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銀河鉄道の夜 『宮沢賢治』(Night on the Galactic Railroad), 9-3. ジョバンニ の 切符 (3)

9-3.ジョバンニ の 切符 (3)

どんどん どんどん 汽車 は 降りて 行きました 。 崖 の はじ に 鉄道 が かかる とき は 川 が 明るく 下 に のぞけた のです 。 ジョバンニ は だんだん こころもち が 明るく なって きました 。 汽車 が 小さな 小屋 の 前 を 通って 、その 前 に しょんぼり ひとり の 子供 が 立って こっち を 見ている とき など は 思わず 、ほう 、と 叫びました 。 どんどん どんどん 汽車 は 走って 行きました 。 室 中 の ひとたち は 半分 うしろ の 方 へ 倒れる ように なり ながら 腰掛 に しっかり しがみついて いました 。 ジョバンニ は 思わず カムパネルラ と わらいました 。 もう そして 天の川 は 汽車 の すぐ 横手 を いままで よほど 激しく 流れて 来た らしく 、ときどき ちらちら 光って ながれている のでした 。 うす あかい 河原 なでしこ の 花 が あちこち 咲いて いました 。 汽車 は ようやく 落ち着いた ように ゆっくり 走って いました 。 向こう と こっち の 岸 に 星 の かたち と つるはし を 書いた 旗 が たって いました 。 「あれ なんの 旗 だろう ね 」ジョバンニ が やっと もの を 言いました 。 「さあ 、わからない ねえ 、地図 に も ない んだ もの 。 鉄 の 舟 が おいて ある ねえ 」

「 ああ 」

「橋 を 架ける とこ じゃ ない んでしょうか 」女の子 が 言いました 。 「ああ 、あれ 工兵 の 旗 だ ねえ 。 架橋 演習 を してる んだ 。 けれど 兵隊 の かたち が 見え ない ねえ 」

その 時 向こう岸 ちかく の 少し 下流 の 方 で 、見えない 天の川 の 水 が ぎらっと 光って 、柱 の ように 高く はねあがり 、どおと はげしい 音 が しました 。 「 発 破 だ よ 、 発 破 だ よ 」 カムパネルラ は こおどり しました 。 その 柱 の ように なった 水 は 見え なく なり 、大きな 鮭 や 鱒 が きらっきらっと 白く 腹 を 光らせて 空中 に ほうり出されて まるい 輪 を 描いて また 水 に 落ちました 。 ジョバンニ は もう はねあがりたい くらい 気持ち が 軽く なって 言いました 。 「空 の 工兵 大隊 だ 。 どう だ 、マス なんか が まるで こんなに なって はねあげられた ねえ 。 僕 こんな 愉快な 旅 は した こと ない 。 いい ねえ 」

「あの 鱒 なら 近く で 見たら これ くらい ある ねえ 、たくさん さかな いるんだな 、この 水 の 中 に 」

「小さな お 魚 も いる んでしょうか 」女の子 が 話 に つり込まれて 言いました 。 「いる んでしょう 。 大きな の が いる んだ から 小さい の も いる んでしょう 。 けれど 遠く だ から 、いま 小さい の 見え なかった ねえ 」ジョバンニ は もう すっかり 機嫌 が 直って おもしろ そうに わらって 女の子 に 答えました 。 「あれ きっと 双子 の お星さま の お宮 だ よ 」男の子 が いきなり 窓 の 外 を さして 叫びました 。 右手 の 低い 丘 の 上 に 小さな 水晶 で でも こさえた ような 二つ の お宮 が ならんで 立って いました 。 「双子 の お星さま の お宮 って なんだい 」「あたし 前 に なんべん も お母さん から 聞いた わ 。 ちゃんと 小さな 水晶 の お宮 で 二つ ならんで いる から きっと そう だ わ 」

「はなして ごらん 。 双子 の お 星さま が 何 を したって の 」

「ぼく も 知って らい 。 双子 の お 星さま が 野原 へ 遊び に でて 、からす と 喧嘩 した んだろう 」

「そう じゃ ない わ よ 。 あの ね 、天の川 の 岸 に ね 、おっかさん お話し なすった わ 、……」「それから 彗星 が ギーギー フーギー ギー フー て 言って 来た ねえ 」「いやだ わ 、たあちゃん 、そう じゃない わ よ 。 それ は べつの 方 だ わ 」

「する と あすこ に いま 笛 を 吹いている んだろう か 」

「いま 海 へ 行って ら あ 」

「いけない わ よ 。 もう 海 から あがって いらっしゃった の よ 」

「そう そう 。 ぼく 知って ら あ 、ぼく お はなし しよう 」

川 の 向こう岸 が にわかに 赤く なりました 。 楊 の 木 や 何か も まっ黒 に すかし出され 、見えない 天の川 の 波 も 、ときどき ちらちら 針 の ように 赤く 光りました 。 まったく 向こう岸 の 野原 に 大きな まっ赤 な 火 が 燃され 、その 黒い けむり は 高く 桔梗いろ の つめたそうな 天 を も 焦がし そうでした 。 ルビー より も 赤く すきとおり 、リチウム より も うつくしく 酔った ように なって 、その 火 は 燃えて いる のでした 。

「あれ は なんの 火 だろう 。 あんな 赤く 光る 火 は 何 を 燃やせば できる んだろう 」ジョバンニ が 言いました 。 「蠍 の 火 だ な 」カムパネルラ が また 地図 と 首っぴきして 答えました 。 「あら 、蠍 の 火 の こと なら あたし 知ってる わ 」

「蠍 の 火 って なんだい 」ジョバンニ が ききました 。 「蠍 が やけて 死んだ の よ 。 その 火 が いま でも 燃えてる って 、あたし 何べん も お父さん から 聴いた わ 」「蠍 って 、虫 だろう 」「ええ 、蠍 は 虫 よ 。 だけど いい 虫 だ わ 」

「蠍 いい 虫 じゃ ない よ 。 僕 博物館 で アルコール に つけて ある の 見た 。 尾 に こんな かぎ が あって それ で 螫 される と 死ぬって 先生 が 言って た よ 」「 そう よ 。 だけど いい 虫 だ わ 、お 父さん こう 言った の よ 。 むかし の バルドラ の 野原 に 一 ぴき の 蠍 が いて 小さな 虫 や なんか 殺して たべて 生きて いた んですって 。 する と ある 日 いたち に 見つかって 食べられ そうに なった んですって 。 さそり は 一生 けん命 にげて にげた けど 、とうとう いたち に 押えられ そうに なった わ 、その とき いきなり 前 に 井戸 が あって その 中 に 落ちて しまった わ 、もう どうしても あがられないで 、さそり は おぼれ はじめた の よ 。 その とき さそり は こう 言って お 祈り した と いう の 。

ああ 、わたし は いままで 、いくつ の もの の 命 を とった か わからない 、そして その 私 が こんど いたち に とられよう とした とき は あんなに 一生 けん命に げた 。 それ でも とうとう こんなに なって しまった 。 ああ なんにも あて に ならない 。 どうして わたし は わたしの からだ を 、だまって い たち に くれて やら なかったろう 。 そしたら いたち も 一日 生きのびたろう に 。 どうか 神さま 。 私 の 心 を ごらん ください 。 こんなに むなしく 命 を すて ず 、どうか この 次 に は 、まこと の みんな の 幸い の ため に 私 の からだ を お つかい ください 。 って 言った と いう の 。

そ したら いつか 蠍 は じぶん の からだ が 、まっ赤 な うつくしい 火 に なって 燃えて 、よる の やみ を 照らしている の を 見たって 。 いま でも 燃えて るって お父さん おっしゃった わ 。 ほんとうに あの 火 、それ だ わ 」

「そう だ 。 見た まえ 。 そこら の 三角 標 は ちょうど さそり の 形 に ならんで いる よ 」

ジョバンニ は まったく その 大きな 火 の 向こう に 三つ の 三角 標 が 、ちょうど さそり の 腕 の ように 、こっち に 五つ の 三角 標 が さそり の 尾 や かぎ の ように ならんでいる のを 見ました 。 そして ほんとうに その まっ赤 な うつくしい さそり の 火 は 音 なく あかるく あかるく 燃えた のです 。 その 火 が だんだん うしろ の 方 に なる につれて 、みんな は なんとも 言えず にぎやかな 、さまざまの 楽 の 音 や 草花 の におい の ような もの 、口笛 や 人々 の ざわざわ 言う 声 やら を 聞きました 。 それ は もう じき ちかく に 町 か 何 か が あって 、そこ に お祭り で も ある と いう ような 気 が する のでした 。

「ケンタウル 露 を ふらせ 」いきなり いま まで 眠って いた ジョバンニ の となり の 男の子 が 向こう の 窓 を 見 ながら 叫んで いました 。 ああ そこ に は クリスマストリイ の ように まっ青 な 唐檜 か もみの木 が たって 、その 中 に は たくさんの たくさんの 豆電灯 が まるで 千 の 蛍 で も 集まった ように ついていました 。 「 ああ 、 そう だ 、 今夜 ケンタウル 祭 》 だ ねえ 」

「ああ 、ここ は ケンタウル の 村 だ よ 」カムパネルラ が すぐ 言いました 。 (此の 間 原稿 なし )

「ボール 投げ なら 僕 決して はずさ ない 」男の子 が 大いばり で 言いました 。 「もう じき サウザンクロス です 。 おりる したく を して ください 」青年 が みんな に 言いました 。 「僕 、も 少し 汽車 に 乗ってる んだ よ 」男の子 が 言いました 。 カムパネルラ の となり の 女の子 は そわそわ 立って したく を はじめました けれども やっぱり ジョバンニ たち と わかれ たく ない ような ようす でした 。 「ここ で おり なけ ぁ いけない のです 」青年 は きちっと 口 を 結んで 男の子 を 見おろし ながら 言いました 。 「厭 だい 。 僕 もう 少し 汽車 へ 乗って から 行く んだい 」

ジョバンニ が こらえ かねて 言いました 。 「僕たち と いっしょに 乗って 行こう 。 僕たち どこ まで だって 行ける 切符 持って る んだ 」

「だけど あたし たち 、もう ここ で 降り なけ ぁ いけない の よ 。 ここ 天上 へ 行く と こ なんだ から 」

女の子 が さびし そうに 言いました 。 「天上 へ なんか 行か なく たって いい じゃないか 。 ぼくたち ここ で 天上 より も もっと いい とこ を こ さえ なけ ぁ いけないって 僕 の 先生 が 言った よ 」「だって おっかさん も 行って らっしゃる し 、それに 神さま が おっしゃる んだ わ 」「そんな 神さま うそ の 神さま だい 」「あなた の 神さま うそ の 神さま よ 」「そう じゃない よ 」「あなた の 神さま って どんな 神さま ですか 」青年 は 笑い ながら 言いました 。 「ぼく ほんとう は よく 知りません 。 けれども そんな ん で なしに 、ほんとうの たった 一人 の 神さま です 」

「ほんとう の 神さま は もちろん たった 一 人 です 」

「ああ 、そんな ん で なし に 、たった ひとり の ほんとうの ほんとうの 神さま です 」

「だから そうじゃ ありません か 。 わたくし は あなた 方 が いま に その ほんとうの 神さま の 前 に 、わたくしたち と お会いに なる こと を 祈ります 」青年 は つつましく 両手 を 組みました 。 女の子 も ちょうど その 通り に しました 。 みんな ほんとうに 別れ が 惜し そうで 、その 顔 いろ も 少し 青ざめて 見えました 。 ジョバンニ は あぶなく 声 を あげて 泣き出そう と しました 。 「さあ もう したく は いい んです か 。 じき サウザンクロス です から 」

ああ その とき でした 。 見えない 天の川 の ずうっと 川下 に 青 や 橙 や 、もう あらゆる 光 で ちりばめられた 十字架 が 、まるで 一本 の 木 という ふうに 川 の 中 から 立って かがやき 、その 上 に は 青じろい 雲 が まるい 環 に なって 後光 の ように かかっている のでした 。 汽車 の 中 が まるで ざわざわ しました 。 みんな あの 北 の 十字 の とき の ように まっすぐに 立って お 祈り を はじめました 。 あっち に も こっち に も 子供 が 瓜 に 飛びついた とき の ような よろこび の 声 や 、なんとも 言いよう ない 深い つつましい ためいき の 音 ばかり きこえました 。 そして だんだん 十字架 は 窓 の 正面 に なり 、あの りんご の 肉 の ような 青じろい 環 の 雲 も 、ゆるやかに ゆるやかに めぐっている のが 見えました 。 「ハレルヤ 、ハレルヤ 」明るく たのしく みんな の 声 は ひびき 、みんな は その そら の 遠く から 、つめたい そら の 遠く から 、すきとおった なんとも 言えず さわやかな ラッパ の 声 を ききました 。 そして たくさんの シグナル や 電灯 の 灯 の なか を 汽車 は だんだん ゆるやかに なり 、とうとう 十字架 の ちょうど ま 向かい に 行って すっかり とまりました 。 「さあ 、おりる んです よ 」青年 は 男の子 の 手 を ひき 姉 は 互いに えり や 肩 を なおして やって だんだん 向こう の 出口 の 方 へ 歩き出しました 。 「じゃ さよなら 」女の子 が ふりかえって 二人 に 言いました 。 「さよなら 」ジョバンニ は まるで 泣き出したい の を こらえて おこった ように ぶっきらぼうに 言いました 。 女の子 は いかにも つらそうに 眼 を 大きく して 、も 一度 こっち を ふりかえって 、それから あと は もう だまって 出て 行って しまいました 。 汽車 の 中 は もう 半分 以上 も 空いて しまい にわかに がらんとして 、さびしく なり 風 が いっぱいに 吹き込みました 。 そして 見て いる と みんな は つつましく 列 を 組んで 、あの 十字架 の 前 の 天の川 の なぎさ に ひざまずいて いました 。 そして その 見えない 天の川 の 水 を わたって 、ひとり の こうごうしい 白い きもの の 人 が 手 を のばして こっち へ 来る のを 二人 は 見ました 。 けれども その とき は もう 硝子 の 呼び子 は 鳴らさ れ 汽車 は うごきだし 、と 思う うちに 銀いろ の 霧 が 川下 の 方 から 、すうっと 流れて 来て 、もう そっち は 何も 見え なく なりました 。 ただ たくさんの くるみ の 木 が 葉 を さんさんと 光らして その 霧 の 中 に 立ち 、金 の 円光 を もった 電気 りす が 可愛い 顔 を その 中 から ちらちら のぞいて いる だけ でした 。

その とき 、すうっと 霧 が はれかかりました 。 どこ か へ 行く 街道 らしく 小さな 電灯 の 一 列 に ついた 通り が ありました 。 それ は しばらく 線路 に 沿って 進んで いました 。 そして 二人 が その あかし の 前 を 通って 行く とき は 、その 小さな 豆いろ の 火 は ちょうど あいさつ でも する ように ぽかっと 消え 、二人 が 過ぎて 行く とき また 点く のでした 。 ふりかえって 見る と 、さっき の 十字架 は すっかり 小さく なって しまい 、ほんとうに もう そのまま 胸 に も つるさ れそうに なり 、さっき の 女の子 や 青年たち が その 前 の 白い 渚 に まだ ひざまずいて いる の か 、それとも どこ か 方角 も わからない その 天上 へ 行った の か 、ぼんやり して 見分けられません でした 。 ジョバンニ は 、ああ 、と 深く 息 しました 。 「カムパネルラ 、また 僕たち 二人きり に なった ねえ 、どこまでも どこまでも いっしょに 行こう 。 僕 は もう 、あの さそり の ように 、ほんとうに みんな の 幸い の ため ならば 僕 の からだ なんか 百 ぺん 灼いて も かまわない 」

「 うん 。 僕 だって そう だ 」カムパネルラ の 眼 に は きれいな 涙 が うかんで いました 。 「けれども ほんとうの さいわい は いったい なんだろう 」

ジョバンニ が 言いました 。 「僕 わから ない 」カムパネルラ が ぼんやり 言いました 。 「僕たち しっかり やろう ねえ 」ジョバンニ が 胸 いっぱい 新しい 力 が 湧く ように 、ふう と 息 を しながら 言いました 。 「あ 、あすこ 石炭 袋 だ よ 。 そら の 孔 だ よ 」カムパネルラ が 少し そっち を 避ける ように しながら 天の川 の ひと とこ を 指さしました 。 ジョバンニ は そっち を 見て 、まるで ぎくっとして しまいました 。 天の川 の 一 とこ に 大きな まっくらな 孔 が 、どおんと あいて いる のです 。 その 底 が どれほど 深い か 、その 奥 に 何 が ある か 、いくら 眼 を こすって のぞいて も なんにも 見えず 、ただ 眼 が しんしんと 痛む のでした 。 ジョバンニ が 言いました 。 「僕 もう あんな 大きな やみ の 中 だって こわく ない 。 きっと みんな の ほんとうの さいわい を さがし に 行く 。 どこまでも どこまでも 僕たち いっしょに 進んで 行こう 」

「ああ きっと 行く よ 。 ああ 、あす この 野原 は なんて きれい だろう 。 みんな 集まって る ねえ 。 あす こ が ほんとうの 天上 な んだ 。 あっ、 あす こ に いる の は ぼく の お母さん だ よ 」 カムパネルラ は にわかに 窓 の 遠く に 見える きれいな 野原 を 指して 叫びました 。 ジョバンニ も そっち を 見ました けれども 、そこ は ぼんやり 白く けむって いる ばかり 、どうしても カムパネルラ が 言った ように 思わ れません でした 。 なんとも 言え ず さびしい 気 が して 、ぼんやり そっち を 見て いましたら 、向こう の 河岸 に 二 本 の 電信 ばしらが 、ちょうど 両方 から 腕 を 組んだ ように 赤い 腕木 を つらねて 立って いました 。 「カムパネルラ 、僕たち いっしょに 行こう ねえ 」ジョバンニ が こう 言い ながら ふりかえって 見ましたら 、その いままで カムパネルラ の すわって いた 席 に 、もう カムパネルラ の 形 は 見え ず 、ただ 黒い びろうど ばかり ひかって いました 。 ジョバンニ は まるで 鉄砲 丸 の ように 立ちあがりました 。 そして 誰 に も 聞こえ ない ように 窓 の 外 へ からだ を 乗り出して 、力いっぱい はげしく 胸 を うって 叫び 、それから もう 咽喉 いっぱい 泣きだしました 。

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