35.リングイスト の 姿勢 に ついて .言語 習得 の 障壁 と なる もの
すべて の 人 が 他の 言語 で コミュニケーション を し たい と か 他の 文化 を 学び たい と 思っている わけで は ない 。 多く の 人々 が 自国語 しか 使わなくて も ずっと 幸せ であり 新しい 言語 を 学ぶ こと に 抵抗 を 感じる の は 理解 できる 。 しかし 、皮肉な こと に 、第 二 言語 を 学ぼう と している 多くの 人々 も 同じ ように 活発に 抵抗している のである 。 異なる 言葉 と 文化 に 出会って ストレス を 感じる と いう こと は あり得る 。 思考 や 感情 を 新しい 言語 で 表現 する こと は 親近感 を 与える という の は 確かに 本当 である 。 あなた の 言葉 は あなた の 態度 や 人柄 を 映す もの だ から 、自分 の 母国語 で 話す のが あなた にとって 一番 気楽に 感じられる 。 また 、多く の 人々 が 自分 の 国 の 言葉 や 自分自身 の アイデンティティ を 守る ために 新しい 言語 に 抵抗する という こと も あり得る 。 第 二 言語 で 話して いる と 自分 が 不適切 で 人目 に 曝さ れて いる ような 感じ が する という 人 も いる 。 ある 学習者 は 実際 新しい 言語 を 話さなければならない こと に 憤り を 感じ 、また ある 学習者 は ただ 疲れ を 感じる 。 また ある 学習者 は 新しい 言語 を 自国語 と 比較する 。 それ より も 、ただ 真似 して 覚えて いく こと が 大切 である 。 このような 反応 は 人々 が 海外 旅行 を する 時 の 行動 でも 同様 である 。 意欲 の ある 旅行者 は 目的地 に 着く と そこ に 身 を 浸して 楽しんでいる が 、その他 の 人々 は 「結局 、自分 の 国 が ずっと いい 」と 言える 理由 を 探している 。 食べ物 であれ 、清潔 さ であれ 、いや 天気 まで も 自分 の 国 の 方 が ずっと いい と 確認する のである 。 勿論 私 達 は 旅 から 我が家 へ 帰って くる の は いつも 嬉しい もの だが 、なぜ 旅 を している 最中 に 故郷 の こと など 考える の だろう ? 母国 語 を 話す の は ずっと 簡単で 気楽な こと で は ある が 、新しい 言語 で コミュニケーション を しよう と している 時 に なぜ 集中 でき ない のだろう ? 多く の 学習者 が 自分 を 取り巻く 環境 を 利用 しない の を 見る と がっかり する 。 親 が 子供 に 外国語 を 学ばせよう と 海外 に 送る の は よく ある こと である 。 1960 年代 の 初め 、私 が グルノーブル 大学 で 政治学 を 学んでいた 時 、イギリス や アメリカ から たくさんの 学生 が フランス語 を 学びに 来ていた 。 だが かれら の 大半 の 関心 は 他の 英語 を 話す 友人達 と 楽しい 時間 を 過ごす こと に あった 。 かれら は フランス に 住んで いる と いう 折角 の チャンス を 生かして いなかった 。 かれら に は フランス 人 を 知り たい と いう 充分な 動機 が なかった のである 。 結果 として 、かれら は 思っていた ほど フランス語 に 上達 する こと が できなかった 。 同様の こと を ある 時 英国 の 名門 大学 で 化学 を 教えて いる 日本人 の 教授 と 話 を した 時 に 聞いた 。 残念な こと に 彼 の 大学 に 送られてくる 日本語 を 話す 学生達 は 日本語 を 話す 自分達 の グループ で 固まっている という のである 。 東京 から 来た 学生 が 英語 は ちっとも うまく ならずに 大阪 訛り が 移って 日本 に 帰って いった 、と いう の は よく 聞く 冗談 である 。 初めて 水泳 を 習って いる 時 は 、水 に 入り たく ない と 思う もの である 。 自ら 熱意 を 持って やら ない 限り 、外国 語 で コミュニケーション を する の も 同じ こと に なって しまう だろう 。 最近 カナダ に 移民 した 人 が こんな こと を 言って いた の を 思い出す 。 彼 は 故国 を 離れた 後 最初に ヨーロッパ に 住んだ 。 同僚 に 飲み に 誘わ れた が かれら の ユーモア の センス を 理解 する こと が できない と 感じ 結局 一緒に 行く こと を やめて しまった 。 彼 が この 出来事 を 全く 前後 関係 から 外れて 私 に 話した の は 、恐らく 自分 と 「外国人 」の 間 の 文化的 ギャップ は ただ もう あまりに 大きくて 埋める こと が できない 、という こと を 私 或いは 自分 自身 に 確認 したかった のだろう 。 それなのに 彼 は 英語 が うまく なり たい と 思って いた 。 他の 言語 を 流暢に 話し たい と 思ったら 「外国人 」と 共通の もの を みつける 事 を 学ば なければ ならない ということ を この 人 は わかって いなかった 。 リングイスト として の 姿勢 を 持って は い なかった 。 他の 言語 で コミュニケーション できる こと に よって 個人的 、職業的 、文化的 チャンス が 得られる のは 明白 である 。 私 は 家 に いようが 旅 を して いようが 他の 言語 を 話す こと から 大きな 喜び を 得て いる 。 加えて 、外国語 を 話せる こと から ビジネス を 発展 させて きた 。 現在 、バンクーバー の 自宅 に いる 時 でも 、私 にとって は 午前中 電話 で ルアーブル の 取引先 と フランス語 で 話し 、仕入れ先 と スウェーデン語 や ドイツ語 で 話し 、ランチタイム に 点心 を 食べながら 広東語 で ウェイター と お喋り を し 、夕方 は 北京 や 名古屋 に 電話して 北京官話 で 話したり 日本語 で 話したり する 、ということ が 珍しくない 。 私 は 日本 で 6 年間 会社 を 運営 して いた 。 時として 私 は アジア 、ヨーロッパ 、中南米 、北米 など の 林産業 の 集会 で 英語 だけ でなく 日本語 、スペイン語 、イタリア語 、フランス語 、そして スウェーデン語 で スピーチ を した ものだ 。