第 二 章 彼 は 誰 に 会い たかった か?【5】
刑事 たち は 了解 した と も し ない と も 答え ず に 帰った 。
自分 を 疑って いる ように は 見え なかった が 、 自分 の 将来 を 考えて くれて いる ように も 思え なかった 。
刑事 に 告げた こと は 、 まったく の 真実 だった 。
ただ 、 真実 を 真実 と して 告げる の が 、 こんなに 難しい と は 思わ なかった 。 これ ならば 嘘 を つく ほう が よほど 簡単だ と 林 は 思った 。
とにかく 塾 へ 向かう んだ 。
とにかく 真面目 に 働いて 、 もしも 万が一 の とき は 、 もう 二度と 過ち を 繰り返さ ない と 謝罪 する んだ 。 それ に これ だけ は 誓って 言える 。 塾 に 通って くる 小学生 の 女の子 たち に 性 的な 興味 を 持った こと は ない 。
言葉 は 出て くる のだ が 、 座り込んだ 場所 から 立ち上がる こと が でき なかった 。
正確な 人数 は 教えて くれ なかった が 、 刑事 たち は すでに 彼女 と 関係 の あった 何 人 か の 男 たち に 面会 した と 言った 。
暇つぶし に 登録 した サイト で 知り合った 女 に とつぜん 死な れて 、 途方 に 暮れて いる 男 たち だ 。
自分 も そう だ が 、 彼女 を 殺そう と 思って 会った ヤツ など 誰 も い なかった はずだ 。 なのに 彼女 は 殺さ れた 。
娼婦 が 一 人 、 悪い 客 に 当たって 殺さ れた のだ と 思えば 、 少し は そこ に 紋切り型 の 物語 性 も 生まれる のだろう か 。
でも 殺さ れた の は 娼婦 で は ない 。 隠して は いた が 、 地道に 生命 保険 の 勧誘 を する 一 人 の 若い 女 だ 。 娼婦 の ふり を した 、 娼婦 で は ない 女 な のだ 。
ラブ ホテル の 狭い 客室 で 、「 から だ 、 柔らかい ね 」 と 林 が 褒める と 、 佳乃 は 下着 姿 の まま 、 自慢げに 前 屈して 見せた 。
「 新 体操 部 やった けん 、 前 は もっと 柔らかかった っちゃ けど 」
白い 肌 に 背骨 が 浮き出て いた 。
こちら に 向け られた 笑顔 は 、 二 カ月 後 に 殺さ れる こと など 知る 由 も なかった 。
同日 の 午前 中 、 福岡 から 百 キロ ほど 離れた 長崎 市 郊 外 で 、 清水 祐一 の 祖母 、 房枝 は 、 週 に 一 度 漁港 へ やって くる 行商 トラック で 買って きた ばかり の 野菜 を 、 痛む 膝 を 押さえ ながら 冷蔵 庫 に 詰めて いた 。
茄子 が 安かった ので 漬物 に でも しよう と 十 本 も 買って きた が 、 考えて みれば 茄子 の 漬物 を 祐一 が あまり 好きで は ない こと を 、 今に なって 思い出し 、 後悔 して いた 。
千 円 くらい で 済む だろう と 思って いた ところ 、 総額 で 1630 円 に なった 。
30 円 は まけて くれた が 、 それ でも 来週 まで 郵便 局 に 下ろし に いか なくて いい と 思って いた 財布 の 中身 が 心細く なって いる 。
この 日 も 、 房枝 は バス で 市 内 の 病院 に 入院 して いる 夫 、 勝治 を 見舞い に 行く 予定 だった 。
行けば 邪 慳 に する くせ に 、 行か ない と 文句 を 言う ので 、 必ず 行か なければ なら ず 、 保険 で 入院 費 は 無料 と は いえ 、 毎日 の バス 代 まで は 節約 しようがない 。
近所 の 停留所 から 長崎 駅前 まで 片道 310 円 。
駅前 で 乗り換えて 病院 前 まで が 180 円 。 毎日 往復 980 円 の 出費 に なる 。
一 週間 の 野菜 代 を 千 円 で 抑え たい 房枝 に は 、 毎日 980 円 と いう バス 代 は 、 上げ 膳 据 膳 の 温泉 旅館 で 贅沢 を して いる ような 後ろめた さ が ある 。
野菜 を 冷蔵 庫 に しまった あと 、 房枝 は プラスチック 容器 から 梅干し を 一 つ つまんで 口 に 入れた 。
「 おばちゃん ! おる ね ? 聞き覚え の ある 男 の 声 が 玄関 から 聞こえた の は その とき だった 。
梅干し を しゃぶり ながら 廊下 へ 出る と 、 駐在 所 の 巡査 と 見知らぬ 男 が 立って いる 。
「 あら 、 今ごろ 、 朝 メシ ね ? 人なつこい 笑顔 で 小 太り の 巡査 が 中 へ 入って くる 。
房枝 が 口 から 梅干し の 種 を 取り出して いる と 、「 さっき 聞いた けど 、 また じいちゃん が 入院 した って ? 」 と 巡査 が 言う 。
房枝 は 種 を 手のひら に 隠し ながら 、 巡査 の 横 に 立つ 背広 姿 の 男 に 目 を 向けた 。
日 に 灼 けた 肌 は 硬 そうで 、 だ ら り と 垂らした 手 の 指 が やけに 短い 。
「 こちら 、 県警 の 早田 さん 。
ちょっと 祐一 に 訊 きた か こと の ある って 」
「 祐一 に です か ? そう 訊 き 返す と 、 口 の 中 に ふわ っと 梅 の 香り が 広がった 。
日ごろ 交番 で 茶 飲み 話 を する とき は 、 気 に した こと も ない のだ が 、 巡査 の 腰 に ある 拳銃 が 房枝 の 目 に 飛び込んで くる 。
「 この前 の 日曜日 の 夜 、 祐一 は ど っか に 出かけ とった と ね ? 上がり 框 に 座り込んだ 巡査 は 、 無理に からだ を 捻って 訊 いて きた 。
横 に 立つ 刑事 が 慌てて その 肩 を 押さえ 、「 質問 は 私 が する けん 」 と 厳しい 顔 で 戒める 。
房枝 は 上がり 框 に 座り込んだ 巡査 に 、 まるで 寄り添う ように 正座 した 。
「 いや ぁ 、 なんか ね 、 福岡 の 三瀬 峠 で 殺さ れた 女の子 が 祐一 の 友達 らしかった い 」
戒め られた に も かかわら ず 、 巡査 は 房枝 に 話し 続けた 。
「 は ぁ ? 祐一 の 友達 が 殺さ れた って ? 正座 した まま 、 房枝 は 後ろ へ 反り返った 。
その 瞬間 、 膝 が 痛んで 、「 あた たた 」 と 声 を 上げる 。
慌てた 巡査 が 房枝 の 腕 を 取り 、「 ほら 、 また 立て ん ごと なる よ 」 と 引き起こして くれる 。
「 祐一 の 友達 って いう たら 、 中学 の とき の やろ か ? と 房枝 は 訊 いた 。
高校 が 工業 高校 だった ので 、 だ と したら 中学 の ころ だ と 思い 、 と すれば 、 この 辺 の 娘 さん が 殺さ れた こと に なる 。
「 いや 、 中学 じゃ なくて 、 最近 の 友達 やろ 」
「 最近 の ? 房枝 は 巡査 の 言葉 に 、 素っ頓狂 な 声 を 上げた 。
我が 孫 ながら 、 祐一 に は 心配に なる ほど 女 の 影 が なかった 。 女 の 影 どころ か 、 親しく して いる 男 の 友達 も 一 人 か 、 二 人 と 数 が 知れて いる 。
口 の 軽い 巡査 に うんざり した ように 、 背広 姿 の 刑事 が 、「 質問 は 私 が する って 言い よる やろう が 」 と 顔 を しかめた 。
「 ちょっと お 訊 き し ます けど 、 この 前 の 日曜日 です ね ……」
威圧 的な 声 で 刑事 に 訊 かれ 、 房枝 は 聞き 終わる の も 待た ず に 、「 日曜日 は 、 家 に おった と 思う と です けど ね 」 と 答えた 。
「 は ぁ 、 やっぱり おった と ね 」 と 、 巡査 が ほっと した ように また 口 を 挟んで くる 。
「 いや 、 ここ に 来る 前 に 駐在 所 で 岡崎 の ばあちゃん と 会う た と さ 。
祐一 が 出かける と したら 、 いつも 車 やろ ? 岡崎 の ばあちゃん ち は 駐車 場 の 横 やけん 、 車 が 出て 行く 音 なり 、 帰って くる 音 なり 、 全部 聞こえる って 、 前 から よう 言い よろう が 。 ばっ てん 、 岡崎 の ばあちゃん に 訊 いたら 、 日曜日 、 祐一 の 車 は ずっと あった って 言う けんさ 」
捲し立てる 巡査 に 、 房枝 も 刑事 も 口 を 挟め なかった 。
厳しかった 刑事 の 目 に 、 少し 優しい 色 が 滲 む の を 房枝 は 見た 。
「 あんた は 黙 っと けって 言う て も 、 きかん と や ねぇ 」
刑事 が お 喋り な 巡査 を 注意 する 。
ただ 、 さっき まで と は 違い 、 その 声 に どこ か 親し み が 感じ られる 。
「 私 も じいちゃん も 早う 寝て しまう けん 、 よう 分から ん と です けど 、 日曜日 、 祐一 は 部屋 に おった ような 気 が し ます けど ね 」 と 房枝 は 言った 。
「 岡崎 の ばあちゃん が そう 言う て 、 一緒に 住 ん ど る ばあちゃん も そう 言う なら 間違い なか やろ 」
巡査 が 房枝 で は なく 、 刑事 に 伝える ように 繰り返す 。
「 いや 、 実は です ね ……」
巡査 の 言葉 を 引き継ぐ ように 、 やっと 刑事 が 話し 始めた 。
房枝 は 手のひら に ある 梅干し の 種 が 気 に なって 仕方なかった 。
「 福岡 の 三瀬 峠 で 見つかった 女性 の 携帯 の 履歴 に お宅 の お 孫 さん の 番号 が あった と です よ 」
「 祐一 の ? 「 お 孫 さん の だけ じゃ なくて 、 その 女性 は 交友 関係 が 広くて です ね 」
「 その 女の子 は 、 この 辺 の 子 です か ? 「 いやいや 、 長崎 じゃ なくて 福岡 の 博多 の 人 でして ね 」
「 博多 ? 祐一 は 博多 に 友達 の おった と ばい ねぇ 。 ぜんぜん 知ら ん やった 」
丁寧に 説明 する と 、 いちいち 言葉 が 返って くる と 思った の か 、 そこ から 刑事 は 一気に 事情 を 説明 した 。
すでに 祐一 が その 晩 、 家 に いた こと に なって いた ので 、 どちら か と いう と 、 ふい の 訪問 を 謝罪 する ような 話し 方 だった 。
亡くなった 女性 は 石橋 佳乃 と いう 二十一 歳 の 女性 で 、 博多 で 保険 の 外交 員 を やって いる らしい 。
地元 の 友人 、 同僚 、 遊び 仲間 と かなり 顔 の 広い 女の子 で 、 事件 前 の 一 週間 だけ を 見て も 、 五十 人 近い 相手 と メール や 電話 の やりとり を して いる 。 その 中 に 祐一 も 入って いる らしい 。
「 最後に お 孫 さん が メール を 出した の は 事件 の 四 日 前 、 逆に その 女性 が 祐一 くん に 最後 の メール を 送った の が その 翌日 です ね 。
ただ 、 その あと に も 十 人 近く も 彼女 と 連絡 を 取り合って る 相手 が おる んです よ 」
房枝 は 刑事 の 話 を 訊 き ながら 、 殺さ れた と いう 若い 娘 の 姿 を 想像 した 。
交友 関係 が 広い と 聞いた だけ で 、 祐一 と は 縁遠い ような 気 が して なら ない 。 恐ろしい 事件 が 起こった の は 事実 な のだろう が 、 どうしても 祐一 と それ が 結びつか ない 。
刑事 の 説明 が 一 通り 終わった とき 、 房枝 は ぼんやり と 憲夫 の 言葉 を 思い出して いた 。
事件 の あった 翌日 、 祐一 は 二日酔い で 現場 へ 向かう 途中 、 とつぜん 吐いた と 言った 。
房枝 の 中 で 何 か が 繋がった 。 あの 朝 、 祐一 は この 女性 が 殺さ れた こと を テレビ か 何 か で 、 すでに 知っていた のだ 。 知人 を 失った 悲しみ が 、 吐き気 と して 現れた のだ 。
これ が 、 二十 年 近く 祐一 を 育てて きた 房枝 の 直感 だった 。
あまり 時間 が ない らしく 、 刑事 は 事情 を 説明 し 終える と 、「 ま ぁ 、 とにかく 、 おばあ ちゃん は 心配 せ ん でも よ かけ ん ね 」 と 優しく 声 を かけて きた 。
心配 など して い なかった が 、 房枝 は 、「 そう です か 」 と 神妙に 頷いた 。
「 祐一 くん が 仕事 から 戻って くる の は 何時ごろ やろ か ? 刑事 に 訊 かれ 、「 いつも は 六 時 半 ぐらい です けど 」 と 房枝 は 答えた 。
「 それ じゃ 、 もし また 何 か あったら 連絡 し ます けん 。 今日 の ところ は この 辺 で 」
刑事 に そう 言わ れ 、 房枝 は とりあえず 立ち上がる と 、「 ご 苦労 さん でした 」 と 頭 を 下げた 。
口 で は また 連絡 する と 言う が 、 刑事 に その 気 は な さ そうだった 。
刑事 を 見送り 、 また 上がり 框 に 座り込んだ 近所 の 巡査 が 、「 いや ぁ 、 びっくり した やろ ? 」 と おどけた 顔 を して 見せる 。
「 俺 も 、 最初に 祐一 が 参考人 って 聞いた とき に は 腰 抜かす か と 思う たよ 。
ただ 、 ちょうど その 電話 を 受けた とき に 、 岡崎 の ばあさん が 駐在 所 に おった けん 、 車 の 事 を 訊 いて みたら 、『 日曜日 、 祐一 は 車 出し とら ん 』 って 言う やろ 。 それ で すぐ 安心 した っさ 。 いや 、 実は ね 、 ここ だけ の 話 、 もう 犯人 は 分 か っと る らしい もん ね 。 ただ 、 ま ぁ 、 一応 、 確認 くらい は せ ん と いかんの やろ 」
「 あら 、 もう 犯人 は 分 か っと る と ? 房枝 は 大げさに ほっと して 見せ 、「 祐一 が 博多 の 女の子 と 仲良し なんて 、 ぜんぜん ピンと こ ん もん ねぇ 」 と 付け加えた 。
「 ま ぁ 、 祐一 も 年頃 の 男 やけん 、 仕方ない さ 。 その 女の子 は どうも 出会い 系 サイト で いろんな 人 と 知り合う とった よう や もん ね 」
「 出会い 系 っちゃ 何 ね ? 「 ま ぁ 、 簡単に 言う たら 、 文通 相手 の ような もん さ 」
「 へ ぇ 、 祐一 が 博多 の 娘 さん と 文通 し とった と は 知ら ん かった 」
房枝 は 手のひら に 梅干し の 種 が ある こと を 思い出し 、 やっと 外 へ 投げ捨てた 。