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Aozora Bunko imports, 伸び支度

伸び 支度

伸び 支度

島崎 藤村

十四 、 五 に なる 大概 の 家 の 娘 が そう である ように 、 袖 子 も その 年頃 に なって みたら 、 人形 の こと なぞ は 次第に 忘れた ように なった 。 人形 に 着せる 着物 だ 襦袢 だ と 言って 大騒ぎ した 頃 の 袖 子 は 、 いく つ その ため に 小さな 着物 を 造り 、 いく つ 小さな 頭巾 なぞ を 造って 、 それ を 幼い 日 の 楽しみ と して きた か 知れ ない 。 町 の 玩具 屋 から 安物 を 買って 来て すぐ に 首 の とれた もの 、 顔 が 汚れ 鼻 が 欠け する うち に オバケ の ように 気味 悪く なって 捨てて しまった もの ―― 袖 子 の 古い 人形 に も いろいろ あった 。 その 中でも 、 父さん に 連れ られて 震災 前 の 丸善 へ 行った 時 に 買って 貰って 来た 人形 は 、 一 番 長く あった 。 あれ は 独逸 の 方 から 新 荷 が 着いた ばかりだ と いう 種々な 玩具 と 一緒に 、 あの 丸善 の 二 階 に 並べて あった もの で 、 異国 の 子供 の 風俗 ながら に 愛らしく 、 格安で 、 しかも 丈夫に 出来て いた 。 茶色 な 髪 を かぶった ような 男 の 児 の 人形 で 、 それ を 寝かせば 眼 を つぶり 、 起こせば ぱっち り と 可愛い 眼 を 見開いた 。 袖 子 が あの 人形 に 話し かける の は 、 生きて いる 子供 に 話し かける の と ほとんど 変わり が ない くらい であった 。 それほど に 好きで 、 抱き 、 擁 え 、 撫で 、 持ち歩き 、 毎日 の ように 着物 を 着せ 直し など して 、 あの 人形 の ため に は 小さな 蒲 団 や 小さな 枕 まで も 造った 。 袖 子 が 風邪 でも 引いて 学校 を 休む ような 日 に は 、 彼女 の 枕 もと に 足 を 投げ出し 、 いつでも 笑った ような 顔 を し ながら お伽話 の 相手 に なって いた の も 、 あの 人形 だった 。 「 袖 子 さん 、 お 遊び なさい な 。」 と 言って 、 一 頃 は よく 彼女 の ところ へ 遊び に 通って 来た 近所 の 小 娘 も ある 。 光子 さん と いって 、 幼稚園 へ で も あがろう と いう 年頃 の 小 娘 の ように 、 額 の ところ へ 髪 を 切りさげて いる 児 だ 。 袖 子 の 方 でも よく その 光子 さん を 見 に 行って 、 暇 さえ あれば 一緒に 折り紙 を 畳んだり 、 お手玉 を ついたり して 遊んだ もの だ 。 そういう 時 の 二 人 の 相手 は 、 いつでも あの 人形 だった 。 そんなに 抱 愛 の 的であった もの が 、 次第に 袖 子 から 忘れ られた ように なって いった 。 それ ばかり で なく 、 袖 子 が 人形 の こと なぞ を 以前 の ように 大騒ぎ し なく なった 頃 に は 、 光子 さん と も そう 遊ば なく なった 。 しかし 、 袖 子 は まだ 漸 く 高等 小学 の 一 学年 を 終わる か 終わら ない ぐらい の 年頃 であった 。 彼女 とても 何 か なし に は い られ なかった 。 子供 の 好きな 袖 子 は 、 いつの間にか 近所 の 家 から 別の 子供 を 抱いて 来て 、 自分 の 部屋 で 遊ば せる ように なった 。 数え 歳 の 二 つ に しか なら ない 男 の 児 である が 、 あの きか ない 気 の 光子 さん に 比べたら 、 これ は また 何という おとなしい もの だろう 。 金 之助 さん と いう 名前 から して 男の子 らしく 、 下 ぶ くれ の した その 顔 に 笑み の 浮かぶ 時 は 、 小さな 靨 が あらわれて 、 愛らしかった 。 それ に 、 この 子 の 好い こと に は 、 袖 子 の 言う なり に なった 。 どうして あの 少しも じっと して い ないで 、 どうかする と 袖 子 の 手 に おえ ない こと が 多かった 光子 さん を 遊ば せる と は 大 違い だ 。 袖 子 は 人形 を 抱く ように 金 之助 さん を 抱いて 、 どこ へ でも 好きな ところ へ 連れて 行く こと が 出来た 。 自分 の 側 に 置いて 遊ば せ たければ 、 それ も 出来た 。 この 金 之助 さん は 正月 生まれ の 二 つ でも 、 まだ いくらも 人 の 言葉 を 知ら ない 。 蕾 の ような その 脣 から は 「 うまう ま 」 ぐらい しか 泄 れて 来 ない 。 母親 以外 の 親しい もの を 呼ぶ に も 、「 ち ゃあ ちゃん 」 と しか まだ 言い 得 なかった 。 こんな 幼い 子供 が 袖 子 の 家 へ 連れ られて 来て みる と 、 袖 子 の 父さん が いる 、 二 人 ある 兄さん 達 も いる 、 しかし 金 之助 さん は そういう 人 達 まで も 「 ち ゃあ ちゃん 」 と 言って 呼ぶ わけで は なかった 。 やはり この 幼い 子供 の 呼びかける 言葉 は 親しい もの に 限ら れて いた 。 もともと 金 之助 さん を 袖 子 の 家 へ 、 初めて 抱いて 来て 見せた の は 下 女 の お初 で 、 お初 の 子 煩悩 と きたら 、 袖 子 に 劣ら なかった 。 「 ち ゃあ ちゃん 。」 それ が 茶の間 へ 袖 子 を 探し に 行く 時 の 子供 の 声 だ 。 「 ち ゃあ ちゃん 。」 それ が また 台所 で 働いて いる お初 を 探す 時 の 子供 の 声 で も ある のだ 。 金 之助 さん は 、 まだ よち よち した おぼつかない 足許 で 、 茶の間 と 台所 の 間 を 往 ったり 来たり して 、 袖 子 や お初 の 肩 に つかまったり 、 二 人 の 裾 に まとい ついたり して 戯れた 。 三 月 の 雪 が 綿 の ように 町 へ 来て 、 一晩 の うち に 見事に 溶けて ゆく 頃 に は 、 袖 子 の 家 で は もう 光子 さん を 呼ぶ 声 が 起こら なかった 。 それ が 「 金 之助 さん 、 金 之助 さん 」 に 変わった 。 「 袖 子 さん 、 どうして お 遊び に なら ない んです か 。 わたし を お 忘れ に なった んです か 。」 近所 の 家 の 二 階 の 窓 から 、 光子 さん の 声 が 聞こえて いた 。 その ませた 、 小 娘 らしい 声 は 、 春先 の 町 の 空気 に 高く 響け て 聞こえて いた 。 ちょうど 袖 子 は ある 高等 女学校 へ の 受験 の 準備 に いそがしい 頃 で 、 遅く なって 今 まで の 学校 から 帰って 来た 時 に 、 その 光子 さん の 声 を 聞いた 。 彼女 は 別に 悪い 顔 も せ ず 、 ただ それ を 聞き流した まま で 家 へ 戻って みる と 、 茶の間 の 障子 の わき に は お初 が 針 仕事 し ながら 金 之助 さん を 遊ば せて いた 。 どうした はずみ から か 、 その 日 、 袖 子 は 金 之助 さん を 怒ら して しまった 。 子供 は 袖 子 の 方 へ 来 ないで 、 お初 の 方 へ ばかり 行った 。 「 ち ゃあ ちゃん 。」 「 は あい ―― 金 之助 さん 。」 お初 と 子供 は 、 袖 子 の 前 で 、 こんな 言葉 を かわして いた 。 子供 から 呼びかけ られる たび に 、 お初 は 「 まあ 、 可愛い 」 と いう 様子 を して 、 同じ こと を 何度 も 何度 も 繰り返した 。 「 ち ゃあ ちゃん 。」 「 は あい ―― 金 之助 さん 。」 「 ち ゃあ ちゃん 。」 「 は あい ―― 金 之助 さん 。」 あまり お初 の 声 が 高かった ので 、 そこ へ 袖 子 の 父さん が 笑顔 を 見せた 。 「 えらい 騒ぎ だ なあ 。 俺 は 自分 の 部屋 で 聞いて いた が 、 まるで 、 お前 達 の は 掛け 合い じゃ ない か 。」 「 旦那 さん 。」 と お初 は 自分 でも おかしい ように 笑って 、 やがて 袖 子 と 金 之助 さん の 顔 を 見くらべ ながら 、「 こんなに 金 之助 さん は 私 に ばかり ついて しまって …… 袖 子 さん と 金 之助 さん と は 、 今日 は 喧嘩 です 。」 この 「 喧嘩 」 が 父さん を 笑わ せた 。 袖 子 は 手持ち 無 沙汰 で 、 お初 の 側 を 離れ ないで いる 子供 の 顔 を 見まもった 。 女 に も して み たい ほど の 色 の 白い 児 で 、 優しい 眉 、 すこし 開いた 脣 、 短い うぶ毛 の まま の 髪 、 子供 らしい おでこ ―― すべて 愛らしかった 。 何となく 袖 子 に むかって すねて いる ような 無邪気 さ は 、 一層 その 子供 らしい 様子 を 愛らしく 見せた 。 こんな いじらし さ は 、 あの 生命 の ない 人形 に は なかった もの だ 。 「 何と言っても 、 金 之助 さん は 袖 ちゃん の お 人形 さん だ ね 。」 と 言って 父さん は 笑った 。 そういう 袖 子 の 父さん は 鰥 で 、 中年 で 連れ合い に 死に別れた 人 に ある ように 、 男 の 手 一 つ で どうにか こう に か 袖 子 たち を 大きく して きた 。 この 父さん は 、 金 之助 さん を 人形 扱い に する 袖 子 の こと を 笑え なかった 。 なぜ か なら 、 そういう 袖 子 が 、 実は 父さん の 人形 娘 であった から で 。 父さん は 、 袖 子 の ため に 人形 まで も 自分 で 見立て 、 同じ 丸善 の 二 階 に あった 独逸 出来 の 人形 の 中でも 自分 の 気 に 入った ような もの を 求めて 、 それ を 袖 子 に あてがった 。 ちょうど 袖 子 が あの 人形 の ため に いく つ か の 小さな 着物 を 造って 着せた ように 、 父さん は また 袖 子 の ため に 自分 の 好み に よった もの を 選んで 着せて いた 。 「 袖 子 さん は 可哀そうです 。 今 の うち に 紅 い 派手な もの でも 着せ なかったら 、 いつ 着せる 時 が ある んです 。」 こんな こと を 言って 袖 子 を 庇護 う ように する 婦人 の 客 なぞ が ないで も なかった が 、 しかし 父さん は 聞き入れ なかった 。 娘 の 風俗 は なるべく 清楚に 。 その 自分 の 好み から 父さん は 割り出して 、 袖 子 の 着る 物 でも 、 持ち物 でも 、 すべて 自分 で 見立てて やった 。 そして 、 いつまでも 自分 の 人形 娘 に して おき たかった 。 いつまでも 子供 で 、 自分 の 言う なり に 、 自由に なる もの の ように …… ある 朝 、 お初 は 台所 の 流し もと に 働いて いた 。 そこ へ 袖 子 が 来て 立った 。 袖 子 は 敷布 を かかえた まま 物 も 言わ ないで 、 蒼 ざ め た 顔 を して いた 。 「 袖 子 さん 、 どうした の 。」 最初の うち こそ お初 も 不思議 そうに して いた が 、 袖 子 から 敷布 を 受け取って みて 、 すぐ に その 意味 を 読んだ 。 お初 は 体格 も 大きく 、 力 も ある 女 であった から 、 袖 子 の 震える から だ へ うしろ から 手 を かけて 、 半分 抱きかかえる ように 茶の間 の 方 へ 連れて 行った 。 その 部屋 の 片隅 に 袖 子 を 寝かした 。 「 そんなに 心配 し ないで も いい んです よ 。 私 が 好い ように して あげる から ―― 誰 で も ある こと な んだ から ―― 今日 は 学校 を お 休み なさい ね 。」 と お初 は 袖 子 の 枕 もと で 言った 。 祖母 さん も なく 、 母さん も なく 、 誰 も 言って 聞か せる もの の ない ような 家庭 で 、 生まれて 初めて 袖 子 の 経験 する ような こと が 、 思いがけない 時 に やって 来た 。 めったに 学校 を 休んだ こと の ない 娘 が 、 しかも 受験 前 で いそがし がって いる 時 であった 。 三 月 らしい 春 の 朝日 が 茶の間 の 障子 に 射 して くる 頃 に は 、 父さん は 袖 子 を 見 に 来た 。 その 様子 を お初 に 問い たずねた 。 「 ええ 、 すこし ……」 と お初 は 曖昧な 返事 ばかり した 。 袖 子 は 物 も 言わ ず に 寝苦し がって いた 。 そこ へ 父さん が 心配 して 覗き に 来る 度 に 、 しまい に は お初 の 方 でも 隠し きれ なかった 。 「 旦那 さん 、 袖 子 さん の は 病気 で は あり ませ ん 。」 それ を 聞く と 、 父さん は 半信半疑 の まま で 、 娘 の 側 を 離れた 。 日頃 母さん の 役 まで 兼ねて 着物 の 世話 から 何 から 一切 を 引き受けて いる 父さん でも 、 その 日 ばかり は 全く 父さん の 畠 に ない こと であった 。 男 親 の 悲し さ に は 、 父さん は それ 以上 の こと を お初 に 尋ねる こと も 出来 なかった 。 「 もう 何 時 だろう 。」 と 言って 父さん が 茶の間 に 掛かって いる 柱 時計 を 見 に 来た 頃 は 、 その 時計 の 針 が 十 時 を 指して いた 。 「 お 昼 に は 兄さん 達 も 帰って 来る な 。」 と 父さん は 茶の間 の なか を 見 して 言った 。 「 お初 、 お前 に 頼んで おく が ね 、 みんな 学校 から 帰って 来て 聞いたら 、 そう 言っ ておくれ ―― きょう は 父さん が 袖 ちゃん を 休ま せた から ッ て ―― もしかしたら 、 すこし 頭 が 痛い から ッ て 。」 父さん は 袖 子 の 兄さん 達 が 学校 から 帰って 来る 場合 を 予想 して 、 娘 の ため に いろいろ 口実 を 考えた 。 昼 すこし 前 に は もう 二 人 の 兄さん が 前後 して 威勢 よく 帰って 来た 。 一 人 の 兄さん の 方 は 袖 子 の 寝て いる の を 見る と 黙って い なかった 。 「 オイ 、 どうした ん だい 。」 その 権 幕 に 恐れて 、 袖 子 は 泣き 出し たい ばかりに なった 。 そこ へ お初 が 飛んで 来て 、 いろいろ 言い訳 を した が 、 何も 知ら ない 兄さん は 訳 の 分から ない と いう 顔付き で 、 しきりに 袖 子 を 責めた 。 「 頭 が 痛い ぐらい で 学校 を 休む なんて 、 そんな 奴 が ある かい 。 弱虫 め 。」 「 まあ 、 そんな ひどい こと を 言って 、」 と お初 は 兄さん を なだめる ように した 。 「 袖 子 さん は 私 が 休ま せた んです よ ―― きょう は 私 が 休ま せた んです よ 。」 不思議な 沈黙 が 続いた 。 父さん で さえ それ を 説き明かす こと が 出来 なかった 。 ただただ 父さん は 黙って 、 袖 子 の 寝て いる 部屋 の 外 の 廊下 を 往 ったり 来たり した 。 あだ かも 袖 子 の 子供 の 日 が 最 早 終わり を 告げた か の ように ―― いつまでも そう 父さん の 人形 娘 で は い ない ような 、 ある 待ち受けた 日 が 、 とうとう 父さん の 眼 の 前 へ やって 来 たか の ように 。 「 お初 、 袖 ちゃん の こと は お前 に よく 頼んだ ぜ 。」 父さん は それ だけ の こと を 言いにく そうに 言って 、 また 自分 の 部屋 の 方 へ 戻って 行った 。 こんな 悩ましい 、 言う に 言わ れ ぬ 一 日 を 袖 子 は 床 の 上 に 送った 。 夕方 に は 多勢 の ちいさな 子供 の 声 に まじって 例の 光子 さん の 甲高い 声 も 家 の 外 に 響いた が 、 袖 子 は それ を 寝 ながら 聞いて いた 。 庭 の 若草 の 芽 も 一晩 の うち に 伸びる ような 暖かい 春 の 宵 ながら に 悲しい 思い は 、 ちょうど そのまま の ように 袖 子 の 小さな 胸 を なやましく した 。 翌日 から 袖 子 は お初 に 教え られた とおり に して 、 例 の ように 学校 へ 出掛けよう と した 。 その 年 の 三 月 に 受け 損なったら また 一 年 待た ねば なら ない ような 、 大事な 受験 の 準備 が 彼女 を 待って いた 。 その 時 、 お初 は 自分 が 女 に なった 時 の こと を 言い 出して 、 「 私 は 十七 の 時 でした よ 。 そんなに 自分 が 遅かった もの です から ね 。 もっと 早く あなた に 話して あげる と 好かった 。 そのくせ 私 は 話そう 話そう と 思い ながら 、 まだ 袖 子 さん に は 早かろう と 思って 、 今 まで 言わ ず に あった んです よ …… つい 、 自分 が 遅かった もの です から ね …… 学校 の 体操 や なんか は 、 その 間 、 休んだ 方 が いい んです よ 。」 こんな 話 を 袖 子 に して 聞か せた 。 不安 やら 、 心配 やら 、 思い出した ばかり で も きまり の わるく 、 顔 の 紅 く なる ような 思い で 、 袖 子 は 学校 へ の 道 を 辿った 。 この 急激な 変化 ―― それ を 知って しまえば 、 心配 も なにも なく 、 あり ふれた こと だ と いう この 変化 を 、 何の 故 である の か 、 何の 為 である の か 、 それ を 袖 子 は 知り たかった 。 事実 上 の 細かい 注意 を 残り なく お初 から 教え られた に して も 、 こんな 時 に 母さん でも 生きて いて 、 その 膝 に 抱か れたら 、 と しきりに 恋しく 思った 。 いつも の ように 学校 へ 行って みる と 、 袖 子 は もう 以前 の 自分 で は なかった 。 こと ごと に 自由 を 失った ようで 、 あたり が 狭かった 。 昨日 まで の 遊び の 友達 から は 遽 か に 遠のいて 、 多勢 の 友達 が 先生 達 と 縄飛び に 鞠 投げ に 嬉戯 する さま を 運動 場 の 隅 に さびしく 眺め つくした 。 それ から 一 週間 ばかり 後 に なって 、 漸 く 袖 子 は あたりまえの から だに 帰る こと が 出来た 。 溢れて 来る もの は 、 すべて 清い 。 あだ かも 春 の 雪 に 濡れて 反って 伸びる 力 を 増す 若草 の ように 、 生長 ざ かり の 袖 子 は 一層 いきいき と した 健康 を 恢復 した 。 「 まあ 、 よかった 。」 と 言って 、 あたり を 見 した 時 の 袖 子 は 何 が なし に 悲しい 思い に 打た れた 。 その 悲しみ は 幼い 日 に 別れ を 告げて 行く 悲しみ であった 。 彼女 は 最 早 今 まで の ような 眼 でも って 、 近所 の 子供 達 を 見る こと も 出来 なかった 。 あの 光子 さん なぞ が 黒い ふさふさ した 髪 の 毛 を 振って 、 さも 無邪気に 、 家 の まわり を 駆け って いる の を 見る と 、 袖 子 は 自分 でも 、 もう 一 度 何も 知ら ず に 眠って み たい と 思った 。 男 と 女 の 相違 が 、 今 は 明らかに 袖 子 に 見えて きた 。 さも のんき そうな 兄さん 達 と ちがって 、 彼女 は 自分 を 護ら ねば なら なかった 。 大人 の 世界 の こと は すっかり 分かって しまった と は 言え ない まで も 、 すくなく も それ を 覗いて 見た 。 その 心から 、 袖 子 は 言いあらわし がたい 驚き を も 誘わ れた 。 袖 子 の 母さん は 、 彼女 が 生まれる と 間もなく 激しい 産後 の 出血 で 亡くなった 人 だ 。 その 母さん が 亡くなる 時 に は 、 人 の からだ に 差したり 引いたり する 潮 が 三 枚 も 四 枚 も の 母さん の 単 衣 を 雫 の ように した 。 それほど 恐ろしい 勢い で 母さん から 引いて 行った 潮 が ―― 十五 年 の 後 に なって ―― あの 母さん と 生命 の 取りかえ っこ を した ような 人形 娘 に 差して 来た 。 空 に ある 月 が 満ちたり 欠けたり する 度 に 、 それ と 呼吸 を 合わせる ような 、 奇蹟 で ない 奇蹟 は 、 まだ 袖 子 に は よく 呑み こめ なかった 。 それ が 人 の 言う ように 規則 的に 溢れて 来よう と は 、 信じ られ も し なかった 。 故 も ない 不安 は まだ 続いて いて 、 絶えず 彼女 を 脅かした 。 袖 子 は 、 その 心配 から 、 子供 と 大人 の 二 つ の 世界 の 途中 の 道端 に 息づき 震えて いた 。 子供 の 好きな お初 は 相変わらず 近所 の 家 から 金 之助 さん を 抱いて 来た 。 頑是 ない 子供 は 、 以前 に も まさる 可愛 げな 表情 を 見せて 、 袖 子 の 肩 に すがったり 、 その後 を 追ったり した 。 「 ち ゃあ ちゃん 。」 親し げに 呼ぶ 金 之助 さん の 声 に 変わり は なかった 。 しかし 袖 子 は もう 以前 と 同じ ように は この 男 の 児 を 抱け なかった 。


伸び 支度 のび|したく Vorbereitung auf das Wachstum stretching preparazione alla crescita 연신율 준비 preparação para o crescimento

伸び 支度 のび|したく Elongation preparation

島崎 藤村 しまさき|ふじむら Shimazaki Fujimura

十四 、 五 に なる 大概 の 家 の 娘 が そう である ように 、 袖 子 も その 年頃 に なって みたら 、 人形 の こと なぞ は 次第に 忘れた ように なった 。 じゅうよん|いつ|||たいがい||いえ||むすめ|||||そで|こ|||としごろ||||にんぎょう|||||しだいに|わすれた|| Like the daughters of most homes, fourteen and five, when the sleeves came by that age, they gradually forgot about the dolls. 人形 に 着せる 着物 だ 襦袢 だ と 言って 大騒ぎ した 頃 の 袖 子 は 、 いく つ その ため に 小さな 着物 を 造り 、 いく つ 小さな 頭巾 なぞ を 造って 、 それ を 幼い 日 の 楽しみ と して きた か 知れ ない 。 にんぎょう||きせる|きもの||じゅばん|||いって|おおさわぎ||ころ||そで|こ|||||||ちいさな|きもの||つくり|||ちいさな|ずきん|||つくって|||おさない|ひ||たのしみ|||||しれ| When you made a fuss about the kimono, it was a kimono that you could wear on a doll. . 町 の 玩具 屋 から 安物 を 買って 来て すぐ に 首 の とれた もの 、 顔 が 汚れ 鼻 が 欠け する うち に オバケ の ように 気味 悪く なって 捨てて しまった もの ―― 袖 子 の 古い 人形 に も いろいろ あった 。 まち||がんぐ|や||やすもの||かって|きて|||くび||||かお||けがれ|はな||かけ|||||||きみ|わるく||すてて|||そで|こ||ふるい|にんぎょう|||| The ones whose necks were removed from a toy store in the town soon after they got their necks, the ones whose faces were dirty and their nose lacked, and which became ugly and discarded like old dolls with sleeves many things happened . その 中でも 、 父さん に 連れ られて 震災 前 の 丸善 へ 行った 時 に 買って 貰って 来た 人形 は 、 一 番 長く あった 。 |なかでも|とうさん||つれ||しんさい|ぜん||まるぜん||おこなった|じ||かって|もらって|きた|にんぎょう||ひと|ばん|ながく| Among them, the doll that my father bought me when I went to Maruzen before the earthquake was the longest. あれ は 独逸 の 方 から 新 荷 が 着いた ばかりだ と いう 種々な 玩具 と 一緒に 、 あの 丸善 の 二 階 に 並べて あった もの で 、 異国 の 子供 の 風俗 ながら に 愛らしく 、 格安で 、 しかも 丈夫に 出来て いた 。 ||どいつ||かた||しん|に||ついた||||しゅじゅな|がんぐ||いっしょに||まるぜん||ふた|かい||ならべて||||いこく||こども||ふうぞく|||あいらしく|かくやすで||じょうぶに|できて| It was arranged on the second floor of that Maruzen, along with various toys that new goods had just arrived from the Germans. Was. 茶色 な 髪 を かぶった ような 男 の 児 の 人形 で 、 それ を 寝かせば 眼 を つぶり 、 起こせば ぱっち り と 可愛い 眼 を 見開いた 。 ちゃいろ||かみ||||おとこ||じ||にんぎょう||||ねかせば|がん|||おこせば|ぱっ ち|||かわいい|がん||みひらいた A puppet of a boy with brown hair, she laid her eyes down, closed her eyes, and raised her eyes wide open. 袖 子 が あの 人形 に 話し かける の は 、 生きて いる 子供 に 話し かける の と ほとんど 変わり が ない くらい であった 。 そで|こ|||にんぎょう||はなし||||いきて||こども||はなし|||||かわり|||| Sodeko talked to that doll almost as well as to a living child. それほど に 好きで 、 抱き 、 擁 え 、 撫で 、 持ち歩き 、 毎日 の ように 着物 を 着せ 直し など して 、 あの 人形 の ため に は 小さな 蒲 団 や 小さな 枕 まで も 造った 。 ||すきで|いだき|よう||なで|もちあるき|まいにち|||きもの||ちゃくせ|なおし||||にんぎょう|||||ちいさな|がま|だん||ちいさな|まくら|||つくった 袖 子 が 風邪 でも 引いて 学校 を 休む ような 日 に は 、 彼女 の 枕 もと に 足 を 投げ出し 、 いつでも 笑った ような 顔 を し ながら お伽話 の 相手 に なって いた の も 、 あの 人形 だった 。 そで|こ||かぜ||ひいて|がっこう||やすむ||ひ|||かのじょ||まくら|||あし||なげだし||わらった||かお||||おとぎばなし||あいて|||||||にんぎょう| On days when her sleeves had a cold and were absent from school, she threw her legs under her pillow and always had a laughing face on her face as a fairy tale. .. 「 袖 子 さん 、 お 遊び なさい な 。」 そで|こ|||あそび|| "Sodeko, don't play." と 言って 、 一 頃 は よく 彼女 の ところ へ 遊び に 通って 来た 近所 の 小 娘 も ある 。 |いって|ひと|ころ|||かのじょ||||あそび||かよって|きた|きんじょ||しょう|むすめ|| Having said that, there is also a small girl in my neighborhood who often went to her to play. 光子 さん と いって 、 幼稚園 へ で も あがろう と いう 年頃 の 小 娘 の ように 、 額 の ところ へ 髪 を 切りさげて いる 児 だ 。 てるこ||||ようちえん|||||||としごろ||しょう|むすめ|||がく||||かみ||きりさげて||じ| 袖 子 の 方 でも よく その 光子 さん を 見 に 行って 、 暇 さえ あれば 一緒に 折り紙 を 畳んだり 、 お手玉 を ついたり して 遊んだ もの だ 。 そで|こ||かた||||てるこ|||み||おこなって|いとま|||いっしょに|おりがみ||たたんだり|おてだま||||あそんだ|| Even the sleeves often went to see Ms. Mitsuko, and when she had free time, she used to fold origami paper and play with beanbags. そういう 時 の 二 人 の 相手 は 、 いつでも あの 人形 だった 。 |じ||ふた|じん||あいて||||にんぎょう| そんなに 抱 愛 の 的であった もの が 、 次第に 袖 子 から 忘れ られた ように なって いった 。 |いだ|あい||てきであった|||しだいに|そで|こ||わすれ|||| Things that were so affectionate gradually began to be forgotten by Soedo. それ ばかり で なく 、 袖 子 が 人形 の こと なぞ を 以前 の ように 大騒ぎ し なく なった 頃 に は 、 光子 さん と も そう 遊ば なく なった 。 ||||そで|こ||にんぎょう|||||いぜん|||おおさわぎ||||ころ|||てるこ|||||あそば|| しかし 、 袖 子 は まだ 漸 く 高等 小学 の 一 学年 を 終わる か 終わら ない ぐらい の 年頃 であった 。 |そで|こ|||すすむ||こうとう|しょうがく||ひと|がくねん||おわる||おわら||||としごろ| 彼女 とても 何 か なし に は い られ なかった 。 かのじょ||なん||||||| She couldn't go without anything. 子供 の 好きな 袖 子 は 、 いつの間にか 近所 の 家 から 別の 子供 を 抱いて 来て 、 自分 の 部屋 で 遊ば せる ように なった 。 こども||すきな|そで|こ||いつのまにか|きんじょ||いえ||べつの|こども||いだいて|きて|じぶん||へや||あそば||| 数え 歳 の 二 つ に しか なら ない 男 の 児 である が 、 あの きか ない 気 の 光子 さん に 比べたら 、 これ は また 何という おとなしい もの だろう 。 かぞえ|さい||ふた||||||おとこ||じ||||||き||てるこ|||くらべたら||||なんという||| I am a boy of only two years old, but compared to Ms. Mitsuko, who does not know that, this is what a gentle man. 金 之助 さん と いう 名前 から して 男の子 らしく 、 下 ぶ くれ の した その 顔 に 笑み の 浮かぶ 時 は 、 小さな 靨 が あらわれて 、 愛らしかった 。 きむ|ゆきじょ||||なまえ|||おとこのこ||した||||||かお||えみ||うかぶ|じ||ちいさな|えくぼ|||あいらしかった それ に 、 この 子 の 好い こと に は 、 袖 子 の 言う なり に なった 。 |||こ||この い||||そで|こ||いう||| And, what she liked was that of Sodeko. どうして あの 少しも じっと して い ないで 、 どうかする と 袖 子 の 手 に おえ ない こと が 多かった 光子 さん を 遊ば せる と は 大 違い だ 。 ||すこしも|||||どうか する||そで|こ||て||||||おおかった|てるこ|||あそば||||だい|ちがい| It's a big difference to play Mitsuko-san, who often didn't stay at all and couldn't get in the hands of Soedoko. 袖 子 は 人形 を 抱く ように 金 之助 さん を 抱いて 、 どこ へ でも 好きな ところ へ 連れて 行く こと が 出来た 。 そで|こ||にんぎょう||いだく||きむ|ゆきじょ|||いだいて||||すきな|||つれて|いく|||できた 自分 の 側 に 置いて 遊ば せ たければ 、 それ も 出来た 。 じぶん||がわ||おいて|あそば|||||できた If I wanted to put it on my side and let it play, I could. この 金 之助 さん は 正月 生まれ の 二 つ でも 、 まだ いくらも 人 の 言葉 を 知ら ない 。 |きむ|ゆきじょ|||しょうがつ|うまれ||ふた|||||じん||ことば||しら| Even though he was born on New Year's day, Mr. Kinnosuke still does not know the language of people. 蕾 の ような その 脣 から は 「 うまう ま 」 ぐらい しか 泄 れて 来 ない 。 つぼみ||||しん|||||||せつ||らい| Only "Umauma" is excreted from the lips like buds. 母親 以外 の 親しい もの を 呼ぶ に も 、「 ち ゃあ ちゃん 」 と しか まだ 言い 得 なかった 。 ははおや|いがい||したしい|||よぶ|||||||||いい|とく| こんな 幼い 子供 が 袖 子 の 家 へ 連れ られて 来て みる と 、 袖 子 の 父さん が いる 、 二 人 ある 兄さん 達 も いる 、 しかし 金 之助 さん は そういう 人 達 まで も 「 ち ゃあ ちゃん 」 と 言って 呼ぶ わけで は なかった 。 |おさない|こども||そで|こ||いえ||つれ||きて|||そで|こ||とうさん|||ふた|じん||にいさん|さとる||||きむ|ゆきじょ||||じん|さとる|||||||いって|よぶ||| やはり この 幼い 子供 の 呼びかける 言葉 は 親しい もの に 限ら れて いた 。 ||おさない|こども||よびかける|ことば||したしい|||かぎら|| もともと 金 之助 さん を 袖 子 の 家 へ 、 初めて 抱いて 来て 見せた の は 下 女 の お初 で 、 お初 の 子 煩悩 と きたら 、 袖 子 に 劣ら なかった 。 |きむ|ゆきじょ|||そで|こ||いえ||はじめて|いだいて|きて|みせた|||した|おんな||おはつ||おはつ||こ|ぼんのう|||そで|こ||おとら| Originally, it was the first time for my younger daughter to bring Kinnosuke to the house of Sodeko for the first time, and when it came to her first child's annoyance, she was no less than Sodeko. 「 ち ゃあ ちゃん 。」 それ が 茶の間 へ 袖 子 を 探し に 行く 時 の 子供 の 声 だ 。 ||ちゃのま||そで|こ||さがし||いく|じ||こども||こえ| 「 ち ゃあ ちゃん 。」 それ が また 台所 で 働いて いる お初 を 探す 時 の 子供 の 声 で も ある のだ 。 |||だいどころ||はたらいて||おはつ||さがす|じ||こども||こえ|||| It is also the voice of the child when looking for the first person working in the kitchen. 金 之助 さん は 、 まだ よち よち した おぼつかない 足許 で 、 茶の間 と 台所 の 間 を 往 ったり 来たり して 、 袖 子 や お初 の 肩 に つかまったり 、 二 人 の 裾 に まとい ついたり して 戯れた 。 きむ|ゆきじょ||||||||あし ゆる||ちゃのま||だいどころ||あいだ||おう||きたり||そで|こ||おはつ||かた|||ふた|じん||すそ|||||たわむれた Mr. Kinnosuke went back and forth between the living room and the kitchen, clinging to his sleeves and first shoulders, and clinging to the hem of the two, with his toddler's uncertain footsteps. I played. 三 月 の 雪 が 綿 の ように 町 へ 来て 、 一晩 の うち に 見事に 溶けて ゆく 頃 に は 、 袖 子 の 家 で は もう 光子 さん を 呼ぶ 声 が 起こら なかった 。 みっ|つき||ゆき||めん|||まち||きて|ひとばん||||みごとに|とけて||ころ|||そで|こ||いえ||||てるこ|||よぶ|こえ||おこら| それ が 「 金 之助 さん 、 金 之助 さん 」 に 変わった 。 ||きむ|ゆきじょ||きむ|ゆきじょ|||かわった 「 袖 子 さん 、 どうして お 遊び に なら ない んです か 。 そで|こ||||あそび||||| "Mr. Sodeko, why don't you play? わたし を お 忘れ に なった んです か 。」 |||わすれ|||| 近所 の 家 の 二 階 の 窓 から 、 光子 さん の 声 が 聞こえて いた 。 きんじょ||いえ||ふた|かい||まど||てるこ|||こえ||きこえて| その ませた 、 小 娘 らしい 声 は 、 春先 の 町 の 空気 に 高く 響け て 聞こえて いた 。 ||しょう|むすめ||こえ||はるさき||まち||くうき||たかく|ひびけ||きこえて| ちょうど 袖 子 は ある 高等 女学校 へ の 受験 の 準備 に いそがしい 頃 で 、 遅く なって 今 まで の 学校 から 帰って 来た 時 に 、 その 光子 さん の 声 を 聞いた 。 |そで|こ|||こうとう|じょがっこう|||じゅけん||じゅんび|||ころ||おそく||いま|||がっこう||かえって|きた|じ|||てるこ|||こえ||きいた 彼女 は 別に 悪い 顔 も せ ず 、 ただ それ を 聞き流した まま で 家 へ 戻って みる と 、 茶の間 の 障子 の わき に は お初 が 針 仕事 し ながら 金 之助 さん を 遊ば せて いた 。 かのじょ||べつに|わるい|かお|||||||ききながした|||いえ||もどって|||ちゃのま||しょうじ|||||おはつ||はり|しごと|||きむ|ゆきじょ|||あそば|| どうした はずみ から か 、 その 日 、 袖 子 は 金 之助 さん を 怒ら して しまった 。 |||||ひ|そで|こ||きむ|ゆきじょ|||いから|| 子供 は 袖 子 の 方 へ 来 ないで 、 お初 の 方 へ ばかり 行った 。 こども||そで|こ||かた||らい||おはつ||かた|||おこなった 「 ち ゃあ ちゃん 。」 「 は あい ―― 金 之助 さん 。」 ||きむ|ゆきじょ| お初 と 子供 は 、 袖 子 の 前 で 、 こんな 言葉 を かわして いた 。 おはつ||こども||そで|こ||ぜん|||ことば||| 子供 から 呼びかけ られる たび に 、 お初 は 「 まあ 、 可愛い 」 と いう 様子 を して 、 同じ こと を 何度 も 何度 も 繰り返した 。 こども||よびかけ||||おはつ|||かわいい|||ようす|||おなじ|||なんど||なんど||くりかえした 「 ち ゃあ ちゃん 。」 「 は あい ―― 金 之助 さん 。」 ||きむ|ゆきじょ| 「 ち ゃあ ちゃん 。」 「 は あい ―― 金 之助 さん 。」 ||きむ|ゆきじょ| あまり お初 の 声 が 高かった ので 、 そこ へ 袖 子 の 父さん が 笑顔 を 見せた 。 |おはつ||こえ||たかかった||||そで|こ||とうさん||えがお||みせた 「 えらい 騒ぎ だ なあ 。 |さわぎ|| 俺 は 自分 の 部屋 で 聞いて いた が 、 まるで 、 お前 達 の は 掛け 合い じゃ ない か 。」 おれ||じぶん||へや||きいて||||おまえ|さとる|||かけ|あい||| 「 旦那 さん 。」 だんな| と お初 は 自分 でも おかしい ように 笑って 、 やがて 袖 子 と 金 之助 さん の 顔 を 見くらべ ながら 、「 こんなに 金 之助 さん は 私 に ばかり ついて しまって …… 袖 子 さん と 金 之助 さん と は 、 今日 は 喧嘩 です 。」 |おはつ||じぶん||||わらって||そで|こ||きむ|ゆきじょ|||かお||みくらべ|||きむ|ゆきじょ|||わたくし|||||そで|こ|||きむ|ゆきじょ||||きょう||けんか| この 「 喧嘩 」 が 父さん を 笑わ せた 。 |けんか||とうさん||わらわ| 袖 子 は 手持ち 無 沙汰 で 、 お初 の 側 を 離れ ないで いる 子供 の 顔 を 見まもった 。 そで|こ||てもち|む|さた||おはつ||がわ||はなれ|||こども||かお||みまもった The sleeve child was unheld, and I looked at the face of the child who was not leaving the first side. 女 に も して み たい ほど の 色 の 白い 児 で 、 優しい 眉 、 すこし 開いた 脣 、 短い うぶ毛 の まま の 髪 、 子供 らしい おでこ ―― すべて 愛らしかった 。 おんな||||||||いろ||しろい|じ||やさしい|まゆ||あいた|しん|みじかい|うぶげ||||かみ|こども||||あいらしかった A white child with a color that I would like to see for a woman, with gentle eyebrows, slightly open lips, short downy hair, and a childish forehead-all were lovely. 何となく 袖 子 に むかって すねて いる ような 無邪気 さ は 、 一層 その 子供 らしい 様子 を 愛らしく 見せた 。 なんとなく|そで|こ||||||むじゃき|||いっそう||こども||ようす||あいらしく|みせた The innocence of somehow shining towards the sleeves made the childish appearance even more adorable. こんな いじらし さ は 、 あの 生命 の ない 人形 に は なかった もの だ 。 |||||せいめい|||にんぎょう||||| This kind of tampering wasn't in that lifeless doll. 「 何と言っても 、 金 之助 さん は 袖 ちゃん の お 人形 さん だ ね 。」 なんといっても|きむ|ゆきじょ|||そで||||にんぎょう||| と 言って 父さん は 笑った 。 |いって|とうさん||わらった そういう 袖 子 の 父さん は 鰥 で 、 中年 で 連れ合い に 死に別れた 人 に ある ように 、 男 の 手 一 つ で どうにか こう に か 袖 子 たち を 大きく して きた 。 |そで|こ||とうさん||やもめ||ちゅうねん||つれあい||し に わかれた|じん||||おとこ||て|ひと|||||||そで|こ|||おおきく|| この 父さん は 、 金 之助 さん を 人形 扱い に する 袖 子 の こと を 笑え なかった 。 |とうさん||きむ|ゆきじょ|||にんぎょう|あつかい|||そで|こ||||わらえ| なぜ か なら 、 そういう 袖 子 が 、 実は 父さん の 人形 娘 であった から で 。 ||||そで|こ||じつは|とうさん||にんぎょう|むすめ||| 父さん は 、 袖 子 の ため に 人形 まで も 自分 で 見立て 、 同じ 丸善 の 二 階 に あった 独逸 出来 の 人形 の 中でも 自分 の 気 に 入った ような もの を 求めて 、 それ を 袖 子 に あてがった 。 とうさん||そで|こ||||にんぎょう|||じぶん||みたて|おなじ|まるぜん||ふた|かい|||どいつ|でき||にんぎょう||なかでも|じぶん||き||はいった||||もとめて|||そで|こ|| He even thought of a doll for his sleeves, and asked for a unique doll on the second floor of the same Maruzen that he liked, and applied it to his sleeves. ちょうど 袖 子 が あの 人形 の ため に いく つ か の 小さな 着物 を 造って 着せた ように 、 父さん は また 袖 子 の ため に 自分 の 好み に よった もの を 選んで 着せて いた 。 |そで|こ|||にんぎょう||||||||ちいさな|きもの||つくって|きせた||とうさん|||そで|こ||||じぶん||よしみ|||||えらんで|きせて| 「 袖 子 さん は 可哀そうです 。 そで|こ|||かわいそうです 今 の うち に 紅 い 派手な もの でも 着せ なかったら 、 いつ 着せる 時 が ある んです 。」 いま||||くれない||はでな|||ちゃくせ|||きせる|じ||| If I couldn't put on something that was red and flashy now, there would be a time when I could put it on. " こんな こと を 言って 袖 子 を 庇護 う ように する 婦人 の 客 なぞ が ないで も なかった が 、 しかし 父さん は 聞き入れ なかった 。 |||いって|そで|こ||ひご||||ふじん||きゃく||||||||とうさん||ききいれ| There was no mystery of a woman who tried to protect her sleeves by saying this, but my dad didn't listen. 娘 の 風俗 は なるべく 清楚に 。 むすめ||ふうぞく|||きよし そ に その 自分 の 好み から 父さん は 割り出して 、 袖 子 の 着る 物 でも 、 持ち物 でも 、 すべて 自分 で 見立てて やった 。 |じぶん||よしみ||とうさん||わりだして|そで|こ||きる|ぶつ||もちもの|||じぶん||みたてて| Dad figured out from his own tastes, and decided on his own, whether it was what he wore on his sleeves or what he had. そして 、 いつまでも 自分 の 人形 娘 に して おき たかった 。 ||じぶん||にんぎょう|むすめ|||| いつまでも 子供 で 、 自分 の 言う なり に 、 自由に なる もの の ように ……   ある 朝 、 お初 は 台所 の 流し もと に 働いて いた 。 |こども||じぶん||いう|||じゆうに||||||あさ|おはつ||だいどころ||ながし|||はたらいて| そこ へ 袖 子 が 来て 立った 。 ||そで|こ||きて|たった 袖 子 は 敷布 を かかえた まま 物 も 言わ ないで 、 蒼 ざ め た 顔 を して いた 。 そで|こ||しきふ||||ぶつ||いわ||あお||||かお||| 「 袖 子 さん 、 どうした の 。」 そで|こ||| 最初の うち こそ お初 も 不思議 そうに して いた が 、 袖 子 から 敷布 を 受け取って みて 、 すぐ に その 意味 を 読んだ 。 さいしょの|||おはつ||ふしぎ|そう に||||そで|こ||しきふ||うけとって|||||いみ||よんだ お初 は 体格 も 大きく 、 力 も ある 女 であった から 、 袖 子 の 震える から だ へ うしろ から 手 を かけて 、 半分 抱きかかえる ように 茶の間 の 方 へ 連れて 行った 。 おはつ||たいかく||おおきく|ちから|||おんな|||そで|こ||ふるえる||||||て|||はんぶん|だきかかえる||ちゃのま||かた||つれて|おこなった その 部屋 の 片隅 に 袖 子 を 寝かした 。 |へや||かたすみ||そで|こ||ねかした 「 そんなに 心配 し ないで も いい んです よ 。 |しんぱい|||||| "You don't have to worry so much. 私 が 好い ように して あげる から ―― 誰 で も ある こと な んだ から ―― 今日 は 学校 を お 休み なさい ね 。」 わたくし||この い|||||だれ||||||||きょう||がっこう|||やすみ|| と お初 は 袖 子 の 枕 もと で 言った 。 |おはつ||そで|こ||まくら|||いった 祖母 さん も なく 、 母さん も なく 、 誰 も 言って 聞か せる もの の ない ような 家庭 で 、 生まれて 初めて 袖 子 の 経験 する ような こと が 、 思いがけない 時 に やって 来た 。 そぼ||||かあさん|||だれ||いって|きか||||||かてい||うまれて|はじめて|そで|こ||けいけん|||||おもいがけない|じ|||きた めったに 学校 を 休んだ こと の ない 娘 が 、 しかも 受験 前 で いそがし がって いる 時 であった 。 |がっこう||やすんだ||||むすめ|||じゅけん|ぜん|||||じ| 三 月 らしい 春 の 朝日 が 茶の間 の 障子 に 射 して くる 頃 に は 、 父さん は 袖 子 を 見 に 来た 。 みっ|つき||はる||あさひ||ちゃのま||しょうじ||い|||ころ|||とうさん||そで|こ||み||きた その 様子 を お初 に 問い たずねた 。 |ようす||おはつ||とい| 「 ええ 、 すこし ……」 と お初 は 曖昧な 返事 ばかり した 。 |||おはつ||あいまいな|へんじ|| 袖 子 は 物 も 言わ ず に 寝苦し がって いた 。 そで|こ||ぶつ||いわ|||ねぐるし|| そこ へ 父さん が 心配 して 覗き に 来る 度 に 、 しまい に は お初 の 方 でも 隠し きれ なかった 。 ||とうさん||しんぱい||のぞき||くる|たび|||||おはつ||かた||かくし|| 「 旦那 さん 、 袖 子 さん の は 病気 で は あり ませ ん 。」 だんな||そで|こ||||びょうき||||| それ を 聞く と 、 父さん は 半信半疑 の まま で 、 娘 の 側 を 離れた 。 ||きく||とうさん||はんしんはんぎ||||むすめ||がわ||はなれた 日頃 母さん の 役 まで 兼ねて 着物 の 世話 から 何 から 一切 を 引き受けて いる 父さん でも 、 その 日 ばかり は 全く 父さん の 畠 に ない こと であった 。 ひごろ|かあさん||やく||かねて|きもの||せわ||なん||いっさい||ひきうけて||とうさん|||ひ|||まったく|とうさん||はた|||| 男 親 の 悲し さ に は 、 父さん は それ 以上 の こと を お初 に 尋ねる こと も 出来 なかった 。 おとこ|おや||かなし||||とうさん|||いじょう||||おはつ||たずねる|||でき| 「 もう 何 時 だろう 。」 |なん|じ| と 言って 父さん が 茶の間 に 掛かって いる 柱 時計 を 見 に 来た 頃 は 、 その 時計 の 針 が 十 時 を 指して いた 。 |いって|とうさん||ちゃのま||かかって||ちゅう|とけい||み||きた|ころ|||とけい||はり||じゅう|じ||さして| 「 お 昼 に は 兄さん 達 も 帰って 来る な 。」 |ひる|||にいさん|さとる||かえって|くる| と 父さん は 茶の間 の なか を 見 して 言った 。 |とうさん||ちゃのま||||み||いった 「 お初 、 お前 に 頼んで おく が ね 、 みんな 学校 から 帰って 来て 聞いたら 、 そう 言っ ておくれ ―― きょう は 父さん が 袖 ちゃん を 休ま せた から ッ て ―― もしかしたら 、 すこし 頭 が 痛い から ッ て 。」 おはつ|おまえ||たのんで|||||がっこう||かえって|きて|きいたら||げん っ||||とうさん||そで|||やすま|||||||あたま||いたい||| 父さん は 袖 子 の 兄さん 達 が 学校 から 帰って 来る 場合 を 予想 して 、 娘 の ため に いろいろ 口実 を 考えた 。 とうさん||そで|こ||にいさん|さとる||がっこう||かえって|くる|ばあい||よそう||むすめ|||||こうじつ||かんがえた 昼 すこし 前 に は もう 二 人 の 兄さん が 前後 して 威勢 よく 帰って 来た 。 ひる||ぜん||||ふた|じん||にいさん||ぜんご||いせい||かえって|きた 一 人 の 兄さん の 方 は 袖 子 の 寝て いる の を 見る と 黙って い なかった 。 ひと|じん||にいさん||かた||そで|こ||ねて||||みる||だまって|| 「 オイ 、 どうした ん だい 。」 おい||| その 権 幕 に 恐れて 、 袖 子 は 泣き 出し たい ばかりに なった 。 |けん|まく||おそれて|そで|こ||なき|だし||| そこ へ お初 が 飛んで 来て 、 いろいろ 言い訳 を した が 、 何も 知ら ない 兄さん は 訳 の 分から ない と いう 顔付き で 、 しきりに 袖 子 を 責めた 。 ||おはつ||とんで|きて||いいわけ||||なにも|しら||にいさん||やく||わから||||かおつき|||そで|こ||せめた 「 頭 が 痛い ぐらい で 学校 を 休む なんて 、 そんな 奴 が ある かい 。 あたま||いたい|||がっこう||やすむ|||やつ||| 弱虫 め 。」 よわむし| 「 まあ 、 そんな ひどい こと を 言って 、」 と お初 は 兄さん を なだめる ように した 。 |||||いって||おはつ||にいさん|||| 「 袖 子 さん は 私 が 休ま せた んです よ ―― きょう は 私 が 休ま せた んです よ 。」 そで|こ|||わたくし||やすま||||||わたくし||やすま||| 不思議な 沈黙 が 続いた 。 ふしぎな|ちんもく||つづいた 父さん で さえ それ を 説き明かす こと が 出来 なかった 。 とうさん|||||ときあかす|||でき| ただただ 父さん は 黙って 、 袖 子 の 寝て いる 部屋 の 外 の 廊下 を 往 ったり 来たり した 。 |とうさん||だまって|そで|こ||ねて||へや||がい||ろうか||おう||きたり| あだ かも 袖 子 の 子供 の 日 が 最 早 終わり を 告げた か の ように ―― いつまでも そう 父さん の 人形 娘 で は い ない ような 、 ある 待ち受けた 日 が 、 とうとう 父さん の 眼 の 前 へ やって 来 たか の ように 。 ||そで|こ||こども||ひ||さい|はや|おわり||つげた||||||とうさん||にんぎょう|むすめ|||||||まちうけた|ひ|||とうさん||がん||ぜん|||らい||| As if the Children's Day of Sodeko had already come to an end ――It seems that he is not the doll daughter of his father forever. As if you came. 「 お初 、 袖 ちゃん の こと は お前 に よく 頼んだ ぜ 。」 おはつ|そで|||||おまえ|||たのんだ| 父さん は それ だけ の こと を 言いにく そうに 言って 、 また 自分 の 部屋 の 方 へ 戻って 行った 。 とうさん|||||||いいにく|そう に|いって||じぶん||へや||かた||もどって|おこなった こんな 悩ましい 、 言う に 言わ れ ぬ 一 日 を 袖 子 は 床 の 上 に 送った 。 |なやましい|いう||いわ|||ひと|ひ||そで|こ||とこ||うえ||おくった 夕方 に は 多勢 の ちいさな 子供 の 声 に まじって 例の 光子 さん の 甲高い 声 も 家 の 外 に 響いた が 、 袖 子 は それ を 寝 ながら 聞いて いた 。 ゆうがた|||たぜい|||こども||こえ|||れいの|てるこ|||かんだかい|こえ||いえ||がい||ひびいた||そで|こ||||ね||きいて| 庭 の 若草 の 芽 も 一晩 の うち に 伸びる ような 暖かい 春 の 宵 ながら に 悲しい 思い は 、 ちょうど そのまま の ように 袖 子 の 小さな 胸 を なやましく した 。 にわ||わかくさ||め||ひとばん||||のびる||あたたかい|はる||よい|||かなしい|おもい||||||そで|こ||ちいさな|むね||| 翌日 から 袖 子 は お初 に 教え られた とおり に して 、 例 の ように 学校 へ 出掛けよう と した 。 よくじつ||そで|こ||おはつ||おしえ|||||れい|||がっこう||でかけよう|| その 年 の 三 月 に 受け 損なったら また 一 年 待た ねば なら ない ような 、 大事な 受験 の 準備 が 彼女 を 待って いた 。 |とし||みっ|つき||うけ|そこなったら||ひと|とし|また|||||だいじな|じゅけん||じゅんび||かのじょ||まって| その 時 、 お初 は 自分 が 女 に なった 時 の こと を 言い 出して 、 「 私 は 十七 の 時 でした よ 。 |じ|おはつ||じぶん||おんな|||じ||||いい|だして|わたくし||じゅうしち||じ|| そんなに 自分 が 遅かった もの です から ね 。 |じぶん||おそかった|||| もっと 早く あなた に 話して あげる と 好かった 。 |はやく|||はなして|||すか った そのくせ 私 は 話そう 話そう と 思い ながら 、 まだ 袖 子 さん に は 早かろう と 思って 、 今 まで 言わ ず に あった んです よ …… つい 、 自分 が 遅かった もの です から ね …… 学校 の 体操 や なんか は 、 その 間 、 休んだ 方 が いい んです よ 。」 |わたくし||はなそう|はなそう||おもい|||そで|こ||||はやかろう||おもって|いま||いわ|||||||じぶん||おそかった|||||がっこう||たいそう|||||あいだ|やすんだ|かた|||| こんな 話 を 袖 子 に して 聞か せた 。 |はなし||そで|こ|||きか| 不安 やら 、 心配 やら 、 思い出した ばかり で も きまり の わるく 、 顔 の 紅 く なる ような 思い で 、 袖 子 は 学校 へ の 道 を 辿った 。 ふあん||しんぱい||おもいだした|||||||かお||くれない||||おもい||そで|こ||がっこう|||どう||てん った この 急激な 変化 ―― それ を 知って しまえば 、 心配 も なにも なく 、 あり ふれた こと だ と いう この 変化 を 、 何の 故 である の か 、 何の 為 である の か 、 それ を 袖 子 は 知り たかった 。 |きゅうげきな|へんか|||しって||しんぱい|||||||||||へんか||なんの|こ||||なんの|ため||||||そで|こ||しり| 事実 上 の 細かい 注意 を 残り なく お初 から 教え られた に して も 、 こんな 時 に 母さん でも 生きて いて 、 その 膝 に 抱か れたら 、 と しきりに 恋しく 思った 。 じじつ|うえ||こまかい|ちゅうい||のこり||おはつ||おしえ||||||じ||かあさん||いきて|||ひざ||いだか||||こいしく|おもった いつも の ように 学校 へ 行って みる と 、 袖 子 は もう 以前 の 自分 で は なかった 。 |||がっこう||おこなって|||そで|こ|||いぜん||じぶん||| こと ごと に 自由 を 失った ようで 、 あたり が 狭かった 。 |||じゆう||うしなった||||せまかった 昨日 まで の 遊び の 友達 から は 遽 か に 遠のいて 、 多勢 の 友達 が 先生 達 と 縄飛び に 鞠 投げ に 嬉戯 する さま を 運動 場 の 隅 に さびしく 眺め つくした 。 きのう|||あそび||ともだち|||きょ|||とおのいて|たぜい||ともだち||せんせい|さとる||なわとび||まり|なげ||きぎ||||うんどう|じょう||すみ|||ながめ| それ から 一 週間 ばかり 後 に なって 、 漸 く 袖 子 は あたりまえの から だに 帰る こと が 出来た 。 ||ひと|しゅうかん||あと|||すすむ||そで|こ|||||かえる|||できた 溢れて 来る もの は 、 すべて 清い 。 あふれて|くる||||きよい あだ かも 春 の 雪 に 濡れて 反って 伸びる 力 を 増す 若草 の ように 、 生長 ざ かり の 袖 子 は 一層 いきいき と した 健康 を 恢復 した 。 ||はる||ゆき||ぬれて|かえって|のびる|ちから||ます|わかくさ|||せいちょう||||そで|こ||いっそう||||けんこう||かいふく| 「 まあ 、 よかった 。」 と 言って 、 あたり を 見 した 時 の 袖 子 は 何 が なし に 悲しい 思い に 打た れた 。 |いって|||み||じ||そで|こ||なん||||かなしい|おもい||うた| その 悲しみ は 幼い 日 に 別れ を 告げて 行く 悲しみ であった 。 |かなしみ||おさない|ひ||わかれ||つげて|いく|かなしみ| 彼女 は 最 早 今 まで の ような 眼 でも って 、 近所 の 子供 達 を 見る こと も 出来 なかった 。 かのじょ||さい|はや|いま||||がん|||きんじょ||こども|さとる||みる|||でき| あの 光子 さん なぞ が 黒い ふさふさ した 髪 の 毛 を 振って 、 さも 無邪気に 、 家 の まわり を 駆け って いる の を 見る と 、 袖 子 は 自分 でも 、 もう 一 度 何も 知ら ず に 眠って み たい と 思った 。 |てるこ||||くろい|||かみ||け||ふって||むじゃきに|いえ||||かけ|||||みる||そで|こ||じぶん|||ひと|たび|なにも|しら|||ねむって||||おもった 男 と 女 の 相違 が 、 今 は 明らかに 袖 子 に 見えて きた 。 おとこ||おんな||そうい||いま||あきらかに|そで|こ||みえて| さも のんき そうな 兄さん 達 と ちがって 、 彼女 は 自分 を 護ら ねば なら なかった 。 ||そう な|にいさん|さとる|||かのじょ||じぶん||まもる ら||| 大人 の 世界 の こと は すっかり 分かって しまった と は 言え ない まで も 、 すくなく も それ を 覗いて 見た 。 おとな||せかい|||||わかって||||いえ||||||||のぞいて|みた その 心から 、 袖 子 は 言いあらわし がたい 驚き を も 誘わ れた 。 |こころから|そで|こ||いいあらわし||おどろき|||さそわ| 袖 子 の 母さん は 、 彼女 が 生まれる と 間もなく 激しい 産後 の 出血 で 亡くなった 人 だ 。 そで|こ||かあさん||かのじょ||うまれる||まもなく|はげしい|さんご||しゅっけつ||なくなった|じん| その 母さん が 亡くなる 時 に は 、 人 の からだ に 差したり 引いたり する 潮 が 三 枚 も 四 枚 も の 母さん の 単 衣 を 雫 の ように した 。 |かあさん||なくなる|じ|||じん||||さしたり|ひいたり||しお||みっ|まい||よっ|まい|||かあさん||ひとえ|ころも||しずく||| When the mother died, the tide of pulling and pulling on the human body was like a drop of three or four mother's clothes. それほど 恐ろしい 勢い で 母さん から 引いて 行った 潮 が ―― 十五 年 の 後 に なって ―― あの 母さん と 生命 の 取りかえ っこ を した ような 人形 娘 に 差して 来た 。 |おそろしい|いきおい||かあさん||ひいて|おこなった|しお||じゅうご|とし||あと||||かあさん||せいめい||とりかえ|||||にんぎょう|むすめ||さして|きた The tide that I pulled from my mother with such a terrifying momentum --- after fifteen years --- came to the puppet daughter who seemed to have exchanged life with that mother. 空 に ある 月 が 満ちたり 欠けたり する 度 に 、 それ と 呼吸 を 合わせる ような 、 奇蹟 で ない 奇蹟 は 、 まだ 袖 子 に は よく 呑み こめ なかった 。 から|||つき||みちたり|かけたり||たび||||こきゅう||あわせる||き あと|||き あと|||そで|こ||||どん み|| A non-miracle, such as breathing with each time the moon in the sky fills or lacks, has not yet been swallowed well by the sleeves. それ が 人 の 言う ように 規則 的に 溢れて 来よう と は 、 信じ られ も し なかった 。 ||じん||いう||きそく|てきに|あふれて|こよう|||しんじ|||| 故 も ない 不安 は まだ 続いて いて 、 絶えず 彼女 を 脅かした 。 こ|||ふあん|||つづいて||たえず|かのじょ||おびやかした Unreasonable anxiety continued and constantly threatened her. 袖 子 は 、 その 心配 から 、 子供 と 大人 の 二 つ の 世界 の 途中 の 道端 に 息づき 震えて いた 。 そで|こ|||しんぱい||こども||おとな||ふた|||せかい||とちゅう||みちばた||いきづき|ふるえて| Because of his worries, Sodeko was breathing and trembling on the roadside in the middle of the two worlds of children and adults. 子供 の 好きな お初 は 相変わらず 近所 の 家 から 金 之助 さん を 抱いて 来た 。 こども||すきな|おはつ||あいかわらず|きんじょ||いえ||きむ|ゆきじょ|||いだいて|きた 頑是 ない 子供 は 、 以前 に も まさる 可愛 げな 表情 を 見せて 、 袖 子 の 肩 に すがったり 、 その後 を 追ったり した 。 がんこれ||こども||いぜん||||かわい|げ な|ひょうじょう||みせて|そで|こ||かた|||そのご||おったり| 「 ち ゃあ ちゃん 。」 親し げに 呼ぶ 金 之助 さん の 声 に 変わり は なかった 。 したし|げ に|よぶ|きむ|ゆきじょ|||こえ||かわり|| しかし 袖 子 は もう 以前 と 同じ ように は この 男 の 児 を 抱け なかった 。 |そで|こ|||いぜん||おなじ||||おとこ||じ||いだけ|