うし わか まる
むかし むかし 、京都 の はずれ の 山 の 中 に 、はげしい ふぶき の 中 を いそぐ 母 と 子 が いました 。
おさない 子ども 二 人 と 、そして 母 の むね に は 、一人 の 赤ん坊 が だかれて おりました 。
そのころ 、 さむらい たち の 二 大 勢力 、 源氏 と 平氏 は 、 各地 で はげしく たたかい 、 源 氏 の 総 大将 、 源 義 朝 ( みなもと の よし と も ) は 、 ついに 平氏 の 手 に よって たおされて しまいました 。
義 朝 の つま 、ときわ は 、まだ おさない 今 若 、乙若 、そして 牛 若 の 三 人 の 子 を つれ 、なんとか 平氏 の 手 の とどか ない ところ へ にげよう と した のです 。
でも 、 とうとう 平氏 の 武士 たち に 発見 されて 、 平 清盛 (たいら の きよ もり ) の 前 に つれだされた のでした 。
清盛 は 、おさない 子 が 源 氏 の 大将 義朝 の 子 である こと を 知る と 、すぐに 首 を はねる ように と 命じました 。
ところが 、
「わたし の 命 は いり ませ ぬ 。 そのかわり 、どうか この 子 たち の 命 だけ は お 助け くださいませ 」
と いう 、ときわ の ひっしの たのみ に 、心 を うごかさ れた 清盛 は 、子ども たち の 命 を 助ける こと に しました 。
そのかわり 、七 さい の 今 若 、五 さい の 乙若 は すぐに 寺 へ 、そして 牛 若 も 、
七 さい に なったら かならず 寺 ヘ 入れる よう 、母 の ときわ に やくそく させた のでした 。
年月 は またたくまに すぎ 、やがて 清盛 と の やくそく を はたさ ねば ならない とき が きました 。
「牛 若 、そなた は もう 七 さい 。 寺 に 入って 、りっぱな お 坊さま に なら なければ なりませぬ 」
こうして 、七 さい に なった ばかりの 牛 若 は 、やさしい 母 に わかれ を つげ なければならなかった のです 。
「さびしい とき は 、お 父さま が 大切に していた 、この よこぶえ を ふきなさい 」
牛 若 丸 が あずけられた 寺 は 、くらま の 山 の 中 、うっそうと しげる 木立 の 中 に ある 、くらま 寺 という ところ で 、きびしい 修行 生活 が はじまりました 。
ある とき 、牛若丸 が 一人 で 勉強 しています と 、どこ から か 、牛若丸 を よぶ 声 が します 。
「 わか さま 、 わか さま 」
「わたし を よぶ の は 、だれ じゃ ? 」
牛 若 丸 が キョロキョロ と あたり を 見まわす と 、見知らぬ ぼうず が すわって いました 。
「わか さま 、お目にかかれて うれしゅう ございます 。 わたし は 鎌田 正 近 ( か また まさ ち か ) と 申す 旅 の 僧 。 わか さま 、よく お 聞き ください ませ 。 あなた さま は 、 平氏 に ほろぼされた 源氏 の 総 大将 、 源 義 朝 公 ( みなもと の よし と も こう ) の お 子 さま です ぞ ! 」
「 えっ、 わたし がっ! 」
「そう です 、わたし も 義朝公 に おつかえ した 身 、義朝公 は 清盛 の 手 に よって ころさ れた のです 。
あなた さま は 、父 ぎみ の かたき を うち 、おごる 平家 を こらしめ なければ なりません 。 そして 、源氏 一門 を たてなおさ なければ なりません ぞ ! 」
なにもかも 、はじめて 聞く 話 で 、それ を 聞いた 後 、牛若丸 は 、山 の 中 へ 走りこんで 、一人 で なみだ を 流しました 。
それ は 、おさない 牛 若 丸 が せおいこむ に は 、あまりに も 重い 運命 でした 。
そんな 牛若丸 を みかね 、山 の 中 に 住んで いる テング は 牛若丸 に 剣 を 教えて くれました 。
なん 日 も の 修行 の 結果 、するどく 切りこんで きた 、テング の 太刀 を 、牛 若丸 は 、ハッと 打ちとめる と 、かえす 刀 で はげしく テング に 打ちこんだ のです 。
「 やった ! やった ! とうとう テング を たおした ぞ ! 」
牛 若 丸 の 剣 の うで は 、とうとう テング を たおす まで に なりました 。
その 日 いらい 、もう 牛若丸 に かなう テング は 一人 も いなくなりました 。
そんな ある 日 、テング が 牛 若 丸 に こういう の です 。
「わか さま 、わたし ども が お 教え する こと は 、もう なにも ありません 。 このうえ は 、りっぱな お さむらい に なら れます よう 」
その テング たち も 、源 氏 の こと を 思う 義朝 の 家臣 だった のでしょう 。
くらま 山 で 剣 を ならった 牛 若 丸 は 、十五 の 年 に 、くらま 寺 から そっと すがた を けした と いう こと です 。
さて 、 その ころ 京都 で は 、 夜な夜な 、 怪 僧 弁 慶 ( かいそう べん けい ) なる者 が すがた を あらわし 、 通行人 の 刀 を うばって は 、 これ を 一千 本 集める 祈願 ( きがん ) を たてて いる と いう うわさ で 、 おそれられて いました 。
そして 今夜 が 、その 一千 本 め の 日 、ここ は 、五条 大橋 。
どこ から ともなく 聞こえて くる 、すんだ ふえ の 音 を 聞いた 弁慶 は 、あたり を うかがう と 、ふえ を ふいている のは 、あの 牛若丸 でした 。
「なんじゃ 、子ども か 。 子ども に 用 は ない わい 」
と 、いった 弁慶 でした が 、牛 若 丸 の こし に さした 太刀 を 見た とたん 、
「うむ 、みごとな 太刀 じゃあ 。 この 太刀 なら 、一千 本 めに ふさわしい 」
と 、なぎなた を 高く かかげ 、牛 若 丸 の 前 に 立ちはだかりました 。
「やい やい 、その 太刀 、おいて いけ !」
ところが 牛 若 丸 は 、弁慶 の そば を スルリ と 通りぬけて いきます 。
「ぬ ぬ 、よし 、わし の なぎなた を 受けて み よ 、それ !」
弁慶 は 、なぎなた を ふりまわします が 、牛 若 丸 は 、ヒラリ ヒラリ と かわして しまいます 。
ここ と 思えば あちら 、あちら と 思えば そちら 、牛 若 丸 は 、ヒョイ と とびあがり ながら 、手 に 持った おうぎ を 投げました 。
おうぎ は 弁慶 の ひたい に あたり 、弁慶 は ひっくりかえって しまった のです 。
「ま 、まいりました ! 」
さしも の 弁慶 も 、ガックリ ひざ を ついて あやまり 、弁慶 は 、この とき から 牛若丸 の 家来 と なって 、いつまでも 牛若丸 に つかえました 。
牛 若 丸 は 、 のち に 源 九 郎義 経 ( げん くろう よし つ ね ) と なのって 、 兄 の 頼 朝 ( より と も ) と 力 を あわせ 、 ついに は 壇ノ浦 の 戦い で 、 平氏 を たおす こと が できた の です 。