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野分 夏目漱石, 「九」 野分 夏目漱石

「九 」 野 分 夏目 漱石

小春 の 日 に 温め 返さ れた 別荘 の 小 天地 を 開いて 結婚 の 披露 を する 。 愛 は 偏狭 を 嫌う 、 また 専有 を にくむ 。 愛し たる 二 人 の 間 に 有り余る 情 を 挙げて 、 博 く 衆生 を 潤 おす 。 有りあまる 財 を 抛って 多く の 賓格 を 会す 。 来 ら ざる もの は 和 楽 の 扇 に 麾 く 風 を 厭う て 、 寒き 雪空 に 赴く 鳧雁 の 類 である 。 円満なる 愛 は 触る る ところ の すべて を 円満に す 。 二 人 の 愛 は 曇り 勝ち なる 時雨 の 空 さえ も 円満に した 。 ―― 太陽 の 真 上 に 照る 日 である 。 照る 事 は 誰 で も 知る が 、 だれ も 手 を 翳して 仰ぎ見る 事 の なら ぬ くらい 明か に 照る 日 である 。 得意なる もの に 明か なる 日 の 嫌な もの は ない 。 客 は 車 を 駆って 東西 南北 より 来る 。 杉 の 葉 の 青き を 択 んで 、 丸 柱 の 太き を 装い 、 頭 の 上 一 丈 にて 二 本 を 左右 より 平に 曲げて 続 ぎ 合せ たる を アーチ と 云 う 。 杉 の 葉 の 青き は あまりに 厳に 過 ぐ 。 愛 の 郷 に 入る もの は 、 ただ おごそかなる 門 を 潜る べ から ず 。 青き もの は 暖かき 色 に 和 げられ ねば なら ぬ 。 裂けば 煙る 蜜柑 の 味 は しら ず 、 色 こそ 暖かい 。 小春 の 色 は 黄 である 。 点々 と 珠 を 綴る 杉 の 葉 影 に 、 ゆたかなる 南海 の 風 は 通う 。 紫 に 明け 渡る 夜 を 待ちかねて 、 ぬっと 出る 旭 日 が 、 岡 より 岡 を 射て 、 万 顆 の 黄 玉 は 一 時 に 耀 く 紀 の 国 から 、 偸 み 来た 香り と 思わ れる 。 この 下 を 通る もの は 酔わ ねば 出る 事 を 許さ れ ぬ 掟 である 。 緑 門 ( アーチ ) の 下 に は 新しき 夫婦 が 立って いる 。 すべて の 夫婦 は 新 らしく なければ なら ぬ 。 新しき 夫婦 は 美しく なければ なら ぬ 。 新しく 美しき 夫婦 は 幸福で なければ なら ぬ 。 彼ら は この 緑 門 の 下 に 立って 、 迎え たる 賓客 にわ が 幸福 の 一 分 を 与え 、 送り出す 朋友 にわ が 幸福 の 一 分 を 与えて 、 残る 幸福に 共 白髪 の 長き 末 まで を 耽 る べく 、 新 らしい のである 、 また 美 くし い のである 。 男 は 黒き 上着 に 縞 の 洋 袴 ( ズボン ) を 穿 く 。 折々 は 雪 を 欺く 白き 手拭 ( ハンケチ ) が 黒き 胸 の あたり に 漂う 。 女 は 紋つき である 。 裾 を 色どる 模様 の 華やかなる なか から 浮き上がる が ごとく 調子 よく すらりと 腰 から 上 が 抜け出 でて いる 。 ヴィーナス は 浪 の なか から 生れた 。 この 女 は 裾 模様 の なか から 生れて いる 。 日 は 明か に 女 の 頸筋 に 落ちて 、 角 だ た ぬ 咽 喉 の 方 は ほの白き 影 と なる 。 横 から 見る とき その 影 が 消える が ごとく 薄く なって 、 判然と した やさしき 輪 廓 に 終る 。 その 上 に 紫 の うずまく は 一 朶 の 暗き 髪 を 束ね ながら も 額 際 に 浮か せた のである 。 金 台 に 深紅 の 七宝 を 鏤めた ヌーボー 式 の 簪 が 紫 の 影 から 顔 だけ 出して いる 。 愛 は 堅き もの を 忌む 。 すべて の 硬 性 を 溶 化せ ねば やま ぬ 。 女 の 眼 に 耀 く 光り は 、 光り それ 自から の 溶けた 姿 である 。 不可思議なる 神 境 から 双 眸 の 底 に 漂う て 、 視界 に 入る 万有 を 恍惚 の 境 に 逍遥 せ しむ る 。 迎えられ たる 賓客 は 陶然 と して 園 内 に 入る 。 「 高柳 さん は いらっしゃる でしょう か 」 と 女 が 小さな 声 で 聞く 。 「 え ? 」 と 男 は 耳 を 持ってくる 。 園 内 で は 楽隊 が 越後 獅子 を 奏して いる 。 客 は 半分 以上 集まった 。 夫婦 は なか へ 這 入って 接待 を せ ねば なら ん 。 「 そう さ ね 。 忘れて いた 」 と 男 が 云 う 。 「 もう だいぶ 御 客 さま が いら しった から 、 向 へ 行か ない じゃ わるい でしょう 」 「 そう さ ね 。 もう 行く 方 が いい だろう 。 しかし 高柳 が くる と 可哀想だ から ね 」 「 ここ に いらっしゃら ない と です か 」 「 うん 。 あの 男 は 、 わたし が 、 ここ に 見え ない と 門 まで 来て 引き返す よ 」 「 なぜ ? 」 「 なぜって 、 こんな 所 へ 来た 事 は ない んだ から ―― 一 人 で 一 人 坊っち に なる 男 な んだ から ――、 ともかくも アーチ を 潜ら せて しまわ ない と 安心 が 出来 ない 」 「 いらっしゃる んでしょう ね 」 「 来る よ 、 わざわざ 行って 頼んだ んだ から 、 いやで も 来る と 約束 する と 来 ず に いられ ない 男 だ から きっと くる よ 」 「 御 厭 な んです か 」 「 厭って 、 な に 別に 厭 な 事 も ない んだ が 、 つまり きまり が わるい の さ 」 「 ホホホホ 妙です わ ね 」 きまり の わるい の は 自信 が ない から である 。 自信 が ない の は 、 人 が 馬鹿に する と 思う から である 。 中野 君 は ただ きまり が 悪い から だ と 云 う 。 細 君 は ただ 妙です わ ね と 思う 。 この 夫婦 は 自分 達 の きまり を 悪 る がる 事 は 忘れて いる 。 この 夫婦 の 境界 に ある 人 は 、 いくら きまり を 悪 る がる 性分 でも 、 きまり を わる がら ず に 生涯 を 済ませる 事 が 出来る 。 「 いらっしゃる なら 、 ここ に いて 上げる 方 が いい でしょう 」 「 来る 事 は 受け 合う よ 。 ―― いい さ 、 奥 は おやじ や 何 か だいぶ いる から 」 愛 は 善人 である 。 善人 は その 友 の ため に 自家 の 不都合 を 犠牲 に する を 憚 から ぬ 。 夫婦 は 高柳 君 の ため に アーチ の 下 に 待って いる 。 高柳 君 は 来 ねば なら ぬ 。 馬車 の 客 、 車 の 客 の 間 に 、 ただ 一 人 高柳 君 は 蹌踉 と して 敵地 に 乗り込んで 来る 。 この 海 の ごとく 和気 の 漲り たる 園遊会 ―― 新 夫婦 の 面 に 湛え たる 笑 の 波 に 酔う て 、 われ知らず 幸福 の 同化 を 享 くる 園遊会 ―― 行く年 を しばらく は 春 に 戻して 、 のどかなる 日影 に 、 窮 陰 の 面 の あたり なる を 忘 る べき 園遊会 は 高柳 君 に とって 敵地 である 。 富 と 勢 と 得意 と 満足の 跋扈 する 所 は 東西 球 を 極めて 高柳 君 に は 敵地 である 。 高柳 君 は アーチ の 下 に 立つ 新しき 夫婦 を 十 歩 の 遠き に 見て 、 これ が わが 友 である と は たしかに 思わ なかった 。 多少 の 不都合 を 犠牲 に して まで 、 高柳 君 を 待ち受け たる 夫婦 の 眼 に 高柳 君 の 姿 が ちら と 映 じた 時 、 待ち受けた に も かかわら ず 、 待ち受け 甲斐 の ある 御 客 と は 夫婦 共に 思わ なかった 。 友 誼 の 三 分 一 は 服装 が 引き受ける 者 である 。 頭 の なか で 考えた 友達 と 眼 の 前 へ 出て 来た 友達 と は だいぶ 違う 。 高柳 君 の 服装 は この 日 の 来客 中 で もっとも 憐れ なる 服装 である 。 愛 は 贅沢である 。 美 なる もの の ほか に は 価値 を 認め ぬ 。 女 は なお さらに 価値 を 認め ぬ 。 夫婦 が 高柳 君 と 顔 を 見合せた 時 、 夫婦 共 「 これ は 」 と 思った 。 高柳 君 が 夫婦 と 顔 を 見合せた 時 、 同じく 「 これ は 」 と 思った 。 世の中 は 「 これ は 」 と 思った 時 、 引き返せ ぬ もの である 。 高柳 君 は 蹌踉 と して 進んで くる 。 夫婦 の 胸 に はっと きざした 「 これ は 」 は 、 すぐ と 愛 の 光り に 姿 を かくす 。 「 や あ 、 よく 来て くれた 。 あまり 遅い から 、 どうした か と 思って 心配 して いた ところ だった 」 偽り も ない 事実 である 。 ただ 「 これ は 」 と 思った 事 だけ を 略した まで である 。 「 早く 来よう と 思った が 、 つい 用 が あって ……」 これ も 事実 である 。 けれども やはり 「 これ は 」 が 略されて いる 。 人間 の 交際 に は いつでも 「 これ は 」 が 略さ れる 。 略さ れた 「 これ は 」 が 重なる と 、 喧嘩 なし の 絶交 と なる 。 親しき 夫婦 、 親しき 朋友 が 、 腹 の なか の 「 これ は 、 これ は 」 で なし崩し に 愛想 を つかし 合って いる 。 「 これ が 妻 だ 」 と 引き合わせる 。 一 人 坊っち に 美しい 妻君 を 引き合わせる の は 好意 より 出た 罪悪 である 。 愛 の 光り を 浴びた もの は 、 嬉し さ が はびこって 、 そんな 事 に 頓着 は ない 。 何にも 云 わ ぬ 細 君 は ただ しとやかに 頭 を 下げた 。 高柳 君 は ぼんやり して いる 。 「 さあ 、 あちら へ ―― 僕 も いっしょに 行こう 」 と 歩 を 運 ら す 。 十 間 ばかり あるく と 、 夫婦 は すぐ 胡麻 塩 おやじ に つら まった 。 「 や 、 どうも みごとな 御 庭 です ね 。 こう 広く は ある まい と 思って た が ―― いえ 始めて で 。 おとっさん から 時々 御 招き は あった が 、 いつでも 折悪しく 用事 が あって ―― どうも 、 よく 御 手入れ が 届いて 、 実に 結構です ね ……」 と 胡麻 塩 は のべつ に 述べ たてて 容易に 動か ない 。 ところ へ また 二三 人 が やってくる 。 「 結構だ 」「 何 坪 です か な 」「 私 も 年 来 この 辺 を 心掛けて おります が 」 など と 新 夫婦 を 取り 捲 いて しまう 。 高柳 君 は 憮然と して 中心 を はずれて 立って いる 。 する と 向 う から 、 襷がけ の 女 が 駈 け て 来て 、 いきなり 塩 瀬 の 五 つ 紋 を つら ま えた 。 「 さあ 、 いらっしゃい 」 「 いらっしゃい たって 、 もう ほか で 御馳走 に なっち まった よ 」 「 ずるい わ 、 あなた は 、 他 に これほど 馳 けずり 廻ら せて 」 「 旨 いもの も 、 ない 癖 に 」 「 ある わ よ 、 あなた 。 まあ いい から いらっしゃ いて え のに 」 と ぐいぐい 引っ張る 。 塩 瀬 は 羽織 が 大事だ から 引か れ ながら 行く 、 途端 に 高柳 君 に 突き当った 。 塩 瀬 は ちょっと 驚 ろ いて 振り向いた まで は 、 粗忽 を して 恐れ入った と 云 う 面 相 を して いた が 、 高柳 君 の 顔 から 服装 を 見る や 否 や 、 急に 表情 を 変えた 。 「 や あ 、 こりゃ 」 と 上 から さげすむ ように 云って 、 しかも 立って 見て いる 。 「 いらっしゃい よ 。 いい から いらっしゃい よ 。 構わ ない でも 、 いい から いらっしゃい よ 」 と 女 は 高柳 君 を 後 目 に かけた なり 塩 瀬 を 引っ張って 行く 。 高柳 君 は ぽつぽつ 歩き 出した 。 若 夫婦 は 遥か あなた に 遮られて いっしょに は なれ ぬ 。 芝生 の 真中 に 長い 天幕 ( テント ) を 張る 。 中 を 覗いて 見たら 、 暗い 所 に 大きな 菊 の 鉢 が ならべて ある 。 今頃 こんな 菊 が まだ ある か と 思う 。 白い 長い 花弁 が 中心 から 四方 へ 数 百 片 延び 尽して 、 延び 尽した 端 から また 随意に 反り返り つつ 、 あらん限り の 狂 態 を 演じて いる の が ある 。 背筋 の 通った 黄 な 片 が 中 へ 中 へ と 抱き合って 、 真中 に 大切な もの を 守護 する ごとく 、 こんもり と 丸く なった の も ある 。 松 の 鉢 も 見える 。 玻璃 盤 に 堆 かく 林檎 を 盛った の が 、 白い 卓 布 の 上 に 鮮やかに 映る 。 林檎 の 頬 が 、 暗き うち に も 光って いる 。 蜜柑 を 盛った 大 皿 も ある 。 傍 で けら けら と 笑う 声 が する 。 驚 ろ いて 振り向く と 、 しる く はっと を 被った 二 人 の 若い 男 が 、 二 人 共 相好 を 崩して いる 。 「 妙だ よ 。 実に 」 と 一 人 が 云 う 。 「 珍 だ ね 。 全く 田舎 者 な んだ よ 」 と 一 人 が 云 う 。 高柳 君 は じっと 二 人 を 見た 。 一 人 は 胸 開 の 狭い 。 模様 の ある 胴衣 ( チョッキ ) を 着て 、 右手 の 親指 を 胴衣 の ぽっけっと へ 突き 込んだ まま 肘 を 張って いる 。 一 人 は 細い 杖 に 言訳 ほど に 身 を もた せて 、 護 謨 ( ゴム ) び き 靴 の 右 の 爪先 を 、 竪 に 地 に 突いて 、 左 足 一 本 で 細長い から だ の 中心 を 支えて いる 。 「 まるで 給仕 人 ( ウェーター ) だ 」 と 一 本 足 が 云 う 。 高柳 君 は 自分 の 事 を 云 う の か と 思った 。 すると 色 胴衣 が 「 本当に さ 。 園遊会 に 燕尾服 を 着て くる なんて ―― 洋行 し ない だって その くらい な 事 は わかり そうな もの だ 」 と 相鎚 を 打って いる 。 向 う を 見る と なるほど 燕尾服 が いる 。 しかも 二 人 かたまって 、 何 か 話 を して いる 。 同類 相 集まる と 云 う 訳 だろう 。 高柳 君 は ようやく あれ を 笑って る のだ な と 気 が ついた 。 しかし なぜ 燕尾服 が 園遊会 に 適し ない か は とうてい 想像 が つか なかった 。 芝生 の 行き当り に 葭簀 掛け の 踊 舞台 が あって 、 何 か しきりに やって いる 。 正面 は 紅白 の 幕 で 庇 を かこって 、 奥 に は 赤い 毛氈 を 敷いた 長い 台 が ある 。 その 上 に 三味線 を 抱えた 女 が 三 人 、 抱え ない の が 二 人 並んで いる 。 弾く もの と 唄う もの と 分業 に した のである 。 舞台 の 真中 に 金 紙 の 烏帽子 を 被って 、 真 白 に 顔 を 塗り たてた 女 が 、 棹 の ような もの を 持ったり 、 落したり 、 舞 扇 を 開いたり 、 つぼめたり 、 長い 赤い 袖 を 翳したり 、 翳さ なかったり 、 何でも しきりに 身振 を して いる 。 半紙 に 墨 黒々 と 朝妻 船 と かいて 貼り 出して ある から 、 おおかた 朝妻 船 と 云 う もの だろう と 高柳 君 は しばらく 後ろ の 方 から 小さく なって 眺めて いた 。 舞台 を 左 へ 切れる と 、 御影 の 橋 が ある 。 橋 の 向 の 築山 の 傍 手 に は 松 が 沢山 ある 。 松 の 間 から 暖簾 の ような もの が ちらちら 見える 。 中 で 女 が ききと 笑って いる 。 橋 を 渡り かけた 高柳 君 は また 引き返した 。 楽隊 が 一度に 満 庭 の 空気 を 動かして 起る 。 そろそろ と 天幕 ( テント ) の 所 まで 帰って 来る 。 今度 は 中 を 覗く の を やめ に した 。 中 は 大勢 で がやがや して いる 。 入口 へ 回って 見る と 人 で 埋って 皿 の 音 が しきりに する 。 若 夫婦 は どこ に いる か 見え ぬ 。 しばらく 様子 を 窺って いる と 突然 万歳 と 云 う 声 が した 。 楽隊 の 音 は 消されて しまう 。 石橋 の 向 うで 万歳 と 云 う 返事 が ある 。 これ は 迷子 の 万 歳 である 。 高柳 君 は の そり と 疳違 を した 客 の ように 天幕 の うち に 這 入った 。 皿 だけ 高く 差し上げて 人 と 人 の 間 を 抜けて 来た もの が ある 。 「 さあ 、 御上 ん なさい 。 まだ ある んだ が 人 が 込んで て 容易に 手 が 届か ない 」 と 云 う 。 高柳 君 は 自分 に くれる に して は 目 の 見当 が 少し 違う と 思ったら 、 後ろ の 方 で 「 ありがとう 」 と 云 う 涼しい 声 が した 。 十七八 の 桃色 縮緬 の 紋 付 を きた 令嬢 が 皿 を もらった まま 立って いる 。 傍 に いた 紳士 が 、 天幕 の 隅 から 一 脚 の 椅子 を 持って 来て 、 「 さあ この上 へ 御 乗せ なさい 」 と 令嬢 の 前 に 据えた 。 高柳 君 は 一 間 ばかり 左 へ 進む 。 天幕 の 柱 に 倚 り かかって 洋服 と 和服 が 煙草 を ふかして いる 。 「 葉巻 は やめた の かい 」 「 うん 、 頭 に わるい そうだ から ―― しかし あれ を 呑 みつける と 、 何 だ ね 、 紙 巻 は とうてい 呑 め ない ね 。 どんな 好 い 奴 でも 駄目だ 」 「 そりゃ 、 価 段 だけ だ から ―― 一 本 三十 銭 と 三 銭 と は 比較 に なら ない から な 」 「 君 は 何 を 呑 む の だい 」 「 これ を 一 つ やって 見た まえ 」 と 洋服 が 鰐 皮 の 煙草 入 から 太い 紙 巻 を 出す 。 「 なるほど エジプシアン か 。 これ は 百 本 五六 円 する だろう 」 「 安い 割に は うまく 呑 め る よ 」 「 そう か ―― 僕 も 紙 巻 でも 始めよう か 。 これ なら 日 に 二十 本 ずつ に して も 二十 円 ぐらい で あがる から ね 」 二十 円 は 高柳 君 の 全 収入 である 。 この 紳士 は 高柳 君 の 全 収入 を 煙 に する つもりである 。 高柳 君 は また 左 へ 四 尺 ほど 進んだ 。 二三 人 話 を して いる 。 「 この 間 ね 、 野 添 が 例の 人造 肥料 会社 を 起す ので ……」 と 頭 の 禿げた 鼻 の 低い 金 歯 を 入れた 男 が 云 う 。 「 うん 。 ありゃ 当った ね 。 旨 く やった よ 」 と 真四角な 色 の 黒い 、 煙草 入 の 金具 の ような 顔 が 云 う 。 「 君 も 賛成 者 の うち に 名 が 見えた じゃ ない か 」 と 胡麻 塩 頭 の 最 前 中野 君 を 中途 で 強奪 した おやじ が 云 う 。 「 それ さ 」 と 今度 は 禿げ の 番 である 。 「 野 添 が 、 どう です 少し 持って くれません か と 云 う から 、 さよう さ 、 わたし は 今回 は まあ よしましょう と 断わった の さ 。 ところが 、 まあ 、 そう 云 わ ず と 、 せめて 五百 株 でも 、 実は もう 貴 所 の 名前 に して ある んだ から と 云 うの さ 、 面倒だ から いい加減に 挨拶 を して 置いたら 先生 すぐ 九州 へ 立って 行った 。 それ から 二 週間 ほど して 社 へ 出る と 書記 が 野 添 さん の 株 が 大変 上りました 。 五十 円 株 が 六十五 円 に なりました 。 合計 三万二千五百 円 に なりました と 云 う の さ 」 「 そりゃ 豪勢だ 、 実は 僕 も 少し 持とう と 思って た んだ が 」 と 四角 が 云 う と 「 ありゃ 実際 意外だった 。 あんなに 、 とんとん拍子に あがろう と は 思わ なかった 」 と 胡麻 塩 が しきりに 胡麻 塩 頭 を 掻く 。 「 もう 少し 踏み込んで 沢山 僕 の 名 に して 置けば よかった 」 と 禿 は 三万二千五百 円 以外 に 残念がって いる 。 高柳 君 は 恐る恐る 三 人 の 傍 を 通り抜けた 。 若 夫婦 に 逢って 挨拶 して 早く 帰りたい と 思って 、 見 廻 わす と 一 番 奥 の 方 に 二 人 は 黒い フロック と 五色 の 袖 に 取り巻かれて 、 なかなか 寄りつけ そう も ない 。 食卓 は ようやく 人数 が 減った 。 しかし 残って いる 食品 は ほとんど ない 。 「 近頃 は 出掛ける か ね 」 と 云 う 声 が する 。 仙台 平 を ずるずる 地 び た へ 引きずって 白 足袋 に 鼠 緒 の 雪 駄 を かすかに 出した 三十 恰好 の 男 だ 。 「 昨日 須崎 の 種田 家 の 別荘 へ 招待 されて 鴨 猟 を やった 」 と 五 分 刈 の 浅黒い の が 答えた 。 「 鴨 に は まだ 早い だろう 」 「 もう いい ね 。 十 羽 ばかり 取った が ね 。 僕 が 十 羽 、 大谷 が 七 羽 、 加瀬 と 山内 が 八 羽 ずつ 」 「 じゃ 君 が 一 番 か 」 「 いい や 、 斎藤 は 十五 羽 だ 」 「 へえ 」 と 仙台 平 は 感心 して いる 。 同期 の 卒業 生 は 多い なか に 、 たった 五六 人 しか 見え ん 。 しかも あまり 親しく ない もの ばかり である 。 高柳 君 は 挨拶 だけ して 別段 話 も し なかった が 、 今 と なって 見る と 何だか 恋しい 心持ち が する 。 どこ ぞ に おり は せ ぬ か と 見 廻した が 影 も 見え ぬ 。 ことに よる と 帰った かも 知れ ぬ 。 自分 も 帰ろう 。 主客 は 一 である 。 主 を 離れて 客 なく 、 客 を 離れて 主 は ない 。 吾々 が 主客 の 別 を 立てて 物 我 の 境 を 判然と 分 劃 する の は 生存 上 の 便宜 である 。 形 を 離れて 色 なく 、 色 を 離れて 形 なき 強いて 個別 する の 便宜 、 着想 を 離れて 技巧 なく 技巧 を 離れて 着想 なき を しばらく 両 体 と なす の 便宜 と 同様である 。 一 たび この 差別 を 立 し たる 時 吾人 は 一 の 迷路 に 入る 。 ただ 生存 は 人生 の 目的 なる が 故 に 、 生存 に 便宜 なるこ の 迷路 は 入る 事 いよいよ 深く して 出 ずる 事 いよいよ かたき を 感ず 。 独り 生存 の 欲 を 一刻 たり と も 擺脱 し たる とき に この 迷 は 破る 事 が 出来る 。 高柳 君 は この 欲 を 刹那 も 除去 し 得 ざる 男 である 。 したがって 主客 を 方 寸 に 一致 せ しむ る 事 の でき がたき 男 である 。 主 は 主 、 客 は 客 と して どこまでも 膠着 する が 故 に 、 一 たび 優勢なる 客 に 逢う とき 、 八方 より 無形 の 太刀 を 揮って 、 打ちのめさ る る が ごとき 心地 が する 。 高柳 君 は この 園遊会 に おいて 孤軍 重 囲 の うち に 陥った のである 。 蹌踉 と して アーチ を 潜った 高柳 君 は また 蹌踉 と して アーチ を 出 ざる を 得 ぬ 。 遠く から 振り返って 見る と 青い 杉 の 環 の 奥 の 方 に 天幕 ( テント ) が 小さく 映って 、 幕 の なか から 、 奇麗な 着物 が かたまって あらわれて 来た 。 あの なか に 若い 夫婦 も 交って る のであろう 。 夫婦 の 方 で は 高柳 を さがして いる 。 「 時に 高柳 は どう したろう 。 御前 あれ から 逢った かい 」 「 いいえ 。 あなた は 」 「 おれ は 逢わ ない 」 「 もう 御 帰り に なった んでしょう か 」 「 そう さ 、―― しかし 帰る なら 、 ちっと は 帰る 前 に 傍 へ 来て 話 でも し そうな もの だ 」 「 なぜ 皆さん の いらっしゃる 所 へ 出て いらっしゃら ない のでしょう 」 「 損だ ね 、 ああ 云 う 人 は 。 あれ で 一 人 じゃ やっぱり 不愉快な んだ 。 不愉快 なら 出て くれば いい の に なお なお 引き込んで しまう 。 気の毒な 男 だ 」 「 せっかく 愉快に して あげよう と 思って 、 御 招き する のに ね 」 「 今日 は 格別 色 が わるかった ようだ 」 「 きっと 御 病気 です よ 」 「 やっぱり 一 人 坊っち だ から 、 色 が 悪い のだ よ 」 高柳 君 は 往来 を あるき ながら 、 ぞっと 悪寒 を 催した 。


「九 」 野 分 夏目 漱石 ここの|の|ぶん|なつめ|そうせき Nobe Natsume Soseki "Nove".

小春 の 日 に 温め 返さ れた 別荘 の 小 天地 を 開いて 結婚 の 披露 を する 。 こはる||ひ||あたため|かえさ||べっそう||しょう|てんち||あいて|けっこん||ひろう|| 愛 は 偏狭 を 嫌う 、 また 専有 を にくむ 。 あい||へんきょう||きらう||せんゆう|| 愛し たる 二 人 の 間 に 有り余る 情 を 挙げて 、 博 く 衆生 を 潤 おす 。 あいし||ふた|じん||あいだ||ありあまる|じょう||あげて|はく||しゅじょう||じゅん| 有りあまる 財 を 抛って 多く の 賓格 を 会す 。 ありあまる|ざい||なげうって|おおく||ひんかく||かいす 来 ら ざる もの は 和 楽 の 扇 に 麾 く 風 を 厭う て 、 寒き 雪空 に 赴く 鳧雁 の 類 である 。 らい|||||わ|がく||おうぎ||き||かぜ||いとう||さむき|ゆきぞら||おもむく|かもがん||るい| 円満なる 愛 は 触る る ところ の すべて を 円満に す 。 えんまんなる|あい||さわる||||||えんまんに| 二 人 の 愛 は 曇り 勝ち なる 時雨 の 空 さえ も 円満に した 。 ふた|じん||あい||くもり|かち||しぐれ||から|||えんまんに| ―― 太陽 の 真 上 に 照る 日 である 。 たいよう||まこと|うえ||てる|ひ| 照る 事 は 誰 で も 知る が 、 だれ も 手 を 翳して 仰ぎ見る 事 の なら ぬ くらい 明か に 照る 日 である 。 てる|こと||だれ|||しる||||て||かざして|あおぎみる|こと|||||あか||てる|ひ| 得意なる もの に 明か なる 日 の 嫌な もの は ない 。 とくいなる|||あか||ひ||いやな||| 客 は 車 を 駆って 東西 南北 より 来る 。 きゃく||くるま||かって|とうざい|なんぼく||くる 杉 の 葉 の 青き を 択 んで 、 丸 柱 の 太き を 装い 、 頭 の 上 一 丈 にて 二 本 を 左右 より 平に 曲げて 続 ぎ 合せ たる を アーチ と 云 う 。 すぎ||は||あおき||たく||まる|ちゅう||ふとき||よそおい|あたま||うえ|ひと|たけ||ふた|ほん||さゆう||ひらに|まげて|つづ||あわせ|||あーち||うん| 杉 の 葉 の 青き は あまりに 厳に 過 ぐ 。 すぎ||は||あおき|||げんに|か| 愛 の 郷 に 入る もの は 、 ただ おごそかなる 門 を 潜る べ から ず 。 あい||ごう||はいる|||||もん||くぐる||| 青き もの は 暖かき 色 に 和 げられ ねば なら ぬ 。 あおき|||あたたかき|いろ||わ|げ られ||| 裂けば 煙る 蜜柑 の 味 は しら ず 、 色 こそ 暖かい 。 さけば|けむる|みかん||あじ||||いろ||あたたかい 小春 の 色 は 黄 である 。 こはる||いろ||き| 点々 と 珠 を 綴る 杉 の 葉 影 に 、 ゆたかなる 南海 の 風 は 通う 。 てんてん||しゅ||つづる|すぎ||は|かげ|||なんかい||かぜ||かよう 紫 に 明け 渡る 夜 を 待ちかねて 、 ぬっと 出る 旭 日 が 、 岡 より 岡 を 射て 、 万 顆 の 黄 玉 は 一 時 に 耀 く 紀 の 国 から 、 偸 み 来た 香り と 思わ れる 。 むらさき||あけ|わたる|よ||まちかねて|ぬ っと|でる|あさひ|ひ||おか||おか||いて|よろず|か||き|たま||ひと|じ||よう||き||くに||とう||きた|かおり||おもわ| この 下 を 通る もの は 酔わ ねば 出る 事 を 許さ れ ぬ 掟 である 。 |した||とおる|||よわ||でる|こと||ゆるさ|||おきて| 緑 門 ( アーチ ) の 下 に は 新しき 夫婦 が 立って いる 。 みどり|もん|あーち||した|||あたらしき|ふうふ||たって| すべて の 夫婦 は 新 らしく なければ なら ぬ 。 ||ふうふ||しん|||| 新しき 夫婦 は 美しく なければ なら ぬ 。 あたらしき|ふうふ||うつくしく||| 新しく 美しき 夫婦 は 幸福で なければ なら ぬ 。 あたらしく|うつくしき|ふうふ||こうふくで||| 彼ら は この 緑 門 の 下 に 立って 、 迎え たる 賓客 にわ が 幸福 の 一 分 を 与え 、 送り出す 朋友 にわ が 幸福 の 一 分 を 与えて 、 残る 幸福に 共 白髪 の 長き 末 まで を 耽 る べく 、 新 らしい のである 、 また 美 くし い のである 。 かれら|||みどり|もん||した||たって|むかえ||ひんきゃく|||こうふく||ひと|ぶん||あたえ|おくりだす|ともとも|||こうふく||ひと|ぶん||あたえて|のこる|こうふくに|とも|しらが||ながき|すえ|||たん|||しん||||び||| 男 は 黒き 上着 に 縞 の 洋 袴 ( ズボン ) を 穿 く 。 おとこ||くろき|うわぎ||しま||よう|はかま|ずぼん||うが| 折々 は 雪 を 欺く 白き 手拭 ( ハンケチ ) が 黒き 胸 の あたり に 漂う 。 おりおり||ゆき||あざむく|しろき|てぬぐい|||くろき|むね||||ただよう 女 は 紋つき である 。 おんな||もんつき| 裾 を 色どる 模様 の 華やかなる なか から 浮き上がる が ごとく 調子 よく すらりと 腰 から 上 が 抜け出 でて いる 。 すそ||いろどる|もよう||はなやかなる|||うきあがる|||ちょうし|||こし||うえ||ぬけで|| ヴィーナス は 浪 の なか から 生れた 。 ||ろう||||うまれた この 女 は 裾 模様 の なか から 生れて いる 。 |おんな||すそ|もよう||||うまれて| 日 は 明か に 女 の 頸筋 に 落ちて 、 角 だ た ぬ 咽 喉 の 方 は ほの白き 影 と なる 。 ひ||あか||おんな||けいすじ||おちて|かど||||むせ|のど||かた||ほのじろき|かげ|| 横 から 見る とき その 影 が 消える が ごとく 薄く なって 、 判然と した やさしき 輪 廓 に 終る 。 よこ||みる|||かげ||きえる|||うすく||はんぜんと|||りん|かく||おわる その 上 に 紫 の うずまく は 一 朶 の 暗き 髪 を 束ね ながら も 額 際 に 浮か せた のである 。 |うえ||むらさき||||ひと|だ||くらき|かみ||たばね|||がく|さい||うか|| 金 台 に 深紅 の 七宝 を 鏤めた ヌーボー 式 の 簪 が 紫 の 影 から 顔 だけ 出して いる 。 きむ|だい||しんく||しっぽう||ちりばめた||しき||かんざし||むらさき||かげ||かお||だして| 愛 は 堅き もの を 忌む 。 あい||かたき|||いむ すべて の 硬 性 を 溶 化せ ねば やま ぬ 。 ||かた|せい||と|かせ||| 女 の 眼 に 耀 く 光り は 、 光り それ 自から の 溶けた 姿 である 。 おんな||がん||よう||ひかり||ひかり||おのずから||とけた|すがた| 不可思議なる 神 境 から 双 眸 の 底 に 漂う て 、 視界 に 入る 万有 を 恍惚 の 境 に 逍遥 せ しむ る 。 ふかしぎなる|かみ|さかい||そう|ひとみ||そこ||ただよう||しかい||はいる|ばんゆう||こうこつ||さかい||しょうよう||| 迎えられ たる 賓客 は 陶然 と して 園 内 に 入る 。 むかえ られ||ひんきゃく||とうぜん|||えん|うち||はいる 「 高柳 さん は いらっしゃる でしょう か 」 と 女 が 小さな 声 で 聞く 。 たかやなぎ|||||||おんな||ちいさな|こえ||きく 「 え ? 」 と 男 は 耳 を 持ってくる 。 |おとこ||みみ||もってくる 園 内 で は 楽隊 が 越後 獅子 を 奏して いる 。 えん|うち|||がくたい||えちご|しし||そうして| 客 は 半分 以上 集まった 。 きゃく||はんぶん|いじょう|あつまった 夫婦 は なか へ 這 入って 接待 を せ ねば なら ん 。 ふうふ||||は|はいって|せったい||||| 「 そう さ ね 。 忘れて いた 」 と 男 が 云 う 。 わすれて|||おとこ||うん| 「 もう だいぶ 御 客 さま が いら しった から 、 向 へ 行か ない じゃ わるい でしょう 」 「 そう さ ね 。 ||ご|きゃく||||||むかい||いか||||||| もう 行く 方 が いい だろう 。 |いく|かた||| しかし 高柳 が くる と 可哀想だ から ね 」 「 ここ に いらっしゃら ない と です か 」 「 うん 。 |たかやなぎ||||かわいそうだ|||||||||| あの 男 は 、 わたし が 、 ここ に 見え ない と 門 まで 来て 引き返す よ 」 「 なぜ ? |おとこ||||||みえ|||もん||きて|ひきかえす|| 」 「 なぜって 、 こんな 所 へ 来た 事 は ない んだ から ―― 一 人 で 一 人 坊っち に なる 男 な んだ から ――、 ともかくも アーチ を 潜ら せて しまわ ない と 安心 が 出来 ない 」 「 いらっしゃる んでしょう ね 」 「 来る よ 、 わざわざ 行って 頼んだ んだ から 、 いやで も 来る と 約束 する と 来 ず に いられ ない 男 だ から きっと くる よ 」 「 御 厭 な んです か 」 「 厭って 、 な に 別に 厭 な 事 も ない んだ が 、 つまり きまり が わるい の さ 」 「 ホホホホ 妙です わ ね 」 きまり の わるい の は 自信 が ない から である 。 なぜ って||しょ||きた|こと|||||ひと|じん||ひと|じん|ぼう っち|||おとこ|||||あーち||くぐら|||||あんしん||でき|||||くる|||おこなって|たのんだ|||||くる||やくそく|||らい|||いら れ||おとこ||||||ご|いと||||いとって|||べつに|いと||こと||||||||||||みょうです||||||||じしん|||| 自信 が ない の は 、 人 が 馬鹿に する と 思う から である 。 じしん|||||じん||ばかに|||おもう|| 中野 君 は ただ きまり が 悪い から だ と 云 う 。 なかの|きみ|||||わるい||||うん| 細 君 は ただ 妙です わ ね と 思う 。 ほそ|きみ|||みょうです||||おもう この 夫婦 は 自分 達 の きまり を 悪 る がる 事 は 忘れて いる 。 |ふうふ||じぶん|さとる||||あく|||こと||わすれて| この 夫婦 の 境界 に ある 人 は 、 いくら きまり を 悪 る がる 性分 でも 、 きまり を わる がら ず に 生涯 を 済ませる 事 が 出来る 。 |ふうふ||きょうかい|||じん|||||あく|||しょうぶん||||||||しょうがい||すませる|こと||できる 「 いらっしゃる なら 、 ここ に いて 上げる 方 が いい でしょう 」 「 来る 事 は 受け 合う よ 。 |||||あげる|かた||||くる|こと||うけ|あう| ―― いい さ 、 奥 は おやじ や 何 か だいぶ いる から 」 愛 は 善人 である 。 ||おく||||なん|||||あい||ぜんにん| 善人 は その 友 の ため に 自家 の 不都合 を 犠牲 に する を 憚 から ぬ 。 ぜんにん|||とも||||じか||ふつごう||ぎせい||||はばか|| 夫婦 は 高柳 君 の ため に アーチ の 下 に 待って いる 。 ふうふ||たかやなぎ|きみ||||あーち||した||まって| 高柳 君 は 来 ねば なら ぬ 。 たかやなぎ|きみ||らい||| 馬車 の 客 、 車 の 客 の 間 に 、 ただ 一 人 高柳 君 は 蹌踉 と して 敵地 に 乗り込んで 来る 。 ばしゃ||きゃく|くるま||きゃく||あいだ|||ひと|じん|たかやなぎ|きみ||そうりょ|||てきち||のりこんで|くる この 海 の ごとく 和気 の 漲り たる 園遊会 ―― 新 夫婦 の 面 に 湛え たる 笑 の 波 に 酔う て 、 われ知らず 幸福 の 同化 を 享 くる 園遊会 ―― 行く年 を しばらく は 春 に 戻して 、 のどかなる 日影 に 、 窮 陰 の 面 の あたり なる を 忘 る べき 園遊会 は 高柳 君 に とって 敵地 である 。 |うみ|||わけ||みなぎり||えんゆうかい|しん|ふうふ||おもて||たたえ||わら||なみ||よう||われしらず|こうふく||どうか||あきら||えんゆうかい|ゆくとし||||はる||もどして||ひかげ||きゅう|かげ||おもて|||||ぼう|||えんゆうかい||たかやなぎ|きみ|||てきち| 富 と 勢 と 得意 と 満足の 跋扈 する 所 は 東西 球 を 極めて 高柳 君 に は 敵地 である 。 とみ||ぜい||とくい||まんぞくの|ばっこ||しょ||とうざい|たま||きわめて|たかやなぎ|きみ|||てきち| 高柳 君 は アーチ の 下 に 立つ 新しき 夫婦 を 十 歩 の 遠き に 見て 、 これ が わが 友 である と は たしかに 思わ なかった 。 たかやなぎ|きみ||あーち||した||たつ|あたらしき|ふうふ||じゅう|ふ||とおき||みて||||とも|||||おもわ| 多少 の 不都合 を 犠牲 に して まで 、 高柳 君 を 待ち受け たる 夫婦 の 眼 に 高柳 君 の 姿 が ちら と 映 じた 時 、 待ち受けた に も かかわら ず 、 待ち受け 甲斐 の ある 御 客 と は 夫婦 共に 思わ なかった 。 たしょう||ふつごう||ぎせい||||たかやなぎ|きみ||まちうけ||ふうふ||がん||たかやなぎ|きみ||すがた||||うつ||じ|まちうけた|||||まちうけ|かい|||ご|きゃく|||ふうふ|ともに|おもわ| 友 誼 の 三 分 一 は 服装 が 引き受ける 者 である 。 とも|よしみ||みっ|ぶん|ひと||ふくそう||ひきうける|もの| 頭 の なか で 考えた 友達 と 眼 の 前 へ 出て 来た 友達 と は だいぶ 違う 。 あたま||||かんがえた|ともだち||がん||ぜん||でて|きた|ともだち||||ちがう 高柳 君 の 服装 は この 日 の 来客 中 で もっとも 憐れ なる 服装 である 。 たかやなぎ|きみ||ふくそう|||ひ||らいきゃく|なか|||あわれ||ふくそう| 愛 は 贅沢である 。 あい||ぜいたくである 美 なる もの の ほか に は 価値 を 認め ぬ 。 び|||||||かち||みとめ| 女 は なお さらに 価値 を 認め ぬ 。 おんな||||かち||みとめ| 夫婦 が 高柳 君 と 顔 を 見合せた 時 、 夫婦 共 「 これ は 」 と 思った 。 ふうふ||たかやなぎ|きみ||かお||みあわせた|じ|ふうふ|とも||||おもった 高柳 君 が 夫婦 と 顔 を 見合せた 時 、 同じく 「 これ は 」 と 思った 。 たかやなぎ|きみ||ふうふ||かお||みあわせた|じ|おなじく||||おもった 世の中 は 「 これ は 」 と 思った 時 、 引き返せ ぬ もの である 。 よのなか|||||おもった|じ|ひきかえせ||| 高柳 君 は 蹌踉 と して 進んで くる 。 たかやなぎ|きみ||そうりょ|||すすんで| 夫婦 の 胸 に はっと きざした 「 これ は 」 は 、 すぐ と 愛 の 光り に 姿 を かくす 。 ふうふ||むね|||||||||あい||ひかり||すがた|| 「 や あ 、 よく 来て くれた 。 |||きて| あまり 遅い から 、 どうした か と 思って 心配 して いた ところ だった 」 偽り も ない 事実 である 。 |おそい|||||おもって|しんぱい|||||いつわり|||じじつ| ただ 「 これ は 」 と 思った 事 だけ を 略した まで である 。 ||||おもった|こと|||りゃくした|| 「 早く 来よう と 思った が 、 つい 用 が あって ……」 これ も 事実 である 。 はやく|こよう||おもった|||よう|||||じじつ| けれども やはり 「 これ は 」 が 略されて いる 。 |||||りゃくさ れて| 人間 の 交際 に は いつでも 「 これ は 」 が 略さ れる 。 にんげん||こうさい|||||||りゃくさ| 略さ れた 「 これ は 」 が 重なる と 、 喧嘩 なし の 絶交 と なる 。 りゃくさ|||||かさなる||けんか|||ぜっこう|| 親しき 夫婦 、 親しき 朋友 が 、 腹 の なか の 「 これ は 、 これ は 」 で なし崩し に 愛想 を つかし 合って いる 。 したしき|ふうふ|したしき|ともとも||はら|||||||||なしくずし||あいそ|||あって| 「 これ が 妻 だ 」 と 引き合わせる 。 ||つま|||ひきあわせる 一 人 坊っち に 美しい 妻君 を 引き合わせる の は 好意 より 出た 罪悪 である 。 ひと|じん|ぼう っち||うつくしい|さいくん||ひきあわせる|||こうい||でた|ざいあく| 愛 の 光り を 浴びた もの は 、 嬉し さ が はびこって 、 そんな 事 に 頓着 は ない 。 あい||ひかり||あびた|||うれし|||||こと||とんちゃく|| 何にも 云 わ ぬ 細 君 は ただ しとやかに 頭 を 下げた 。 なんにも|うん|||ほそ|きみ||||あたま||さげた 高柳 君 は ぼんやり して いる 。 たかやなぎ|きみ|||| 「 さあ 、 あちら へ ―― 僕 も いっしょに 行こう 」 と 歩 を 運 ら す 。 |||ぼく|||いこう||ふ||うん|| 十 間 ばかり あるく と 、 夫婦 は すぐ 胡麻 塩 おやじ に つら まった 。 じゅう|あいだ||||ふうふ|||ごま|しお|||| 「 や 、 どうも みごとな 御 庭 です ね 。 |||ご|にわ|| こう 広く は ある まい と 思って た が ―― いえ 始めて で 。 |ひろく|||||おもって||||はじめて| おとっさん から 時々 御 招き は あった が 、 いつでも 折悪しく 用事 が あって ―― どうも 、 よく 御 手入れ が 届いて 、 実に 結構です ね ……」 と 胡麻 塩 は のべつ に 述べ たてて 容易に 動か ない 。 お とっさ ん||ときどき|ご|まねき|||||おりあしく|ようじ|||||ご|ていれ||とどいて|じつに|けっこうです|||ごま|しお||||のべ||よういに|うごか| ところ へ また 二三 人 が やってくる 。 |||ふみ|じん|| 「 結構だ 」「 何 坪 です か な 」「 私 も 年 来 この 辺 を 心掛けて おります が 」 など と 新 夫婦 を 取り 捲 いて しまう 。 けっこうだ|なん|つぼ||||わたくし||とし|らい||ほとり||こころがけて|おり ます||||しん|ふうふ||とり|まく|| 高柳 君 は 憮然と して 中心 を はずれて 立って いる 。 たかやなぎ|きみ||ぶぜんと||ちゅうしん|||たって| する と 向 う から 、 襷がけ の 女 が 駈 け て 来て 、 いきなり 塩 瀬 の 五 つ 紋 を つら ま えた 。 ||むかい|||たすきがけ||おんな||く|||きて||しお|せ||いつ||もん|||| 「 さあ 、 いらっしゃい 」 「 いらっしゃい たって 、 もう ほか で 御馳走 に なっち まった よ 」 「 ずるい わ 、 あなた は 、 他 に これほど 馳 けずり 廻ら せて 」 「 旨 いもの も 、 ない 癖 に 」 「 ある わ よ 、 あなた 。 |||||||ごちそう||な っち|||||||た|||ち||まわら||むね||||くせ||||| まあ いい から いらっしゃ いて え のに 」 と ぐいぐい 引っ張る 。 |||||||||ひっぱる 塩 瀬 は 羽織 が 大事だ から 引か れ ながら 行く 、 途端 に 高柳 君 に 突き当った 。 しお|せ||はおり||だいじだ||ひか|||いく|とたん||たかやなぎ|きみ||つきあたった 塩 瀬 は ちょっと 驚 ろ いて 振り向いた まで は 、 粗忽 を して 恐れ入った と 云 う 面 相 を して いた が 、 高柳 君 の 顔 から 服装 を 見る や 否 や 、 急に 表情 を 変えた 。 しお|せ|||おどろ|||ふりむいた|||そこつ|||おそれいった||うん||おもて|そう|||||たかやなぎ|きみ||かお||ふくそう||みる||いな||きゅうに|ひょうじょう||かえた 「 や あ 、 こりゃ 」 と 上 から さげすむ ように 云って 、 しかも 立って 見て いる 。 ||||うえ||||うん って||たって|みて| 「 いらっしゃい よ 。 いい から いらっしゃい よ 。 構わ ない でも 、 いい から いらっしゃい よ 」 と 女 は 高柳 君 を 後 目 に かけた なり 塩 瀬 を 引っ張って 行く 。 かまわ||||||||おんな||たかやなぎ|きみ||あと|め||||しお|せ||ひっぱって|いく 高柳 君 は ぽつぽつ 歩き 出した 。 たかやなぎ|きみ|||あるき|だした 若 夫婦 は 遥か あなた に 遮られて いっしょに は なれ ぬ 。 わか|ふうふ||はるか|||さえぎら れて|||| 芝生 の 真中 に 長い 天幕 ( テント ) を 張る 。 しばふ||まんなか||ながい|てんまく|てんと||はる 中 を 覗いて 見たら 、 暗い 所 に 大きな 菊 の 鉢 が ならべて ある 。 なか||のぞいて|みたら|くらい|しょ||おおきな|きく||はち||| 今頃 こんな 菊 が まだ ある か と 思う 。 いまごろ||きく||||||おもう 白い 長い 花弁 が 中心 から 四方 へ 数 百 片 延び 尽して 、 延び 尽した 端 から また 随意に 反り返り つつ 、 あらん限り の 狂 態 を 演じて いる の が ある 。 しろい|ながい|かべん||ちゅうしん||しほう||すう|ひゃく|かた|のび|つくして|のび|つくした|はし|||ずいいに|そりかえり||あらんかぎり||くる|なり||えんじて|||| 背筋 の 通った 黄 な 片 が 中 へ 中 へ と 抱き合って 、 真中 に 大切な もの を 守護 する ごとく 、 こんもり と 丸く なった の も ある 。 せすじ||かよった|き||かた||なか||なか|||だきあって|まんなか||たいせつな|||しゅご|||||まるく|||| 松 の 鉢 も 見える 。 まつ||はち||みえる 玻璃 盤 に 堆 かく 林檎 を 盛った の が 、 白い 卓 布 の 上 に 鮮やかに 映る 。 はり|ばん||つい||りんご||もった|||しろい|すぐる|ぬの||うえ||あざやかに|うつる 林檎 の 頬 が 、 暗き うち に も 光って いる 。 りんご||ほお||くらき||||ひかって| 蜜柑 を 盛った 大 皿 も ある 。 みかん||もった|だい|さら|| 傍 で けら けら と 笑う 声 が する 。 そば|||||わらう|こえ|| 驚 ろ いて 振り向く と 、 しる く はっと を 被った 二 人 の 若い 男 が 、 二 人 共 相好 を 崩して いる 。 おどろ|||ふりむく||||||おおった|ふた|じん||わかい|おとこ||ふた|じん|とも|そうごう||くずして| 「 妙だ よ 。 みょうだ| 実に 」 と 一 人 が 云 う 。 じつに||ひと|じん||うん| 「 珍 だ ね 。 ちん|| 全く 田舎 者 な んだ よ 」 と 一 人 が 云 う 。 まったく|いなか|もの|||||ひと|じん||うん| 高柳 君 は じっと 二 人 を 見た 。 たかやなぎ|きみ|||ふた|じん||みた 一 人 は 胸 開 の 狭い 。 ひと|じん||むね|ひらき||せまい 模様 の ある 胴衣 ( チョッキ ) を 着て 、 右手 の 親指 を 胴衣 の ぽっけっと へ 突き 込んだ まま 肘 を 張って いる 。 もよう|||どうい|ちょっき||きて|みぎて||おやゆび||どうい||ぽっ け っと||つき|こんだ||ひじ||はって| 一 人 は 細い 杖 に 言訳 ほど に 身 を もた せて 、 護 謨 ( ゴム ) び き 靴 の 右 の 爪先 を 、 竪 に 地 に 突いて 、 左 足 一 本 で 細長い から だ の 中心 を 支えて いる 。 ひと|じん||ほそい|つえ||いいわけ|||み||||まもる|ぼ|ごむ|||くつ||みぎ||つまさき||たて||ち||ついて|ひだり|あし|ひと|ほん||ほそながい||||ちゅうしん||ささえて| 「 まるで 給仕 人 ( ウェーター ) だ 」 と 一 本 足 が 云 う 。 |きゅうじ|じん||||ひと|ほん|あし||うん| 高柳 君 は 自分 の 事 を 云 う の か と 思った 。 たかやなぎ|きみ||じぶん||こと||うん|||||おもった すると 色 胴衣 が 「 本当に さ 。 |いろ|どうい||ほんとうに| 園遊会 に 燕尾服 を 着て くる なんて ―― 洋行 し ない だって その くらい な 事 は わかり そうな もの だ 」 と 相鎚 を 打って いる 。 えんゆうかい||えんびふく||きて|||ようこう|||||||こと|||そう な||||あいづち||うって| 向 う を 見る と なるほど 燕尾服 が いる 。 むかい|||みる|||えんびふく|| しかも 二 人 かたまって 、 何 か 話 を して いる 。 |ふた|じん||なん||はなし||| 同類 相 集まる と 云 う 訳 だろう 。 どうるい|そう|あつまる||うん||やく| 高柳 君 は ようやく あれ を 笑って る のだ な と 気 が ついた 。 たかやなぎ|きみ|||||わらって|||||き|| しかし なぜ 燕尾服 が 園遊会 に 適し ない か は とうてい 想像 が つか なかった 。 ||えんびふく||えんゆうかい||てきし|||||そうぞう||| 芝生 の 行き当り に 葭簀 掛け の 踊 舞台 が あって 、 何 か しきりに やって いる 。 しばふ||ゆきあたり||よしず|かけ||おどり|ぶたい|||なん|||| 正面 は 紅白 の 幕 で 庇 を かこって 、 奥 に は 赤い 毛氈 を 敷いた 長い 台 が ある 。 しょうめん||こうはく||まく||ひさし|||おく|||あかい|もうせん||しいた|ながい|だい|| その 上 に 三味線 を 抱えた 女 が 三 人 、 抱え ない の が 二 人 並んで いる 。 |うえ||しゃみせん||かかえた|おんな||みっ|じん|かかえ||||ふた|じん|ならんで| 弾く もの と 唄う もの と 分業 に した のである 。 はじく|||うたう|||ぶんぎょう||| 舞台 の 真中 に 金 紙 の 烏帽子 を 被って 、 真 白 に 顔 を 塗り たてた 女 が 、 棹 の ような もの を 持ったり 、 落したり 、 舞 扇 を 開いたり 、 つぼめたり 、 長い 赤い 袖 を 翳したり 、 翳さ なかったり 、 何でも しきりに 身振 を して いる 。 ぶたい||まんなか||きむ|かみ||えぼし||おおって|まこと|しろ||かお||ぬり||おんな||さお|||||もったり|おとしたり|まい|おうぎ||あいたり||ながい|あかい|そで||かざしたり|かざさ||なんでも||みぶり||| 半紙 に 墨 黒々 と 朝妻 船 と かいて 貼り 出して ある から 、 おおかた 朝妻 船 と 云 う もの だろう と 高柳 君 は しばらく 後ろ の 方 から 小さく なって 眺めて いた 。 はんし||すみ|くろぐろ||あさづま|せん|||はり|だして||||あさづま|せん||うん|||||たかやなぎ|きみ|||うしろ||かた||ちいさく||ながめて| 舞台 を 左 へ 切れる と 、 御影 の 橋 が ある 。 ぶたい||ひだり||きれる||みかげ||きょう|| 橋 の 向 の 築山 の 傍 手 に は 松 が 沢山 ある 。 きょう||むかい||つきやま||そば|て|||まつ||たくさん| 松 の 間 から 暖簾 の ような もの が ちらちら 見える 。 まつ||あいだ||のれん||||||みえる 中 で 女 が ききと 笑って いる 。 なか||おんな|||わらって| 橋 を 渡り かけた 高柳 君 は また 引き返した 。 きょう||わたり||たかやなぎ|きみ|||ひきかえした 楽隊 が 一度に 満 庭 の 空気 を 動かして 起る 。 がくたい||いちどに|まん|にわ||くうき||うごかして|おこる そろそろ と 天幕 ( テント ) の 所 まで 帰って 来る 。 ||てんまく|てんと||しょ||かえって|くる 今度 は 中 を 覗く の を やめ に した 。 こんど||なか||のぞく||||| 中 は 大勢 で がやがや して いる 。 なか||おおぜい|||| 入口 へ 回って 見る と 人 で 埋って 皿 の 音 が しきりに する 。 いりぐち||まわって|みる||じん||うずまって|さら||おと||| 若 夫婦 は どこ に いる か 見え ぬ 。 わか|ふうふ||||||みえ| しばらく 様子 を 窺って いる と 突然 万歳 と 云 う 声 が した 。 |ようす||き って|||とつぜん|ばんざい||うん||こえ|| 楽隊 の 音 は 消されて しまう 。 がくたい||おと||けさ れて| 石橋 の 向 うで 万歳 と 云 う 返事 が ある 。 いしばし||むかい||ばんざい||うん||へんじ|| これ は 迷子 の 万 歳 である 。 ||まいご||よろず|さい| 高柳 君 は の そり と 疳違 を した 客 の ように 天幕 の うち に 這 入った 。 たかやなぎ|きみ|||||かんい|||きゃく|||てんまく||||は|はいった 皿 だけ 高く 差し上げて 人 と 人 の 間 を 抜けて 来た もの が ある 。 さら||たかく|さしあげて|じん||じん||あいだ||ぬけて|きた||| 「 さあ 、 御上 ん なさい 。 |おかみ|| まだ ある んだ が 人 が 込んで て 容易に 手 が 届か ない 」 と 云 う 。 ||||じん||こんで||よういに|て||とどか|||うん| 高柳 君 は 自分 に くれる に して は 目 の 見当 が 少し 違う と 思ったら 、 後ろ の 方 で 「 ありがとう 」 と 云 う 涼しい 声 が した 。 たかやなぎ|きみ||じぶん||||||め||けんとう||すこし|ちがう||おもったら|うしろ||かた||||うん||すずしい|こえ|| 十七八 の 桃色 縮緬 の 紋 付 を きた 令嬢 が 皿 を もらった まま 立って いる 。 じゅうしちはち||ももいろ|ちりめん||もん|つき|||れいじょう||さら||||たって| 傍 に いた 紳士 が 、 天幕 の 隅 から 一 脚 の 椅子 を 持って 来て 、 「 さあ この上 へ 御 乗せ なさい 」 と 令嬢 の 前 に 据えた 。 そば|||しんし||てんまく||すみ||ひと|あし||いす||もって|きて||このうえ||ご|のせ|||れいじょう||ぜん||すえた 高柳 君 は 一 間 ばかり 左 へ 進む 。 たかやなぎ|きみ||ひと|あいだ||ひだり||すすむ 天幕 の 柱 に 倚 り かかって 洋服 と 和服 が 煙草 を ふかして いる 。 てんまく||ちゅう||い|||ようふく||わふく||たばこ||| 「 葉巻 は やめた の かい 」 「 うん 、 頭 に わるい そうだ から ―― しかし あれ を 呑 みつける と 、 何 だ ね 、 紙 巻 は とうてい 呑 め ない ね 。 はまき||||||あたま|||そう だ|||||どん|||なん|||かみ|かん|||どん||| どんな 好 い 奴 でも 駄目だ 」 「 そりゃ 、 価 段 だけ だ から ―― 一 本 三十 銭 と 三 銭 と は 比較 に なら ない から な 」 「 君 は 何 を 呑 む の だい 」 「 これ を 一 つ やって 見た まえ 」 と 洋服 が 鰐 皮 の 煙草 入 から 太い 紙 巻 を 出す 。 |よしみ||やつ||だめだ||か|だん||||ひと|ほん|さんじゅう|せん||みっ|せん|||ひかく||||||きみ||なん||どん||||||ひと|||みた|||ようふく||わに|かわ||たばこ|はい||ふとい|かみ|かん||だす 「 なるほど エジプシアン か 。 これ は 百 本 五六 円 する だろう 」 「 安い 割に は うまく 呑 め る よ 」 「 そう か ―― 僕 も 紙 巻 でも 始めよう か 。 ||ひゃく|ほん|ごろく|えん|||やすい|わりに|||どん||||||ぼく||かみ|かん||はじめよう| これ なら 日 に 二十 本 ずつ に して も 二十 円 ぐらい で あがる から ね 」 二十 円 は 高柳 君 の 全 収入 である 。 ||ひ||にじゅう|ほん|||||にじゅう|えん||||||にじゅう|えん||たかやなぎ|きみ||ぜん|しゅうにゅう| この 紳士 は 高柳 君 の 全 収入 を 煙 に する つもりである 。 |しんし||たかやなぎ|きみ||ぜん|しゅうにゅう||けむり||| 高柳 君 は また 左 へ 四 尺 ほど 進んだ 。 たかやなぎ|きみ|||ひだり||よっ|しゃく||すすんだ 二三 人 話 を して いる 。 ふみ|じん|はなし||| 「 この 間 ね 、 野 添 が 例の 人造 肥料 会社 を 起す ので ……」 と 頭 の 禿げた 鼻 の 低い 金 歯 を 入れた 男 が 云 う 。 |あいだ||の|そえ||れいの|じんぞう|ひりょう|かいしゃ||おこす|||あたま||はげた|はな||ひくい|きむ|は||いれた|おとこ||うん| 「 うん 。 ありゃ 当った ね 。 |あたった| 旨 く やった よ 」 と 真四角な 色 の 黒い 、 煙草 入 の 金具 の ような 顔 が 云 う 。 むね|||||ましかくな|いろ||くろい|たばこ|はい||かなぐ|||かお||うん| 「 君 も 賛成 者 の うち に 名 が 見えた じゃ ない か 」 と 胡麻 塩 頭 の 最 前 中野 君 を 中途 で 強奪 した おやじ が 云 う 。 きみ||さんせい|もの||||な||みえた|||||ごま|しお|あたま||さい|ぜん|なかの|きみ||ちゅうと||ごうだつ||||うん| 「 それ さ 」 と 今度 は 禿げ の 番 である 。 |||こんど||はげ||ばん| 「 野 添 が 、 どう です 少し 持って くれません か と 云 う から 、 さよう さ 、 わたし は 今回 は まあ よしましょう と 断わった の さ 。 の|そえ||||すこし|もって|くれ ませ ん|||うん|||||||こんかい|||よし ましょう||ことわった|| ところが 、 まあ 、 そう 云 わ ず と 、 せめて 五百 株 でも 、 実は もう 貴 所 の 名前 に して ある んだ から と 云 うの さ 、 面倒だ から いい加減に 挨拶 を して 置いたら 先生 すぐ 九州 へ 立って 行った 。 |||うん|||||ごひゃく|かぶ||じつは||とうと|しょ||なまえ|||||||うん|||めんどうだ||いいかげんに|あいさつ|||おいたら|せんせい||きゅうしゅう||たって|おこなった それ から 二 週間 ほど して 社 へ 出る と 書記 が 野 添 さん の 株 が 大変 上りました 。 ||ふた|しゅうかん|||しゃ||でる||しょき||の|そえ|||かぶ||たいへん|のぼり ました 五十 円 株 が 六十五 円 に なりました 。 ごじゅう|えん|かぶ||ろくじゅうご|えん||なり ました 合計 三万二千五百 円 に なりました と 云 う の さ 」 「 そりゃ 豪勢だ 、 実は 僕 も 少し 持とう と 思って た んだ が 」 と 四角 が 云 う と 「 ありゃ 実際 意外だった 。 ごうけい|さんまんにせんごひゃく|えん||なり ました||うん|||||ごうせいだ|じつは|ぼく||すこし|もとう||おもって|||||しかく||うん||||じっさい|いがいだった あんなに 、 とんとん拍子に あがろう と は 思わ なかった 」 と 胡麻 塩 が しきりに 胡麻 塩 頭 を 掻く 。 |とんとんびょうしに||||おもわ|||ごま|しお|||ごま|しお|あたま||かく 「 もう 少し 踏み込んで 沢山 僕 の 名 に して 置けば よかった 」 と 禿 は 三万二千五百 円 以外 に 残念がって いる 。 |すこし|ふみこんで|たくさん|ぼく||な|||おけば|||はげ||さんまんにせんごひゃく|えん|いがい||ざんねんがって| 高柳 君 は 恐る恐る 三 人 の 傍 を 通り抜けた 。 たかやなぎ|きみ||おそるおそる|みっ|じん||そば||とおりぬけた 若 夫婦 に 逢って 挨拶 して 早く 帰りたい と 思って 、 見 廻 わす と 一 番 奥 の 方 に 二 人 は 黒い フロック と 五色 の 袖 に 取り巻かれて 、 なかなか 寄りつけ そう も ない 。 わか|ふうふ||あって|あいさつ||はやく|かえり たい||おもって|み|まわ|||ひと|ばん|おく||かた||ふた|じん||くろい|||ごしき||そで||とりまか れて||よりつけ||| 食卓 は ようやく 人数 が 減った 。 しょくたく|||にんずう||へった しかし 残って いる 食品 は ほとんど ない 。 |のこって||しょくひん||| 「 近頃 は 出掛ける か ね 」 と 云 う 声 が する 。 ちかごろ||でかける||||うん||こえ|| 仙台 平 を ずるずる 地 び た へ 引きずって 白 足袋 に 鼠 緒 の 雪 駄 を かすかに 出した 三十 恰好 の 男 だ 。 せんだい|ひら|||ち||||ひきずって|しろ|たび||ねずみ|お||ゆき|だ|||だした|さんじゅう|かっこう||おとこ| 「 昨日 須崎 の 種田 家 の 別荘 へ 招待 されて 鴨 猟 を やった 」 と 五 分 刈 の 浅黒い の が 答えた 。 きのう|すさき||おいだ|いえ||べっそう||しょうたい|さ れて|かも|りょう||||いつ|ぶん|か||あさぐろい|||こたえた 「 鴨 に は まだ 早い だろう 」 「 もう いい ね 。 かも||||はやい|||| 十 羽 ばかり 取った が ね 。 じゅう|はね||とった|| 僕 が 十 羽 、 大谷 が 七 羽 、 加瀬 と 山内 が 八 羽 ずつ 」 「 じゃ 君 が 一 番 か 」 「 いい や 、 斎藤 は 十五 羽 だ 」 「 へえ 」 と 仙台 平 は 感心 して いる 。 ぼく||じゅう|はね|おおたに||なな|はね|かせ||さんない||やっ|はね|||きみ||ひと|ばん||||さいとう||じゅうご|はね||||せんだい|ひら||かんしん|| 同期 の 卒業 生 は 多い なか に 、 たった 五六 人 しか 見え ん 。 どうき||そつぎょう|せい||おおい||||ごろく|じん||みえ| しかも あまり 親しく ない もの ばかり である 。 ||したしく|||| 高柳 君 は 挨拶 だけ して 別段 話 も し なかった が 、 今 と なって 見る と 何だか 恋しい 心持ち が する 。 たかやなぎ|きみ||あいさつ|||べつだん|はなし|||||いま|||みる||なんだか|こいしい|こころもち|| どこ ぞ に おり は せ ぬ か と 見 廻した が 影 も 見え ぬ 。 |||||||||み|まわした||かげ||みえ| ことに よる と 帰った かも 知れ ぬ 。 |||かえった||しれ| 自分 も 帰ろう 。 じぶん||かえろう 主客 は 一 である 。 しゅかく||ひと| 主 を 離れて 客 なく 、 客 を 離れて 主 は ない 。 おも||はなれて|きゃく||きゃく||はなれて|おも|| 吾々 が 主客 の 別 を 立てて 物 我 の 境 を 判然と 分 劃 する の は 生存 上 の 便宜 である 。 われ々||しゅかく||べつ||たてて|ぶつ|われ||さかい||はんぜんと|ぶん|かく||||せいぞん|うえ||べんぎ| 形 を 離れて 色 なく 、 色 を 離れて 形 なき 強いて 個別 する の 便宜 、 着想 を 離れて 技巧 なく 技巧 を 離れて 着想 なき を しばらく 両 体 と なす の 便宜 と 同様である 。 かた||はなれて|いろ||いろ||はなれて|かた||しいて|こべつ|||べんぎ|ちゃくそう||はなれて|ぎこう||ぎこう||はなれて|ちゃくそう||||りょう|からだ||||べんぎ||どうようである 一 たび この 差別 を 立 し たる 時 吾人 は 一 の 迷路 に 入る 。 ひと|||さべつ||た|||じ|ごじん||ひと||めいろ||はいる ただ 生存 は 人生 の 目的 なる が 故 に 、 生存 に 便宜 なるこ の 迷路 は 入る 事 いよいよ 深く して 出 ずる 事 いよいよ かたき を 感ず 。 |せいぞん||じんせい||もくてき|||こ||せいぞん||べんぎ|||めいろ||はいる|こと||ふかく||だ||こと||||かんず 独り 生存 の 欲 を 一刻 たり と も 擺脱 し たる とき に この 迷 は 破る 事 が 出来る 。 ひとり|せいぞん||よく||いっこく||||はいだつ||||||まよ||やぶる|こと||できる 高柳 君 は この 欲 を 刹那 も 除去 し 得 ざる 男 である 。 たかやなぎ|きみ|||よく||せつな||じょきょ||とく||おとこ| したがって 主客 を 方 寸 に 一致 せ しむ る 事 の でき がたき 男 である 。 |しゅかく||かた|すん||いっち||||こと||||おとこ| 主 は 主 、 客 は 客 と して どこまでも 膠着 する が 故 に 、 一 たび 優勢なる 客 に 逢う とき 、 八方 より 無形 の 太刀 を 揮って 、 打ちのめさ る る が ごとき 心地 が する 。 おも||おも|きゃく||きゃく||||こうちゃく|||こ||ひと||ゆうせいなる|きゃく||あう||はっぽう||むけい||たち||き って|うちのめさ|||||ここち|| 高柳 君 は この 園遊会 に おいて 孤軍 重 囲 の うち に 陥った のである 。 たかやなぎ|きみ|||えんゆうかい|||こぐん|おも|かこ||||おちいった| 蹌踉 と して アーチ を 潜った 高柳 君 は また 蹌踉 と して アーチ を 出 ざる を 得 ぬ 。 そうりょ|||あーち||くぐった|たかやなぎ|きみ|||そうりょ|||あーち||だ|||とく| 遠く から 振り返って 見る と 青い 杉 の 環 の 奥 の 方 に 天幕 ( テント ) が 小さく 映って 、 幕 の なか から 、 奇麗な 着物 が かたまって あらわれて 来た 。 とおく||ふりかえって|みる||あおい|すぎ||かん||おく||かた||てんまく|てんと||ちいさく|うつって|まく||||きれいな|きもの||||きた あの なか に 若い 夫婦 も 交って る のであろう 。 |||わかい|ふうふ||こう って|| 夫婦 の 方 で は 高柳 を さがして いる 。 ふうふ||かた|||たかやなぎ||| 「 時に 高柳 は どう したろう 。 ときに|たかやなぎ||| 御前 あれ から 逢った かい 」 「 いいえ 。 おまえ|||あった|| あなた は 」 「 おれ は 逢わ ない 」 「 もう 御 帰り に なった んでしょう か 」 「 そう さ 、―― しかし 帰る なら 、 ちっと は 帰る 前 に 傍 へ 来て 話 でも し そうな もの だ 」 「 なぜ 皆さん の いらっしゃる 所 へ 出て いらっしゃら ない のでしょう 」 「 損だ ね 、 ああ 云 う 人 は 。 ||||あわ|||ご|かえり||||||||かえる||ち っと||かえる|ぜん||そば||きて|はなし|||そう な||||みなさん|||しょ||でて||||そんだ|||うん||じん| あれ で 一 人 じゃ やっぱり 不愉快な んだ 。 ||ひと|じん|||ふゆかいな| 不愉快 なら 出て くれば いい の に なお なお 引き込んで しまう 。 ふゆかい||でて|||||||ひきこんで| 気の毒な 男 だ 」 「 せっかく 愉快に して あげよう と 思って 、 御 招き する のに ね 」 「 今日 は 格別 色 が わるかった ようだ 」 「 きっと 御 病気 です よ 」 「 やっぱり 一 人 坊っち だ から 、 色 が 悪い のだ よ 」 高柳 君 は 往来 を あるき ながら 、 ぞっと 悪寒 を 催した 。 きのどくな|おとこ|||ゆかいに||||おもって|ご|まねき||||きょう||かくべつ|いろ|||||ご|びょうき||||ひと|じん|ぼう っち|||いろ||わるい|||たかやなぎ|きみ||おうらい|||||おかん||もよおした