影 踏み :消息:7
真壁 は 夜 を 待ち 、 雁 谷 署員 が 住む アパート 型 の 官舎 に 足 を 向けた 。
久子 の 自転車 は オアシスランド の 駐輪場 に 置いて きた 。 ハンドル の 中 に 仕込ま れた 発信 機 は 外さ ず に おいた 。 陽動 に 逆 利用 できる 。
五 階建て の 官舎 は 大半 の 窓 に 灯 が あった 。 真壁 は 階段 で 二 階 に 上がり 、
「 吉川 」 の 表札 の 出た ドア の 呼び鈴 を 押した 。 すぐに ドア が 開き 、 神経質 そうな 女 の 顔 が 覗いた 。 女房 と は 初対面 だった 。 真壁 と 言って 貰えば わかる と 告げる と 、 その 声 が 聞こえた らしく 、 奥 から パジャマ 姿 の 吉川 が 出て きた 。 パンチ パーマ を タオル で ゴシゴシ 拭いて いる 辺り は 気 安い が 、 昨日 の 今日 の 来訪 だ から 怪 訝 そうな 顔 で は ある 。
「 官舎 まで 押しかける た あ どういう 了 見 だ 」
「 近く まで 来た んで な 」
「 早く 上がれ 。 見られ たく ねえ 」 通さ れた 六 畳 間 は 、 襖 も 壁 も 隙間 なく 子供 の 賞状 や 下手くそな 絵 が ベタベタ 貼られて いた 。 カレンダー も 子供 の 手づくり らしく 、 誕生日 だの 塾 の 予定 だの が 色とりどりの マジック で 書き込ま れ 、3、9、16、23、29 と 吉川 の 当直 日 に も 赤 丸 が くれて ある 。 ちゃぶ台 に は B 5 判 の 刷り物 が 広げて あった 。 『 ご 家族 様 へ 』 で 始まる 文面 は 、 ねちねち と 回りくどい が 、 要するに 、 旦那 が 不祥事 を 起こさ ぬ よう きちんと 女房 が 見張れ 、 おかしい と 思ったら すぐに 上司 へ 連絡 せよ 、 に 尽きる 。 来月 は 『 盗 犯 月間 』 である と 同時に 、『 身上 掌握 等 個別 指導 強化 月間 』 で も ある 。
台所 で 女房 と ヒソヒソ やって いた 吉川 が 現れ 、 チッ と 舌打ち する なり 、 B 5 用 紙 を くしゃくしゃに 丸めて オーバースロー で ごみ箱 に 放り込んだ 。
「 ブン 屋 に しちゃ 時間 が 早い と 思った が な 。 実際 うる せ えん だ あの 連中 」
ブツブツ 言い ながら 、 吉川 は 座布団 を 真壁 の 胡座 の 膝 先 に 押しつけた 。 うるさい はずの 記者 を この 座布団 に 座ら せ 、 真壁 の ノビ の 手口 から 生い立ち まで すっかり リーク した の も 、 しれっと した 顔 に 軟膏 を 擦り込む その 吉川 である 。 「 いい の が 入って る ようだ な 」
真壁 が 言う と 、 吉川 は 、 何 が ? の 顔 を こっち に 向けた 。
「 この 時間 に お前 が 帰れる んだ 」
吉川 は 自嘲 気味に 笑った 。
「たいした んじゃ ねえ よ 。 目覚まし時計 や 炊飯 器 まで 担ぎだしちゃ あ 質屋 に 持ち込む 雑 食 の ジジイ と か 」
「 佐藤 の 爺さん か 」
「 当たり だ 。 あと は 変態 の 下着 ドロ に 、 万引き に 毛 の 生えた スタンド 荒らし の 若 造 グループ と か ……。 まあ 、 どれ も タマ は 悪い が 頭 数 が 揃った んで な 。 ぼちぼち 叩いて 足し 上げりゃ 、 そこそこ 数字 は 出る だ ろ 」
「 月間 まで 貯金 して おく 、って わけだ な 」 「 お うよ 、 大物 は いら ねえ 。 お前 みたい の に 関わって 時間 ばっか 食って よ 、 署長 や 課長 に 散々 厭 味 言わ れた んじゃ 割に 合わ ねえ 。 とにかく 仕事 は コツコツ が 一 番 よ 」
女房 が 怯え と 憐れみ の 入り交じった 顔 で 茶 を 出し 、 足音 を 殺して 消えた 。 代わり に 右手 の 襖 が 細く 開いて 、 好奇心 の 塊 の ような 六 つ の 瞳 が 二 つ ずつ 縦 に 並んだ 。 吉川 が 手首 を 振って 追い払う 。
「 で ? 今日 は 何 だ 」
「 子供 に やって くれ 」
真壁 は 手 土産 の タイ 焼き を 突き出した 。
「 すま んな 、 と 言いたい ところ だ が 、 タイ 焼き で 鯛って わけ に は いか ねえ ぜ 」 「 聡 介 、 一 つ 聞か せろ 」 「 ここ なら いい が な 」 爪 切り に 手 を 伸ばした 吉川 が つまらな そうに 言った 。 「 よそ じゃ 苗 字 で 呼べ 。 さん 、 を つけて な 」
「 ああ 、 覚えて おく 」
「 で 、 何 が 聞き て えん だ ? 「 篠木 の こと だ 」
パチン と 爪 を 飛ばして 、 吉川 が 意外 そうな 顔 を 上げた 。
「 篠木って …… 篠木 辰義 の こと か 」 「 そうだ 。 二 課 で 調べて る と 聞いた 」
言われて 吉川 は 畳 に 目 を 落とした 。 真 下 の 部屋 に 、 刑事 二 課 の 山根 充 が 住んで いる 。
「 ああ 、 山根 ん とこ だ 。 組 を 叩く 突破 口 に しようって んで 、 いっと きしゃ か りき に なって ケツ を 追って た よ 」 「 潰れた の か 」 「って いう か な 、 篠木 の 野郎 が 帰っち まったん だ 関西 に 。 それ で オジャン よ 」
「 関西 …… の どこ だ ? 「 大阪 だろう 。 詳しく は 知ら ねえ 」
「 女 は どうした 」
「 女 ? 「 稲村 の ところ の 女房 だ 。 一緒に 大阪 へ 行った の か 」
爪 が 飛んだ 。 やや あって 、 吉川 の 無表情 が 真壁 に 向いた 。
「 詳しい んだ なお 前 。 だが よ 、 なん だって 盗っ人 野郎 が 入った 家 の 女 を 追っ掛け 回す んだ ? 「 女 も 一緒な の か 」
「 ああ 、 そう らしい 。 詳しく は 知ら ん が な 」
真壁 は 腰 を 上げた 。
「 邪魔 した な 」
「 おいおい 、 聞く だけ 聞い と いて よ 」
吉川 は ムッと した 顔 で 見上げた が 、 自宅 で パジャマ を 着て しまった 刑事 は 例外 なく 猫 の ように おとなしい 。
「 ちょっと 待て や 真壁 。 ゆうべ は どう した んだ ? 保護 会 泊まり か 」
「 いや 」
「 ん ? おい 、 それ じゃあ 三郷 かよ ? へえ 、 よく 入れて くれた な 、 あの 保母 さん 」
「………」
「 誤解 する な よ 」
そう 前置き して 吉川 は 眉 も 声 も ひそめた 。
「 実際 お前 が うらやましく なる こと が ある んだ よ 。 俺 だって な 、 実家 の ジジババ や 女房 や ガキ ども も 一 人 残ら ず い なけりゃ な 、 お前 みたいに 勝手気ままに やって みて え 」
顔 は 本音 の それ だ が 、 肩 は 茶の間 の 空気 に どっぷり 漬かって 萎え きって いる 。
「 グチ は 飲み屋 で 言う んだ な 」
真壁 は 官舎 を 出た 。 足早に 階段 を 下り 、 が 、 その 足 が ふっと 止まった 。
何 か が 見えた 気 が した 。 いや 、 何 か を 見た ――。
《 どうした の 修 兄 ィ ? 〈………〉
《 ねえ ―― ねえって ば 》 真壁 は オアシスランド に 戻り 、 久子 の 自転車 を 乗り出した 。 三郷 に 向かう 間 、 啓二 の 声 を 遠ざけた 。