「二 」 二百十 日 夏目 漱石
「 この 湯 は 何 に 利く んだろう 」 と 豆腐 屋 の 圭 さん が 湯 槽 の なか で 、 ざ ぶ ざ ぶ やり ながら 聞く 。
「 何 に 利く か なあ 。
分析 表 を 見る と 、 何 に でも 利く ようだ 。
―― 君 そんなに 、 臍 ばかり ざ ぶ ざ ぶ 洗ったって 、 出 臍 は 癒 ら ない ぜ 」 「 純 透明だ ね 」 と 出 臍 の 先生 は 、 両手 に 温泉 を 掬 んで 、 口 へ 入れて 見る 。 やがて 、 「 味 も 何も ない 」 と 云 いながら 、 流し へ 吐き出した 。
「 飲んで も いい んだ よ 」 と 碌 さん は が ぶ が ぶ 飲む 。
圭 さん は 臍 を 洗う の を やめて 、 湯 槽 の 縁 へ 肘 を かけて 漫然と 、 硝子 越し に 外 を 眺めて いる 。
碌 さん は 首 だけ 湯 に 漬かって 、 相手 の 臍 から 上 を 見上げた 。
「 どうも 、 いい 体格 だ 。
全く 野生 の まま だ ね 」 「 豆腐 屋 出身 だ から なあ 。
体格 が 悪 るい と 華族 や 金持ち と 喧嘩 は 出来 ない 。
こっち は 一 人 向 は 大勢 だ から 」 「 さも 喧嘩 の 相手 が ある ような 口 振 だ ね 。
当の 敵 は 誰 だい 」 「 誰 でも 構わ ない さ 」 「 ハハハ 呑気 な もん だ 。
喧嘩 に も 強そうだ が 、 足 の 強い の に は 驚いた よ 。
君 と いっしょで なければ 、 きのう ここ まで くる 勇気 は なかった よ 。
実は 途中 で 御免 蒙ろう か と 思った 」 「 実際 少し 気の毒だった ね 。
あれ でも 僕 は よほど 加減 して 、 歩行 いた つもりだ 」 「 本当 かい ?
はたして 本当 なら えらい もの だ 。
―― 何だか 怪しい な 。
すぐ 付け上がる から いやだ 」 「 ハハハ 付け上がる もの か 。
付け上がる の は 華族 と 金持 ばかり だ 」 「 また 華族 と 金持ち か 。
眼 の 敵 だ ね 」 「 金 は なくって も 、 こっち は 天下 の 豆腐 屋 だ 」 「 そう だ 、 いやしくも 天下 の 豆腐 屋 だ 。 野生 の 腕力 家 だ 」 「 君 、 あの 窓 の 外 に 咲いて いる 黄色い 花 は 何 だろう 」 碌 さん は 湯 の 中 で 首 を 捩じ 向ける 。
「 かぼちゃ さ 」 「 馬鹿 あ 云って る 。 かぼちゃ は 地 の 上 を 這って る もの だ 。
あれ は 竹 へ からまって 、 風呂 場 の 屋根 へ あがって いる ぜ 」 「 屋根 へ 上がっちゃ 、 かぼちゃ に なれ ない か な 」 「 だって おかしい じゃ ない か 、 今頃 花 が 咲く の は 」 「 構う もの か ね 、 おかし いたって 、 屋根 に かぼちゃ の 花 が 咲く さ 」 「 そりゃ 唄 かい 」 「 そう さ な 、 前半 は 唄 の つもり で も なかった んだ が 、 後半 に 至って 、 つい 唄 に なって しまった ようだ 」 「 屋根 に かぼちゃ が 生 る ようだ から 、 豆腐 屋 が 馬車 なんか へ 乗る んだ 。
不都合 千万 だ よ 」 「 また 慷慨 か 、 こんな 山 の 中 へ 来て 慷慨 したって 始まら ない さ 。 それ より 早く 阿蘇 へ 登って 噴火 口 から 、 赤い 岩 が 飛び出す ところ でも 見る さ 。
―― しかし 飛び込んじゃ 困る ぜ 。
―― 何だか 少し 心配だ な 」 「 噴火 口 は 実際 猛烈な もの だろう な 。
何でも 、 沢庵 石 の ような 岩 が 真 赤 に なって 、 空 の 中 へ 吹き出す そうだ ぜ 。
それ が 三四 町 四方 一面に 吹き出す のだ から 壮 んに 違 ない 。
―― あした は 早く 起き なくっちゃ 、 いけない よ 」 「 うん 、 起きる 事 は 起きる が 山 へ かかって から 、 あんなに 早く 歩行 いちゃ 、 御免 だ 」 と 碌 さん は すぐ 予防 線 を 張った 。
「 ともかくも 六 時 に 起きて ……」 「 六 時 に 起きる ?
」 「 六 時 に 起きて 、 七 時 半 に 湯 から 出て 、 八 時 に 飯 を 食って 、 八 時 半 に 便所 から 出て 、 そうして 宿 を 出て 、 十一 時 に 阿蘇 神社 へ 参詣 して 、 十二 時 から 登る のだ 」 「 へえ 、 誰 が 」 「 僕 と 君 が さ 」 「 何だか 君 一 人 り で 登る ようだ ぜ 」 「 な に 構わ ない 」 「 ありがたい 仕 合せ だ 。
まるで 御供 の ようだ ね 」 「 う ふん 。
時に 昼 は 何 を 食う か な 。
やっぱり 饂飩 に して 置く か 」 と 圭 さん が 、 あす の 昼 飯 の 相談 を する 。
「 饂飩 は よす よ 。
ここ い ら の 饂飩 は まるで 杉 箸 を 食う ようで 腹 が 突 張って たまらない 」 「 では 蕎麦 か 」 「 蕎麦 も 御免 だ 。
僕 は 麺類 じゃ 、 とても 凌げ ない 男 だ から 」 「 じゃ 何 を 食う つもりだ い 」 「 何でも 御馳走 が 食いたい 」 「 阿蘇 の 山 の 中 に 御馳走 が ある はず が ない よ 。 だから この際 、 ともかくも 饂飩 で 間 に 合せて 置いて ……」 「 この際 は 少し 変だ ぜ 。
この際 た 、 どんな 際 なんだい 」 「 剛 健 な 趣味 を 養成 する ため の 旅行 だ から ……」 「 そんな 旅行 な の かい 。
ちっとも 知ら なかった ぜ 。
剛 健 は いい が 饂飩 は 平に 不 賛成 だ 。
こう 見えて も 僕 は 身分 が 好 いんだ から ね 」 「 だから 柔 弱 で いけない 。
僕 なぞ は 学資 に 窮した 時 、 一 日 に 白米 二 合 で 間に合 せた 事 が ある 」 「 痩せたろう 」 と 碌 さん が 気の毒な 事 を 聞く 。
「 そんなに 痩せ も し なかった が ただ 虱 が 湧いた に は 困った 。
―― 君 、 虱 が 湧いた 事 が ある かい 」 「 僕 は ない よ 。
身分 が 違わ あ 」 「 まあ 経験 して 見た まえ 。
そりゃ 容易に 猟 り 尽 せる もん じゃ ない ぜ 」 「 煮え湯 で 洗濯 したら よかろう 」 「 煮え湯 ?
煮え湯 なら いい かも 知れ ない 。
しかし 洗濯 する に して も ただ で は 出来 ない から な 」 「 な ある ほど 、 銭 が 一 文 も ない んだ ね 」 「 一 文 も ない の さ 」 「 君 どうした 」 「 仕方 が ない から 、 襯衣 を 敷居 の 上 へ 乗せて 、 手頃な 丸い 石 を 拾って 来て 、 こつこつ 叩いた 。
そう したら 虱 が 死な ない うち に 、 襯衣 が 破れて しまった 」 「 お やおや 」 「 しかも それ を 宿 の かみ さん が 見つけて 、 僕 に 退去 を 命じた 」 「 さぞ 困ったろう ね 」 「 なあ に 困ら ん さ 、 そんな 事 で 困っちゃ 、 今日 まで 生きて いられる もの か 。 これ から 追い追い 華族 や 金持ち を 豆腐 屋 に する んだ から な 。
滅多に 困っちゃ 仕方 が ない 」 「 する と 僕 な ん ぞ も 、 今に 、 と お ふい 、 油揚 、 がん も どき と 怒鳴って 、 あるか なくっちゃ なら ない か ね 」 「 華族 で も ない 癖 に 」 「 まだ 華族 に は なら ない が 、 金 は だいぶ ある よ 」 「 あって も その くらい じゃ 駄目だ 」 「 この くらい じゃ 豆腐 いと 云 う 資格 は ない の か な 。
大 に 僕 の 財産 を 見縊った ね 」 「 時に 君 、 背中 を 流して くれ ない か 」 「 僕 の も 流す の かい 」 「 流して も いい さ 。
隣り の 部屋 の 男 も 流し くら を やって た ぜ 、 君 」 「 隣り の 男 の 背中 は 似たり寄ったりだ から 公平だ が 、 君 の 背中 と 、 僕 の 背中 と は だいぶ 面積 が 違う から 損だ 」 「 そんな 面倒な 事 を 云 う なら 一 人 で 洗う ばかりだ 」 と 圭 さん は 、 両足 を 湯 壺 の 中 に うんと 踏ん張って 、 ぎ ゅう と 手拭 を しごいた と 思ったら 、 両端 を 握った まま 、 ぴしゃり と 、 音 を 立てて 斜 に 膏 切った 背中 へ あてがった 。
やがて 二の腕 へ 力瘤 が 急に 出来上がる と 、 水 を 含んだ 手拭 は 、 岡 の ように 肉 づい た 背中 を ぎ ちぎ ち 磨 り 始める 。
手拭 の 運動 に つれて 、 圭 さん の 太い 眉 がくしゃ り と 寄って 来る 。
鼻 の 穴 が 三 角形 に 膨脹 して 、 小 鼻 が 勃 と して 左右 に 展開 する 。
口 は 腹 を 切る 時 の ように 堅く 喰 締った まま 、 両 耳 の 方 まで 割けて くる 。
「 まるで 仁王 の ようだ ね 。
仁王 の 行水 だ 。
そんな 猛烈な 顔 が よく できる ね 。
こりゃ 不思議だ 。
そう 眼 を ぐ り ぐ りさ せ なくって も 、 背中 は 洗え そうな もの だ が ね 」 圭 さん は 何にも 云 わ ず に 一生懸命に ぐいぐい 擦る 。 擦って は 時々 、 手拭 を 温泉 に 漬けて 、 充分 水 を 含ま せる 。
含ま せる たんび に 、 碌 さん の 顔 へ 、 汗 と 膏 と 垢 と 温泉 の 交った もの が 十五六 滴 ずつ 飛んで 来る 。 「 こいつ は 降参 だ 。
ちょっと 失敬 して 、 流し の 方 へ 出る よ 」 と 碌 さん は 湯 槽 を 飛び出した 。
飛び出し は した もの の 、 感心 の 極 、 流し へ 突っ立った まま 、 茫然と して 、 仁王 の 行水 を 眺めて いる 。
「 あの 隣り の 客 は 元来 何者 だろう 」 と 圭 さん が 槽 の なか から 質問 する 。
「 隣り の 客 どころ じゃ ない 。
その 顔 は 不思議だ よ 」 「 もう 済んだ 。
ああ 好 い 心 持 だ 」 と 圭 さん 、 手拭 の 一端 を 放す や 否 や 、 ざ ぶん と 温泉 の 中 へ 、 石 の ように 大きな 背中 を 落す 。
満 槽 の 湯 は 一度に 面 喰って 、 槽 の 底 から 大 恐 惶 を 持ち上げる 。 ざ あっざ あっと 音 が して 、 流し へ 溢れ だす 。 「 ああ いい 心持ち だ 」 と 圭 さん は 波 の なか で 云った 。 「 なるほど そう 遠慮 なし に 振舞ったら 、 好 い 心 持 に 相違 ない 。
君 は 豪傑 だ よ 」 「 あの 隣り の 客 は 竹刀 と 小手 の 事 ばかり 云って る じゃ ない か 。 全体 何者 だい 」 と 圭 さん は 呑気 な もの だ 。
「 君 が 華族 と 金持ち の 事 を 気 に する ような もの だろう 」 「 僕 の は 深い 原因 が ある のだ が 、 あの 客 の は 何だか 訳 が 分 ら ない 」 「 なに 自分 じゃあ 、 あれ で 分って る んだ よ 。 ―― そこ で その 小手 を 取ら れた んだ あね ――」 と 碌 さん が 隣り の 真似 を する 。
「 ハハハハ そこ で そら 竹刀 を 落した んだ あね か 。
ハハハハ 。
どうも 気楽な もの だ 」 と 圭 さん も 真似 して 見る 。
「 なに あれ でも 、 実は 慷慨 家 かも 知れ ない 。
そら よく 草 双 紙 に ある じゃ ない か 。
何とか の 何 々 、 実は 海賊 の 張 本 毛 剃 九 右 衛 門 て 」 「 海賊 らしく も ない ぜ 。
さっき 温泉 に 這 入り に 来る 時 、 覗いて 見たら 、 二 人 共 木 枕 を して 、 ぐう ぐう 寝て いた よ 」 「 木 枕 を して 寝られる くらい の 頭 だ から 、 そら 、 そこ で 、 その 、 小手 を 取ら れる んだ あね 」 と 碌 さん は 、 まだ 真似 を する 。 「 竹刀 も 取ら れる んだ あね か 。
ハハハハ 。
何でも 赤い 表紙 の 本 を 胸 の 上 へ 載せた まん ま 寝て いた よ 」 「 その 赤い 本 が 、 何でも その 、 竹刀 を 落したり 、 小手 を 取ら れる んだ あね 」 と 碌 さん は 、 どこまでも 真似 を する 。
「 何 だろう 、 あの 本 は 」 「 伊賀 の 水 月 さ 」 と 碌 さん は 、 躊躇 なく 答えた 。
「 伊賀 の 水 月 ?
伊賀 の 水 月 た 何 だい 」 「 伊賀 の 水 月 を 知ら ない の かい 」 「 知ら ない 。
知ら なければ 恥 か な 」 と 圭 さん は ちょっと 首 を 捻った 。
「 恥 じゃ ない が 話せ ない よ 」 「 話せ ない ?
なぜ 」 「 なぜって 、 君 、 荒木 又 右 衛 門 を 知ら ない か 」 「 うん 、 又 右 衛 門 か 」 「 知って る の かい 」 と 碌 さん また 湯 の 中 へ 這 入る 。 圭 さん は また 槽 の なか へ 突 立った 。
「 もう 仁王 の 行水 は 御免 だ よ 」 「 もう 大丈夫 、 背中 は あらわ ない 。
あまり 這 入って る と 逆 上る から 、 時々 こう 立つ の さ 」 「 ただ 立つ ばかり なら 、 安心だ 。
―― それ で 、 その 、 荒木 又 右 衛 門 を 知って る かい 」 「 又 右 衛 門 ?
そう さ 、 どこ か で 聞いた ようだ ね 。
豊臣 秀吉 の 家来 じゃ ない か 」 と 圭 さん 、 飛んで も ない 事 を 云 う 。
「 ハハハハ こいつ は あきれた 。
華族 や 金持ち を 豆腐 屋 に する だ なんて 、 えらい 事 を 云 う が 、 どうも 何も 知ら ない ね 」 「 じゃ 待った 。
少し 考える から 。
又 右 衛 門 だ ね 。
又 右 衛 門 、 荒木 又 右 衛 門 だ ね 。
待ち たまえ よ 、 荒木 の 又 右 衛 門 と 。
うん 分った 」 「 何 だい 」 「 相撲 取だ 」 「 ハハハハ 荒木 、 ハハハハ 荒木 、 又 ハハハハ 又 右 衛 門 が 、 相撲 取り 。 いよいよ 、 あきれて しまった 。
実に 無 識 だ ね 。
ハハハハ 」 と 碌 さん は 大 恐 悦 である 。
「 そんなに おかしい か 」 「 おかし いって 、 誰 に 聞か したって 笑う ぜ 」 「 そんなに 有名な 男 か 」 「 そう さ 、 荒木 又 右 衛 門 じゃ ない か 」 「 だから 僕 も どこ か で 聞いた ように 思う の さ 」 「 そら 、 落ち 行く先 き は 九州 相良って 云 う じゃ ない か 」 「 云 うか も 知れ ん が 、 その 句 は 聞いた 事 が ない ようだ 」 「 困った 男 だ な 」 「 ちっとも 困りゃ し ない 。 荒木 又 右 衛 門 ぐらい 知ら なくったって 、 毫 も 僕 の 人格 に は 関係 は しまい 。 それ より も 五 里 の 山路 が 苦 に なって 、 やたらに 不平 を 並べる ような 人 が 困った 男 な んだ 」 「 腕力 や 脚力 を 持ち出さ れちゃ 駄目だ ね 。
とうてい 叶いっこ ない 。 そこ へ 行く と 、 どうしても 豆腐 屋 出身 の 天下 だ 。
僕 も 豆腐 屋 へ 年 期 奉公 に 住み込んで 置けば よかった 」 「 君 は 第 一 平生 から 惰弱 で いけない 。
ちっとも 意志 が ない 」 「 これ で よっぽど 有る つもりな んだ が な 。
ただ 饂飩 に 逢った 時 ばかり は 全く 意志 が 薄弱だ と 、 自分 ながら 思う ね 」 「 ハハハハ つまら ん 事 を 云って いら あ 」 「 しかし 豆腐 屋 に しちゃ 、 君 の からだ は 奇麗 過ぎる ね 」 「 こんなに 黒くって も かい 」 「 黒い 白い は 別 と して 、 豆腐 屋 は 大概 箚青 が ある じゃ ない か 」 「 なぜ 」 「 なぜ か 知ら ない が 、 箚青 が ある もん だ よ 。 君 、 なぜ ほら なかった 」 「 馬鹿 あ 云って ら あ 。 僕 の ような 高尚な 男 が 、 そんな 愚 な 真似 を する もの か 。
華族 や 金持 が ほれば 似合う かも 知れ ない が 、 僕 に は そんな もの は 向か ない 。
荒木 又 右 衛 門 だって 、 ほっちゃ いま い 」 「 荒木 又 右 衛 門 か 。
そい つ は 困った な 。
まだ そこ まで は 調べ が 届いて いない から ね 」 「 そりゃ どう で も いい が 、 ともかくも あした は 六 時 に 起きる んだ よ 」 「 そうして 、 ともかくも 饂飩 を 食う んだろう 。 僕 の 意志 の 薄弱な の に も 困る かも 知れ ない が 、 君 の 意志 の 強固な の に も 辟易 する よ 。
うち を 出て から 、 僕 の 云 う 事 は 一 つ も 通ら ない んだ から な 。
全く 唯 々 諾々 と して 命令 に 服して いる んだ 。
豆腐 屋 主義 は きびしい もん だ ね 」 「 な に この くらい 強硬に し ない と 増長 して いけない 」 「 僕 が かい 」 「 なあ に 世の中 の 奴 ら が さ 。
金持ち と か 、 華族 と か 、 なんとか か と か 、 生意気に 威張る 奴 ら が さ 」 「 しかし そりゃ 見当 違 だ ぜ 。
そんな もの の 身代り に 僕 が 豆腐 屋 主義 に 屈従 する な たまらない 。
どうも 驚 ろ いた 。
以来 君 と 旅行 する の は 御免 だ 」 「 なあ に 構わ ん さ 」 「 君 は 構わ なくって も こっち は 大いに 構う んだ よ 。 その 上 旅費 は 奇麗に 折半 さ れる んだ から 、 愚 の 極 だ 」 「 しかし 僕 の 御蔭 で 天地 の 壮観 たる 阿蘇 の 噴火 口 を 見る 事 が できる だろう 」 「 可 愛想 に 。
一 人 だって 阿蘇 ぐらい 登れる よ 」 「 しかし 華族 や 金持 なんて 存外 意気地 が ない もん で ……」 「 また 身代り か 、 どう だい 身代り は やめ に して 、 本当の 華族 や 金持ち の 方 へ 持って行ったら 」 「 いずれ 、 その 内 持って く つもりだ が ね 。
―― 意気地 が なくって 、 理 窟 が わから なくって 、 個人 と しちゃ あ 三 文 の 価値 も ない もん だ 」 「 だ から 、 どしどし 豆腐 屋 に して しまう さ 」 「 その 内 、 して やろう と 思って る の さ 」 「 思って る だけ じゃ 剣 呑 な もの だ 」 「 なあ に 年 が 年中 思って いりゃ 、 どうにか なる もん だ 」 「 随分 気 が 長い ね 。 もっとも 僕 の 知った もの に ね 。
虎 列 拉 ( コレラ ) に なる なる と 思って いたら 、 とうとう 虎 列 拉 に なった もの が ある が ね 。
君 の もそう 、 うまく 行く と 好 い けれども 」 「 時に あの 髯 を 抜いて た 爺さん が 手拭 を さげて やって 来た ぜ 」 「 ちょうど 好 い から 君 一 つ 聞いて 見た まえ 」 「 僕 は もう 湯気 に 上がり そうだ から 、 出る よ 」 「 まあ 、 いい さ 、 出 ない でも 。
君 が いや なら 僕 が 聞いて 見る から 、 もう 少し 這 入って いた まえ 」 「 おや 、 あと から 竹刀 と 小手 が いっしょに 来た ぜ 」 「 どれ 。
なるほど 、 揃って 来た 。
あと から 、 まだ 来る ぜ 。
や あ 婆さん が 来た 。
婆さん も 、 この 湯 槽 へ 這 入る の か な 」 「 僕 は ともかくも 出る よ 」 「 婆さん が 這 入る なら 、 僕 も ともかくも 出よう 」 風呂 場 を 出る と 、 ひやりと 吹く 秋風 が 、 袖口 から すう と 這 入って 、 素肌 を 臍 の あたり まで 吹き抜けた 。
出 臍 の 圭 さん は 、 はっくしょう と 大きな 苦 沙 弥 を 無遠慮に やる 。 上がり 口 に 白 芙蓉 が 五六 輪 、 夕 暮 の 秋 を 淋しく 咲いて いる 。
見上げる 向 で は 阿蘇 の 山 が ごうう ごうう と 遠く ながら 鳴って いる 。
「 あす こ へ 登る んだ ね 」 と 碌 さん が 云 う 。
「 鳴って る ぜ 。
愉快だ な 」 と 圭 さん が 云 う 。