 夫人 が 何 か いおう と した 瞬間 、 その 時 まで ぎ ご ち なく 話 を 途 切らして いた 田川 博士 も 事務 長 の ほう を 向いて 何 か いおう と した ところ であった ので 、 両方 の 言葉 が 気まずく ぶつかりあって 、 夫婦 は 思わず 同時に 顔 を 見合わせた 。 |||しょうめん||むいて|こしかけて|なぷきん||とりあげ|||だい|ひと||たがわ|ふじん||||め||||あいさつ|||いま|||かど|||め|||||もうしわけ|||えみ||みせて|ふじん||なん|||||しゅんかん||じ||||||はなし||と|きらして||たがわ|はかせ||じむ|ちょう||||むいて|なん||||||||りょうほう||ことば||きまずく||ふうふ||おもわず|どうじに|かお||みあわせた 一座 の 人々 も 、 日本 人 と いわ ず 外国 人 と いわ ず 、 葉子 に 集めて いた ひとみ を 田川 夫妻 の ほう に 向けた 。 いちざ||ひとびと||にっぽん|じん||||がいこく|じん||||ようこ||あつめて||||たがわ|ふさい||||むけた 「 失礼 」 と いって ひかえた 博士 に 夫人 は ちょっと 頭 を 下げて おいて 、 みんな に 聞こえる ほど はっきり 澄んだ 声 で 、・・ しつれい||||はかせ||ふじん|||あたま||さげて||||きこえる|||すんだ|こえ|

「 とんと 食堂 に おいで が なかった ので 、 お 案じ 申しました の 、 船 に は お 困り です か 」・・ |しょくどう|||||||あんじ|もうし ました||せん||||こまり||

と いった 。 さすが に 世慣れて 才 走った その 言葉 は 、 人 の 上 に 立ち つけた 重み を 見せた 。 ||よなれて|さい|はしった||ことば||じん||うえ||たち||おもみ||みせた 葉子 は にこやかに 黙って うなずき ながら 、 位 を 一 段落 と して 会釈 する の を そう 不快に は 思わぬ くらい だった 。 ようこ|||だまって|||くらい||ひと|だんらく|||えしゃく|||||ふかいに||おもわぬ|| 二 人 の 間 の 挨拶 は それなり で 途切れて しまった ので 、 田川 博士 は おもむろに 事務 長 に 向かって し 続けて いた 話 の 糸目 を つなごう と した 。 ふた|じん||あいだ||あいさつ||||とぎれて|||たがわ|はかせ|||じむ|ちょう||むかって||つづけて||はなし||いとめ|||| ・・

「 それ から …… その ……」・・

しかし 話 の 糸口 は 思う ように 出て 来 なかった 。 |はなし||いとぐち||おもう||でて|らい| 事もなげに 落ち付いた 様子 に 見える 博士 の 心 の 中 に 、 軽い 混乱 が 起こって いる の を 、 葉子 は すぐ 見て取った 。 こともなげに|おちついた|ようす||みえる|はかせ||こころ||なか||かるい|こんらん||おこって||||ようこ|||みてとった 思いどおりに 一座 の 気分 を 動揺 さ せる 事 が できる と いう 自信 が 裏書き さ れた ように 葉子 は 思って そっと 満足 を 感じて いた 。 おもいどおりに|いちざ||きぶん||どうよう|||こと|||||じしん||うらがき||||ようこ||おもって||まんぞく||かんじて| そして ボーイ 長 の さしず で ボーイ ら が 手 器用に 運んで 来た ポタージュ を すすり ながら 、 田川 博士 の ほう の 話 に 耳 を 立てた 。 |ぼーい|ちょう||||ぼーい|||て|きように|はこんで|きた|||||たがわ|はかせ||||はなし||みみ||たてた ・・

葉子 が 食堂 に 現われて 自分 の 視界 に は いって くる と 、 臆 面 も なく じっと 目 を 定めて その 顔 を 見 やった 後 に 、 無頓着に スプーン を 動かし ながら 、 時々 食卓 の 客 を 見回して 気 を 配って いた 事務 長 は 、 下 くちびる を 返して 鬚 の 先 を 吸い ながら 、 塩 さび の した 太い 声 で 、・・ ようこ||しょくどう||あらわれて|じぶん||しかい||||||おく|おもて||||め||さだめて||かお||み||あと||むとんちゃくに|すぷーん||うごかし||ときどき|しょくたく||きゃく||みまわして|き||くばって||じむ|ちょう||した|||かえして|ひげ||さき||すい||しお||||ふとい|こえ|

「 それ から モンロー 主義 の 本体 は 」・・ ||もんろー|しゅぎ||ほんたい|

と 話 の 糸目 を 引っぱり出して おいて 、 まともに 博士 を 打ち 見 やった 。 |はなし||いとめ||ひっぱりだして|||はかせ||うち|み| 博士 は 少し 面 伏せ な 様子 で 、・・ はかせ||すこし|おもて|ふせ||ようす|

「 そう 、 その 話 でした な 。 ||はなし|| モンロー 主義 も その 主張 は 初め の うち は 、 北米 の 独立 諸 州 に 対して ヨーロッパ の 干渉 を 拒む と いう だけ の もの であった のです 。 もんろー|しゅぎ|||しゅちょう||はじめ||||ほくべい||どくりつ|しょ|しゅう||たいして|よーろっぱ||かんしょう||こばむ||||||| ところが その 政策 の 内容 は 年 と 共に だんだん 変わって いる 。 ||せいさく||ないよう||とし||ともに||かわって| モンロー の 宣言 は 立派に 文字 に なって 残って いる けれども 、 法律 と いう わけで は なし 、 文章 も 融通 が きく ように できて いる ので 、 取り よう に よって は 、 どうにでも 伸縮 する 事 が できる のです 。 もんろー||せんげん||りっぱに|もじ|||のこって|||ほうりつ||||||ぶんしょう||ゆうずう|||||||とり||||||しんしゅく||こと||| マッキンレー 氏 など は ずいぶん 極端に その 意味 を 拡張 して いる らしい 。 |うじ||||きょくたんに||いみ||かくちょう||| もっとも これ に は クリーブランド と いう 人 の 先例 も ある し 、 マッキンレー 氏 の 下 に は もう 一 人 有力な 黒幕 が ある はずだ 。 |||||||じん||せんれい|||||うじ||した||||ひと|じん|ゆうりょくな|くろまく||| どう です 斎藤 君 」・・ ||さいとう|きみ

と 二三 人 おいた 斜向い の 若い 男 を 顧みた 。 |ふみ|じん||はすむかい||わかい|おとこ||かえりみた 斎藤 と 呼ば れた 、 ワシントン 公使 館 赴任 の 外交 官 補 は 、 まっ赤 に なって 、 今 まで 葉子 に 向けて いた 目 を 大急ぎで 博士 の ほう に そらして 見た が 、 質問 の 要領 を はっきり 捕え そこねて 、 さらに 赤く なって 術 ない 身ぶり を した 。 さいとう||よば||わしんとん|こうし|かん|ふにん||がいこう|かん|ほ||まっ あか|||いま||ようこ||むけて||め||おおいそぎで|はかせ|||||みた||しつもん||ようりょう|||とらえ|||あかく||じゅつ||みぶり|| これほど な 席 に さえ かつて 臨んだ 習慣 の ない らしい その 人 の 素性 が その あわて かた に 充分に 見えすいて いた 。 ||せき||||のぞんだ|しゅうかん|||||じん||すじょう||||||じゅうぶんに|みえすいて| 博士 は 見下した ような 態度 で 暫時 その 青年 の どぎまぎ した 様子 を 見て いた が 、 返事 を 待ちかねて 、 事務 長 の ほう を 向こう と した 時 、 突然 はる か 遠い 食卓 の 一端 から 、 船長 が 顔 を まっ赤 に して 、・・ はかせ||みくだした||たいど||ざんじ||せいねん||||ようす||みて|||へんじ||まちかねて|じむ|ちょう||||むこう|||じ|とつぜん|||とおい|しょくたく||いったん||せんちょう||かお||まっ あか||

「 You mean Teddy the roughrider ?」・・ you||teddy||

と いい ながら 子供 の ような 笑顔 を 人々 に 見せた 。 |||こども|||えがお||ひとびと||みせた 船長 の 日本 語 の 理解 力 を それほど に 思い 設けて い なかった らしい 博士 は 、 この 不意打ち に 今度 は 自分 が まごついて 、 ちょっと 返事 を し かねて いる と 、 田川 夫人 が さ そく に それ を 引き取って 、・・ せんちょう||にっぽん|ご||りかい|ちから||||おもい|もうけて||||はかせ|||ふいうち||こんど||じぶん||||へんじ||||||たがわ|ふじん|||||||ひきとって

「 Good hit for you , Mr . Captain !」・・ good||||mr|captain

と 癖 の ない 発音 で いって のけた 。 |くせ|||はつおん||| これ を 聞いた 一座 は 、 ことに 外国 人 たち は 、 椅子 から 乗り出す ように して 夫人 を 見た 。 ||きいた|いちざ|||がいこく|じん|||いす||のりだす|||ふじん||みた 夫人 は その 時 人 の 目 に は つき かねる ほど の 敏捷 さ で 葉子 の ほう を うかがった 。 ふじん|||じ|じん||め|||||||びんしょう|||ようこ|||| 葉子 は 眉 一 つ 動かさ ず に 、 下 を 向いた まま で スープ を すすって いた 。 ようこ||まゆ|ひと||うごかさ|||した||むいた|||すーぷ||| ・・

慎み深く 大さじ を 持ち あつかい ながら 、 葉子 は 自分 に 何 か きわ立った 印象 を 与えよう と して 、 いろいろな ま ね を 競い合って いる ような 人々 の さま を 心 の 中 で 笑って いた 。 つつしみぶかく|おおさじ||もち|||ようこ||じぶん||なん||きわだった|いんしょう||あたえよう|||||||きそいあって|||ひとびと||||こころ||なか||わらって| 実際 葉子 が 姿 を 見せて から 、 食堂 の 空気 は 調子 を 変えて いた 。 じっさい|ようこ||すがた||みせて||しょくどう||くうき||ちょうし||かえて| ことに 若い 人 たち の 間 に は 一種 の 重苦しい 波動 が 伝わった らしく 、 物 を いう 時 、 彼ら は 知らず知らず 激昂 した ような 高い 調子 に なって いた 。 |わかい|じん|||あいだ|||いっしゅ||おもくるしい|はどう||つたわった||ぶつ|||じ|かれら||しらずしらず|げきこう|||たかい|ちょうし||| ことに いちばん 年 若く 見える 一 人 の 上品な 青年 ―― 船長 の 隣 座 に いる ので 葉子 は 家柄 の 高い 生まれ に 違いない と 思った ―― など は 、 葉子 と 一目 顔 を 見 合わした が 最後 、 震え ん ばかりに 興奮 して 、 顔 を 得 上げ ないで いた 。 ||とし|わかく|みえる|ひと|じん||じょうひんな|せいねん|せんちょう||となり|ざ||||ようこ||いえがら||たかい|うまれ||ちがいない||おもった|||ようこ||いちもく|かお||み|あわした||さいご|ふるえ|||こうふん||かお||とく|あげ|| それ だ のに 事務 長 だけ は 、 いっこう 動かさ れた 様子 が 見え ぬ ばかり か 、 どうかした 拍子 に 顔 を 合わせた 時 でも 、 その 臆 面 の ない 、 人 を 人 と も 思わぬ ような 熟 視 は 、 かえって 葉子 の 視線 を たじろが した 。 |||じむ|ちょう||||うごかさ||ようす||みえ|||||ひょうし||かお||あわせた|じ|||おく|おもて|||じん||じん|||おもわぬ||じゅく|し|||ようこ||しせん||| 人間 を ながめ あきた ような 気 倦 る げ な その 目 は 、 濃い まつ毛 の 間 から insolent な 光 を 放って 人 を 射た 。 にんげん|||||き|あぐ|||||め||こい|まつげ||あいだ||||ひかり||はなって|じん||いた 葉子 は こうして 思わず ひとみ を たじろが す たび ごと に 事務 長 に 対して 不思議な 憎しみ を 覚える と ともに 、 もう 一 度 その 憎む べき 目 を 見すえて その 中 に 潜む 不思議 を 存分に 見 窮めて やりたい 心 に なった 。 ようこ|||おもわず||||||||じむ|ちょう||たいして|ふしぎな|にくしみ||おぼえる||||ひと|たび||にくむ||め||みすえて||なか||ひそむ|ふしぎ||ぞんぶんに|み|きわめて|やり たい|こころ|| 葉子 は そうした 気分 に 促されて 時々 事務 長 の ほう に ひきつけられる ように 視線 を 送った が 、 その たび ごと に 葉子 の ひとみ は もろくも 手きびしく 追い 退けられた 。 ようこ|||きぶん||うながさ れて|ときどき|じむ|ちょう||||ひきつけ られる||しせん||おくった||||||ようこ|||||てきびしく|おい|しりぞけ られた ・・

こうして 妙な 気分 が 食卓 の 上 に 織りなさ れ ながら やがて 食事 は 終わった 。 |みょうな|きぶん||しょくたく||うえ||おりなさ||||しょくじ||おわった 一同 が 座 を 立つ 時 、 物 慣らさ れた 物腰 で 、 椅子 を 引いて くれた 田川 博士 に やさしく 微笑 を 見せて 礼 を し ながら も 、 葉子 は やはり 事務 長 の 挙動 を 仔細に 見る 事 に 半ば 気 を 奪われて いた 。 いちどう||ざ||たつ|じ|ぶつ|ならさ||ものごし||いす||ひいて||たがわ|はかせ|||びしょう||みせて|れい|||||ようこ|||じむ|ちょう||きょどう||しさいに|みる|こと||なかば|き||うばわ れて| ・・

「 少し 甲板 に 出て ごらん に なり まし な 。 すこし|かんぱん||でて||||| 寒く と も 気分 は 晴れ晴れ します から 。 さむく|||きぶん||はればれ|し ます| わたし も ちょ と 部屋 に 帰って ショール を 取って 出て 見ます 」・・ ||||へや||かえって|しょーる||とって|でて|み ます

こう 葉子 に いって 田川 夫人 は 良 人 と 共に 自分 の 部屋 の ほう に 去って 行った 。 |ようこ|||たがわ|ふじん||よ|じん||ともに|じぶん||へや||||さって|おこなった ・・

葉子 も 部屋 に 帰って 見た が 、 今 まで 閉じこもって ばかり いる と さほど に も 思わ なかった けれども 、 食堂 ほど の 広 さ の 所 から でも そこ に 来て 見る と 、 息 気づまり が し そうに 狭苦しかった 。 ようこ||へや||かえって|みた||いま||とじこもって|||||||おもわ|||しょくどう|||ひろ|||しょ|||||きて|みる||いき|きづまり|||そう に|せまくるしかった で 、 葉子 は 長 椅子 の 下 から 、 木村 の 父 が 使い 慣れた 古 トランク ―― その 上 に 古藤 が 油絵 の 具で Y ・ K と 書いて くれた 古 トランク を 引き出して 、 その 中 から 黒い 駝鳥 の 羽 の ボア を 取り出して 、 西洋 臭い その に おい を 快く 鼻 に 感じ ながら 、 深々と 首 を 巻いて 、 甲板 に 出て 行って 見た 。 |ようこ||ちょう|いす||した||きむら||ちち||つかい|なれた|ふる|とらんく||うえ||ことう||あぶらえ||つぶさで|y|k||かいて||ふる|とらんく||ひきだして||なか||くろい|だちょう||はね||||とりだして|せいよう|くさい|||||こころよく|はな||かんじ||しんしんと|くび||まいて|かんぱん||でて|おこなって|みた 窮屈な 階子 段 を やや よ ろ よろし ながら のぼって 、 重い 戸 を あけよう と する と 外気 の 抵抗 が なかなか 激しくって 押しもどさ れよう と した 。 きゅうくつな|はしご|だん||||||||おもい|と||||||がいき||ていこう|||はげしく って|おしもどさ||| きりっと 搾り 上げた ような 寒 さ が 、 戸 の すき から 縦 に 細長く 葉子 を 襲った 。 |しぼり|あげた||さむ|||と||||たて||ほそながく|ようこ||おそった ・・

甲板 に は 外国 人 が 五六 人 厚い 外套 に くるまって 、 堅い ティーク の 床 を かつ かつ と 踏みならし ながら 、 押し黙って 勢い よく 右往左往 に 散歩 して いた 。 かんぱん|||がいこく|じん||ごろく|じん|あつい|がいとう|||かたい|||とこ|||||ふみならし||おしだまって|いきおい||うおうさおう||さんぽ|| 田川 夫人 の 姿 は そのへん に は まだ 見いださ れ なかった 。 たがわ|ふじん||すがた||||||みいださ|| 塩気 を 含んだ 冷たい 空気 は 、 室 内 に のみ 閉じこもって いた 葉子 の 肺 を 押し 広げて 、 頬 に は 血液 がち くちく と 軽く 針 を さす ように 皮膚 に 近く 突き進んで 来る の が 感ぜられた 。 しおけ||ふくんだ|つめたい|くうき||しつ|うち|||とじこもって||ようこ||はい||おし|ひろげて|ほお|||けつえき||||かるく|はり||||ひふ||ちかく|つきすすんで|くる|||かんぜ られた 葉子 は 散歩 客 に は 構わ ず に 甲板 を 横ぎって 船べり の 手 欄 に よりかかり ながら 、 波 また 波 と 果てし も なく 連なる 水 の 堆積 を はるばる と ながめ やった 。 ようこ||さんぽ|きゃく|||かまわ|||かんぱん||よこぎって|ふなべり||て|らん||||なみ||なみ||はてし|||つらなる|すい||たいせき||||| 折り重なった 鈍 色 の 雲 の かなた に 夕日 の 影 は 跡形 も なく 消えうせて 、 闇 は 重い 不思議な 瓦 斯 の ように 力強く すべて の 物 を 押し ひしゃ げ ていた 。 おりかさなった|どん|いろ||くも||||ゆうひ||かげ||あとかた|||きえうせて|やみ||おもい|ふしぎな|かわら|し|||ちからづよく|||ぶつ||おし||| 雪 を たっぷり 含んだ 空 だけ が 、 その 間 と わずかに 争って 、 南方 に は 見られ ぬ 暗い 、 燐 の ような 、 さびしい 光 を 残して いた 。 ゆき|||ふくんだ|から||||あいだ|||あらそって|なんぽう|||み られ||くらい|りん||||ひかり||のこして| 一種 の テンポ を 取って 高く なり 低く なり する 黒い 波 濤 の かなた に は 、 さらに 黒ずんだ 波 の 穂 が 果てし も なく 連なって いた 。 いっしゅ||てんぽ||とって|たかく||ひくく|||くろい|なみ|とう||||||くろずんだ|なみ||ほ||はてし|||つらなって| 船 は 思った より 激しく 動揺 して いた 。 せん||おもった||はげしく|どうよう|| 赤い ガラス を はめた 檣燈 が 空 高く 、 右 から 左 、 左 から 右 へ と 広い 角度 を 取って ひらめいた 。 あかい|がらす|||しょうとう||から|たかく|みぎ||ひだり|ひだり||みぎ|||ひろい|かくど||とって| ひらめく たび に 船 が 横 か しぎ に なって 、 重い 水 の 抵抗 を 受け ながら 進んで 行く の が 、 葉子 の 足 から からだ に 伝わって 感ぜられた 。 |||せん||よこ|||||おもい|すい||ていこう||うけ||すすんで|いく|||ようこ||あし||||つたわって|かんぜ られた ・・

葉子 は ふらふら と 船 に ゆ り上げ ゆり 下げられ ながら 、 まんじ り と も せ ず に 、 黒い 波 の 峰 と 波 の 谷 と が かわるがわる 目の前 に 現われる の を 見つめて いた 。 ようこ||||せん|||りあげ||さげ られ|||||||||くろい|なみ||みね||なみ||たに||||めのまえ||あらわれる|||みつめて| 豊かな 髪 の 毛 を とおして 寒 さ が しんしんと 頭 の 中 に しみこむ の が 、 初め の うち は 珍しく いい 気持ち だった が 、 やがて しびれる ような 頭痛 に 変わって 行った 。 ゆたかな|かみ||け|||さむ||||あたま||なか|||||はじめ||||めずらしく||きもち||||||ずつう||かわって|おこなった …… と 急に 、 どこ を どう 潜んで 来た と も 知れ ない 、 いやな さびし さ が 盗 風 の ように 葉子 を 襲った 。 |きゅうに||||ひそんで|きた|||しれ||||||ぬす|かぜ|||ようこ||おそった 船 に 乗って から 春 の 草 の ように 萌え出 した 元気 は ぽっきり と 心 を 留められて しまった 。 せん||のって||はる||くさ|||もえで||げんき||ぽ っきり||こころ||とどめ られて| こめかみ が じん じん と 痛み 出して 、 泣きつか れ の あと に 似た 不愉快な 睡気 の 中 に 、 胸 を ついて 嘔 き 気 さえ 催して 来た 。 |||||いたみ|だして|なきつか|||||にた|ふゆかいな|すいき||なか||むね|||おう||き||もよおして|きた 葉子 は あわてて あたり を 見回した が 、 もう そこ い ら に は 散歩 の 人 足 も 絶えて いた 。 ようこ|||||みまわした||||||||さんぽ||じん|あし||たえて| けれども 葉子 は 船室 に 帰る 気力 も なく 、 右手 で しっかり と 額 を 押えて 、 手 欄 に 顔 を 伏せ ながら 念じる ように 目 を つぶって 見た が 、 いいよう の ない さびし さ は いや 増す ばかりだった 。 |ようこ||せんしつ||かえる|きりょく|||みぎて||||がく||おさえて|て|らん||かお||ふせ||ねんじる||め|||みた|||||||||ます| 葉子 は ふと 定子 を 懐妊 して いた 時 の はげしい 悪 阻 の 苦痛 を 思い出した 。 ようこ|||さだこ||かいにん|||じ|||あく|はば||くつう||おもいだした それ はおり から 痛ましい 回想 だった 。 |||いたましい|かいそう| …… 定子 …… 葉子 は もう その 笞 に は 堪え ない と いう ように 頭 を 振って 、 気 を 紛らす ため に 目 を 開いて 、 とめど なく 動く 波 の 戯れ を 見よう と した が 、 一目 見る や ぐらぐら と 眩暈 を 感じて 一 たまり も なく また 突っ伏して しまった 。 さだこ|ようこ||||ち|||こらえ|||||あたま||ふって|き||まぎらす|||め||あいて|||うごく|なみ||たわむれ||みよう||||いちもく|みる||||めまい||かんじて|ひと|||||つ っ ふくして| 深い 悲しい ため息 が 思わず 出る の を 留めよう と して も かい が なかった 。 ふかい|かなしい|ためいき||おもわず|でる|||とどめよう|||||| 「 船 に 酔った のだ 」 と 思った 時 に は 、 もう から だ じゅう は 不快な 嘔感 の ため に わなわな と 震えて いた 。 せん||よった|||おもった|じ||||||||ふかいな|おうかん||||||ふるえて| ・・

「 嘔 け ば いい 」・・ おう|||

そう 思って 手 欄 から 身 を 乗り出す 瞬間 、 からだ じゅう の 力 は 腹 から 胸 もと に 集まって 、 背 は 思わず も 激しく 波打った 。 |おもって|て|らん||み||のりだす|しゅんかん||||ちから||はら||むね|||あつまって|せ||おもわず||はげしく|なみうった その あと は もう 夢 の ようだった 。 ||||ゆめ||