×

我们使用cookies帮助改善LingQ。通过浏览本网站,表示你同意我们的 cookie 政策.


image

Aozora Bunko Readings (4-5mins), 27. 正岡子規 - 芥川龍之介

27. 正岡 子 規 - 芥川 龍 之介

正岡 子 規 - 芥川 龍 之介

×.

北原 さん 。

「 アルス 新聞 」 に 子 規 の こと を 書け と 云 ふ 仰せ は 確 に 拝 誦 しました 。 子 規 の こと は 仰せ を 受け ず と も 書きたい と 思 つて ゐる のです が 、 今 は 用 の 多い 為 に 到底 書いて ゐる 暇 は ありません 。 が 、 何でも 書け と 云 は れる なら 、 子 規 に 関する 夏目 先生 や 大塚 先生 の 談 片 を 紹介 し ませ う 。 これ は 子 規 を 愛する 人人 に は 間に合 せ の 子 規 論 を 聞か せられる より も 興味 の ある こと と 思 ひます から 。 ×.

「 墨汁 一 滴 」 だ か 「 病 牀 六 尺 」 だ か どちら だ か は つき り 覚えて ゐま せ ん 。 しかし 子 規 は どちら か の 中 に 夏目 先生 と 散歩 に 出たら 、 先生 の 稲 を 知ら ない の に 驚いた と 云 ふ こと を 書いて ゐま す 。 或時 この 稲 の 話 を 夏目 先生 の 前 へ 持ち出す と 、 先生 は 「 なに 、 稲 は 知 つて ゐた 」 と 云 ふ のです 。 では 子 規 の 書いた こと は うそ だつ た のです か と 反問 する と 「 あれ も うそ ぢや ない が ね 」 と 云 ふ のです 。 知ら なか つた と 云 ふ の も ほん たう なら 、 知 つて ゐた と 云 ふ の も ほん たう と 云 ふ の はどう も 少し 可 笑 しい で せ う 。 が 、 先生 自身 の 説明 に よる と 、「 僕 も 稲 から 米 の とれる 位 の こと は とうの昔 に 知 つて ゐた さ 。 それ から 田 圃 に 生える 稲 も 度 たび 見た こと は ある のだ が ね 。 唯 その 田 圃 に 生えて ゐる 稲 は 米 の とれる 稲 だ と 云 ふ こと を 発見 する こと が 出来 なか つ た のだ 。 つまり 頭 の 中 に ある 稲 と 眼 の 前 に ある 稲 と の 二 つ を アイデンテイフアイ する こと が 出来 なか つ た のだ が ね 。 だから 正岡 の 書いた こと は 一概に うそ と も 云 は なければ 、 一概に ほん たう と も 云 は れ ない さ 」!

×.

それ から 又 夏目 先生 の 話 に 子 規 は 先生 の 俳句 や 漢詩 に いつも 批評 を 加 へた さ う です 。 先生 は 勿論 子 規 の 自負 心 を 多少 業 腹 に 思 つた の で せ う 。 或時 英文 を 作 つて 見せる と ―― 子 規 は どうした と 思 ひます か ? 恬然 と その 上 に かう 書いた さ う です 。 ―― ヴエリイ ・ グツド !

×.

これ は 大塚 先生 の 話 です 。 先生 は 帰朝 後 西 洋服 と 日本 服 と の 美醜 を 比較 した 講演 か 何 か した さ う です 。 する と 直接 先生 から 聞いた か それとも 講演 の 筆記 を 読んだ か 、 兎に角 その 説 を 知 つた子 規 は 大塚 先生 に かう 云 つ た さ う です 。 ――

「 君 は 人間 の 立つ て ゐる 時 の 服装 の 美醜 ばかり 論じて ゐる 。 坐 つて ゐる 時 の 服装 の 美醜 も 并 せて 考 へて 見 なければ いか ん 。」 わたし の この 話 を 聞いた の は 大塚 先生 の 美学 の 講義 に 出席 して ゐた 時 の こと です が 、 先生 は に やに や 笑 ひ ながら 「 それ も 後 に 考 へて 見る と 、 子 規 は あの 通り 寝て ゐた です から 、 坐 つた 人間 ばかり 見て ゐた の で せ うし 、 わたし は 又 外国 に ゐた のです から 、 坐ら ない 人間 ばかり 見て ゐま したし 」 と 御 尤 も な 註釈 を も つけ 加 へ たも のです 。

で は これ で 御免 蒙ります 。 それ から この 間 お 出 に なつ た方 に も ちよ つと 申し上げて 置いた のです が 、 どう か 「 子 規 全集 」 の 予約 者 の 中 に わたし の 名前 を 加 へて 置いて 下さい 。 以上 。

( 大正 十三 年 四 月 )

27. 正岡 子 規 - 芥川 龍 之介 まさおか|こ|ただし|あくたがわ|りゅう|ゆきすけ 27. masaoka shiki - akutagawa ryunosuke 27. masaoka shiki - ryunosuke akutagawa 27. 마사오카 코규 - 아쿠타가와 류노스케 27. masaoka shiki - ryunosuke akutagawa 27. масаока сики - рюносукэ акутагава

正岡 子 規 - 芥川 龍 之介 まさおか|こ|ただし|あくたがわ|りゅう|ゆきすけ

×.

北原 さん 。 きたはら|

「 アルス 新聞 」 に 子 規 の こと を 書け と 云 ふ 仰せ は 確 に 拝 誦 しました 。 |しんぶん||こ|ただし||||かけ||うん||おおせ||かく||おが|しょう|し ました I was sure that I was told to write about the compass in the "Ars Newspaper". 子 規 の こと は 仰せ を 受け ず と も 書きたい と 思 つて ゐる のです が 、 今 は 用 の 多い 為 に 到底 書いて ゐる 暇 は ありません 。 こ|ただし||||おおせ||うけ||||かき たい||おも|||||いま||よう||おおい|ため||とうてい|かいて||いとま||あり ませ ん I would like to write about Shih-chi without your permission, but I have too many things to do right now. が 、 何でも 書け と 云 は れる なら 、 子 規 に 関する 夏目 先生 や 大塚 先生 の 談 片 を 紹介 し ませ う 。 |なんでも|かけ||うん||||こ|ただし||かんする|なつめ|せんせい||おおつか|せんせい||だん|かた||しょうかい||| これ は 子 規 を 愛する 人人 に は 間に合 せ の 子 規 論 を 聞か せられる より も 興味 の ある こと と 思 ひます から 。 ||こ|ただし||あいする|ひとびと|||まにあ|||こ|ただし|ろん||きか|せら れる|||きょうみ|||||おも|ひ ます| I think this is of more interest to those who love the Code than to listen to a makeshift theory of the Code. ×.

「 墨汁 一 滴 」 だ か 「 病 牀 六 尺 」 だ か どちら だ か は つき り 覚えて ゐま せ ん 。 ぼくじゅう|ひと|しずく|||びょう|しょう|むっ|しゃく|||||||||おぼえて||| I don't remember whether it was "a drop of ink" or "sickness six shaku". しかし 子 規 は どちら か の 中 に 夏目 先生 と 散歩 に 出たら 、 先生 の 稲 を 知ら ない の に 驚いた と 云 ふ こと を 書いて ゐま す 。 |こ|ただし|||||なか||なつめ|せんせい||さんぽ||でたら|せんせい||いね||しら||||おどろいた||うん||||かいて|| However, Shiki wrote in one of his books that he was surprised when he went for a walk with Natsume-sensei and was surprised that he did not know his teacher's rice. 或時 この 稲 の 話 を 夏目 先生 の 前 へ 持ち出す と 、 先生 は 「 なに 、 稲 は 知 つて ゐた 」 と 云 ふ のです 。 あるとき||いね||はなし||なつめ|せんせい||ぜん||もちだす||せんせい|||いね||ち||||うん|| では 子 規 の 書いた こと は うそ   だつ た のです か と 反問 する と 「 あれ も うそ ぢや ない が ね 」 と 云 ふ のです 。 |こ|ただし||かいた|||||||||はんもん|||||||||||うん|| 知ら なか つた と 云 ふ の も ほん たう なら 、 知 つて ゐた と 云 ふ の も ほん たう と 云 ふ の はどう も 少し 可 笑 しい で せ う 。 しら||||うん|||||||ち||||うん|||||||うん|||は どう||すこし|か|わら|||| If it is true that he did not know, it is a little funny to say that he did know. が 、 先生 自身 の 説明 に よる と 、「 僕 も 稲 から 米 の とれる 位 の こと は とうの昔 に 知 つて ゐた さ 。 |せんせい|じしん||せつめい||||ぼく||いね||べい|||くらい||||とうのむかし||ち||| However, as the teacher himself explained, "I knew how much rice I could make from rice a long time ago. それ から 田 圃 に 生える 稲 も 度 たび 見た こと は ある のだ が ね 。 ||た|ほ||はえる|いね||たび||みた|||||| 唯 その 田 圃 に 生えて ゐる 稲 は 米 の とれる 稲 だ と 云 ふ こと を 発見 する こと が 出来 なか つ た のだ 。 ただ||た|ほ||はえて||いね||べい|||いね|||うん||||はっけん||||でき|||| つまり 頭 の 中 に ある 稲 と 眼 の 前 に ある 稲 と の 二 つ を アイデンテイフアイ する こと が 出来 なか つ た のだ が ね 。 |あたま||なか|||いね||がん||ぜん|||いね|||ふた|||||||でき|||||| In other words, I could not identify the rice in my mind with the rice in front of my eyes. だから 正岡 の 書いた こと は 一概に うそ と も 云 は なければ 、 一概に ほん たう と も 云 は れ ない さ 」! |まさおか||かいた|||いちがいに||||うん|||いちがいに|||||うん||||

×.

それ から 又 夏目 先生 の 話 に 子 規 は 先生 の 俳句 や 漢詩 に いつも 批評 を 加 へた さ う です 。 ||また|なつめ|せんせい||はなし||こ|ただし||せんせい||はいく||かんし|||ひひょう||か|||| In addition to this, Shiki always commented on Natsume's haiku and Chinese poetry. 先生 は 勿論 子 規 の 自負 心 を 多少 業 腹 に 思 つた の で せ う 。 せんせい||もちろん|こ|ただし||じふ|こころ||たしょう|ぎょう|はら||おも||||| 或時 英文 を 作 つて 見せる と ―― 子 規 は どうした と 思 ひます か ? あるとき|えいぶん||さく||みせる||こ|ただし||||おも|ひ ます| What do you think happened when I showed him some of my English compositions? 恬然 と その 上 に かう 書いた さ う です 。 てんぜん|||うえ|||かいた||| ―― ヴエリイ ・ グツド ! -- Vuelii Gutud !

×.

これ は 大塚 先生 の 話 です 。 ||おおつか|せんせい||はなし| 先生 は 帰朝 後 西 洋服 と 日本 服 と の 美醜 を 比較 した 講演 か 何 か した さ う です 。 せんせい||きちょう|あと|にし|ようふく||にっぽん|ふく|||びしゅう||ひかく||こうえん||なん||||| する と 直接 先生 から 聞いた か それとも 講演 の 筆記 を 読んだ か 、 兎に角 その 説 を 知 つた子 規 は 大塚 先生 に かう 云 つ た さ う です 。 ||ちょくせつ|せんせい||きいた|||こうえん||ひっき||よんだ||とにかく||せつ||ち|つたこ|ただし||おおつか|せんせい|||うん||||| Whether he heard it directly from his teacher or read it in a written transcript of a lecture, whatever the case, he told Mr. Otsuka that he had learned of the theory. ――

「 君 は 人間 の 立つ て ゐる 時 の 服装 の 美醜 ばかり 論じて ゐる 。 きみ||にんげん||たつ|||じ||ふくそう||びしゅう||ろんじて| 坐 つて ゐる 時 の 服装 の 美醜 も 并 せて 考 へて 見 なければ いか ん 。」 すわ|||じ||ふくそう||びしゅう||へい||こう||み||| わたし の この 話 を 聞いた の は 大塚 先生 の 美学 の 講義 に 出席 して ゐた 時 の こと です が 、 先生 は に やに や 笑 ひ ながら 「 それ も 後 に 考 へて 見る と 、 子 規 は あの 通り 寝て ゐた です から 、 坐 つた 人間 ばかり 見て ゐた の で せ うし 、 わたし は 又 外国 に ゐた のです から 、 坐ら ない 人間 ばかり 見て ゐま したし 」 と 御 尤 も な 註釈 を も つけ 加 へ たも のです 。 |||はなし||きいた|||おおつか|せんせい||びがく||こうぎ||しゅっせき|||じ|||||せんせい|||||わら|||||あと||こう||みる||こ|ただし|||とおり|ねて||||すわ||にんげん||みて||||||||また|がいこく|||||すわら||にんげん||みて||||ご|ゆう|||ちゅうしゃく||||か|||

で は これ で 御免 蒙ります 。 ||||ごめん|かぶり ます それ から この 間 お 出 に なつ た方 に も ちよ つと 申し上げて 置いた のです が 、 どう か 「 子 規 全集 」 の 予約 者 の 中 に わたし の 名前 を 加 へて 置いて 下さい 。 |||あいだ||だ|||たほう|||||もうしあげて|おいた|||||こ|ただし|ぜんしゅう||よやく|もの||なか||||なまえ||か||おいて|ください I have also asked those of you who came to see me recently to please add my name to the list of subscribers to the "Complete Works of Shiji". 以上 。 いじょう

( 大正 十三 年 四 月 ) たいしょう|じゅうさん|とし|よっ|つき