×

We use cookies to help make LingQ better. By visiting the site, you agree to our cookie policy.


image

リングイスト (外国語に堪能な人) The Linguist, 24. 言葉の冒険の旅. 敬語 に ついて

24. 言葉の冒険の旅. 敬語 に ついて

日本 語 の 最大 の 特色 は 恐らく 社会 的 状況 の 違い に 従って 違う 言葉 と 文体 を 使い分け なければ なら ない と いう こと だろう 。 私 が これ まで 習って きた 言語 の 中 で 、 友達 に 気軽に 話しかける 時 と 、 部下 に 話しかける 時 と 、 非常に 礼儀正しく 「 目上 年上 」 の 人 に 話しかける 時 と で それぞれ 違う 単語 と 文 を 使う 、 など と いう もの は なかった 。 ( 英語 の )“ I ” と いう 単語 に は 少なくとも 3 種類 の 普通に 使う 言葉 、 私 、 僕 、 俺 、 が あり 、 同じ こと が “ you ” に も 他の 代名詞 に も 当てはまる 。 この 区別 を マスター する に は そういった 言葉 を 正しく 使う 必要 の 生じる 社会 的 状況 に 頻繁に 出入り し なければ なら ない 。 ただ 文 型 で 理論 を 説明 さ れて も それ ら を マスター する こと は でき ない 。 社交 の 場 で 丁寧な 言い 方 や ぞんざいな 言い 方 を 頭 の 中 で 切り替える 前 に ちょっと ばかり 日本 人 的な 気持ち に なって みる こと が 大事である 。 これ は 実際 の 生活 の 場面 でも 適当な 録音 教材 を 聴く 場合 に も かなり 積極 的な 関わり が 要求 さ れる 。 そして それ は また 文化 を 受け入れ なければ なら ない と いう こと で も ある 。 異なる レベル の 丁寧 さ を マスター する まで 単純に 中間 を ゆく 日本 語 を 喋った 。 事実 、 今 でも 多く の 場合 それ を 実行 して いる 。 外国 語 を 話す 場合 に は あまりに も くだけた 話し言葉 を 使う の も あまりに も 堅苦しい 正式な 言葉 を 使う の も 避ける こと が 大事 だ と 思う 。 通常 そんな こと を 外国 人 に は 期待 し ない もの だ 。 更に コミュニケーション に 必要 と さ れる 丁寧 さ の レベル を 完全に マスター して いる こと など 誰 も 期待 して い ない 筈 だ 。 敬語 の ニュアンス を 完全に 理解 する に は 非常に 高い レベル の 文化 的 感受性 が 要求 さ れる が 、 それ は 強制 さ れる べき もの で は なく 時間 が 経てば 自然に 発達 して いく もの である 。 明らかに 日本 語 の 文 構造 は 北 アジア に 源 を 発する もの で 、 韓国 語 と 同じである 。 何 人 か の 専門 家 に よれば 、 元々 ある 単語 の 多く は ポリネシア の 言葉 に 僅か ながら 関連 が あり 、2万 年 前 に 日本 に 定住 し 始めた 縄文 人 から もたらさ れた と いう 。 縄文 人 は 狩猟 の 民 で 、 紀元 前 300 年 頃 北 アジア から 移住 して 異なる 文化 の 波 、 即 ち 米 作文 化 と かれら の 言語 の 影響 を 持ち込んだ 弥生 人 より 以前 に 日本 に 定住 した 人々 である 。 ちなみに 、 縄文 人 は 世界 で 最も 古く ―1万 年 以上 も 前 に ― 土器 を 作った と さ れる 人々 である 。 中国 語 の 表記 法 は 1500 年 以上 も 前 に 入って きた たくさんの 中国 語 、 中国 の 技術 、 仏教 など と 共に 日本 に 紹介 さ れた 。 奈良 や 京都 に 見 られる すばらしい 木造 建築 の 中 に は 世界 最古 、 最大 の もの が ある 。 その 建造 に 使わ れた 技術 は 最も よく 保存 さ れ 最も 目 を 引く 中国 の 木造 建築 技術 の 例 であり 、 その 源流 は 黄 河 文明 に 遡る 。 最近 で は 、 日本 語 は 多く の 外国 語 、 特に 英語 を 借用 する ように なった 。 日本 語 は 様々な 影響 が 豊かに 混ぜ 合わさった 言葉 である 。 漢字 の 知識 は 外国 人 に とって 日本 語 を 覚える 際 の 助け に なり 、 日本 語 の 文法 構造 は 韓国 語 と 同じである 。 だから 隣接 する アジア の 国 の 人々 に とって 日本 語 を 学ぶ の は 有利である 。 しかし 学習 者 の 態度 の 方 が 地理 的 、 遺伝 的 近 似 性 より も 大切だ 。 積極 的 姿勢 を 持ち 日本 語 の 会話 力 に おいて 勝って いる 世界 の 他 の 地域 から 来た 外国 人 を たくさん 見て きた 。 私 が 既に 日本 語 が 流暢に なって いた 頃 、 アジア 人 に しか 見え ない 私 の 妻 は 日本 語 を あまり うまく 話せ なかった 。 しばしば 私 達 は 公共 の 場 で 日本 人 と 三 角形 の 会話 を した 。 私 が 日本 語 を 話し 、 日本 人 が 私 の 妻 に 答える 、 と いう 具合 に 。 実際 に 日本 語 を 話して いる の が アジア 人 の 顔 を して い ない 、 西洋 人 の 顔 を した 人間 である と いう 事実 を 日本 人 は 納得 でき なかった のである 。 同様の こと が 何 年 も 経って から カナダ で 起こった 。 ある 年輩 の 日本 人 の 女性 が 、 喋り 出す の が 遅かった 日本 人 と 白人 の 両親 から 生まれた 子供 に ついて 次 の ような 感想 を 述べた のである 。 「 遅い の は 当たり前 よ 。 日本 人 は 英語 を 喋る の が 苦手な んだ から ! 」 英語 の ネイティヴスピーカー である アジア 系 カナダ 人 の 二 世 を よく 知っている に も 拘わら ず 、 よく 白人 が アジア の 言葉 を 習得 した 白人 を 賞 賛 する の を 聞く 。 中国 人 が 中国 文化 は あまりに 英語 文化 と 違う から 英語 を 覚える こと が でき ない と 言う の を 何度 聞いた こと だろう ? このような 文化 的 先入観 は 正しい 外国 語 学習 の もう 一 つ の 障害 で しか なく 、 捨て去る こと が 必要である 。 覚えよう と する 情熱 さえ あれば 、 誰 でも 、 どんな 文化 や 背景 が あろう と 、 齢 が いく つ であろう と 、 どんな 言語 でも 覚える こと が できる と 確信 して いる 。 日本 を 訪れ 或いは 日本 に 住み ながら 「 肉 と じゃがいも 」 ばかり 食べて 鮨 を 喜ば ない 西洋 人 は 大抵 日本 語 の 習得 に 成功 する 見込み は ない 。 同様に 、 団体 で ばかり 海外 旅行 を し 、 食べ 慣れた もの だけ しか 食べ ない 日本 人 は どんなに 時間 を 費やして みて も どんな 外国 語 も マスター できる 見込み は ない 。 外国 語 を 学ぶ こと は 旅 を する ような もの だ 。 どちら の 活動 も 冒険 である 。 家 に いる の と 同じ ように 海外 を 旅行 する ので は 何の 意味 も ない 。


24. 言葉の冒険の旅. 敬語 に ついて ことば の ぼうけん の たび|けいご|| An adventure in language. Honorifics 24. Uma viagem pela aventura da linguagem. Sobre os honoríficos. 24. подорож через пригоди мови. Про вшанування пам'яті. 24.文字冒险.关于敬语

日本 語 の 最大 の 特色 は 恐らく 社会 的 状況 の 違い に 従って 違う 言葉 と 文体 を 使い分け なければ なら ない と いう こと だろう 。 にっぽん|ご||さいだい||とくしょく||おそらく|しゃかい|てき|じょうきょう||ちがい||したがって|ちがう|ことば||ぶんたい||つかいわけ||||||| Perhaps the greatest feature of Japanese is that you have to use different words and styles according to the differences in social situations. 私 が これ まで 習って きた 言語 の 中 で 、 友達 に 気軽に 話しかける 時 と 、 部下 に 話しかける 時 と 、 非常に 礼儀正しく 「 目上 年上 」 の 人 に 話しかける 時 と で それぞれ 違う 単語 と 文 を 使う 、 など と いう もの は なかった 。 わたくし||||ならって||げんご||なか||ともだち||きがるに|はなしかける|じ||ぶか||はなしかける|じ||ひじょうに|れいぎただしく|めうえ|としうえ||じん||はなしかける|じ||||ちがう|たんご||ぶん||つかう|||||| In the language I've learned so far, I use different words and sentences when I talk to my friends casually, when I talk to my subordinates and when I talk to people who are "politely older". There was no such thing as,, etc. ( 英語 の )“ I ” と いう 単語 に は 少なくとも 3 種類 の 普通に 使う 言葉 、 私 、 僕 、 俺 、 が あり 、 同じ こと が “ you ” に も 他の 代名詞 に も 当てはまる 。 えいご||i|||たんご|||すくなくとも|しゅるい||ふつうに|つかう|ことば|わたくし|ぼく|おれ|||おなじ||||||たの|だいめいし|||あてはまる The word "I" (in English) has at least three commonly used words: I, I, I, I, and the same applies to "you" and to other pronouns. この 区別 を マスター する に は そういった 言葉 を 正しく 使う 必要 の 生じる 社会 的 状況 に 頻繁に 出入り し なければ なら ない 。 |くべつ||ますたー|||||ことば||まさしく|つかう|ひつよう||しょうじる|しゃかい|てき|じょうきょう||ひんぱんに|でいり|||| In order to master this distinction, we must frequently enter and exit the social situation where it is necessary to correctly use such words. ただ 文 型 で 理論 を 説明 さ れて も それ ら を マスター する こと は でき ない 。 |ぶん|かた||りろん||せつめい|||||||ますたー||||| Even though I explained the theory by sentence type, I can not master them. 社交 の 場 で 丁寧な 言い 方 や ぞんざいな 言い 方 を 頭 の 中 で 切り替える 前 に ちょっと ばかり 日本 人 的な 気持ち に なって みる こと が 大事である 。 しゃこう||じょう||ていねいな|いい|かた|||いい|かた||あたま||なか||きりかえる|ぜん||||にっぽん|じん|てきな|きもち||||||だいじである It is important to try to get a little Japanese feeling before you switch polite or unpleasant idioms in social situations. これ は 実際 の 生活 の 場面 でも 適当な 録音 教材 を 聴く 場合 に も かなり 積極 的な 関わり が 要求 さ れる 。 ||じっさい||せいかつ||ばめん||てきとうな|ろくおん|きょうざい||きく|ばあい||||せっきょく|てきな|かかわり||ようきゅう|| This requires a considerable active involvement even in actual life situations and when listening to suitable recording materials. そして それ は また 文化 を 受け入れ なければ なら ない と いう こと で も ある 。 ||||ぶんか||うけいれ||||||||| And it also means that we have to accept culture. 異なる レベル の 丁寧 さ を マスター する まで 単純に 中間 を ゆく 日本 語 を 喋った 。 ことなる|れべる||ていねい|||ますたー|||たんじゅんに|ちゅうかん|||にっぽん|ご||しゃべった He spoke Japanese, which was just in the middle, until he mastered different levels of politeness. 事実 、 今 でも 多く の 場合 それ を 実行 して いる 。 じじつ|いま||おおく||ばあい|||じっこう|| In fact, even now it is still doing it. 外国 語 を 話す 場合 に は あまりに も くだけた 話し言葉 を 使う の も あまりに も 堅苦しい 正式な 言葉 を 使う の も 避ける こと が 大事 だ と 思う 。 がいこく|ご||はなす|ばあい||||||はなしことば||つかう|||||かたくるしい|せいしきな|ことば||つかう|||さける|||だいじ|||おもう When speaking a foreign language it is important to avoid spending spoken words that I've given too too, and avoid using formal words that are too hard. 通常 そんな こと を 外国 人 に は 期待 し ない もの だ 。 つうじょう||||がいこく|じん|||きたい|||| Normally, you wouldn't expect such things from foreigners. 更に コミュニケーション に 必要 と さ れる 丁寧 さ の レベル を 完全に マスター して いる こと など 誰 も 期待 して い ない 筈 だ 。 さらに|こみゅにけーしょん||ひつよう||||ていねい|||れべる||かんぜんに|ますたー|||||だれ||きたい||||はず| Furthermore, no one should expect to have fully mastered the level of politeness required for communication. 敬語 の ニュアンス を 完全に 理解 する に は 非常に 高い レベル の 文化 的 感受性 が 要求 さ れる が 、 それ は 強制 さ れる べき もの で は なく 時間 が 経てば 自然に 発達 して いく もの である 。 けいご||にゅあんす||かんぜんに|りかい||||ひじょうに|たかい|れべる||ぶんか|てき|かんじゅせい||ようきゅう||||||きょうせい||||||||じかん||たてば|しぜんに|はったつ|||| To fully understand the honorifics' nuance requires a very high level of cultural sensitivity, but it is not to be constrained but it develops naturally over time. 明らかに 日本 語 の 文 構造 は 北 アジア に 源 を 発する もの で 、 韓国 語 と 同じである 。 あきらかに|にっぽん|ご||ぶん|こうぞう||きた|あじあ||げん||はっする|||かんこく|ご||おなじである Obviously, the sentence structure of Japanese originates in North Asia and is the same as Korean. 何 人 か の 専門 家 に よれば 、 元々 ある 単語 の 多く は ポリネシア の 言葉 に 僅か ながら 関連 が あり 、2万 年 前 に 日本 に 定住 し 始めた 縄文 人 から もたらさ れた と いう 。 なん|じん|||せんもん|いえ|||もともと||たんご||おおく||||ことば||わずか||かんれん|||よろず|とし|ぜん||にっぽん||ていじゅう||はじめた|じょうもん|じん||||| According to some experts, many of the original words are a little related to the words of Polynesia, brought about by the Jomon people who started settling in Japan 20,000 years ago. 縄文 人 は 狩猟 の 民 で 、 紀元 前 300 年 頃 北 アジア から 移住 して 異なる 文化 の 波 、 即 ち 米 作文 化 と かれら の 言語 の 影響 を 持ち込んだ 弥生 人 より 以前 に 日本 に 定住 した 人々 である 。 じょうもん|じん||しゅりょう||たみ||きげん|ぜん|とし|ころ|きた|あじあ||いじゅう||ことなる|ぶんか||なみ|そく||べい|さくぶん|か||||げんご||えいきょう||もちこんだ|やよい|じん||いぜん||にっぽん||ていじゅう||ひとびと| Jomon people are hunting people, migrants from North Asia around 300 BCE, people from different cultures, who settled in Japan before Yayoi who brought in influence of rice crochetization and their language is there . Lud Jomon polował na ludzi, którzy osiedlili się w Japonii przed ludem Yayoi, którzy wyemigrowali z Azji Północnej około 300 rpne i natychmiast wnieśli wpływ amerykańskiego składu i ich języka. ちなみに 、 縄文 人 は 世界 で 最も 古く ―1万 年 以上 も 前 に ― 土器 を 作った と さ れる 人々 である 。 |じょうもん|じん||せかい||もっとも|ふるく|よろず|とし|いじょう||ぜん||どき||つくった||||ひとびと| By the way, the Jomon people are the oldest in the world and over 10,000 years ago - people who are supposed to make earthenware. 中国 語 の 表記 法 は 1500 年 以上 も 前 に 入って きた たくさんの 中国 語 、 中国 の 技術 、 仏教 など と 共に 日本 に 紹介 さ れた 。 ちゅうごく|ご||ひょうき|ほう||とし|いじょう||ぜん||はいって|||ちゅうごく|ご|ちゅうごく||ぎじゅつ|ぶっきょう|||ともに|にっぽん||しょうかい|| Chinese notation was introduced to Japan along with a lot of Chinese language, Chinese technology, Buddhism etc that came in more than 1500 years ago. 奈良 や 京都 に 見 られる すばらしい 木造 建築 の 中 に は 世界 最古 、 最大 の もの が ある 。 なら||みやこ||み|||もくぞう|けんちく||なか|||せかい|さいこ|さいだい|||| Among the wonderful wooden buildings found in Nara and Kyoto are the oldest and largest in the world. その 建造 に 使わ れた 技術 は 最も よく 保存 さ れ 最も 目 を 引く 中国 の 木造 建築 技術 の 例 であり 、 その 源流 は 黄 河 文明 に 遡る 。 |けんぞう||つかわ||ぎじゅつ||もっとも||ほぞん|||もっとも|め||ひく|ちゅうごく||もくぞう|けんちく|ぎじゅつ||れい|||げんりゅう||き|かわ|ぶんめい||さかのぼる The technology used for its construction is the best preserved and most eye-catching example of Chinese wooden building technology, its origin dates back to Huanghe Civilization. 最近 で は 、 日本 語 は 多く の 外国 語 、 特に 英語 を 借用 する ように なった 。 さいきん|||にっぽん|ご||おおく||がいこく|ご|とくに|えいご||しゃくよう||| Recently, Japanese has borrowed many foreign languages, especially English. 日本 語 は 様々な 影響 が 豊かに 混ぜ 合わさった 言葉 である 。 にっぽん|ご||さまざまな|えいきょう||ゆたかに|まぜ|あわさった|ことば| The Japanese language is a rich mixture of various influences. 漢字 の 知識 は 外国 人 に とって 日本 語 を 覚える 際 の 助け に なり 、 日本 語 の 文法 構造 は 韓国 語 と 同じである 。 かんじ||ちしき||がいこく|じん|||にっぽん|ご||おぼえる|さい||たすけ|||にっぽん|ご||ぶんぽう|こうぞう||かんこく|ご||おなじである Knowledge of Kanji helps foreigners to learn Japanese, and the grammatical structure of Japanese is the same as that of Korean. だから 隣接 する アジア の 国 の 人々 に とって 日本 語 を 学ぶ の は 有利である 。 |りんせつ||あじあ||くに||ひとびと|||にっぽん|ご||まなぶ|||ゆうりである Therefore, it is advantageous for people in neighboring Asian countries to learn Japanese. しかし 学習 者 の 態度 の 方 が 地理 的 、 遺伝 的 近 似 性 より も 大切だ 。 |がくしゅう|もの||たいど||かた||ちり|てき|いでん|てき|ちか|に|せい|||たいせつだ But attitudes of learners are more important than geographical, genetic similarity. Ale postawa ucznia jest ważniejsza niż bliskość geograficzna i genetyczna. 積極 的 姿勢 を 持ち 日本 語 の 会話 力 に おいて 勝って いる 世界 の 他 の 地域 から 来た 外国 人 を たくさん 見て きた 。 せっきょく|てき|しせい||もち|にっぽん|ご||かいわ|ちから|||かって||せかい||た||ちいき||きた|がいこく|じん|||みて| I have seen a lot of foreigners from other parts of the world who have a positive attitude and are predominant in Japanese speaking. Widziałem wielu obcokrajowców z innych części świata, którzy mają pozytywne nastawienie i są lepsi w mówieniu po japońsku. 私 が 既に 日本 語 が 流暢に なって いた 頃 、 アジア 人 に しか 見え ない 私 の 妻 は 日本 語 を あまり うまく 話せ なかった 。 わたくし||すでに|にっぽん|ご||りゅうちょうに|||ころ|あじあ|じん|||みえ||わたくし||つま||にっぽん|ご||||はなせ| When I was already fluent in Japanese, my wife, who only looked Asian, couldn't speak Japanese very well. Kiedy mówiłem już płynnie po japońsku, moja żona, która była widoczna tylko dla Azjatów, nie mówiła zbyt dobrze po japońsku. しばしば 私 達 は 公共 の 場 で 日本 人 と 三 角形 の 会話 を した 。 |わたくし|さとる||こうきょう||じょう||にっぽん|じん||みっ|すみ かた||かいわ|| Often we had triangular conversations with Japanese people in public. 私 が 日本 語 を 話し 、 日本 人 が 私 の 妻 に 答える 、 と いう 具合 に 。 わたくし||にっぽん|ご||はなし|にっぽん|じん||わたくし||つま||こたえる|||ぐあい| I speak Japanese, Japanese answer my wife, and so on. 実際 に 日本 語 を 話して いる の が アジア 人 の 顔 を して い ない 、 西洋 人 の 顔 を した 人間 である と いう 事実 を 日本 人 は 納得 でき なかった のである 。 じっさい||にっぽん|ご||はなして||||あじあ|じん||かお|||||せいよう|じん||かお|||にんげん||||じじつ||にっぽん|じん||なっとく||| The Japanese were not convinced of the fact that they are face-to-face with Westerners who actually do not have Asian faces speaking Japanese. Japończycy nie byli przekonani co do tego, że osoba, która faktycznie mówiła po japońsku, nie miała azjatyckiej twarzy, ani też osoba o zachodniej twarzy. 同様の こと が 何 年 も 経って から カナダ で 起こった 。 どうようの|||なん|とし||たって||かなだ||おこった The same thing happened in Canada many years later. ある 年輩 の 日本 人 の 女性 が 、 喋り 出す の が 遅かった 日本 人 と 白人 の 両親 から 生まれた 子供 に ついて 次 の ような 感想 を 述べた のである 。 |ねんぱい||にっぽん|じん||じょせい||しゃべり|だす|||おそかった|にっぽん|じん||はくじん||りょうしん||うまれた|こども|||つぎ|||かんそう||のべた| A Japanese woman of a certain age gave the following comments on a child born of a Japanese who was late to speak and a parent of white people. Starsza Japonka przekazała następujące wrażenia dotyczące dziecka urodzonego przez rodzica pochodzenia japońskiego i rasy kaukaskiej, który wolno mówił. 「 遅い の は 当たり前 よ 。 おそい|||あたりまえ| "It's natural to be late. „Powolność jest czymś naturalnym. 日本 人 は 英語 を 喋る の が 苦手な んだ から ! にっぽん|じん||えいご||しゃべる|||にがてな|| Japanese people are not good at speaking English! Japończycy nie są dobrzy w mówieniu po angielsku! 」 英語 の ネイティヴスピーカー である アジア 系 カナダ 人 の 二 世 を よく 知っている に も 拘わら ず 、 よく 白人 が アジア の 言葉 を 習得 した 白人 を 賞 賛 する の を 聞く 。 えいご||||あじあ|けい|かなだ|じん||ふた|よ|||しっている|||こだわら|||はくじん||あじあ||ことば||しゅうとく||はくじん||しょう|さん||||きく Despite being familiar with the second generation of Asian Canadians, who are native speakers of English, I often hear whites praise whites who have mastered the Asian language. Pomimo znajomości drugiego pokolenia azjatyckich Kanadyjczyków, którzy są rodzimymi użytkownikami języka angielskiego, często słyszę, jak biali chwalą białych, którzy opanowali język azjatycki. 中国 人 が 中国 文化 は あまりに 英語 文化 と 違う から 英語 を 覚える こと が でき ない と 言う の を 何度 聞いた こと だろう ? ちゅうごく|じん||ちゅうごく|ぶんか|||えいご|ぶんか||ちがう||えいご||おぼえる||||||いう|||なんど|きいた|| How many times have Chinese people heard that Chinese culture is so different from English culture that you can not learn English? Ile razy słyszałeś, jak Chińczycy mówią, że chińska kultura jest tak różna od angielskiej, że nie mogą nauczyć się angielskiego? このような 文化 的 先入観 は 正しい 外国 語 学習 の もう 一 つ の 障害 で しか なく 、 捨て去る こと が 必要である 。 |ぶんか|てき|せんにゅうかん||ただしい|がいこく|ご|がくしゅう|||ひと|||しょうがい||||すてさる|||ひつようである Such cultural prejudice is just another obstacle to correct foreign language learning and it is necessary to throw it away. Takie uprzedzenia kulturowe są tylko kolejną przeszkodą w poprawnej nauce języków obcych i należy je porzucić. 覚えよう と する 情熱 さえ あれば 、 誰 でも 、 どんな 文化 や 背景 が あろう と 、 齢 が いく つ であろう と 、 どんな 言語 でも 覚える こと が できる と 確信 して いる 。 おぼえよう|||じょうねつ|||だれ|||ぶんか||はいけい||||よわい|||||||げんご||おぼえる|||||かくしん|| We are confident that anyone with a passion for learning can learn in any language, no matter what culture or background they are, or how old they are. Jesteśmy przekonani, że każdy, kto ma pasję do zapamiętywania, może zapamiętać każdy język, bez względu na kulturę, pochodzenie czy wiek. 日本 を 訪れ 或いは 日本 に 住み ながら 「 肉 と じゃがいも 」 ばかり 食べて 鮨 を 喜ば ない 西洋 人 は 大抵 日本 語 の 習得 に 成功 する 見込み は ない 。 にっぽん||おとずれ|あるいは|にっぽん||すみ||にく||||たべて|すし||よろこば||せいよう|じん||たいてい|にっぽん|ご||しゅうとく||せいこう||みこみ|| Westerners who do not visit Japan or live in Japan and just eat "meat and potatoes" and enjoy sushi are unlikely to succeed in mastering Japanese. Ludzie z Zachodu, którzy nie są zadowoleni z sushi, odwiedzają Japonię lub mieszkają w niej i jedzą tylko „mięso i ziemniaki”, zwykle nie odniosą sukcesu w nauce japońskiego. 同様に 、 団体 で ばかり 海外 旅行 を し 、 食べ 慣れた もの だけ しか 食べ ない 日本 人 は どんなに 時間 を 費やして みて も どんな 外国 語 も マスター できる 見込み は ない 。 どうように|だんたい|||かいがい|りょこう|||たべ|なれた||||たべ||にっぽん|じん|||じかん||ついやして||||がいこく|ご||ますたー||みこみ|| Similarly, Japanese who only travel abroad as a group and only eat what they are accustomed to eating are unlikely to master any foreign language no matter how much time they spend. Podobnie Japończycy, którzy podróżują za granicę tylko w grupach i jedzą tylko to, do czego są przyzwyczajeni, prawdopodobnie nie będą w stanie opanować żadnego języka obcego, niezależnie od tego, ile czasu spędzają. 外国 語 を 学ぶ こと は 旅 を する ような もの だ 。 がいこく|ご||まなぶ|||たび||||| Learning a foreign language is like traveling. Nauka języka obcego jest jak podróżowanie. どちら の 活動 も 冒険 である 。 ||かつどう||ぼうけん| Both activities are adventures. Obie aktywności to przygody. 家 に いる の と 同じ ように 海外 を 旅行 する ので は 何の 意味 も ない 。 いえ|||||おなじ||かいがい||りょこう||||なんの|いみ|| There is no point in traveling abroad just like you are at home. Nie ma sensu wyjeżdżać za granicę tak, jakbyś był w domu.