26.言葉 の 冒険 の 旅 .日本 社会 に 溶け込む
ある 国 の 言葉 を 吸収 し たい と 心底 願う のであれば その 文化 に 溶け込む こと が 大事 である 。 すべて の 出会い が 楽しかったり 歓迎 したり すべき もの で は ない けれども 、それ は 我慢 し なければ ならない 。 時に は 外国人 である という だけ で 抵抗 を 受ける こと も ある 。 この 現象 は どんな 文化 に おいて も 物珍しい こと で は なく 、いつでも 起こり得る こと だ 。 だが 大抵 の 場合 、出会い は 楽しく よい 思い出 として 残る もの である 。 日本 で の 私 の 最も 誇らしい 瞬間 の 一 つ は 木場 祭 に 参加 した 時 だった 。 私 も 額 に 鉢巻 を し 、木綿 の 法被 を 着て 白い 褌 を 締めて たくさんの 青年 グループ の 一員 と なった のだ 。 我々 は 酒 を 飲んだり 見物 客 から 水 を かけ られたり し ながら 朝 から 晩 まで 東京 の 町 を 重い 神輿 を 担いで 回った 。 重い 神輿 を 空中 に 投げて は 受けとめる 度 に 「わっしょい ! 」と 叫んだ 。 他の 仲間 たち より 背 の 高い 私 は 神輿 の 均衡 の 取れない 部分 を 担がなければならず 、しょっちゅう 膝 を 曲げて いなければならなかった 。 この どちら か を 少しずつ 朝 5 時 半 から 午後 3 時 半 まで 続けた ように 思う 。 その 夜 は 這う ように して やっと ベッド に 潜り込んだ 。 全身 が 疲れ果て 痛かった 。 私 が しばしば 気付いた こと の 中 に 日本語 を 学んだ 外国人 の 何人か は その 言語能力 が 頂点 に 達する のが 学習期間 の 最後 の 段階 だと いう こと が ある 。 日本 で の 職業 生活 を 始める と 英語 の 生活 に 戻って しまい 日本語 の 能力 が 衰えて しまう のだ 。 日本 語 で 生活 したり 仕事 を したり する の が 自然に 感じ られる 位 に なる まで 充分に 努力 する こと は ない のである 。 私 は 意識的に かれら と は 違う アプローチ を 取った 。 これ は 他の カナダ 人 と 英語 で 付き合う こと が できなかった と いう 意味 で は ない 。 自分 自身 の ため に 違う 選択 ―日本語 で 生活 する こと ―に した だけ の こと である 。 我々 に とって 自分 の 文化圏 に いる のが 一番 気楽に 感じられる のは 当たり前 の こと である 。 しかし 、それでは 日本語 を 覚える のに 何の 助け に も ならない 。 真に ある 国 の 言葉 に 精通 し たい 、そして その 国 の 人々 と の 友人 関係 や 職業的 繋がり を 広げ たい と 熱望 し 実行する なら 人間 同士 の 差異 など という もの は 共通性 に 比べて 少なく なっていく のは 明らかだ 。 私 は 9 年 に 亘る 日本 で の 生活 を 心から 楽しんだ 。 日本 人 が 日常 生活 の 本当に 様々な 場面 に 日本的な 文化 や 繊細さ を 取り込んで いる の を 深く 理解して 帰国した のだった 。 私 は 民族 に よって 文化 が 違う の は わかって いる し 、同様に 個人 の 性格 が 違う こと も わかって いる 。 しかし 9 年間 日本 で 暮らして 人間 という もの は 基本的に 同じである という 確信 を 深めた 。 地域 、国家 、宗教 、いずれ に しろ 、我々 は 共同体 に 属する こと に よって 安心感 を 得よう と する 。 けれども 一人一人 が みな 人間 家族 の 一員 として 同じ な のだ と 認識する こと の 方が ずっと 精神的な 安心 を 手にする こと が できる 。 今日 の 日本 は 多く の 経済的 困難 に 直面 して いる 。 日本 社会 の 伝統的な タテ 構造 は 若い 世代 の 問題 解決 へ の 参加 を 拒んで きた 。 だが これ も 変って いく ような 気 が する 。 著名な 日本 の 思想家 、大前 研一郎 が 「ボーダーレス の 今日 の 世界 」と 呼ぶ ように 、外国語 の 知識 の 増加 は 日本 社会 の 直面する 問題 の 解決 へ の 展望 に 大きな 変化 を もたらす に 違いない 。