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野分 夏目漱石, 「十」 野分 夏目漱石

「十 」 野 分 夏目 漱石

道也 先生 長い 顔 を 長く して 煤 竹 で 囲った 丸 火 桶 を 擁して いる 。 外 を 木 枯 が 吹いて 行く 。 「 あなた 」 と 次の 間 から 妻君 が 出て くる 。 紬 の 羽織 の 襟 が 折れて いない 。 「 何 だ 」 と こっち を 向く 。 机 の 前 に おり ながら 、 終日 木 枯 に 吹き 曝さ れた か の ご とくに 見える 。 「 本 は 売れた のです か 」 「 まだ 売れ ない よ 」 「 もう 一 ヵ 月 も 立てば 百 や 弐 百 の 金 は 這 入る 都合 だ と おっしゃった じゃ ありません か 」 「 うん 言った 。 言った に は 相違 ない が 、 売れ ない 」 「 困る じゃ ご ざん せんか 」 「 困る よ 。 御前 より おれ の 方 が 困る 。 困る から 今 考えて る んだ 」 「 だって 、 あんなに 骨 を 折って 、 三百 枚 も 出来て る もの を ――」 「 三百 枚 どころ か 四百三十五 頁 ある 」 「 それ で 、 どうして 売れ ない んでしょう 」 「 やっぱり 不景気な んだろう よ 」 「 だろう よ じゃ 困ります わ 。 どうか 出来 ない でしょう か 」 「 南 溟堂 へ 持って行った 時 に は 、 有名な 人 の 御 序文 が あれば と 云 う から 、 それ から 足立 なら 大学 教授 だ から 、 よかろう と 思って 、 足立 に たのんだ の さ 。 本 も 借金 と 同じ 事 で 保証人 が ない と 駄目だ ぜ 」 「 借金 は 借りる んだ から 保証人 も いる でしょう が ――」 と 妻君 頭 の なか へ 人 指 ゆび を 入れて ぐいぐい 掻く 。 束 髪 が 揺れる 。 道也 は その 頭 を 見て いる 。 「 近頃 の 本 は 借金 同様だ 。 信用 の ない もの は 連帯 責任 で ない と 出版 が 出来 ない 」 「 本当に つまらない わ ね 。 あんなに 夜 遅く まで かかって 」 「 そんな 事 は 本屋 の 知ら ん 事 だ 」 「 本屋 は 知ら ない でしょう さ 。 しかし あなた は 御存じ でしょう 」 「 ハハハハ 当人 は 知って る よ 。 御前 も 知って る だろう 」 「 知って る から 云 う ので さあ ね 」 「 言って くれて も 信用 が ない んだ から 仕方 が ない 」 「 それ で どう なさる の 」 「 だ から 足立 の 所 へ 持って行った んだ よ 」 「 足立 さん が 書いて やる と おっしゃって 」 「 うん 、 書く ような 事 を 云 う から 置いて 来たら 、 また あと から 書け ないって 断わって 来た 」 「 なぜ でしょう 」 「 なぜ だ か 知ら ない 。 厭 な のだろう 」 「 それ で あなた は そのまま に して 御 置き に なる んです か 」 「 うん 、 書かん の を 無理に 頼む 必要 は ない さ 」 「 でも それ じゃ 、 うち の 方 が 困ります わ 。 この 間 御 兄さん に 判 を 押して 借りて 頂いた 御 金 も もう 期限 が 切れる んです から 」 「 おれ も その方 を 埋める つもりで いたんだ が ―― 売れ ない から 仕方 が ない 」 「 馬鹿馬鹿しい の ね 。 何の ため に 骨 を 折った んだ か 、 分 り ゃし ない 」 道也 先生 は 火 桶 の なか の 炭 団 を 火箸 の 先 で 突つき ながら 「 御前 から 見れば 馬鹿馬鹿しい の さ 」 と 云った 。 妻君 は だまって しまう 。 ひ ゅう ひ ゅう と 木 枯 が 吹く 。 玄関 の 障子 の 破れ が 紙 鳶 の うなり の ように 鳴る 。 「 あなた 、 いつまで こうして いらっしゃる の 」 と 細 君 は 術 なげ に 聞いた 。 「 いつまで と も 考 は ない 。 食えれば いつまで こうして いたって いい じゃ ない か 」 「 二 言 目 に は 食えれば 食えれば と おっしゃる が 、 今 こそ 、 どうにか こう に かして 行きます けれども 、 このぶん で 押して 行けば 今に 食べられ なく なります よ 」 「 そんなに 心配 する の かい 」 細 君 は むっと した 様子 である 。 「 だって 、 あなた も 、 あんまり 無 考 じゃ ご ざん せ ん か 。 楽に 暮 せる 教師 の 口 は みんな 断って おしまい な すって 、 そうして 何でも 筆 で 食う と 頑固 を 御 張り に なる んです もの 」 「 その 通り だ よ 。 筆 で 食う つもりな んだ よ 。 御前 も その つもり に する が いい 」 「 食べる もの が 食べられれば 私 だって その つもり に なります わ 。 私 も 女房 です もの 、 あなた の 御 好きで お やり に なる 事 を とやかく 云 う ような 差し出口 は きき ゃあ しません 」 「 それ じゃ 、 それ で いい じゃ ない か 」 「 だって 食べられ ない んです もの 」 「 たべられる よ 」 「 随分 ね 、 あなた も 。 現に 教師 を して いた 方 が 楽で 、 今 の 方 が よっぽど 苦しい じゃ ありません か 。 あなた は やっぱり 教師 の 方 が 御 上手な んです よ 。 書く 方 は 性 に 合わ ない んです よ 」 「 よく そんな 事 が わかる な 」 細 君 は 俯 向いて 、 袂 から 鼻 紙 を 出して ち い ん と 鼻 を かんだ 。 「 私 ばかり じゃ 、 ありません わ 。 御 兄さん だって 、 そう おっしゃる じゃ ありません か 」 「 御前 は 兄 の 云 う 事 を そう 信用 して いる の か 」 「 信用 したって いい じゃ ありません か 、 御 兄さん です もの 、 そうして 、 あんなに 立派に して いらっしゃる んです もの 」 「 そう か 」 と 云った なり 道也 先生 は 火鉢 の 灰 を 丁寧に 掻きならす 。 中 から 二 寸 釘 が 灰 だらけ に なって 出る 。 道也 先生 は 、 曲った 真鍮 の 火箸 で 二 寸 釘 を つまみ ながら 、 片手 に 障子 を あけて 、 ほ いと 庭先 へ 抛 り 出した 。 庭 に は 何にも ない 。 芭蕉 が ずたずたに 切れて 、 茶色 ながら 立往生 を して いる 。 地面 は 皮 が 剥けて 、 蓆 を 捲 き かけた ように 反っくり返って いる 。 道也 先生 は 庭 の 面 を 眺め ながら 「 だいぶ 吹いて る な 」 と 独 語 の ように 云った 。 「 もう 一 遍 足立 さん に 願って 御覧 に なったら どう でしょう 」 「 厭 な もの に 頼んだって 仕方 が ない さ 」 「 あなた は 、 それ だ から 困る の ね 。 どうせ 、 あんな 、 豪 い 方 に なれば 、 すぐ 、 おいそれと 書いて 下さる 事 は ない でしょう から ……」 「 あんな 豪 い 方って ―― 足立 が かい 」 「 そりゃ 、 あなた も 豪 い でしょう さ ―― しかし 向 は ともかくも 大学校 の 先生 です から 頭 を 下げたって 損 は ない でしょう 」 「 そう か 、 それ じゃ おおせ に 従って 、 もう 一 返 頼んで 見よう よ 。 ―― 時に 何時か な 。 や 、 大変だ 、 ちょっと 社 まで 行って 、 校正 を して こ なければ なら ない 。 袴 を 出して くれ 」 道也 先生 は 例 の ごとく 茶 の 千 筋 の 嘉平 治 を 木 枯 に ぺら つかす べく 一 着して 飄然 と 出て 行った 。 居間 の 柱 時計 が ぼん ぼん と 二 時 を 打つ 。 思う 事 積んで は 崩す 炭火 か な と 云 う 句 が ある が 、 細 君 は 恐らく 知る まい 。 細 君 は 道也 先生 の 丸 火 桶 の 前 へ 来て 、 火 桶 の 中 を 、 丸 る く 掻きならして いる 。 丸い 火 桶 だ から 丸く 掻きならす 。 角 な 火 桶 なら 角 に 掻きならす だろう 。 女 は 与えられた もの を 正しい もの と 考える 。 その なか で 差し当り の ない ように 暮らす の を 至 善 と 心得て いる 。 女 は 六角 の 火 桶 を 与えられて も 、 八 角 の 火鉢 を 与えられて も 、 六角 に また 八 角 に 灰 を 掻きならす 。 それ より 以上 の 見識 は 持た ぬ 。 立って も おら ぬ 、 坐って も おら ぬ 、 細 君 の 腰 は 宙 に 浮いて 、 膝頭 は 火 桶 の 縁 に つきつけられて いる 。 坐 わる に は 所 を 得 ない 、 立って は 考えられ ない 。 細 君 の 姿勢 は 中途 半 把 で 、 細 君 の 心 も 中途 半 把 である 。 考える と 嫁 に 来た の は 間違って いる 。 娘 の うち の 方 が 、 いくら 気楽で 面白かった か 知れ ぬ 。 人 の 女房 は こんな もの と 、 誰 か 教えて くれたら 、 来 ぬ 前 に よす はずであった 。 親 で さえ 、 あれほど に 親切 を 尽して くれた のだ から 、 二 世 の 契り と 掟 に さえ 出て いる 夫 は 、 二 重 に も 三重 に も 可愛がって くれる だろう 、 また 可愛がって 下さる よ と 受 合われて 、 住み 馴 れた 家 を 今日 限り と 出た 。 今日 限り と 出た 家 へ 二度と は 帰ら れ ない 。 帰ろう と 思って も お とっさ ん も お母さん も 亡くなって しまった 。 可愛がら れる 目的 は はずれて 、 可愛がって くれる 人 は もう この世 に いない 。 細 君 は 赤い 炭 団 の 、 灰 の 皮 を 剥いて 、 火箸 の 先 で 突つき 始めた 。 炭火 なら 崩して も 積む 事 が 出来る 。 突ついた 炭 団 は 壊れ たぎり 、 丸い 元 の 姿 に は 帰ら ぬ 。 細 君 は この 理 を 心得て いる だろう か 。 しきりに 突ついて いる 。 今 から 考えて 見る と 嫁 に 来た 時 の 覚悟 が 間違って いる 。 自分 が 嫁 に 来た の は 自分 の ため に 来た のである 。 夫 の ため と 云 う 考 は すこしも 持た なかった 。 吾 が 身 が 幸福に なりたい ばかりに 祝 言 の 盃 も した 。 父 、 母 も その つもり で 高砂 を 聴いて いた に 違 ない 。 思う 事 は みんな はずれた 。 この頃 の 模様 を 父 、 母 に 話したら 定め し 道也 はけ しから ぬ と 怒る であろう 。 自分 も 腹 の 中 で は 怒って いる 。 道也 は 夫 の 世話 を する の が 女房 の 役 だ と 済まして いる らしい 。 それ は こっち で 云 いたい 事 である 。 女 は 弱い もの 、 年 の 足ら ぬ もの 、 したがって 夫 の 世話 を 受 く べき もの である 。 夫 を 世話 する 以上 に 、 夫 から 世話 さ れる べき もの である 。 だから 夫 に 自分 の 云 う 通り に なれ と 云 う 。 夫 は けっして 聞き入れた 事 が ない 。 家庭 の 生涯 は むしろ 女房 の 生涯 である 。 道也 は 夫 の 生涯 と 心得て いる らしい 。 それ だ から 治まら ない 。 世間 の 夫 は 皆 道也 の ような もの か しら ん 。 みんな 道也 の ようだ と すれば 、 この先 結婚 を する 女 は だんだん 減る だろう 。 減ら ない ところ で 見る と ほか の 旦那 様 は 旦那 様 らしく して いる に 違 ない 。 広い 世界 に 自分 一 人 が こんな 思 を して いる か と 気 が つく と 生涯 の 不幸である 。 どうせ 嫁 に 来た からに は 出る 訳 に は 行か ぬ 。 しかし 連れ添う 夫 が こんな で は 、 臨終 まで 本当の 妻 と 云 う 心持ち が 起ら ぬ 。 これ は どうかせ ねば なら ぬ 。 どうにか して 夫 を 自分 の 考え 通り の 夫 に し なくて は 生きて いる 甲斐 が ない 。 ―― 細 君 は こう 思案 し ながら 、 火鉢 を いじ くって いる 。 風 が 枯 芭蕉 を 吹き 倒す ほど 鳴る 。 表 に 案内 が ある 。 寒 そうな 顔 を 玄関 の 障子 から 出す と 、 道也 の 兄 が 立って いる 。 細 君 は 「 おや 」 と 云った 。 道也 の 兄 は 会社 の 役員 である 。 その 会社 の 社長 は 中野 君 の おやじ である 。 長い 二 重 廻し を 玄関 へ 脱いで 座敷 へ 這 入って くる 。 「 だいぶ 吹きます ね 」 と 薄い 更紗 の 上 へ 坐って 抜け 上がった 額 を 逆に 撫でる 。 「 御 寒い の に よく 」 「 ええ 、 今日 は 社 の 方 が 早く 引けた もの だ から ……」 「 今 御 帰り掛け です か 」 「 いえ 、 いったん うち へ 帰って ね 。 それ から 出直して 来ました 。 どうも 洋服 だ と 坐って る の が 窮屈で ……」 兄 は 糸 織 の 小 袖 に 鉄 御 納戸 の 博多 の 羽織 を 着て いる 。 「 今日 は ―― 留守 です か 」 「 は あ 、 たった 今しがた 出ました 。 おっつけ 帰りましょう 。 どうぞ 御 緩く り 」 と 例の 火鉢 を 出す 。 「 もう 御 構 なさる な 。 ―― どうも なかなか 寒い 」 と 手 を 翳す 。 「 だんだん 押し詰り まして さぞ 御 忙 が しゅう 、 いらっしゃいましょう 」 「 へ 、 ありがとう 。 毎年 暮 に なる と 大 頭痛 、 ハハハハ 」 と 笑った 。 世の中 の 人 は おかしい 時 ばかり 笑う もの で は ない 。 「 でも 御 忙 が しい の は 結構で ……」 「 え 、 まあ 、 どう か 、 こう か やって る んです 。 ―― 時に 道也 は やはり 不 相 変です か 」 「 ありがとう 。 この 方 は ただ 忙 が しい ばかりで ……」 「 結構で ない か ね 。 ハハハハ 。 どうも 困った 男 です ねえ 、 御 政 さん 。 あれほど 訳 が わから ない と まで は 思わ なかった が 」 「 どうも 御 心配 ばかり 懸け まして 、 私 も いろいろ 申します が 、 女 の 云 う 事 だ と 思って ちっとも 取り上げません ので 、 まことに 困り 切ります 」 「 そう でしょう 、 私 の 云 う 事 だって 聞か ない んだ から 。 ―― わたし も 傍 に いる と つい 気 に なる から 、 つい とやかく 云 い たく なって ね 」 「 ご もっともで ございます と も 。 みんな 当人 の ため に おっしゃって 下さる 事 です から ……」 「 田舎 に いりゃ 、 それ まで です が 、 こっち に こうして いる と 、 当人 の 気 に いって も 、 いら なくって も 、 やっぱり 兄 の 義務 で ね 。 つい 云 い たく なる んです 。 ―― する と ちっとも 寄りつか ない 。 全く 変人 だ ね 。 おとなしく して 教師 を して いりゃ それ まで の 事 を 、 どこ へ 行って も 衝突 して ……」 「 あれ が 全く 心配で 、 私 も あの ため に は 、 どんなに 苦労 した か 分 りません 」 「 そう でしょう と も 。 わたし も 、 そりゃ よく 御 察し 申して いる んです 」 「 ありがとう ございます 。 いろいろ 御 厄介に ばかり なり まして 」 「 東京 へ 来て から でも 、 こんな くだら ん 事 を し ない でも 、 どうにでも 成る んで さあ 。 それ を せっかく 云って やる と 、 まるで 取り合わ ない 。 取り合わ ないで も いい から 、 自分 だけ 立派に やって行けば いい 」 「 それ を 私 も 申す ので ご ざん す けれども 」 「 いざ と なる と 、 やっぱり どうかして くれ と 云 うん でしょう 」 「 まことに 御 気の毒 さ まで ……」 「 いえ 、 あなた に 何も 云 う つもり は ない 。 当人 が さ 。 まるで 無鉄砲です から ね 。 大学 を 卒業 して 七八 年 に も なって 筆 耕 の 真似 を して いる もの が 、 どこ の 国 に いる もの です か 。 あれ の 友達 の 足立 なんて 人 は 大学 の 先生 に なって 立派に して いる じゃ ありません か 」 「 自分 だけ は あれ で なかなか えらい つもり で おります から 」 「 ハハハハ えらい つもり だって 。 いくら 一 人 で えら がったって 、 人 が 相手 に し なくっちゃ しようがない 」 「 近頃 は 少し どうかして いる んじゃ ない か と 思います 」 「 何とも 云 えません ね 。 ―― 何でも しきりに 金持 や なに か を 攻撃 する そうじゃ ありません か 。 馬鹿です ねえ 。 そんな 事 を したって どこ が 面白い 。 一 文 に ゃ なら ず 、 人 から は 擯斥 さ れる 。 つまり 自分 の 錆 に なる ばかりで さあ 」 「 少し は 人 の 云 う 事 でも 聞いて くれる と いい んです けれども 」 「 しまい に ゃ 人 に まで 迷惑 を かける 。 ―― 実は ね 、 きょう 社 でもって 赤面 しち まったん です が ね 。 課長 が 私 を 呼んで 聞けば 君 の 弟 だ そうだ が 、 あの 白井 道也 と か 云 う 男 は 無 暗に 不穏な 言論 を して 富豪 など を 攻撃 する 。 よく ない 事 だ 。 ちっと 君 から 注意 したら よかろうって 、 さんざん 叱ら れた んです 」 「 まあ どうも 。 どうして そんな 事 が 知れました んでしょう 」 「 そりゃ 、 会社 なんて もの は 、 それぞれ 探偵 が 届きます から ね 」 「 へえ 」 「 なに 道也 なん ぞ が 、 何 を かいたって 、 あんな 地位 の ない もの に 世間 が 取り合う 気遣 は ない が 、 課長 から そう 云 われて 見る と 、 放って 置けません から ね 」 「 ご もっともで 」 「 それ で 実は 今日 は 相談 に 来た んです が ね 」 「 生憎 出 まして 」 「 なに 当人 は いない 方 が かえって いい 。 あなた と 相談 さえ すれば いい 。 ―― で 、 わたし も 今 途中 で だんだん 考えて 来た んだ が 、 どうした もの でしょう 」 「 あなた から 、 とくと 異見 でも して いただいて 、 また 教師 に でも 奉職 したら 、 どんな もの で ございましょう 」 「 そうなれば いい です と も 。 あなた も 仕 合せ だ し 、 わたし も 安心だ 。 ―― しかし 異見 で おいそれと 、 云 う 通り に なる 男 じゃ ありません よ 」 「 そうで ご ざん す ね 。 あの 様子 じゃ 、 とても 駄目で ございましょう か 」 「 わたし の 鑑定 じゃ 、 とうてい 駄目だ 。 ―― それ で ここ に 一 つ の 策 が ある んだ が 、 どう でしょう 当人 の 方 から 雑誌 や 新聞 を やめて 、 教師 に なりたい と 云 う 気 を 起さ せる ように する の は 」 「 そうなれば 私 は 実に ありがたい のです が 、 どう したら 、 そう 旨 い 具合 に 参りましょう 」 「 あの この 間中 当人 が しきりに 書いて いた 本 は どう なりました 」 「 まだ そのまま に なって おります 」 「 まだ 売れ ないで す か 」 「 売れる どころ じゃ ございませ ん 。 どの 本屋 も みんな 断わります そうで 」 「 そう 。 それ が 売れ なけりゃ かえって 結構だ 」 「 え ? 」 「 売れ ない 方 が いい んです よ 。 ―― で 、 せんだって わたし が 周旋 した 百 円 の 期限 は もう じき でしょう 」 「 たしか この 月 の 十五 日 だ と 思います 」 「 今日 が 十一 日 だ から 。 十二 、 十三 、 十四 、 十五 、 と もう 四 日 です ね 」 「 ええ 」 「 あの 方 を 手厳しく 催促 さ せる のです 。 ―― 実は あなた だ から 、 今 打ち明けて 御 話し する が 、 あれ は 、 わたし が 印 を 押して いる 体 に は なって いる が 本当 は わたし が 融通 した のです 。 ―― そう し ない と 当人 が 安心 して いけない から 。 ―― それ で あの 方 を 今 云 う 通り 責める ―― 何 か ほか に 工面 の 出来る 所 が あります か 」 「 いいえ 、 ちっとも ございませ ん 」 「 じゃ 大丈夫 、 その方 で だんだん 責めて 行く 。 ―― いえ 、 わたし は 黙って 見て いる 。 証文 の 上 の 貸手 が 催促 に 来る のです 。 あなた も 済 して い なくっちゃ いけません 。 ―― 何 を 云って も 冷淡に 済まして い なくっちゃ いけません 。 けっして こちら から 、 一言 も 云 わ ない のです 。 ―― それ で 当人 いくら 頑固だって 苦しい から 、 また 、 わたし の 方 へ 頭 を 下げて 来る 。 いえ 来 なけりゃ なら ないで す 。 その 、 頭 を 下げて 来た 時 に 、 取って 抑える のです 。 いい です か 。 そう たよって 来る なら 、 おれ の 云 う 事 を 聞く が いい 。 聞か なければ おれ は 構わ ん 。 と 云 いや あ 、 向 でも 否 と は 云 われ んです 。 そこ で わたし が 、 御 政 さん だって 、 あんなに 苦労 して やって いる 。 雑誌 なんか で 法 螺 ばかり 吹き 立てて いたって 始まら ない 、 これ から 性根 を 入れかえて 、 もっと 着実な 世間 に 害 の ない ような 職業 を やれ 、 教師 に なる 気 なら 心当り を 奔走 して やろう 、 と 持ち 懸ける のです ね 。 ―― そう すれば きっと 我々 の 思わく 通り に なる と 思う が 、 どう でしょう 」 「 そうなれば 私 は どんなに 安心 が 出来る か 知れません 」 「 やって 見ましょう か 」 「 何分 宜しく 願います 」 「 じゃ 、 それ は きまった と 。 そこ で もう 一 つ ある んです が ね 。 今日 社 の 帰りがけ に 、 神田 を 通ったら 清 輝 館 の 前 に 、 大きな 広告 が あって 、 わたし は 吃 驚 させられました よ 」 「 何の 広告 で ご ざん す 」 「 演説 の 広告 な んです 。 ―― 演説 の 広告 は いい が 道也 が 演説 を やる んです ぜ 」 「 へえ 、 ちっとも 存じません でした 」 「 それ で 題 が 大きい から 面白い 、 現代 の 青年 に 告 ぐ と 云 うん です 。 まあ 何の 事 やら 、 あんな もの の 云 う 事 を 聞き に くる 青年 も な さ そうじゃ ありません か 。 しかし 剣 呑 です よ 。 やけに なって 何 を 云 うか 分 ら ない から 。 わたし も 課長 から 忠告 さ れた 矢先 だ から 、 すぐ 社 へ 電話 を かけて 置いた から 、 まあ 好 い です が 、 何なら 、 やらせ たく ない もの です ね 」 「 何の 演説 を やる つもりで ご ざんしょう 。 そんな 事 を やる と また 人様 に 御 迷惑 が かかりましょう ね 」 「 どうせ また 過激な 事 でも 云 う のです よ 。 無事に 済めば いい が 、 つまらない 事 を 云 おう もの なら 取って返し が つか ない から ね 。 ―― どうしても やめ させ なくっちゃ 、 いけない ね 」 「 どう したら やめる で ご ざんしょう 」 「 これ も よせったって 、 頑固だ から 、 よす 気遣 は ない 。 やっぱり 欺 す より 仕方 が ない でしょう 」 「 どうして 欺 したら いい でしょう 」 「 そう さ 。 あした 時刻 に わたし が 急用 で 逢いたい からって 使 を よこして 見ましょう か 」 「 そうで ご ざん す ね 。 それ で 、 あなた の 方 へ 参る ようだ と 宜しゅう ございます が ……」 「 聞か ない かも 知れません ね 。 聞か なければ それ まで さ 」 初冬 の 日 は もう 暗く なり かけた 。 道也 先生 は 風 の なか を 帰って くる 。


「十 」 野 分 夏目 漱石 じゅう|の|ぶん|なつめ|そうせき Ten" Nobe Natsume Soseki 《十》野分夏目漱石

道也 先生 長い 顔 を 長く して 煤 竹 で 囲った 丸 火 桶 を 擁して いる 。 みちや|せんせい|ながい|かお||ながく||すす|たけ||かこった|まる|ひ|おけ||ようして| 外 を 木 枯 が 吹いて 行く 。 がい||き|こ||ふいて|いく 「 あなた 」 と 次の 間 から 妻君 が 出て くる 。 ||つぎの|あいだ||さいくん||でて| 紬 の 羽織 の 襟 が 折れて いない 。 つむぎ||はおり||えり||おれて| 「 何 だ 」 と こっち を 向く 。 なん|||||むく 机 の 前 に おり ながら 、 終日 木 枯 に 吹き 曝さ れた か の ご とくに 見える 。 つくえ||ぜん||||しゅうじつ|き|こ||ふき|さらさ||||||みえる 「 本 は 売れた のです か 」 「 まだ 売れ ない よ 」 「 もう 一 ヵ 月 も 立てば 百 や 弐 百 の 金 は 這 入る 都合 だ と おっしゃった じゃ ありません か 」 「 うん 言った 。 ほん||うれた||||うれ||||ひと||つき||たてば|ひゃく||に|ひゃく||きむ||は|はいる|つごう|||||あり ませ ん|||いった 言った に は 相違 ない が 、 売れ ない 」 「 困る じゃ ご ざん せんか 」 「 困る よ 。 いった|||そうい|||うれ||こまる|||||こまる| 御前 より おれ の 方 が 困る 。 おまえ||||かた||こまる 困る から 今 考えて る んだ 」 「 だって 、 あんなに 骨 を 折って 、 三百 枚 も 出来て る もの を ――」 「 三百 枚 どころ か 四百三十五 頁 ある 」 「 それ で 、 どうして 売れ ない んでしょう 」 「 やっぱり 不景気な んだろう よ 」 「 だろう よ じゃ 困ります わ 。 こまる||いま|かんがえて|||||こつ||おって|さんびゃく|まい||できて||||さんびゃく|まい|||しひゃくさんじゅうご|ぺーじ|||||うれ||||ふけいきな||||||こまり ます| どうか 出来 ない でしょう か 」 「 南 溟堂 へ 持って行った 時 に は 、 有名な 人 の 御 序文 が あれば と 云 う から 、 それ から 足立 なら 大学 教授 だ から 、 よかろう と 思って 、 足立 に たのんだ の さ 。 |でき||||みなみ|めいどう||もっていった|じ|||ゆうめいな|じん||ご|じょぶん||||うん|||||あだち||だいがく|きょうじゅ|||||おもって|あだち|||| 本 も 借金 と 同じ 事 で 保証人 が ない と 駄目だ ぜ 」 「 借金 は 借りる んだ から 保証人 も いる でしょう が ――」 と 妻君 頭 の なか へ 人 指 ゆび を 入れて ぐいぐい 掻く 。 ほん||しゃっきん||おなじ|こと||ほしょうにん||||だめだ||しゃっきん||かりる|||ほしょうにん||||||さいくん|あたま||||じん|ゆび|||いれて||かく 束 髪 が 揺れる 。 たば|かみ||ゆれる 道也 は その 頭 を 見て いる 。 みちや|||あたま||みて| 「 近頃 の 本 は 借金 同様だ 。 ちかごろ||ほん||しゃっきん|どうようだ 信用 の ない もの は 連帯 責任 で ない と 出版 が 出来 ない 」 「 本当に つまらない わ ね 。 しんよう|||||れんたい|せきにん||||しゅっぱん||でき||ほんとうに||| あんなに 夜 遅く まで かかって 」 「 そんな 事 は 本屋 の 知ら ん 事 だ 」 「 本屋 は 知ら ない でしょう さ 。 |よ|おそく||||こと||ほんや||しら||こと||ほんや||しら||| しかし あなた は 御存じ でしょう 」 「 ハハハハ 当人 は 知って る よ 。 |||ごぞんじ|||とうにん||しって|| 御前 も 知って る だろう 」 「 知って る から 云 う ので さあ ね 」 「 言って くれて も 信用 が ない んだ から 仕方 が ない 」 「 それ で どう なさる の 」 「 だ から 足立 の 所 へ 持って行った んだ よ 」 「 足立 さん が 書いて やる と おっしゃって 」 「 うん 、 書く ような 事 を 云 う から 置いて 来たら 、 また あと から 書け ないって 断わって 来た 」 「 なぜ でしょう 」 「 なぜ だ か 知ら ない 。 おまえ||しって|||しって|||うん|||||いって|||しんよう|||||しかた||||||||||あだち||しょ||もっていった|||あだち|||かいて|||||かく||こと||うん|||おいて|きたら||||かけ|ない って|ことわって|きた||||||しら| 厭 な のだろう 」 「 それ で あなた は そのまま に して 御 置き に なる んです か 」 「 うん 、 書かん の を 無理に 頼む 必要 は ない さ 」 「 でも それ じゃ 、 うち の 方 が 困ります わ 。 いと||||||||||ご|おき||||||しょかん|||むりに|たのむ|ひつよう|||||||||かた||こまり ます| この 間 御 兄さん に 判 を 押して 借りて 頂いた 御 金 も もう 期限 が 切れる んです から 」 「 おれ も その方 を 埋める つもりで いたんだ が ―― 売れ ない から 仕方 が ない 」 「 馬鹿馬鹿しい の ね 。 |あいだ|ご|にいさん||はん||おして|かりて|いただいた|ご|きむ|||きげん||きれる|||||そのほう||うずめる||||うれ|||しかた|||ばかばかしい|| 何の ため に 骨 を 折った んだ か 、 分 り ゃし ない 」 道也 先生 は 火 桶 の なか の 炭 団 を 火箸 の 先 で 突つき ながら 「 御前 から 見れば 馬鹿馬鹿しい の さ 」 と 云った 。 なんの|||こつ||おった|||ぶん||||みちや|せんせい||ひ|おけ||||すみ|だん||ひばし||さき||つつき||おまえ||みれば|ばかばかしい||||うん った 妻君 は だまって しまう 。 さいくん||| ひ ゅう ひ ゅう と 木 枯 が 吹く 。 |||||き|こ||ふく 玄関 の 障子 の 破れ が 紙 鳶 の うなり の ように 鳴る 。 げんかん||しょうじ||やぶれ||かみ|とび|||||なる 「 あなた 、 いつまで こうして いらっしゃる の 」 と 細 君 は 術 なげ に 聞いた 。 ||||||ほそ|きみ||じゅつ|||きいた 「 いつまで と も 考 は ない 。 |||こう|| 食えれば いつまで こうして いたって いい じゃ ない か 」 「 二 言 目 に は 食えれば 食えれば と おっしゃる が 、 今 こそ 、 どうにか こう に かして 行きます けれども 、 このぶん で 押して 行けば 今に 食べられ なく なります よ 」 「 そんなに 心配 する の かい 」 細 君 は むっと した 様子 である 。 くえれば||||||||ふた|げん|め|||くえれば|くえれば||||いま||||||いき ます||||おして|いけば|いまに|たべ られ||なり ます|||しんぱい||||ほそ|きみ||||ようす| 「 だって 、 あなた も 、 あんまり 無 考 じゃ ご ざん せ ん か 。 ||||む|こう|||||| 楽に 暮 せる 教師 の 口 は みんな 断って おしまい な すって 、 そうして 何でも 筆 で 食う と 頑固 を 御 張り に なる んです もの 」 「 その 通り だ よ 。 らくに|くら||きょうし||くち|||たって|||||なんでも|ふで||くう||がんこ||ご|はり||||||とおり|| 筆 で 食う つもりな んだ よ 。 ふで||くう||| 御前 も その つもり に する が いい 」 「 食べる もの が 食べられれば 私 だって その つもり に なります わ 。 おまえ||||||||たべる|||たべ られれば|わたくし|||||なり ます| 私 も 女房 です もの 、 あなた の 御 好きで お やり に なる 事 を とやかく 云 う ような 差し出口 は きき ゃあ しません 」 「 それ じゃ 、 それ で いい じゃ ない か 」 「 だって 食べられ ない んです もの 」 「 たべられる よ 」 「 随分 ね 、 あなた も 。 わたくし||にょうぼう|||||ご|すきで|||||こと|||うん|||さしでぐち||||し ませ ん||||||||||たべ られ||||たべ られる||ずいぶん||| 現に 教師 を して いた 方 が 楽で 、 今 の 方 が よっぽど 苦しい じゃ ありません か 。 げんに|きょうし||||かた||らくで|いま||かた|||くるしい||あり ませ ん| あなた は やっぱり 教師 の 方 が 御 上手な んです よ 。 |||きょうし||かた||ご|じょうずな|| 書く 方 は 性 に 合わ ない んです よ 」 「 よく そんな 事 が わかる な 」 細 君 は 俯 向いて 、 袂 から 鼻 紙 を 出して ち い ん と 鼻 を かんだ 。 かく|かた||せい||あわ||||||こと||||ほそ|きみ||うつむ|むいて|たもと||はな|かみ||だして|||||はな|| 「 私 ばかり じゃ 、 ありません わ 。 わたくし|||あり ませ ん| 御 兄さん だって 、 そう おっしゃる じゃ ありません か 」 「 御前 は 兄 の 云 う 事 を そう 信用 して いる の か 」 「 信用 したって いい じゃ ありません か 、 御 兄さん です もの 、 そうして 、 あんなに 立派に して いらっしゃる んです もの 」 「 そう か 」 と 云った なり 道也 先生 は 火鉢 の 灰 を 丁寧に 掻きならす 。 ご|にいさん|||||あり ませ ん||おまえ||あに||うん||こと|||しんよう|||||しんよう||||あり ませ ん||ご|にいさん|||||りっぱに||||||||うん った||みちや|せんせい||ひばち||はい||ていねいに|かきならす 中 から 二 寸 釘 が 灰 だらけ に なって 出る 。 なか||ふた|すん|くぎ||はい||||でる 道也 先生 は 、 曲った 真鍮 の 火箸 で 二 寸 釘 を つまみ ながら 、 片手 に 障子 を あけて 、 ほ いと 庭先 へ 抛 り 出した 。 みちや|せんせい||まがった|しんちゅう||ひばし||ふた|すん|くぎ||||かたて||しょうじ|||||にわさき||なげう||だした 庭 に は 何にも ない 。 にわ|||なんにも| 芭蕉 が ずたずたに 切れて 、 茶色 ながら 立往生 を して いる 。 ばしょう|||きれて|ちゃいろ||たちおうじょう||| 地面 は 皮 が 剥けて 、 蓆 を 捲 き かけた ように 反っくり返って いる 。 じめん||かわ||むけて|むしろ||まく||||そっくりかえって| 道也 先生 は 庭 の 面 を 眺め ながら 「 だいぶ 吹いて る な 」 と 独 語 の ように 云った 。 みちや|せんせい||にわ||おもて||ながめ|||ふいて||||どく|ご|||うん った 「 もう 一 遍 足立 さん に 願って 御覧 に なったら どう でしょう 」 「 厭 な もの に 頼んだって 仕方 が ない さ 」 「 あなた は 、 それ だ から 困る の ね 。 |ひと|へん|あだち|||ねがって|ごらん|||||いと||||たのんだ って|しかた|||||||||こまる|| どうせ 、 あんな 、 豪 い 方 に なれば 、 すぐ 、 おいそれと 書いて 下さる 事 は ない でしょう から ……」 「 あんな 豪 い 方って ―― 足立 が かい 」 「 そりゃ 、 あなた も 豪 い でしょう さ ―― しかし 向 は ともかくも 大学校 の 先生 です から 頭 を 下げたって 損 は ない でしょう 」 「 そう か 、 それ じゃ おおせ に 従って 、 もう 一 返 頼んで 見よう よ 。 ||たけし||かた|||||かいて|くださる|こと||||||たけし||かた って|あだち||||||たけし|||||むかい|||だいがっこう||せんせい|||あたま||さげた って|そん||||||||||したがって||ひと|かえ|たのんで|みよう| ―― 時に 何時か な 。 ときに|いつか| や 、 大変だ 、 ちょっと 社 まで 行って 、 校正 を して こ なければ なら ない 。 |たいへんだ||しゃ||おこなって|こうせい|||||| 袴 を 出して くれ 」 道也 先生 は 例 の ごとく 茶 の 千 筋 の 嘉平 治 を 木 枯 に ぺら つかす べく 一 着して 飄然 と 出て 行った 。 はかま||だして||みちや|せんせい||れい|||ちゃ||せん|すじ||かへい|ち||き|こ|||||ひと|ちゃくして|ひょうぜん||でて|おこなった 居間 の 柱 時計 が ぼん ぼん と 二 時 を 打つ 。 いま||ちゅう|とけい|||||ふた|じ||うつ 思う 事 積んで は 崩す 炭火 か な と 云 う 句 が ある が 、 細 君 は 恐らく 知る まい 。 おもう|こと|つんで||くずす|すみび||||うん||く||||ほそ|きみ||おそらく|しる| 細 君 は 道也 先生 の 丸 火 桶 の 前 へ 来て 、 火 桶 の 中 を 、 丸 る く 掻きならして いる 。 ほそ|きみ||みちや|せんせい||まる|ひ|おけ||ぜん||きて|ひ|おけ||なか||まる|||かきならして| 丸い 火 桶 だ から 丸く 掻きならす 。 まるい|ひ|おけ|||まるく|かきならす 角 な 火 桶 なら 角 に 掻きならす だろう 。 かど||ひ|おけ||かど||かきならす| 女 は 与えられた もの を 正しい もの と 考える 。 おんな||あたえ られた|||ただしい|||かんがえる その なか で 差し当り の ない ように 暮らす の を 至 善 と 心得て いる 。 |||さしあたり||||くらす|||いたる|ぜん||こころえて| 女 は 六角 の 火 桶 を 与えられて も 、 八 角 の 火鉢 を 与えられて も 、 六角 に また 八 角 に 灰 を 掻きならす 。 おんな||ろっかく||ひ|おけ||あたえ られて||やっ|かど||ひばち||あたえ られて||ろっかく|||やっ|かど||はい||かきならす それ より 以上 の 見識 は 持た ぬ 。 ||いじょう||けんしき||もた| 立って も おら ぬ 、 坐って も おら ぬ 、 細 君 の 腰 は 宙 に 浮いて 、 膝頭 は 火 桶 の 縁 に つきつけられて いる 。 たって||||すわって||||ほそ|きみ||こし||ちゅう||ういて|ひざがしら||ひ|おけ||えん||つきつけ られて| 坐 わる に は 所 を 得 ない 、 立って は 考えられ ない 。 すわ||||しょ||とく||たって||かんがえ られ| 細 君 の 姿勢 は 中途 半 把 で 、 細 君 の 心 も 中途 半 把 である 。 ほそ|きみ||しせい||ちゅうと|はん|わ||ほそ|きみ||こころ||ちゅうと|はん|わ| 考える と 嫁 に 来た の は 間違って いる 。 かんがえる||よめ||きた|||まちがって| 娘 の うち の 方 が 、 いくら 気楽で 面白かった か 知れ ぬ 。 むすめ||||かた|||きらくで|おもしろかった||しれ| 人 の 女房 は こんな もの と 、 誰 か 教えて くれたら 、 来 ぬ 前 に よす はずであった 。 じん||にょうぼう|||||だれ||おしえて||らい||ぜん||| 親 で さえ 、 あれほど に 親切 を 尽して くれた のだ から 、 二 世 の 契り と 掟 に さえ 出て いる 夫 は 、 二 重 に も 三重 に も 可愛がって くれる だろう 、 また 可愛がって 下さる よ と 受 合われて 、 住み 馴 れた 家 を 今日 限り と 出た 。 おや|||||しんせつ||つくして||||ふた|よ||ちぎり||おきて|||でて||おっと||ふた|おも|||みえ|||かわいがって||||かわいがって|くださる|||じゅ|あわ れて|すみ|じゅん||いえ||きょう|かぎり||でた 今日 限り と 出た 家 へ 二度と は 帰ら れ ない 。 きょう|かぎり||でた|いえ||にどと||かえら|| 帰ろう と 思って も お とっさ ん も お母さん も 亡くなって しまった 。 かえろう||おもって||||||お かあさん||なくなって| 可愛がら れる 目的 は はずれて 、 可愛がって くれる 人 は もう この世 に いない 。 かわいがら||もくてき|||かわいがって||じん|||このよ|| 細 君 は 赤い 炭 団 の 、 灰 の 皮 を 剥いて 、 火箸 の 先 で 突つき 始めた 。 ほそ|きみ||あかい|すみ|だん||はい||かわ||むいて|ひばし||さき||つつき|はじめた 炭火 なら 崩して も 積む 事 が 出来る 。 すみび||くずして||つむ|こと||できる 突ついた 炭 団 は 壊れ たぎり 、 丸い 元 の 姿 に は 帰ら ぬ 。 つついた|すみ|だん||こぼれ||まるい|もと||すがた|||かえら| 細 君 は この 理 を 心得て いる だろう か 。 ほそ|きみ|||り||こころえて||| しきりに 突ついて いる 。 |つついて| 今 から 考えて 見る と 嫁 に 来た 時 の 覚悟 が 間違って いる 。 いま||かんがえて|みる||よめ||きた|じ||かくご||まちがって| 自分 が 嫁 に 来た の は 自分 の ため に 来た のである 。 じぶん||よめ||きた|||じぶん||||きた| 夫 の ため と 云 う 考 は すこしも 持た なかった 。 おっと||||うん||こう|||もた| 吾 が 身 が 幸福に なりたい ばかりに 祝 言 の 盃 も した 。 われ||み||こうふくに|なり たい||いわい|げん||さかずき|| 父 、 母 も その つもり で 高砂 を 聴いて いた に 違 ない 。 ちち|はは|||||たかさご||きいて|||ちが| 思う 事 は みんな はずれた 。 おもう|こと||| この頃 の 模様 を 父 、 母 に 話したら 定め し 道也 はけ しから ぬ と 怒る であろう 。 このごろ||もよう||ちち|はは||はなしたら|さだめ||みちや||し から|||いかる| 自分 も 腹 の 中 で は 怒って いる 。 じぶん||はら||なか|||いかって| 道也 は 夫 の 世話 を する の が 女房 の 役 だ と 済まして いる らしい 。 みちや||おっと||せわ|||||にょうぼう||やく|||すまして|| それ は こっち で 云 いたい 事 である 。 ||||うん|い たい|こと| 女 は 弱い もの 、 年 の 足ら ぬ もの 、 したがって 夫 の 世話 を 受 く べき もの である 。 おんな||よわい||とし||たら||||おっと||せわ||じゅ|||| 夫 を 世話 する 以上 に 、 夫 から 世話 さ れる べき もの である 。 おっと||せわ||いじょう||おっと||せわ||||| だから 夫 に 自分 の 云 う 通り に なれ と 云 う 。 |おっと||じぶん||うん||とおり||||うん| 夫 は けっして 聞き入れた 事 が ない 。 おっと|||ききいれた|こと|| 家庭 の 生涯 は むしろ 女房 の 生涯 である 。 かてい||しょうがい|||にょうぼう||しょうがい| 道也 は 夫 の 生涯 と 心得て いる らしい 。 みちや||おっと||しょうがい||こころえて|| それ だ から 治まら ない 。 |||おさまら| 世間 の 夫 は 皆 道也 の ような もの か しら ん 。 せけん||おっと||みな|みちや|||||| みんな 道也 の ようだ と すれば 、 この先 結婚 を する 女 は だんだん 減る だろう 。 |みちや|||||このさき|けっこん|||おんな|||へる| 減ら ない ところ で 見る と ほか の 旦那 様 は 旦那 様 らしく して いる に 違 ない 。 へら||||みる||||だんな|さま||だんな|さま|||||ちが| 広い 世界 に 自分 一 人 が こんな 思 を して いる か と 気 が つく と 生涯 の 不幸である 。 ひろい|せかい||じぶん|ひと|じん|||おも||||||き||||しょうがい||ふこうである どうせ 嫁 に 来た からに は 出る 訳 に は 行か ぬ 。 |よめ||きた|||でる|やく|||いか| しかし 連れ添う 夫 が こんな で は 、 臨終 まで 本当の 妻 と 云 う 心持ち が 起ら ぬ 。 |つれそう|おっと|||||りんじゅう||ほんとうの|つま||うん||こころもち||おこら| これ は どうかせ ねば なら ぬ 。 どうにか して 夫 を 自分 の 考え 通り の 夫 に し なくて は 生きて いる 甲斐 が ない 。 ||おっと||じぶん||かんがえ|とおり||おっと|||||いきて||かい|| ―― 細 君 は こう 思案 し ながら 、 火鉢 を いじ くって いる 。 ほそ|きみ|||しあん|||ひばち|||| 風 が 枯 芭蕉 を 吹き 倒す ほど 鳴る 。 かぜ||こ|ばしょう||ふき|たおす||なる 表 に 案内 が ある 。 ひょう||あんない|| 寒 そうな 顔 を 玄関 の 障子 から 出す と 、 道也 の 兄 が 立って いる 。 さむ|そう な|かお||げんかん||しょうじ||だす||みちや||あに||たって| 細 君 は 「 おや 」 と 云った 。 ほそ|きみ||||うん った 道也 の 兄 は 会社 の 役員 である 。 みちや||あに||かいしゃ||やくいん| その 会社 の 社長 は 中野 君 の おやじ である 。 |かいしゃ||しゃちょう||なかの|きみ||| 長い 二 重 廻し を 玄関 へ 脱いで 座敷 へ 這 入って くる 。 ながい|ふた|おも|まわし||げんかん||ぬいで|ざしき||は|はいって| 「 だいぶ 吹きます ね 」 と 薄い 更紗 の 上 へ 坐って 抜け 上がった 額 を 逆に 撫でる 。 |ふき ます|||うすい|さらさ||うえ||すわって|ぬけ|あがった|がく||ぎゃくに|なでる 「 御 寒い の に よく 」 「 ええ 、 今日 は 社 の 方 が 早く 引けた もの だ から ……」 「 今 御 帰り掛け です か 」 「 いえ 、 いったん うち へ 帰って ね 。 ご|さむい|||||きょう||しゃ||かた||はやく|ひけた||||いま|ご|かえりがけ|||||||かえって| それ から 出直して 来ました 。 ||でなおして|き ました どうも 洋服 だ と 坐って る の が 窮屈で ……」 兄 は 糸 織 の 小 袖 に 鉄 御 納戸 の 博多 の 羽織 を 着て いる 。 |ようふく|||すわって||||きゅうくつで|あに||いと|お||しょう|そで||くろがね|ご|なんど||はかた||はおり||きて| 「 今日 は ―― 留守 です か 」 「 は あ 、 たった 今しがた 出ました 。 きょう||るす||||||いましがた|で ました おっつけ 帰りましょう 。 |かえり ましょう どうぞ 御 緩く り 」 と 例の 火鉢 を 出す 。 |ご|ゆるく|||れいの|ひばち||だす 「 もう 御 構 なさる な 。 |ご|かま|| ―― どうも なかなか 寒い 」 と 手 を 翳す 。 ||さむい||て||かざす 「 だんだん 押し詰り まして さぞ 御 忙 が しゅう 、 いらっしゃいましょう 」 「 へ 、 ありがとう 。 |おしつまり|||ご|ぼう|||いらっしゃい ましょう|| 毎年 暮 に なる と 大 頭痛 、 ハハハハ 」 と 笑った 。 まいとし|くら||||だい|ずつう|||わらった 世の中 の 人 は おかしい 時 ばかり 笑う もの で は ない 。 よのなか||じん|||じ||わらう|||| 「 でも 御 忙 が しい の は 結構で ……」 「 え 、 まあ 、 どう か 、 こう か やって る んです 。 |ご|ぼう|||||けっこうで||||||||| ―― 時に 道也 は やはり 不 相 変です か 」 「 ありがとう 。 ときに|みちや|||ふ|そう|へんです|| この 方 は ただ 忙 が しい ばかりで ……」 「 結構で ない か ね 。 |かた|||ぼう||||けっこうで||| ハハハハ 。 どうも 困った 男 です ねえ 、 御 政 さん 。 |こまった|おとこ|||ご|まつりごと| あれほど 訳 が わから ない と まで は 思わ なかった が 」 「 どうも 御 心配 ばかり 懸け まして 、 私 も いろいろ 申します が 、 女 の 云 う 事 だ と 思って ちっとも 取り上げません ので 、 まことに 困り 切ります 」 「 そう でしょう 、 私 の 云 う 事 だって 聞か ない んだ から 。 |やく|||||||おもわ||||ご|しんぱい||かけ||わたくし|||もうし ます||おんな||うん||こと|||おもって||とりあげ ませ ん|||こまり|きり ます|||わたくし||うん||こと||きか||| ―― わたし も 傍 に いる と つい 気 に なる から 、 つい とやかく 云 い たく なって ね 」 「 ご もっともで ございます と も 。 ||そば|||||き||||||うん||||||||| みんな 当人 の ため に おっしゃって 下さる 事 です から ……」 「 田舎 に いりゃ 、 それ まで です が 、 こっち に こうして いる と 、 当人 の 気 に いって も 、 いら なくって も 、 やっぱり 兄 の 義務 で ね 。 |とうにん|||||くださる|こと|||いなか||||||||||||とうにん||き|||||なく って|||あに||ぎむ|| つい 云 い たく なる んです 。 |うん|||| ―― する と ちっとも 寄りつか ない 。 |||よりつか| 全く 変人 だ ね 。 まったく|へんじん|| おとなしく して 教師 を して いりゃ それ まで の 事 を 、 どこ へ 行って も 衝突 して ……」 「 あれ が 全く 心配で 、 私 も あの ため に は 、 どんなに 苦労 した か 分 りません 」 「 そう でしょう と も 。 ||きょうし|||||||こと||||おこなって||しょうとつ||||まったく|しんぱいで|わたくし|||||||くろう|||ぶん|り ませ ん|||| わたし も 、 そりゃ よく 御 察し 申して いる んです 」 「 ありがとう ございます 。 ||||ご|さっし|もうして|||| いろいろ 御 厄介に ばかり なり まして 」 「 東京 へ 来て から でも 、 こんな くだら ん 事 を し ない でも 、 どうにでも 成る んで さあ 。 |ご|やっかいに||||とうきょう||きて||||||こと||||||なる|| それ を せっかく 云って やる と 、 まるで 取り合わ ない 。 |||うん って||||とりあわ| 取り合わ ないで も いい から 、 自分 だけ 立派に やって行けば いい 」 「 それ を 私 も 申す ので ご ざん す けれども 」 「 いざ と なる と 、 やっぱり どうかして くれ と 云 うん でしょう 」 「 まことに 御 気の毒 さ まで ……」 「 いえ 、 あなた に 何も 云 う つもり は ない 。 とりあわ|||||じぶん||りっぱに|やっていけば||||わたくし||もうす||||||||||||||うん||||ご|きのどく||||||なにも|うん|||| 当人 が さ 。 とうにん|| まるで 無鉄砲です から ね 。 |むてっぽうです|| 大学 を 卒業 して 七八 年 に も なって 筆 耕 の 真似 を して いる もの が 、 どこ の 国 に いる もの です か 。 だいがく||そつぎょう||しちはち|とし||||ふで|たがや||まね||||||||くに||||| あれ の 友達 の 足立 なんて 人 は 大学 の 先生 に なって 立派に して いる じゃ ありません か 」 「 自分 だけ は あれ で なかなか えらい つもり で おります から 」 「 ハハハハ えらい つもり だって 。 ||ともだち||あだち||じん||だいがく||せんせい|||りっぱに||||あり ませ ん||じぶん|||||||||おり ます||||| いくら 一 人 で えら がったって 、 人 が 相手 に し なくっちゃ しようがない 」 「 近頃 は 少し どうかして いる んじゃ ない か と 思います 」 「 何とも 云 えません ね 。 |ひと|じん|||がった って|じん||あいて|||||ちかごろ||すこし|||||||おもい ます|なんとも|うん|え ませ ん| ―― 何でも しきりに 金持 や なに か を 攻撃 する そうじゃ ありません か 。 なんでも||かねもち|||||こうげき||そう じゃ|あり ませ ん| 馬鹿です ねえ 。 ばかです| そんな 事 を したって どこ が 面白い 。 |こと|||||おもしろい 一 文 に ゃ なら ず 、 人 から は 擯斥 さ れる 。 ひと|ぶん|||||じん|||ひんせき|| つまり 自分 の 錆 に なる ばかりで さあ 」 「 少し は 人 の 云 う 事 でも 聞いて くれる と いい んです けれども 」 「 しまい に ゃ 人 に まで 迷惑 を かける 。 |じぶん||さび|||||すこし||じん||うん||こと||きいて|||||||||じん|||めいわく|| ―― 実は ね 、 きょう 社 でもって 赤面 しち まったん です が ね 。 じつは|||しゃ|でも って|せきめん||||| 課長 が 私 を 呼んで 聞けば 君 の 弟 だ そうだ が 、 あの 白井 道也 と か 云 う 男 は 無 暗に 不穏な 言論 を して 富豪 など を 攻撃 する 。 かちょう||わたくし||よんで|きけば|きみ||おとうと||そう だ|||しらい|みちや|||うん||おとこ||む|あんに|ふおんな|げんろん|||ふごう|||こうげき| よく ない 事 だ 。 ||こと| ちっと 君 から 注意 したら よかろうって 、 さんざん 叱ら れた んです 」 「 まあ どうも 。 ち っと|きみ||ちゅうい||よかろう って||しから|||| どうして そんな 事 が 知れました んでしょう 」 「 そりゃ 、 会社 なんて もの は 、 それぞれ 探偵 が 届きます から ね 」 「 へえ 」 「 なに 道也 なん ぞ が 、 何 を かいたって 、 あんな 地位 の ない もの に 世間 が 取り合う 気遣 は ない が 、 課長 から そう 云 われて 見る と 、 放って 置けません から ね 」 「 ご もっともで 」 「 それ で 実は 今日 は 相談 に 来た んです が ね 」 「 生憎 出 まして 」 「 なに 当人 は いない 方 が かえって いい 。 ||こと||しれ ました|||かいしゃ|||||たんてい||とどき ます|||||みちや||||なん||かいた って||ちい|||||せけん||とりあう|きづか||||かちょう|||うん||みる||はなって|おけ ませ ん|||||||じつは|きょう||そうだん||きた||||あいにく|だ|||とうにん|||かた||| あなた と 相談 さえ すれば いい 。 ||そうだん||| ―― で 、 わたし も 今 途中 で だんだん 考えて 来た んだ が 、 どうした もの でしょう 」 「 あなた から 、 とくと 異見 でも して いただいて 、 また 教師 に でも 奉職 したら 、 どんな もの で ございましょう 」 「 そうなれば いい です と も 。 |||いま|とちゅう|||かんがえて|きた|||||||||いけん|||||きょうし|||ほうしょく||||||そう なれば|||| あなた も 仕 合せ だ し 、 わたし も 安心だ 。 ||し|あわせ|||||あんしんだ ―― しかし 異見 で おいそれと 、 云 う 通り に なる 男 じゃ ありません よ 」 「 そうで ご ざん す ね 。 |いけん|||うん||とおり|||おとこ||あり ませ ん||そう で|||| あの 様子 じゃ 、 とても 駄目で ございましょう か 」 「 わたし の 鑑定 じゃ 、 とうてい 駄目だ 。 |ようす|||だめで|||||かんてい|||だめだ ―― それ で ここ に 一 つ の 策 が ある んだ が 、 どう でしょう 当人 の 方 から 雑誌 や 新聞 を やめて 、 教師 に なりたい と 云 う 気 を 起さ せる ように する の は 」 「 そうなれば 私 は 実に ありがたい のです が 、 どう したら 、 そう 旨 い 具合 に 参りましょう 」 「 あの この 間中 当人 が しきりに 書いて いた 本 は どう なりました 」 「 まだ そのまま に なって おります 」 「 まだ 売れ ないで す か 」 「 売れる どころ じゃ ございませ ん 。 ||||ひと|||さく|||||||とうにん||かた||ざっし||しんぶん|||きょうし||なり たい||うん||き||おこさ||||||そう なれば|わたくし||じつに|||||||むね||ぐあい||まいり ましょう|||まなか|とうにん|||かいて||ほん|||なり ました|||||おり ます||うれ||||うれる|||| どの 本屋 も みんな 断わります そうで 」 「 そう 。 |ほんや|||ことわり ます|そう で| それ が 売れ なけりゃ かえって 結構だ 」 「 え ? ||うれ|||けっこうだ| 」 「 売れ ない 方 が いい んです よ 。 うれ||かた|||| ―― で 、 せんだって わたし が 周旋 した 百 円 の 期限 は もう じき でしょう 」 「 たしか この 月 の 十五 日 だ と 思います 」 「 今日 が 十一 日 だ から 。 ||||しゅうせん||ひゃく|えん||きげん|||||||つき||じゅうご|ひ|||おもい ます|きょう||じゅういち|ひ|| 十二 、 十三 、 十四 、 十五 、 と もう 四 日 です ね 」 「 ええ 」 「 あの 方 を 手厳しく 催促 さ せる のです 。 じゅうに|じゅうさん|じゅうよん|じゅうご|||よっ|ひ|||||かた||てきびしく|さいそく||| ―― 実は あなた だ から 、 今 打ち明けて 御 話し する が 、 あれ は 、 わたし が 印 を 押して いる 体 に は なって いる が 本当 は わたし が 融通 した のです 。 じつは||||いま|うちあけて|ご|はなし|||||||いん||おして||からだ||||||ほんとう||||ゆうずう|| ―― そう し ない と 当人 が 安心 して いけない から 。 ||||とうにん||あんしん||| ―― それ で あの 方 を 今 云 う 通り 責める ―― 何 か ほか に 工面 の 出来る 所 が あります か 」 「 いいえ 、 ちっとも ございませ ん 」 「 じゃ 大丈夫 、 その方 で だんだん 責めて 行く 。 |||かた||いま|うん||とおり|せめる|なん||||くめん||できる|しょ||あり ます|||||||だいじょうぶ|そのほう|||せめて|いく ―― いえ 、 わたし は 黙って 見て いる 。 |||だまって|みて| 証文 の 上 の 貸手 が 催促 に 来る のです 。 しょうもん||うえ||かして||さいそく||くる| あなた も 済 して い なくっちゃ いけません 。 ||す||||いけ ませ ん ―― 何 を 云って も 冷淡に 済まして い なくっちゃ いけません 。 なん||うん って||れいたんに|すまして|||いけ ませ ん けっして こちら から 、 一言 も 云 わ ない のです 。 |||いちげん||うん||| ―― それ で 当人 いくら 頑固だって 苦しい から 、 また 、 わたし の 方 へ 頭 を 下げて 来る 。 ||とうにん||がんこ だって|くるしい|||||かた||あたま||さげて|くる いえ 来 なけりゃ なら ないで す 。 |らい|||| その 、 頭 を 下げて 来た 時 に 、 取って 抑える のです 。 |あたま||さげて|きた|じ||とって|おさえる| いい です か 。 そう たよって 来る なら 、 おれ の 云 う 事 を 聞く が いい 。 ||くる||||うん||こと||きく|| 聞か なければ おれ は 構わ ん 。 きか||||かまわ| と 云 いや あ 、 向 でも 否 と は 云 われ んです 。 |うん|||むかい||いな|||うん|| そこ で わたし が 、 御 政 さん だって 、 あんなに 苦労 して やって いる 。 ||||ご|まつりごと||||くろう||| 雑誌 なんか で 法 螺 ばかり 吹き 立てて いたって 始まら ない 、 これ から 性根 を 入れかえて 、 もっと 着実な 世間 に 害 の ない ような 職業 を やれ 、 教師 に なる 気 なら 心当り を 奔走 して やろう 、 と 持ち 懸ける のです ね 。 ざっし|||ほう|ねじ||ふき|たてて||はじまら||||しょうね||いれかえて||ちゃくじつな|せけん||がい||||しょくぎょう|||きょうし|||き||こころあたり||ほんそう||||もち|かける|| ―― そう すれば きっと 我々 の 思わく 通り に なる と 思う が 、 どう でしょう 」 「 そうなれば 私 は どんなに 安心 が 出来る か 知れません 」 「 やって 見ましょう か 」 「 何分 宜しく 願います 」 「 じゃ 、 それ は きまった と 。 |||われわれ||おもわく|とおり||||おもう||||そう なれば|わたくし|||あんしん||できる||しれ ませ ん||み ましょう||なにぶん|よろしく|ねがい ます||||| そこ で もう 一 つ ある んです が ね 。 |||ひと||||| 今日 社 の 帰りがけ に 、 神田 を 通ったら 清 輝 館 の 前 に 、 大きな 広告 が あって 、 わたし は 吃 驚 させられました よ 」 「 何の 広告 で ご ざん す 」 「 演説 の 広告 な んです 。 きょう|しゃ||かえりがけ||しんでん||かよったら|きよし|あきら|かん||ぜん||おおきな|こうこく|||||ども|おどろ|させ られ ました||なんの|こうこく|||||えんぜつ||こうこく|| ―― 演説 の 広告 は いい が 道也 が 演説 を やる んです ぜ 」 「 へえ 、 ちっとも 存じません でした 」 「 それ で 題 が 大きい から 面白い 、 現代 の 青年 に 告 ぐ と 云 うん です 。 えんぜつ||こうこく||||みちや||えんぜつ|||||||ぞんじ ませ ん||||だい||おおきい||おもしろい|げんだい||せいねん||こく|||うん|| まあ 何の 事 やら 、 あんな もの の 云 う 事 を 聞き に くる 青年 も な さ そうじゃ ありません か 。 |なんの|こと|||||うん||こと||きき|||せいねん||||そう じゃ|あり ませ ん| しかし 剣 呑 です よ 。 |けん|どん|| やけに なって 何 を 云 うか 分 ら ない から 。 ||なん||うん||ぶん||| わたし も 課長 から 忠告 さ れた 矢先 だ から 、 すぐ 社 へ 電話 を かけて 置いた から 、 まあ 好 い です が 、 何なら 、 やらせ たく ない もの です ね 」 「 何の 演説 を やる つもりで ご ざんしょう 。 ||かちょう||ちゅうこく|||やさき||||しゃ||でんわ|||おいた|||よしみ||||なんなら|||||||なんの|えんぜつ||||| そんな 事 を やる と また 人様 に 御 迷惑 が かかりましょう ね 」 「 どうせ また 過激な 事 でも 云 う のです よ 。 |こと|||||ひとさま||ご|めいわく||かかり ましょう||||かげきな|こと||うん||| 無事に 済めば いい が 、 つまらない 事 を 云 おう もの なら 取って返し が つか ない から ね 。 ぶじに|すめば||||こと||うん||||とってかえし||||| ―― どうしても やめ させ なくっちゃ 、 いけない ね 」 「 どう したら やめる で ご ざんしょう 」 「 これ も よせったって 、 頑固だ から 、 よす 気遣 は ない 。 ||さ せ||||||||||||よせ った って|がんこだ|||きづか|| やっぱり 欺 す より 仕方 が ない でしょう 」 「 どうして 欺 したら いい でしょう 」 「 そう さ 。 |あざむ|||しかた|||||あざむ||||| あした 時刻 に わたし が 急用 で 逢いたい からって 使 を よこして 見ましょう か 」 「 そうで ご ざん す ね 。 |じこく||||きゅうよう||あい たい|から って|つか|||み ましょう||そう で|||| それ で 、 あなた の 方 へ 参る ようだ と 宜しゅう ございます が ……」 「 聞か ない かも 知れません ね 。 ||||かた||まいる|||よろしゅう|||きか|||しれ ませ ん| 聞か なければ それ まで さ 」 初冬 の 日 は もう 暗く なり かけた 。 きか|||||しょとう||ひ|||くらく|| 道也 先生 は 風 の なか を 帰って くる 。 みちや|せんせい||かぜ||||かえって|