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秒速5センチメートル (5 Centimeters per Second), 秒速5センチメートル (17)

秒速 5センチメートル (17)

貴樹 くん 、あなた は きっと 大丈夫だ よ 、と。

篠原 明 里 が その 古い 手紙 を 見つけた の は 、引っ越し の ため の 荷物 を 整理 して いる 時 だった。

それ は 押し入れ の 奥深く に しまわれた 段ボール の 中 に あった。 段ボール の 蓋 を 閉じて ある ガムテープ に は ただ 「むかし の もの 」と 書かれて いる だけ で (もちろん それ は 何 年 も 前 に 自分 で 書いた はずな のだ が )、彼女 は なんとなく 興味 を 惹 かれて その 段ボール 箱 を 開けて みた。 その 中 に は 、小学生 から 中学生 時代 に かけて の 細々と した もの が 入って いた。 卒業 文集 、修学 旅行 の しおり 、小学生 向け の 月刊 誌 が 数 冊 、何 を 録音 した の か もう 覚えて いない カセットテープ 、色褪せた 赤い ランドセル と 、中学 の 時 に 使って いた 革 の 鞄。

そういう 懐かしい もの たち を 一つひとつ 手 に とって 眺め ながら 、もしかしたら あの 手紙 を 見つける かも しれ ない 、と いう 予感 が あった。 そして 段ボール の いちばん 下 に クッキー の 空き缶 を 見つけた 時 に 、彼女 は 思い出した。 そう だ 、私 は 中学校 の 卒業 式 の 夜 、あの 手紙 を この 缶 の 中 に しまった んだ。 鞄 から 出す こと が でき ず に 長い 間 持ち歩き 続けて いた 手紙 で 、卒業 を 機会 に 、振り切る よう に この 缶 に しまった のだ。

缶 の 蓋 を 開ける と 、中学 の 時 に 大切に して いた 薄い ノート に 挟まれて 、その 手紙 は あった。 それ は 彼女 が 初めて 書いた ラブ レター だった。

それ は もう 十五 年 も 前 、好きだった 男の子 と の 初めて の デート の 時 に 渡す つもりで 書いた 手紙 だった。

その 日 は 深く 静かな 雪 の 日 だった な 、と 彼女 は 思い出す。 まだ 私 は 十三 歳 に なった ばかりで 、私 が 好きだった 男の子 は 電車 で 三 時間 も かかる 場所 に 住んで いて 、その 日 は 彼 が 電車 を 乗り継いで 私 に 会い に 来て くれる 日 だった のだ。 でも 雪 の せい で 電車 が 遅れて 、彼 は 結局 四 時間 以上 も 遅れて しまった。 彼 を 待って いる 間 に 、私 は 木造 の 小さな 駅 で ストーブ の 前 の 椅子 に 座り ながら 、この 手紙 を 書いた んだ。

手紙 を 手 に して いる と 、その 時 の 不安 や 寂し さ が 蘇った。 その 男の子 を 愛し い と 思う 気持ち も 、彼 に 会いたい と 思う 気持ち も 、それ が 十五 年 も 前 の もの だった なんて 信じられ ない くらい に ありあり と 思い出す こと が できた。 それ は まるで 今 ある 心 の よう に 強く 鮮やかで 、その 残照 の 眩 し さ に 彼女 は 戸惑い を 覚える ほど だった。

私 は ほんとうに まっすぐに 彼 の こと が 好きだった んだ な 、と 彼女 は 思う。 私 と 彼 は 、その 初めて の デート で 初めて の キス を した。 その キス の 前 と 後 と で は 、世界 が まるで 変わって しまった みたいに 私 は 感じた。 手紙 を 渡せ なかった の は 、だから だ。

そういう こと を 今 でも まるで 昨日 の こと の よう に ──そう だ 、ほんとうに 昨日 の こと みたいだ ──、彼女 は 思い出す こと が できた。 左手 の 薬指 に はめた 小さな 宝石 の ついた 指輪 だけ が 、十五 年 と いう 時 の 経過 を 示して いた。

その 晩 、彼女 は あの 日 の 夢 を 見た。 まだ 子ども だった 彼女 と 彼 は 、雪 の 降る 静かな 夜 、桜 の 樹 の 下 で ゆっくり と 落ちて くる 雪 を 見上げて いた。

* * *

翌日 、岩舟 駅 に は 粉雪 が 舞って いた。 とはいえ 雲 は 薄く 、ところどころ に は 青空 が 透けて 見えて おり 、本降り に なる 前 に 止み そうな 気配 だった。 それ でも 十二 月 に 降雪 が ある の は ずいぶん 久しぶりだ。 あの 頃 の ような 大雪 は 、ここ 数 年 ほとんど 降って い なかった。

お 正月 まで いれば いい のに 、と 母親 に 言わ れ 、でも いろいろ 準備 も ある から 、と 彼女 は 答える。

「そう だ な 、彼 に も うまい もの 作って やれよ 」と 父親 が 言う。 うん 、と 返事 を し ながら 、お 父さん も お母さん も 歳 を とった な と 彼女 は 思った。 でも それ も 当然だ 、もう すぐ 定年 の 年齢 だ もの。 そして 私 だって 、もう 結婚 する ような 歳 に なった のだから。

小山 行き の 電車 を 待ち ながら 、こんなふうに 両親 と 三 人 で 駅 の ホーム に いる と いう の は なんだか おかしな 感じ だ と 、彼女 は 思う。 もしかしたら この 土地 に 引っ越して きた 日 以来 かも しれ ない。

あの 日 、東京 から 電車 を 乗り継ぎ 、母親 と ふた り で この ホーム に 降りた 時 の 心細 さ を 、彼女 は 今 でも よく 覚えて いる。 先 に 来て いた 父親 が 駅 の ホーム で 待って いて くれた。 岩舟 は もともと は 父親 の 実家 だった から 、彼女 も 幼い 頃 から 何度 か 来た こと の ある 場所 で は あった。 何も ない ところ だ と は 思った けれど 、静かで 良い 場所 だ と も 思って いた。 それ でも 暮らす と なる と 話 は 別な のだ。 宇都宮 で 生まれ 、もの ご ころ が ついて から は 静岡 で 育ち 、小学校 四 年 から 六 年 まで を 東京 で 過ごした 彼女 に とって は 、岩舟 駅 の 小さな ホーム は とても とても 心細く 見えた。 自分 の 住む べき 場所 で は ない よう に 感じた。 東京 へ の 強烈な 郷愁 で 、涙 が 出 そうに さえ なった。

「何 か あったら 電話 する の よ 」と 、昨夜 から 何度 も 繰り返して いる こと を 母親 が 言う。 ふいに 両親 と 、この 小さな 町 が 愛 おしく なる。 今では 離れ がたい 故郷 な のだ。 彼女 は 笑って 優しく 答える。

「大丈夫 よ。 来月 に は 式 で 会う んだから そんなに 心配 し ないで。 寒い から もう 戻り な よ」

そう 彼女 が 言い 終わる の と 同時に 、遠く から 近づいて くる 両 毛 線 の 警笛 が 聞こえる。

昼下がり の 両 毛 線 は すいて いて 、車 輌 に は 彼女 ひとり しか い なかった。 持ってきた 文庫 本 に 集中 でき ず に 、頬杖 を ついて 窓 の 外 を 眺める。

稲 が 刈られた 後 の 何も ない 田園 が 、いちめんに 広がって いる。 その 目の前 の 風景 に 、厚い 雪 が 降り積もった 状態 を 彼女 は 想像 して みる。 時間 は 真 夜中。 灯り は 遠く に 数えるほど。 きっと 窓 枠 に は びっしり と 霜 が 固まって いる。

──それ は とても 心細い 風景 だったろう と 、彼女 は 思う。 空腹 と 誰 か を 待た せて いる 罪悪 感 を いっぱいに 抱え 、やがて 停車 して しまう 電車 の 中 で 、あの 人 は その 風景 に 何 を 見て いた んだろう。

……もしかしたら。

もしかしたら 、私 が 家 に 帰って いる こと を 、彼 は 願って いた かも しれ ない。 優しい 男の子 だった から。 でも 私 は たとえ 何 時間 でも 彼 を 待つ の は 平気だった。 会い たくて 会い たくて たまらなかった。 彼 が 来 ない かも しれ ない なんて 疑い は 欠 片 も 持た なかった。 あの 日 電車 に 閉じこめられて いた 彼 に 声 を かけて あげる こと が できる なら 、と 彼女 は 強く 思った。 もし そんな こと が できる の なら。

大丈夫 、あなた の 恋人 は ずっと 待って いる から。

あなた が ちゃんと 会い に 来て くれる こと を 、その 女の子 は ちゃんと 知っている から。 だから こわばった 体 から 力 を 抜いて。 どうか 恋人 と の 楽しい 時間 を 想像 して あげて。 あなた たち は その後 もう 二度と 会う こと は ない のだ けれど 、あの 奇跡 みたいな 時間 を 、どうか 大切な もの と して いつまでも 心 の 奥 に とどめて あげて。

そこ まで 考えて 、彼女 は 思わず 笑み を こぼした。 ──何 を 考えて いる の かしら 、私 は。 昨日 から あの 男の子 の こと ばかり。

たぶん 昨日 見つけた 手紙 の せい だ 、と 彼女 は 思う。 入籍 前日 に 他の 男の子 の こと ばかり 考えて いる なんて 、ちょっと 不誠実だろう か。 でも 夫 と なる あの 人 は 、きっと そんな こと を 気 に し ない だろう と も 、彼女 は 思う。 彼 が 高崎 から 東京 へ と 転勤 する こと が 決まり 、それ を 機会 に ふた り は 結婚 を 決めた。 細かい 不満 を 言い出せば きり が ない けれど 、でも 私 は 彼 を とても 愛して いる。 たぶん 彼 も 私 を。 あの 男の子 と の 想い出 は 、もう 私 自身 の 大切な 一部 な のだ。 食べた もの が 血肉 と なる よう に 、もう 切り離す こと の でき ない 私 の 心 の 一部。

貴樹 くん が 元気で います よう に と 、窓 の 外 の 流れて いく 景色 を 眺め ながら 、明 里 は 祈った。

ただ 生活 を して いる だけ で 、悲しみ は そこ ここ に 積もる。

電灯 の スイッチ を 押し 、蛍光 灯 に 照らされた 自分 の 部屋 を 眺め ながら 、そう 、遠野 貴樹 は 思う。 まるで 細かな 埃 が 気づか ぬ うち に 厚く 堆積 する よう に 、いつの間にか この 部屋 に は そういう 感情 が 満ちて いる。

たとえば 、今 は 一 つ だけ に なった 洗面 所 の 歯 ブラシ。 たとえば 、かつて は 他の 人 の ため に 干して いた 白い シーツ。 たとえば 、携帯 電話 の 通話 履歴。

いつも と 同じ 最終 電車 で 部屋 に 戻って きて 、ネクタイ を 外し スーツ を ハンガー に 掛け ながら 、彼 は そのような こと を 思う。

でも それ を 言う ならば 水野 の 方 が ずっと 辛い に 違いない と 、冷蔵 庫 から 缶 ビール を 取り出し ながら 彼 は 思う。 水野 が この 部屋 に 来た 回数 より も ずっと 多く 、彼 は 西 国分寺 の 水野 の 部屋 に 通った から だ。 それ を とても 申し訳なく 思う。 そんな つもり で は なかった のだ。 胃 に 送り込んだ 冷たい ビール が 、帰り道 の 外気 で 冷え込んだ 彼 の 体温 を さらに 奪う。

一 月 末。

最後 の 仕事 の 日 も 、彼 は いつも と 同じ よう に コート を 着込んで 会社 に 向かい 、五 年間 座り 慣れた 自分 の デスク に つき 、コンピュータ の 電源 を 入れ 、OS が 起動 する 間 に コーヒー を 飲み ながら その 日一日 の 作業 確認 を した。 業務 の 引き継ぎ は すっかり 終わって いた が 、他の チーム の ため の 単発 の 小さな 仕事 を 、彼 は 退職 日 まで できる 限り 引き受けて いた。 そして 皮肉な こと に 、そういう 仕事 を 通じて 彼 に は 社 内 に 友人 と 呼べる ような者 たち が 何 人 か できて いた。 皆 が 彼 の 退職 を 惜しみ 、今夜 は 一 席 設けたい と 言って くれた が 、彼 は それ を 丁寧に 断った。 「せっかく な のに 申し訳ない ん です けど 、いつも 通り に 仕事 を したい ん です。 これ から しばらく 暇に なる から 、また 誘って ください 」と 彼 は 言った。

夕方 に は かつて の チーム リーダー が 彼 の 席 まで やってきて 、床 を 見つめ ながら 「いろいろ 悪かった な 」、と ぼ そり と 言った。 彼 は すこし 驚いて 、「とんで も ありません 」と 返事 を した。 彼ら が 会話 を した の は 、一 年 前 に チーム リーダー が 他 チーム に 異動 に なって 以来 だった。

そして キーボード を 叩き ながら 、もう 二度と ここ に 来 なくて も よい のだ と 思う。 それ は とても 不思議な 感覚 だった。

〈あなた の こと は 今 でも 好きです 〉と 、水野 は その 最後 の メール に 書いて いた。

〈これ から も ずっと 好きな まま で いる と 思います。 貴樹 くん は 今 でも 私 に とって 、優しくて 素敵で 、すこし 遠い 憧れ の 人 です〉

〈私 は 貴樹 くん と 付きあって 、人 は なんて 簡単に 誰 か に 心 を 支配 されて しまう もの な んだろう 、と いう こと を 初めて 知りました。 私 は この 三 年間 、毎日 まいにち 貴樹 くん を 好きに なって いって しまった ような 気 が します。 貴樹 くん の 一言 ひとこと 、メール の 一 文 いち ぶん に 喜んだり 悲しんだり して いました。 つまらない こと で ずいぶん 嫉妬 して 、貴樹 くん を たくさん 困ら せました。 そして 、勝手な 言い 方 な のだ けれど 、そういう こと に なんだか ちょっと 疲れて きて しまった ような 気 が する のです〉

〈私 は そういう こと を 半年 くらい 前 から 、貴樹 くん に いろんな 形 で 伝えよう と して きました。 でも 、どうしても 上手く 伝える こと が できません でした〉


秒速 5センチメートル (17) びょうそく| 5 Zentimeter pro Sekunde (17) 5 Centimeters per Second (17) 5 centímetros por segundo (17) 5 centymetrów na sekundę (17) 秒速5厘米 (17) 秒速5公分 (17)

貴樹 くん 、あなた は きっと 大丈夫だ よ 、と。 たかき|||||だいじょうぶだ|| I'm sure you'll be fine.

篠原 明 里 が その 古い 手紙 を 見つけた の は 、引っ越し の ため の 荷物 を 整理 して いる 時 だった。 しのはら|あき|さと|||ふるい|てがみ||みつけた|||ひっこし||||にもつ||せいり|||じ| Akari Shinohara found the old letter when she was packing up her belongings for a move.

それ は 押し入れ の 奥深く に しまわれた 段ボール の 中 に あった。 ||おしいれ||おくふかく|||だんぼーる||なか|| It was in a cardboard box tucked away deep in a closet. 段ボール の 蓋 を 閉じて ある ガムテープ に は ただ 「むかし の もの 」と 書かれて いる だけ で (もちろん それ は 何 年 も 前 に 自分 で 書いた はずな のだ が )、彼女 は なんとなく 興味 を 惹 かれて その 段ボール 箱 を 開けて みた。 だんぼーる||ふた||とじて||がむてーぷ||||||||かかれて|||||||なん|とし||ぜん||じぶん||かいた||||かのじょ|||きょうみ||じゃく|||だんぼーる|はこ||あけて| The duct tape holding the cardboard lid closed just says, "Once upon a time." She was intrigued and opened the cardboard box, only to find a note that said, "I am a member of the Japan Society for the Promotion of Science (JSPS)," which she had written herself many years before. その 中 に は 、小学生 から 中学生 時代 に かけて の 細々と した もの が 入って いた。 |なか|||しょうがくせい||ちゅうがくせい|じだい||||さいさいと||||はいって| Among them were small items from elementary and junior high school. 卒業 文集 、修学 旅行 の しおり 、小学生 向け の 月刊 誌 が 数 冊 、何 を 録音 した の か もう 覚えて いない カセットテープ 、色褪せた 赤い ランドセル と 、中学 の 時 に 使って いた 革 の 鞄。 そつぎょう|ぶんしゅう|しゅうがく|りょこう|||しょうがくせい|むけ||げっかん|し||すう|さつ|なん||ろくおん|||||おぼえて|||いろあせた|あかい|らんどせる||ちゅうがく||じ||つかって||かわ||かばん A graduation letter book, a bookmark from a school trip, several elementary school monthly magazines, a cassette tape that I no longer remember what I recorded, a faded red school bag, and a leather bag I used in junior high school.

そういう 懐かしい もの たち を 一つひとつ 手 に とって 眺め ながら 、もしかしたら あの 手紙 を 見つける かも しれ ない 、と いう 予感 が あった。 |なつかしい||||ひとつひとつ|て|||ながめ||||てがみ||みつける||||||よかん|| As I gazed at these nostalgic items one by one, I had a feeling that I might find that letter. そして 段ボール の いちばん 下 に クッキー の 空き缶 を 見つけた 時 に 、彼女 は 思い出した。 |だんぼーる|||した||くっきー||あきかん||みつけた|じ||かのじょ||おもいだした And when she found an empty cookie tin at the bottom of the cardboard box, she remembered. そう だ 、私 は 中学校 の 卒業 式 の 夜 、あの 手紙 を この 缶 の 中 に しまった んだ。 ||わたくし||ちゅうがっこう||そつぎょう|しき||よ||てがみ|||かん||なか||| Yes, I put that letter in this can on the night of my junior high school graduation. 鞄 から 出す こと が でき ず に 長い 間 持ち歩き 続けて いた 手紙 で 、卒業 を 機会 に 、振り切る よう に この 缶 に しまった のだ。 かばん||だす||||||ながい|あいだ|もちあるき|つづけて||てがみ||そつぎょう||きかい||ふりきる||||かん||| I had been carrying around this letter for a long time, unable to take it out of my bag, and on the occasion of my graduation, I put it in this can to shake it off.

缶 の 蓋 を 開ける と 、中学 の 時 に 大切に して いた 薄い ノート に 挟まれて 、その 手紙 は あった。 かん||ふた||あける||ちゅうがく||じ||たいせつに|||うすい|のーと||はさまれて||てがみ|| When I opened the lid of the can, I found the letter tucked into a thin notebook that I had treasured from junior high school. それ は 彼女 が 初めて 書いた ラブ レター だった。 ||かのじょ||はじめて|かいた|らぶ|れたー| It was the first love letter she ever wrote.

それ は もう 十五 年 も 前 、好きだった 男の子 と の 初めて の デート の 時 に 渡す つもりで 書いた 手紙 だった。 |||じゅうご|とし||ぜん|すきだった|おとこのこ|||はじめて||でーと||じ||わたす||かいた|てがみ| It was a letter I had written to a boy I had liked 15 years ago, with the intention of giving it to him on our first date.

その 日 は 深く 静かな 雪 の 日 だった な 、と 彼女 は 思い出す。 |ひ||ふかく|しずかな|ゆき||ひ||||かのじょ||おもいだす It was a deep, quiet snow day, she recalls. まだ 私 は 十三 歳 に なった ばかりで 、私 が 好きだった 男の子 は 電車 で 三 時間 も かかる 場所 に 住んで いて 、その 日 は 彼 が 電車 を 乗り継いで 私 に 会い に 来て くれる 日 だった のだ。 |わたくし||じゅうさん|さい||||わたくし||すきだった|おとこのこ||でんしゃ||みっ|じかん|||ばしょ||すんで|||ひ||かれ||でんしゃ||のりついで|わたくし||あい||きて||ひ|| I had just turned 13, and the boy I liked lived three hours away by train. でも 雪 の せい で 電車 が 遅れて 、彼 は 結局 四 時間 以上 も 遅れて しまった。 |ゆき||||でんしゃ||おくれて|かれ||けっきょく|よっ|じかん|いじょう||おくれて| But the train was delayed because of the snow, and he ended up being more than four hours late. 彼 を 待って いる 間 に 、私 は 木造 の 小さな 駅 で ストーブ の 前 の 椅子 に 座り ながら 、この 手紙 を 書いた んだ。 かれ||まって||あいだ||わたくし||もくぞう||ちいさな|えき||すとーぶ||ぜん||いす||すわり|||てがみ||かいた| While I was waiting for him, I sat in a chair in front of the stove in a small wooden station and wrote this letter.

手紙 を 手 に して いる と 、その 時 の 不安 や 寂し さ が 蘇った。 てがみ||て||||||じ||ふあん||さびし|||よみがえった Holding the letter in my hand brought back the anxiety and loneliness I felt at that time. その 男の子 を 愛し い と 思う 気持ち も 、彼 に 会いたい と 思う 気持ち も 、それ が 十五 年 も 前 の もの だった なんて 信じられ ない くらい に ありあり と 思い出す こと が できた。 |おとこのこ||あいし|||おもう|きもち||かれ||あいたい||おもう|きもち||||じゅうご|とし||ぜん|||||しんじられ||||||おもいだす||| It was hard to believe that it had been fifteen years ago that I had felt such love for this boy and such a longing to meet him. それ は まるで 今 ある 心 の よう に 強く 鮮やかで 、その 残照 の 眩 し さ に 彼女 は 戸惑い を 覚える ほど だった。 |||いま||こころ||||つよく|あざやかで||ざんしょう||くら||||かのじょ||とまどい||おぼえる|| It was as strong and vivid as her existing mind, and the glare of the afterglow was enough to make her feel confused.

私 は ほんとうに まっすぐに 彼 の こと が 好きだった んだ な 、と 彼女 は 思う。 わたくし||||かれ||||すきだった||||かのじょ||おもう She thinks, "I really loved him straight away. 私 と 彼 は 、その 初めて の デート で 初めて の キス を した。 わたくし||かれ|||はじめて||でーと||はじめて||きす|| その キス の 前 と 後 と で は 、世界 が まるで 変わって しまった みたいに 私 は 感じた。 |きす||ぜん||あと||||せかい|||かわって|||わたくし||かんじた Before and after that kiss, I felt as if the world had changed. 手紙 を 渡せ なかった の は 、だから だ。 てがみ||わたせ||||| That's why I couldn't give you the letter.

そういう こと を 今 でも まるで 昨日 の こと の よう に ──そう だ 、ほんとうに 昨日 の こと みたいだ ──、彼女 は 思い出す こと が できた。 |||いま|||きのう|||||||||きのう||||かのじょ||おもいだす||| She could still remember these things as if they had happened yesterday - yes, really, like yesterday. 左手 の 薬指 に はめた 小さな 宝石 の ついた 指輪 だけ が 、十五 年 と いう 時 の 経過 を 示して いた。 ひだりて||くすりゆび|||ちいさな|ほうせき|||ゆびわ|||じゅうご|とし|||じ||けいか||しめして| A small jeweled ring on the ring finger of his left hand was the only indication of the passage of fifteen years.

その 晩 、彼女 は あの 日 の 夢 を 見た。 |ばん|かのじょ|||ひ||ゆめ||みた That night, she dreamed of that day. まだ 子ども だった 彼女 と 彼 は 、雪 の 降る 静かな 夜 、桜 の 樹 の 下 で ゆっくり と 落ちて くる 雪 を 見上げて いた。 |こども||かのじょ||かれ||ゆき||ふる|しずかな|よ|さくら||き||した||||おちて||ゆき||みあげて| She and he were still children, looking up at the snow falling slowly under a cherry tree on a quiet, snowy night.

* * *

翌日 、岩舟 駅 に は 粉雪 が 舞って いた。 よくじつ|いわふね|えき|||こなゆき||まって| The next day, there was a dusting of snow at Iwafune station. とはいえ 雲 は 薄く 、ところどころ に は 青空 が 透けて 見えて おり 、本降り に なる 前 に 止み そうな 気配 だった。 |くも||うすく||||あおぞら||すけて|みえて||ほんぶり|||ぜん||やみ|そう な|けはい| However, the clouds were thin and blue sky could be seen through them in places, and it looked as if it would stop before it became a full-blown downpour. それ でも 十二 月 に 降雪 が ある の は ずいぶん 久しぶりだ。 ||じゅうに|つき||こうせつ||||||ひさしぶりだ But it has been a long time since we have had snowfall in December. あの 頃 の ような 大雪 は 、ここ 数 年 ほとんど 降って い なかった。 |ころ|||おおゆき|||すう|とし||ふって|| We haven't had heavy snowfalls like those in the past few years.

お 正月 まで いれば いい のに 、と 母親 に 言わ れ 、でも いろいろ 準備 も ある から 、と 彼女 は 答える。 |しょうがつ||||||ははおや||いわ||||じゅんび|||||かのじょ||こたえる Her mother tells her that she should stay until New Year's, but she has a lot of preparations to make.

「そう だ な 、彼 に も うまい もの 作って やれよ 」と 父親 が 言う。 |||かれ|||||つくって|||ちちおや||いう His father says, "Well, make him something good to eat, too. うん 、と 返事 を し ながら 、お 父さん も お母さん も 歳 を とった な と 彼女 は 思った。 ||へんじ|||||とうさん||お かあさん||さい|||||かのじょ||おもった She thought that her father and mother were getting old, as she replied, "Yes. でも それ も 当然だ 、もう すぐ 定年 の 年齢 だ もの。 |||とうぜんだ|||ていねん||ねんれい|| But that's to be expected, since I'm about to retire. そして 私 だって 、もう 結婚 する ような 歳 に なった のだから。 |わたくし|||けっこん|||さい||| And I am old enough to get married.

小山 行き の 電車 を 待ち ながら 、こんなふうに 両親 と 三 人 で 駅 の ホーム に いる と いう の は なんだか おかしな 感じ だ と 、彼女 は 思う。 こやま|いき||でんしゃ||まち|||りょうしん||みっ|じん||えき||ほーむ|||||||||かんじ|||かのじょ||おもう She thought it was strange that she and her parents were on the platform of the station, waiting for the train to Oyama. もしかしたら この 土地 に 引っ越して きた 日 以来 かも しれ ない。 ||とち||ひっこして||ひ|いらい||| It may have been since the day I moved here.

あの 日 、東京 から 電車 を 乗り継ぎ 、母親 と ふた り で この ホーム に 降りた 時 の 心細 さ を 、彼女 は 今 でも よく 覚えて いる。 |ひ|とうきょう||でんしゃ||のりつぎ|ははおや||||||ほーむ||おりた|じ||こころぼそ|||かのじょ||いま|||おぼえて| She still remembers how uneasy she felt when she and her mother got off the train from Tokyo that day. 先 に 来て いた 父親 が 駅 の ホーム で 待って いて くれた。 さき||きて||ちちおや||えき||ほーむ||まって|| My father, who had arrived earlier, was waiting for me on the station platform. 岩舟 は もともと は 父親 の 実家 だった から 、彼女 も 幼い 頃 から 何度 か 来た こと の ある 場所 で は あった。 いわふね||||ちちおや||じっか|||かのじょ||おさない|ころ||なんど||きた||||ばしょ||| Iwafune was originally her father's family home, so she had been there several times since she was a child. 何も ない ところ だ と は 思った けれど 、静かで 良い 場所 だ と も 思って いた。 なにも||||||おもった||しずかで|よい|ばしょ||||おもって| I thought it was an empty place, but I also thought it was a nice, quiet place. それ でも 暮らす と なる と 話 は 別な のだ。 ||くらす||||はなし||べつな| But when it comes to living, it's a different story. 宇都宮 で 生まれ 、もの ご ころ が ついて から は 静岡 で 育ち 、小学校 四 年 から 六 年 まで を 東京 で 過ごした 彼女 に とって は 、岩舟 駅 の 小さな ホーム は とても とても 心細く 見えた。 うつのみや||うまれ||||||||しずおか||そだち|しょうがっこう|よっ|とし||むっ|とし|||とうきょう||すごした|かのじょ||||いわふね|えき||ちいさな|ほーむ||||こころぼそく|みえた She was born in Utsunomiya, grew up in Shizuoka, and spent her fourth through sixth grades in Tokyo, so the small platform at Iwafune Station seemed very, very intimidating to her. 自分 の 住む べき 場所 で は ない よう に 感じた。 じぶん||すむ||ばしょ||||||かんじた 東京 へ の 強烈な 郷愁 で 、涙 が 出 そうに さえ なった。 とうきょう|||きょうれつな|きょうしゅう||なみだ||だ|そう に|| I was even moved to tears by the intense nostalgia for Tokyo.

「何 か あったら 電話 する の よ 」と 、昨夜 から 何度 も 繰り返して いる こと を 母親 が 言う。 なん|||でんわ|||||さくや||なんど||くりかえして||||ははおや||いう She says, "You have to call me if anything happens," something she has repeated many times since last night. ふいに 両親 と 、この 小さな 町 が 愛 おしく なる。 |りょうしん|||ちいさな|まち||あい|| Suddenly, she feels affection for her parents and this small town. 今では 離れ がたい 故郷 な のだ。 いまでは|はなれ||こきょう|| It is now my hometown that I cannot leave. 彼女 は 笑って 優しく 答える。 かのじょ||わらって|やさしく|こたえる She smiles and replies gently.

「大丈夫 よ。 だいじょうぶ| 来月 に は 式 で 会う んだから そんなに 心配 し ないで。 らいげつ|||しき||あう|||しんぱい|| Don't worry so much because we will see each other at the wedding next month. 寒い から もう 戻り な よ」 さむい|||もどり|| It's cold, so don't come back."

そう 彼女 が 言い 終わる の と 同時に 、遠く から 近づいて くる 両 毛 線 の 警笛 が 聞こえる。 |かのじょ||いい|おわる|||どうじに|とおく||ちかづいて||りょう|け|せん||けいてき||きこえる

昼下がり の 両 毛 線 は すいて いて 、車 輌 に は 彼女 ひとり しか い なかった。 ひるさがり||りょう|け|せん||||くるま|りょう|||かのじょ|||| The Ryomo Line was empty in the late afternoon, and there was only one woman on the train. 持ってきた 文庫 本 に 集中 でき ず に 、頬杖 を ついて 窓 の 外 を 眺める。 もってきた|ぶんこ|ほん||しゅうちゅう||||ほおづえ|||まど||がい||ながめる Unable to concentrate on the paperback book I had brought with me, I put my head on my cheekbones and look out the window.

稲 が 刈られた 後 の 何も ない 田園 が 、いちめんに 広がって いる。 いね||かられた|あと||なにも||でんえん|||ひろがって| After the rice has been harvested, the empty rice paddies are spread out all over the area. その 目の前 の 風景 に 、厚い 雪 が 降り積もった 状態 を 彼女 は 想像 して みる。 |めのまえ||ふうけい||あつい|ゆき||ふりつもった|じょうたい||かのじょ||そうぞう|| She tries to imagine a thick layer of snow on the landscape in front of her. 時間 は 真 夜中。 じかん||まこと|よなか The time is midnight. 灯り は 遠く に 数えるほど。 ともり||とおく||かぞえるほど The lights are so far away that you can only count them. きっと 窓 枠 に は びっしり と 霜 が 固まって いる。 |まど|わく|||||しも||かたまって| The window frames must be covered with frost.

──それ は とても 心細い 風景 だったろう と 、彼女 は 思う。 |||こころぼそい|ふうけい|||かのじょ||おもう She thinks it must have been a very disturbing scene. 空腹 と 誰 か を 待た せて いる 罪悪 感 を いっぱいに 抱え 、やがて 停車 して しまう 電車 の 中 で 、あの 人 は その 風景 に 何 を 見て いた んだろう。 くうふく||だれ|||また|||ざいあく|かん|||かかえ||ていしゃ|||でんしゃ||なか|||じん|||ふうけい||なん||みて|| I wonder what that person saw on the train as it came to a halt, full of hunger and guilt about waiting for someone else.

……もしかしたら。

もしかしたら 、私 が 家 に 帰って いる こと を 、彼 は 願って いた かも しれ ない。 |わたくし||いえ||かえって||||かれ||ねがって|||| Maybe he was hoping I would be home. 優しい 男の子 だった から。 やさしい|おとこのこ|| Because he was a kind boy. でも 私 は たとえ 何 時間 でも 彼 を 待つ の は 平気だった。 |わたくし|||なん|じかん||かれ||まつ|||へいきだった But I was fine with waiting for him, even if it was for hours. 会い たくて 会い たくて たまらなかった。 あい||あい|| I wanted to see him so much, I couldn't wait to see him. 彼 が 来 ない かも しれ ない なんて 疑い は 欠 片 も 持た なかった。 かれ||らい||||||うたがい||けつ|かた||もた| I had no doubt in my mind that he might not come. あの 日 電車 に 閉じこめられて いた 彼 に 声 を かけて あげる こと が できる なら 、と 彼女 は 強く 思った。 |ひ|でんしゃ||とじこめられて||かれ||こえ|||||||||かのじょ||つよく|おもった She strongly hoped that she would be able to speak to him that day when he was trapped in the train. もし そんな こと が できる の なら。 If such a thing were possible.

大丈夫 、あなた の 恋人 は ずっと 待って いる から。 だいじょうぶ|||こいびと|||まって|| Don't worry, your lover is waiting for you.

あなた が ちゃんと 会い に 来て くれる こと を 、その 女の子 は ちゃんと 知っている から。 |||あい||きて|||||おんなのこ|||しっている| She knows that you will come to see her. だから こわばった 体 から 力 を 抜いて。 ||からだ||ちから||ぬいて So relax your stiff body. どうか 恋人 と の 楽しい 時間 を 想像 して あげて。 |こいびと|||たのしい|じかん||そうぞう|| Please imagine a good time with your lover. あなた たち は その後 もう 二度と 会う こと は ない のだ けれど 、あの 奇跡 みたいな 時間 を 、どうか 大切な もの と して いつまでも 心 の 奥 に とどめて あげて。 |||そのご||にどと|あう|||||||きせき||じかん|||たいせつな|||||こころ||おく||| Although you will never see each other again, please keep that miraculous time in the back of your mind forever.

そこ まで 考えて 、彼女 は 思わず 笑み を こぼした。 ||かんがえて|かのじょ||おもわず|えみ|| Thinking about it, she couldn't help but smile. ──何 を 考えて いる の かしら 、私 は。 なん||かんがえて||||わたくし| What am I thinking? 昨日 から あの 男の子 の こと ばかり。 きのう|||おとこのこ||| Since yesterday, I've been talking about that boy.

たぶん 昨日 見つけた 手紙 の せい だ 、と 彼女 は 思う。 |きのう|みつけた|てがみ|||||かのじょ||おもう 入籍 前日 に 他の 男の子 の こと ばかり 考えて いる なんて 、ちょっと 不誠実だろう か。 にゅうせき|ぜんじつ||たの|おとこのこ||||かんがえて||||ふせいじつだろう| I wonder if it is a bit dishonest to be thinking about other boys on the eve of the wedding. でも 夫 と なる あの 人 は 、きっと そんな こと を 気 に し ない だろう と も 、彼女 は 思う。 |おっと||||じん||||||き|||||||かのじょ||おもう But she also thinks that her husband-to-be will probably not care about such things. 彼 が 高崎 から 東京 へ と 転勤 する こと が 決まり 、それ を 機会 に ふた り は 結婚 を 決めた。 かれ||たかさき||とうきょう|||てんきん||||きまり|||きかい|||||けっこん||きめた When he decided to transfer from Takasaki to Tokyo, they decided to use the opportunity to get married. 細かい 不満 を 言い出せば きり が ない けれど 、でも 私 は 彼 を とても 愛して いる。 こまかい|ふまん||いいだせば||||||わたくし||かれ|||あいして| There are endless complaints, but I love him very much. たぶん 彼 も 私 を。 |かれ||わたくし| Maybe he also me. あの 男の子 と の 想い出 は 、もう 私 自身 の 大切な 一部 な のだ。 |おとこのこ|||おもいで|||わたくし|じしん||たいせつな|いちぶ|| The memories of that boy are now an important part of who I am. 食べた もの が 血肉 と なる よう に 、もう 切り離す こと の でき ない 私 の 心 の 一部。 たべた|||けつにく||||||きりはなす|||||わたくし||こころ||いちぶ It is an inseparable part of my heart, just as the food I eat becomes my flesh and blood.

貴樹 くん が 元気で います よう に と 、窓 の 外 の 流れて いく 景色 を 眺め ながら 、明 里 は 祈った。 たかき|||げんきで|||||まど||がい||ながれて||けしき||ながめ||あき|さと||いのった Watching the scenery outside the window, Akari prayed that Takaki would be fine.

ただ 生活 を して いる だけ で 、悲しみ は そこ ここ に 積もる。 |せいかつ||||||かなしみ|||||つもる Sadness piles up here and there just by living life.

電灯 の スイッチ を 押し 、蛍光 灯 に 照らされた 自分 の 部屋 を 眺め ながら 、そう 、遠野 貴樹 は 思う。 でんとう||すいっち||おし|けいこう|とう||てらされた|じぶん||へや||ながめ|||とおの|たかき||おもう Takaki Tono presses the light switch and gazes at his room illuminated by the fluorescent lamps. まるで 細かな 埃 が 気づか ぬ うち に 厚く 堆積 する よう に 、いつの間にか この 部屋 に は そういう 感情 が 満ちて いる。 |こまかな|ほこり||きづか||||あつく|たいせき||||いつのまにか||へや||||かんじょう||みちて| As if fine dust were deposited thickly without being noticed, this room is filled with such feelings before we know it.

たとえば 、今 は 一 つ だけ に なった 洗面 所 の 歯 ブラシ。 |いま||ひと|||||せんめん|しょ||は|ぶらし For example, there is now only one toothbrush in the bathroom. たとえば 、かつて は 他の 人 の ため に 干して いた 白い シーツ。 |||たの|じん||||ほして||しろい|しーつ For example, white sheets that used to be hung out to dry for others. たとえば 、携帯 電話 の 通話 履歴。 |けいたい|でんわ||つうわ|りれき For example, cell phone call history.

いつも と 同じ 最終 電車 で 部屋 に 戻って きて 、ネクタイ を 外し スーツ を ハンガー に 掛け ながら 、彼 は そのような こと を 思う。 ||おなじ|さいしゅう|でんしゃ||へや||もどって||ねくたい||はずし|すーつ||はんがー||かけ||かれ|||||おもう He thinks about this as he returns to his room on the same last train, takes off his tie, and hangs his suit on a hanger.

でも それ を 言う ならば 水野 の 方 が ずっと 辛い に 違いない と 、冷蔵 庫 から 缶 ビール を 取り出し ながら 彼 は 思う。 |||いう||みずの||かた|||からい||ちがいない||れいぞう|こ||かん|びーる||とりだし||かれ||おもう He thinks that Mizuno must be in a lot more pain than he is, as he takes a can of beer out of the freezer. 水野 が この 部屋 に 来た 回数 より も ずっと 多く 、彼 は 西 国分寺 の 水野 の 部屋 に 通った から だ。 みずの|||へや||きた|かいすう||||おおく|かれ||にし|こくぶんじ||みずの||へや||かよった|| He went to Mizuno's room in Nishi-Kokubunji much more often than Mizuno came to this room. それ を とても 申し訳なく 思う。 |||もうしわけなく|おもう For that, I am very sorry. そんな つもり で は なかった のだ。 胃 に 送り込んだ 冷たい ビール が 、帰り道 の 外気 で 冷え込んだ 彼 の 体温 を さらに 奪う。 い||おくりこんだ|つめたい|びーる||かえりみち||がいき||ひえこんだ|かれ||たいおん|||うばう The cold beer in his stomach further deprives him of his body temperature, which has been cooled by the open air on the way home.

一 月 末。 ひと|つき|すえ End of Jan.

最後 の 仕事 の 日 も 、彼 は いつも と 同じ よう に コート を 着込んで 会社 に 向かい 、五 年間 座り 慣れた 自分 の デスク に つき 、コンピュータ の 電源 を 入れ 、OS が 起動 する 間 に コーヒー を 飲み ながら その 日一日 の 作業 確認 を した。 さいご||しごと||ひ||かれ||||おなじ|||こーと||きこんで|かいしゃ||むかい|いつ|ねんかん|すわり|なれた|じぶん||ですく|||こんぴゅーた||でんげん||いれ|os||きどう||あいだ||こーひー||のみ|||ひいちにち||さぎょう|かくにん|| On his last day of work, he put on his coat as usual, headed to the office, sat at his desk where he had sat for five years, turned on his computer, and reviewed the day's work, sipping coffee while the OS booted up. 業務 の 引き継ぎ は すっかり 終わって いた が 、他の チーム の ため の 単発 の 小さな 仕事 を 、彼 は 退職 日 まで できる 限り 引き受けて いた。 ぎょうむ||ひきつぎ|||おわって|||たの|ちーむ||||たんぱつ||ちいさな|しごと||かれ||たいしょく|ひ|||かぎり|ひきうけて| The handover was complete, but he took on as many one-time small jobs for the rest of the team as he could until the day he retired. そして 皮肉な こと に 、そういう 仕事 を 通じて 彼 に は 社 内 に 友人 と 呼べる ような者 たち が 何 人 か できて いた。 |ひにくな||||しごと||つうじて|かれ|||しゃ|うち||ゆうじん||よべる|ような しゃ|||なん|じん||| Ironically, through such work, he had made some friends within the company. 皆 が 彼 の 退職 を 惜しみ 、今夜 は 一 席 設けたい と 言って くれた が 、彼 は それ を 丁寧に 断った。 みな||かれ||たいしょく||おしみ|こんや||ひと|せき|もうけたい||いって|||かれ||||ていねいに|たった Everyone regretted his retirement and offered to have dinner with him tonight, but he politely declined. 「せっかく な のに 申し訳ない ん です けど 、いつも 通り に 仕事 を したい ん です。 |||もうしわけない|||||とおり||しごと|||| I'm sorry to bother you, but I'd like to work as usual. これ から しばらく 暇に なる から 、また 誘って ください 」と 彼 は 言った。 |||ひまに||||さそって|||かれ||いった I'm going to be free for a while now, so please ask me out again. He said.

夕方 に は かつて の チーム リーダー が 彼 の 席 まで やってきて 、床 を 見つめ ながら 「いろいろ 悪かった な 」、と ぼ そり と 言った。 ゆうがた|||||ちーむ|りーだー||かれ||せき|||とこ||みつめ|||わるかった||||||いった In the evening, the former team leader walked up to his seat, stared at the floor, and said, "I'm sorry about everything. 彼 は すこし 驚いて 、「とんで も ありません 」と 返事 を した。 かれ|||おどろいて|||||へんじ|| He was a little surprised and replied, "Of course not. 彼ら が 会話 を した の は 、一 年 前 に チーム リーダー が 他 チーム に 異動 に なって 以来 だった。 かれら||かいわ|||||ひと|とし|ぜん||ちーむ|りーだー||た|ちーむ||いどう|||いらい| They had not spoken to each other since the team leader was transferred to another team a year earlier.

そして キーボード を 叩き ながら 、もう 二度と ここ に 来 なくて も よい のだ と 思う。 |||たたき|||にどと|||らい||||||おもう And as I tap away at my keyboard, I know I don't have to come back here again. それ は とても 不思議な 感覚 だった。 |||ふしぎな|かんかく| It was a very strange sensation.

〈あなた の こと は 今 でも 好きです 〉と 、水野 は その 最後 の メール に 書いて いた。 ||||いま||すきです||みずの|||さいご||めーる||かいて| I still love you," Mizuno wrote in her last e-mail.

〈これ から も ずっと 好きな まま で いる と 思います。 ||||すきな|||||おもいます I think I will always remain fond of it. 貴樹 くん は 今 でも 私 に とって 、優しくて 素敵で 、すこし 遠い 憧れ の 人 です〉 たかき|||いま||わたくし|||やさしくて|すてきで||とおい|あこがれ||じん| Takaki is still a kind, wonderful, and slightly distant person whom I admire.

〈私 は 貴樹 くん と 付きあって 、人 は なんて 簡単に 誰 か に 心 を 支配 されて しまう もの な んだろう 、と いう こと を 初めて 知りました。 わたくし||たかき|||つきあって|じん|||かんたんに|だれ|||こころ||しはい||||||||||はじめて|しりました I have learned that it is very easy for people to be controlled by others. 私 は この 三 年間 、毎日 まいにち 貴樹 くん を 好きに なって いって しまった ような 気 が します。 わたくし|||みっ|ねんかん|まいにち||たかき|||すきに|||||き|| I have grown to love Takaki more and more every day over the past three years. 貴樹 くん の 一言 ひとこと 、メール の 一 文 いち ぶん に 喜んだり 悲しんだり して いました。 たかき|||いちげん||めーる||ひと|ぶん||||よろこんだり|かなしんだり|| I was happy and saddened by every word and every sentence of his emails. つまらない こと で ずいぶん 嫉妬 して 、貴樹 くん を たくさん 困ら せました。 ||||しっと||たかき||||こまら|せま した I was jealous of him for trivial things and caused him a lot of trouble. そして 、勝手な 言い 方 な のだ けれど 、そういう こと に なんだか ちょっと 疲れて きて しまった ような 気 が する のです〉 |かってな|いい|かた|||||||||つかれて||||き||| And, although it is selfish of me to say so, I feel that I am getting a little tired of such things.

〈私 は そういう こと を 半年 くらい 前 から 、貴樹 くん に いろんな 形 で 伝えよう と して きました。 わたくし|||||はんとし||ぜん||たかき||||かた||つたえよう||| I have been trying to communicate this to Takaki-kun in various ways for the past six months. でも 、どうしても 上手く 伝える こと が できません でした〉 ||うまく|つたえる||||