2. 走れメロス - 太宰治
その 王 の 顔 は 蒼白で 、 眉間 の 皺 は 、 刻み込ま れた ように 深かった 。
「 市 を 暴君 の 手 から 救う のだ 。」 と メロス は 悪びれ ず に 答えた 。
「 おまえ が か ? 」 王 は 、 憫笑 した 。 「 仕方 の 無い やつ じゃ 。 おまえ に は 、 わし の 孤独 が わから ぬ 。」
「 言う な ! 」 と メロス は 、 いきり立って 反駁 した 。 「 人 の 心 を 疑う の は 、 最も 恥 ず べき 悪徳 だ 。 王 は 、 民 の 忠誠 を さえ 疑って 居ら れる 。」
「 疑う の が 、 正当の 心構え な のだ と 、 わし に 教えて くれた の は 、 おまえたち だ 。 人 の 心 は 、 あて に なら ない 。 人間 は 、 もともと 私 慾 の かたまり さ 。 信じて は 、 なら ぬ 。」 暴君 は 落着いて 呟き 、 ほっと 溜息 を ついた 。 「 わし だって 、 平和 を 望んで いる のだ が 。」
「 なんの 為 の 平和だ 。 自分 の 地位 を 守る 為 か 。」 こんど は メロス が 嘲笑 した 。 「 罪 の 無い 人 を 殺して 、 何 が 平和だ 。」
「 だまれ 、 下 賤 の 者 。」 王 は 、 さっと 顔 を 挙げて 報いた 。 「 口 で は 、 どんな 清らかな 事 でも 言える 。 わし に は 、 人 の 腹 綿 の 奥底 が 見え透いて なら ぬ 。 おまえ だって 、 いまに 、 磔 に なって から 、 泣いて 詫びたって 聞か ぬ ぞ 。」 「 ああ 、 王 は 悧巧 だ 。 自惚れて いる が よい 。 私 は 、 ちゃんと 死 ぬる 覚悟 で 居る のに 。 命乞い など 決して し ない 。 ただ 、――」 と 言い かけて 、 メロス は 足 もと に 視線 を 落し 瞬時 ためらい 、「 ただ 、 私 に 情 を かけたい つもり なら 、 処刑 まで に 三 日間 の 日限 を 与えて 下さい 。 たった 一 人 の 妹 に 、 亭主 を 持た せて やりたい のです 。 三 日 の うち に 、 私 は 村 で 結婚 式 を 挙げ させ 、 必ず 、 ここ へ 帰って 来ます 。」 「 ばかな 。」 と 暴君 は 、 嗄れた 声 で 低く 笑った 。 「 とんでもない 嘘 を 言う わ い 。 逃がした 小鳥 が 帰って 来る と いう の か 。」
「 そうです 。 帰って 来る のです 。」 メロス は 必死で 言い張った 。 「 私 は 約束 を 守ります 。 私 を 、 三 日間 だけ 許して 下さい 。 妹 が 、 私 の 帰り を 待って いる のだ 。 そんなに 私 を 信じられ ない ならば 、 よろしい 、 この 市 に セリヌンティウス と いう 石 工 が います 。 私 の 無二 の 友人 だ 。 あれ を 、 人質 と して ここ に 置いて 行こう 。 私 が 逃げて しまって 、 三 日 目 の 日 暮 まで 、 ここ に 帰って 来 なかったら 、 あの 友人 を 絞め 殺して 下さい 。 たのむ 、 そうして 下さい 。」
それ を 聞いて 王 は 、 残虐な 気持 で 、 そっと 北 叟笑 んだ 。 生意気な こと を 言う わ い 。 どうせ 帰って 来 ない に きまって いる 。 この 嘘つき に 騙さ れた 振り して 、 放して やる の も 面白い 。 そうして 身代り の 男 を 、 三 日 目 に 殺して やる の も 気味 が いい 。 人 は 、 これ だ から 信じられ ぬ と 、 わし は 悲しい 顔 して 、 その 身代り の 男 を 磔 刑 に 処して やる のだ 。 世の中 の 、 正直 者 と か いう 奴 輩 に うんと 見せつけて やりたい もの さ 。 「 願い を 、 聞いた 。 その 身代り を 呼ぶ が よい 。 三 日 目 に は 日没 まで に 帰って 来い 。 おくれたら 、 その 身代り を 、 きっと 殺す ぞ 。 ちょっと おくれて 来る が いい 。 おまえ の 罪 は 、 永遠に ゆるして やろう ぞ 。」
「 なに 、 何 を おっしゃる 。」
「 は は 。 いのち が 大事だったら 、 おくれて 来い 。 おまえ の 心 は 、 わかって いる ぞ 。」
メロス は 口惜しく 、 地 団 駄 踏んだ 。 もの も 言い たく なく なった 。