萩原 朔 太郎 、猫 町(3)
その 頃 私 は 、 北 越 地方 の K と いう 温泉 に 滞留 して いた 。 九 月 も 末 に 近く 、 彼岸 を 過ぎた 山 の 中 で は 、 もう すっかり 秋 の 季節 に なって いた 。 都会 から 来た 避暑 客 は 、 既に 皆 帰って しまって 、 後 に は 少し ばかり の 湯治 客 が 、 静かに 病 を 養って いる のであった 。 秋 の 日影 は 次第に 深く 、 旅館 の 侘 しい 中庭 に は 、 木々 の 落葉 が 散らばって いた 。 私 は フランネル の 着物 を 着て 、 ひと り で 裏山 など を 散歩 し ながら 、 所在 の ない 日々 の 日課 を すごして いた 。
私 の いる 温泉 地 から 、 少し ばかり 離れた 所 に 、 三 つ の 小さな 町 が あった 、 いずれ も 町 と いう より は 、 村 と いう ほど の 小さな 部落 であった けれども 、 その 中 の 一 つ は 相当に 小 ぢん まり した 田舎 町 で 、 一 通り の 日常 品 も 売って いる し 、 都会 風 の 飲食 店 など も 少し は あった 。 温泉 地 から それ ら の 町 へ は 、 いずれ も 直通 の 道路 が あって 、 毎日 定期 の 乗 合馬 車 が 往復 して いた 。 特に その 繁 華 な U 町 へ は 、 小さな 軽便 鉄道 が 布 設 されて いた 。 私 は しばしば その 鉄道 で 、 町 へ 出かけて 行って 買物 を したり 、 時に は また 、 女 の いる 店 で 酒 を 飲んだり した 。 だが 私 の 実 の 楽しみ は 、 軽便 鉄道 に 乗る こと の 途中 に あった 。 その 玩具 の ような 可愛い 汽車 は 、 落葉 樹 の 林 や 、 谷間 の 見える 山 峡 や を 、 うねうね と 曲り ながら 走って 行った 。
或る 日 私 は 、 軽便 鉄道 を 途中 で 下車 し 、 徒歩 で U 町 の 方 へ 歩いて 行った 。 それ は 見晴し の 好 い 峠 の 山道 を 、 ひと り で ゆっくり 歩き たかった から であった 。 道 は 軌道 ( レール ) に 沿い ながら 、 林 の 中 の 不規則な 小径 を 通った 。 所々 に 秋草 の 花 が 咲き 、 赫土 の 肌 が 光り 、 伐られた 樹木 が 横たわって いた 。 私 は 空 に 浮んだ 雲 を 見 ながら 、 この 地方 の 山中 に 伝説 して いる 、 古い 口 碑 の こと を 考えて いた 。 概して 文化 の 程度 が 低く 、 原始 民族 の タブー と 迷信 に 包まれて いる この 地方 に は 、 実際 色々な 伝説 や 口 碑 が あり 、 今 でも なお 多数 の 人々 は 、 真面目に 信じて いる のである 、 現に 私 の 宿 の 女 中 や 、 近所 の 村 から 湯治 に 来て いる 人 たち は 、 一種 の 恐怖 と 嫌悪 の 感情 と で 、 私 に 様々の こと を 話して くれた 。 彼ら の 語る ところ に よれば 、 或る 部落 の 住民 は 犬 神 に 憑 かれて おり 、 或る 部落 の 住民 は 猫 神 に 憑 かれて いる 。 犬 神 に 憑 かれた もの は 肉 ばかり を 食い 、 猫 神 に 憑 かれた もの は 魚 ばかり 食って 生活 して いる 。
そうした 特異な 部落 を 称して 、 この 辺 の 人々 は 「 憑 き 村 」 と 呼び 、 一切 の 交際 を 避けて 忌み 嫌った 。 「 憑 き 村 」 の 人々 は 、 年 に 一 度 、 月 の ない 闇夜 を 選んで 祭礼 を する 。 その 祭 の 様子 は 、 彼ら 以外 の 普通の 人 に は 全く 見え ない 。 稀 れ に 見て 来た 人 が あって も 、 なぜ か 口 を つぐんで 話 を し ない 。 彼ら は 特殊の 魔力 を 有し 、 所 因 の 解ら ぬ 莫大 の 財産 を 隠して いる 。 等 々 。
こうした 話 を 聞か せた 後 で 、 人々 は また 追加 して 言った 。 現に この 種 の 部落 の 一 つ は 、 つい 最近 まで 、 この 温泉 場 の 附近 に あった 。 今では さすが に 解消 して 、 住民 は 何 所 か へ 散って しまった けれども 、 おそらく やはり 、 何 所 か で 秘密の 集団 生活 を 続けて いる に ちがいない 。 その 疑い ない 証拠 と して 、 現に 彼ら の オクラ ( 魔 神 の 正体 ) を 見た と いう 人 が ある と 。 こうした 人々 の 談話 の 中 に は 、 農民 一流 の 頑迷 さ が 主張 づけられて いた 。 否 でも 応 でも 、 彼ら は 自己 の 迷信 的 恐怖 と 実在 性 と を 、 私 に 強制 しよう と する のであった 。 だが 私 は 、 別の ちがった 興味 でもって 、 人々 の 話 を 面白く 傾聴 して いた 。 日本 の 諸国 に ある この 種 の 部落 的 タブー は 、 おそらく 風俗 習慣 を 異にした 外国 の 移住 民 や 帰化 人 や を 、 先祖 の 氏神 にもつ 者 の 子孫 であろう 。 あるいは 多分 、 もっと 確実な 推測 と して 、 切 支丹 ( キリシタン ) 宗 徒 の 隠れた 集合 的 部落 であった のだろう 。 しかし 宇宙 の 間 に は 、 人間 の 知ら ない 数々 の 秘密 が ある 。 ホレーシオ が 言う ように 、 理 智 は 何事 を も 知り は し ない 。 理 智 は すべて を 常識 化 し 、 神話 に 通俗 の 解説 を する 。 しかも 宇宙 の 隠れた 意味 は 、 常に 通俗 以上 である 。 だから すべて の 哲学 者 は 、 彼ら の 窮 理 の 最後に 来て 、 いつも 詩人 の 前 に 兜 を 脱いで る 。 詩人 の 直 覚 する 超 常識 の 宇宙 だけ が 、 真 の メタフィジック の 実在 な のだ 。
こうした 思 惟 に 耽 り ながら 、 私 は ひと り 秋 の 山道 を 歩いて いた 。 その 細い 山道 は 、 経路 に 沿う て 林 の 奥 へ 消えて 行った 。 目的 地 へ の 道標 と して 、 私 が 唯一 の たより に して いた 汽車 の 軌道 ( レール ) は 、 もはや 何 所 に も 見え なく なった 。 私 は 道 を なくした のだ 。
「 迷い 子 ! 瞑想 から 醒 め た 時 に 、 私 の 心 に 浮んだ の は 、 この 心細い 言葉 であった 。 私 は 急に 不安に なり 、 道 を 探そう と して あわて 出した 。 私 は 後 へ 引返して 、 逆に 最初の 道 へ 戻ろう と した 。 そして 一層 地理 を 失い 、 多岐に 別れた 迷路 の 中 へ 、 ぬきさし なら ず 入って しまった 。 山 は 次第に 深く なり 、 小径 は 荊棘 の 中 に 消えて しまった 。 空しい 時間 が 経過 して 行き 、 一 人 の 樵夫 に も 逢わ なかった 。 私 は だんだん 不安に なり 、 犬 の ように 焦燥 し ながら 、 道 を 嗅ぎ 出そう と して 歩き 廻った 。 そして 最後に 、 漸 く 人 馬 の 足跡 の はっきり ついた 、 一 つ の 細い 山道 を 発見 した 。 私 は その 足跡 に 注意 し ながら 、 次第に 麓 の 方 へ 下って 行った 。 どっち の 麓 に 降りよう と も 、 人家 の ある 所 へ 着き さえ すれば 、 とにかく 安心 が できる のである 。