05.言葉 の 冒険 の 旅 .旅 の 始まり
外国 語 の 学習 は 一種 の 旅 、発見 の 旅 である 。 私 は ごく 若い 頃 に 旅 を した 。 旅 は 私 に いつも 刺激 を 与えて くれた 。 真 の リングイスト は 冒険者 で なければならない し 未知 の もの に 対する 恐れ を 克服 しなければならない 。 これ を 説明 する ため に 自分 の 話 を しよう 。 私 は 1945 年 スウェーデン に 生まれ 5 才 の 時 に 両親 、兄 の トム と 一緒に カナダ の モントリオール に 移民 した 。 私 の 記憶 は カナダ から 始まる 。 私 に は はじめ は スウェーデン語 を 話して いた こと は わかって いる もの の 子供 時代 に 英語 以外 の 言葉 を 話した 記憶 は ない 。 子供 の 頃 に 第 二 言語 を 学ば なければ ならなかった こと が 大人 に なって から よい 外国語 学習者 に なる きっかけ を 作って くれた という こと は 充分 に 考えられる 。 しかしながら 私 は カナダ に 移民 して から も カナダ で 話さ れ る 言葉 に 堪能 に なれ なかった 人々 を 知っている 。 私 が 外国語 の 習得 に 成功 した 理由 は そういう こと より も 冒険心 と 学習 意欲 ―それ も 集中力 を 最大限 傾けた ―に ある と 考える 。 それゆえ この わくわく する 言葉 の 発見 の 旅 に 出発 する 用意 の できている 人 に は 私 と 同じ こと が できる と 信じている 。 モントリオール で の 最初の 思い出 は 1952 年 の できごと である 。 6 才 児 である 我々 の グループ は 野球 の バット の よい 隠し 場所 を 持って いた 。 放課後 私 達 は そこ に バット を 取り に 行き 野球 を 楽しんだ 。 ある 日 その バット が なくなって いた 。 すぐに 私 達 は バット を 盗んだ の は エストニア から 移民 して きた 少年 だ と 推理 した 。 私達 の 目 から 見れば 彼 である こと は 明白 だった 。 彼 が 英語 を うまく 喋れ なかった から だ 。 彼 は よそ者 だった のだ 。 唯一 の 問題 は しかし 彼 が バット を 盗って いなかった と いう こと だった 。 おそらく 彼 は その 野球 の バット が 何 に 使う もの か と いう こと さえ 知らなかった だろう 。 最後に この 問題 は 平和 的に 解決 した 。 私 が 推察 する に 、カナダ に 渡って 1 年 経った 頃 私 は 既に みんな の 仲間 として 受け容れられて いた のだろう 。 その 事件 の 後 エストニア から 来た その 少年 も 我々 の 仲間 と なった 。 この 出来事 を 思い出す たび いつも 人々 が いかに 無思慮 に 固まり 部外者 を のけ者 に しよう と する か の いい 例 だ と 思う のである 。