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秒速5センチメートル (5 Centimeters per Second), 秒速 5センチメートル (13)

秒速 5センチメートル (13)

「美人 な のに それ を 鼻 に かけ ない 謙虚で 気さくな 人 」と いう の が 彼女 に 対する 周囲 の 評判 で 、彼 は それ を 不思議に 思った が 、かといって それ を 訂正 して 回る 気 に も なら なかった し 、その 態度 なり 錯誤 なり の 理由 を 知りたい と も 特に 思わ なかった。 彼女 が 人 と 交わり たく ない と 思って いる のならば 、そう すれば いい のだ。 いろいろな 人間 が いる んだ な と 素朴に 思った し 、それ に 誰 だって たぶん 、程度 の 差 こそ あれ どこ か 歪んで いる のだ。 それ から あまり 面倒な こと に 首 を 突っ込み たく ない と も 、彼 は 思って いた。

しかし その 日 、彼 は 彼女 に 話しかけ ざる を 得 なかった。 十二 月 、クリスマス 直前 の 寒い 日 だった。 その 日 は 数学 講師 が 急用 が ある と か で 帰宅 して しまい 、彼 と 彼女 が ふた り だけ で 塾 に 残り テキスト の 準備 を する こと に なった。 彼女 の 様子 が おかしい と 気づいた の は 、ふた り だけ に なって から 一 時間 近く も 経って から だ。 問題 作成 に 集中 して いた 彼 は 、ふと 奇妙な 気配 に 気づき 、顔 を 上げた。 すると 向かい の 席 に 座って いた 彼女 が うつむいた まま 小刻みに 震えて いた。 瞳 は 手元 の 紙 に 向かって 大きく 見開いて いた が 、そこ を 見て いない の は 明らかだった。 額 に びっしり と 汗 を かいて いた。 彼 は 驚いて 声 を かけた が 、返事 が ない ので 立ち上がって 彼女 の 肩 を 揺すった。

「ねえ 、坂口 さん! どうした の 、大丈夫?

「……すり」

「え?

「くすり。 飲む から 、飲みもの 」と 、奇妙に 平坦な 声 で 彼女 は 言った。 彼 は 慌てて 部屋 を 出て 、塾 の 廊下 に 設置 されて いた 自動 販売 機 で お茶 を 買い 、プルタブ を 開けて 彼女 に 差し出した。 彼女 は 震える 手 で 足元 の バッグ から 錠剤 の シート を 取り出して 、「みっつ 」と 言う。 彼 は 黄色い 小さな 錠剤 を 三 つ シート から 剥がし 、彼女 の 口 に 差し入れ 、お茶 を 飲ま せた。 指先 に 触れた 彼女 の つややかな 唇 が 驚く くらい 熱かった。

彼 と その 女性 が 付きあった の は 三 ヵ 月 ほど の 短い 間 だった。 それ でも 、決して 忘れる こと の でき ない 深い 傷 の ような もの を 、彼女 は 彼 に 残した。 そして その 傷 は 、きっと 彼女 に も 残って しまった のだろう と 彼 は 思う。 あれほど 急激に 誰 か を 好きに なって しまった こと も 、同じ 相手 を あれほど 深く 憎んで しまった こと も 、初めて だった。 お互いに どう すれば もっと 愛して もらえる の か だけ を 必死に 考える 二 ヵ 月 が あり 、どう すれば 相手 を 決定 的に 傷つける こと が できる の か だけ を 考えた 一 ヵ 月 が あった。 信じられ ない ような 幸せ と 恍惚 の 日々 の 後 に 、誰 に も 相談 でき ない ような 酷 い 日々 が 続いた。 決して 口 に して は いけなかった 言葉 を お互いに 投げつけた。

──でも。 不思議な もの だ な と 、彼 は 思う。 あれほど の こと が あった はずな のに 、彼女 の 姿 で 最も 記憶 に 残って いる の は 、やはり まだ ふた り が 付きあう 前 の 十二 月 の あの 日 だ。

あの 冬 の 日 、薬 を 飲んで しばらく する と 、彼女 の 顔 は 目に見えて 生気 を 取り戻して いった。 その 様子 を 彼 は 息 を 呑 んで 、とても 不思議で 貴い 現象 を 目 に する よう に 眺めた。 まるで 世界 に 一 房 しか ない 、誰 も 目 に した こと の ない 花 が 開く さま を 見て いる ようだった。 ずっと 昔 に 、同じ よう に 世界 の 秘密の 瞬間 を 目 に した こと が あった ような 気 が した。 このような 存在 を もう 二度と 失って は なら ない と 、強く 思った。 彼女 が 数学 講師 と 付きあって いよう と 、そんな こと は まるで 関係 が なかった。

* * *

彼 が 遅い 就職 活動 を 始めた の は 、大学 四 年 の 夏 だった。 彼女 と 三 月 に 別れて から 人前 に 出る 気持ち に なる まで に 、結果 的に それ だけ かかった。 親切な 指導 教授 の 熱心な 働きかけ も あって 、秋 に は なんとか 就職 が 決まった。 それ が 本当に 自分 の やりたい 仕事 か 、やる べき 仕事 か どう か は 皆目 分から なかった が 、それ でも 働く 必要 が あった。 研究者 と して 大学 に 残る より も 、違う 世界 を 目 に して み たかった。 もう 十分 、同じ 場所 に 留まった のだから。

大学 の 卒業 式 を 終え 、荷物 を 段ボール に 詰めた せい で がらんと した 部屋 に 戻った。 東 に 面した 台所 の 小さな 窓 の 向こう に は 、古い 木造 の 建物 の 奥 に 夕日 に 染まった サンシャイン の 高層 ビル が そびえて いた。 南 に 面した 窓 から は 、雑居 ビル の 隙間 に 新宿 の 高層 ビル 群 が 小さく 見える。 それ ら の 二百 メートル を 超える 建築 物 は 、時間 帯 や 天候 に よって 様々な 表情 を 見せた。 山脈 の 峰 に 最初に 日の出 が 訪れる よう に 、高層 ビル は 朝日 の 最初の 光 を 反射 して 輝いた し 、しけった 海 に 見える 遠く の 岸壁 の よう に 、ビル たち は 雨 の 日 の 大気 に 淡く 姿 を 滲ま せた。 そういう 景色 を 彼 は 四 年間 、様々な 想い と ともに 眺めて きた。

窓 の 外 に は やがて 闇 が 降り はじめ 、地上 の 街 は 無数の 光 を 灯して 誇らしげに 輝き 出す。 段ボール の 上 に 置かれた 灰皿 を 引き寄せ 、ポケット から 煙草 を 取り出し 、ライター で 火 を つけた。 畳 に あぐら を かいて 座り 、煙 を 吐き出し ながら 、厚い 大気 を 通じて チラチラ と 瞬く 光 の 群れ を 見つめる。

自分 は この 街 で 生きて いく のだ と 、彼 は 思った。

彼 が 就職 した の は 、三鷹 に ある 中堅 の ソフトウェア 開発 企業 だった。 SE と 呼ば れる 職種 だ。 配属 された の は モバイルソリューション の 部署 で 、通信 キャリア や 端末 メーカー が 主な クライアント で 、彼 は 小さな チーム で 携帯 電話 を はじめ と する 携帯 情報 端末 の ソフトウェア 開発 を 担当 した。

仕事 に 就いて みて 初めて 分かった こと だ が 、プログラマ と いう 仕事 は 彼 に は とても 向いて いた。 それ は 孤独で 忍耐 と 集中 力 を 必要 と する 仕事 だった が 、費やした 労力 は 決して 裏切ら れる こと が なかった。 記述 した コード が 思惑 通り 動か ない 時 は 、原因 は いつでも 疑い なく 自分 自身 に ある のだ。 思索 と 内省 を 積み重ね 、確実に 動作 する 何 か ──何 千 行 に も 及ぶ コード ──を 創り だす こと は 、今 まで に ない 喜び を 彼 に 与えた。 仕事 は 忙しく 、帰宅 は ほとんど 例外 なく 深夜 で 、休日 は 月 に 五 日 も あれば 良い 方 だった が 、それ でも コンピュータ の 前 に 何 時間 座って いて も 彼 は 飽き なかった。 白 を 基調 と した 清潔な オフィス の 、パーティション で 区切られた 自分 だけ の スペース で 、来る 日 も 来る 日 も 彼 は キーボード を 叩いた。

それ が この 職種 に よく ある こと な の か 、それとも 彼 の 就職 した 会社 が たまたま そう だった の か は 分から ない が 、社員 同士 の 仕事 以外 で の 交流 は ほとんど なかった。 仕事 が 終わって から 飲み に 行く ような 習慣 は どの チーム に も なかった し 、昼食 は それぞれ が 自分 の 座席 で コンビニ 弁当 を 食べて いた し 、出社 時 と 退社 時 の 互い の 挨拶 さえ なく 、会議 の 時間 は 最小 限 で 必要な やりとり の ほとんど は 社 内 メール だった。 広い オフィス に は 常に キーボード を 叩く カタカタ と いう 音 だけ が 満ちて いて 、フロア に 百 人 以上 いる はずの 人間 の 気配 は 限りなく 希薄だった。 最初 は 大学 で の 人間 関係 と の あまり の 違い に 戸惑った が ──あの 頃 の 誰 か と の 関係 は つまるところ 際限 の ない 無駄 話 だった し 、理由 も ない の に 皆 よく 酒 を 飲んで いた ──、すぐに そのような 寡黙な 環境 に も 慣れた。 それ に 彼 は もともと 口数 の 多い 方 で も なかった。

仕事 を 終える と 、彼 は 三鷹 駅 から 終電 間近 の 中央 線 に 乗り 、新宿 で 降りて 中 野坂 上 に ある 小さな マンション の 一室 まで 帰った。 どう しよう も なく 疲れて いる 時 に は タクシー を 使った が 、たいてい は 三十 分 ほど の 距離 を 歩いた。 その 部屋 に は 大学 卒業 後 に 引っ越して きて いた。 会社 の ある 三鷹 の 方 が 家賃 の 相場 は 安かった が 、あまり 会社 に 近 すぎる 住まい に は 抵抗 が あった し 、何より も 池袋 の アパート から 小さく 見えて いた 西新宿 の 高層 ビル 群 に 、あの 眺め に 、もっと 近づいて みたい と いう 気持ち が 強かった。

だから かも しれ ない。 彼 が 一 日 の 中 で 最も 好きな 時間 は 、電車 で 荻窪 あたり を 過ぎた 頃 、窓 の 向こう に 西新宿 の 高層 ビル が 姿 を 現し 、それ が 徐々に 近づいて くる さま を 眺めて いる 時 だ。 東京 行き の 最終 電車 は ぽつりぽつり と 空席 が ある 程度 に すいて いて 、スーツ に 包まれた 体 に は 一 日 の 労働 の 疲れ と 充実 感 が 心地よく 満ちて いる。 雑居 ビル の 向こう に 小さく 見え隠れ して いた 高層 ビル を じっと 見つめて いる と 、それ は ガタン 、ガタン と いう 電車 の 振動 と ともに やがて 際立った 存在 と して 視界 に 立ち上がって くる。 東京 の 夜空 は いつでも 奇妙に 明るく 、ビル は 空 を 背 に 黒々 と した シルエット だ。 こんな 時間 に も 、人 が 働いて いる こと を 示す 黄色い 窓 の 光 が 美しく 灯って いる。 赤く 点滅 する 航空 障害 灯 は 、まるで 呼吸 を して いる よう。 自分 は 今 でも 遠く 美しい 何 か に 向かって 進んで いる のだ と 、それ を 見つめ つつ 彼 は 思う こと が できた。 そういう 時 は 、心 の 奥 が すこし 震えた。

そして また 朝 が 来て 、彼 は 会社 に 向かう。 社屋 の エントランス に ある 自動 販売 機 で 缶 コーヒー を 一 本 買い 、タイム カード を 押して 、自分 の 席 に 座って コンピュータ の 電源 を 入れる。 OS が 起動 する 間 に 缶 コーヒー を 飲み ながら 一 日 の 作業 予定 を 確認 する。 マウス を 動かして 必要な プログラム の いくつか を 立ち上げ 、指 を キーボード の ホーム ポジション に 乗せる。 目的 に 辿りつく ため の アルゴリズム を いくつか 考え 、検討 し 、API を 叩き 、プロシージャ を 組み立てる。 マウスカーソル も エディタ の キャレット も 、自分 の 肉体 に ぴったり と よりそって いる。 API の 先 に ある OS 、その先 に ある ミドルウェア 、そして その先 に ある はずの 、シリコン の かたまり である ハードウェア の 動作 に ついて 、非 現実 的な 電子 の 振る舞い に ついて 、思い を 馳せる。

その よう に プログラム に 熟練 して いく ほど に 、彼 は コンピュータ そのもの に ついて も 畏敬 の 念 を 抱く こと と なった。 すべて の 半導体 技術 を 支える 量子 論 へ の 漠然と した 知識 は あった が 、あらためて 職業 と して 日常 的に コンピュータ に 接し それ を 動作 さ せる こと に 慣れる ほど に 、自分 の 手 に した 道具 の 信じられ ない ほど の 複雑 さ 、それ を 可能に した 人 の 所業 に 思い を 馳せ ない わけに は いか なかった。 それ は ほとんど 神秘 的だ と さえ 、彼 は 思った。 宇宙 を 記述 する ため に 生まれた 相対 性 理論 が あり 、ナノスケール の 振る舞い を 記述 する 量子 論 が あり 、そして それ ら は 来るべき 大 統一 理論 なり 超 弦 理論 なり で いつか 統合 さ れる の かも しれ ない と 考えた 時 、コンピュータ を 扱う と いう こと 自体 が 何 か 世界 の 秘密に 触れる 行為 である か の よう に 思えた。 そして その 世界 の 秘密に は 、もう ずっと 昔 に 過ぎ去って しまった 夢 や 想い 、好きだった 場所 や 放課後 に 聴いた 音楽 、特別だった 女の子 と の 叶える こと の でき なかった 約束 、そういった もの に 繋がる 通路 が 隠されて いる ような ──はっきり と した 理由 は ない のだ けれど 、そんな 気 が した。 だから 何 か 大切な もの を 取り戻そう と する か の ような ある 種 の 切実 さ を 持って 、彼 は 仕事 に 深く のめり込んで いった。 まるで 孤独な 演奏者 が 楽器 と 深く 対話 する よう に 、彼 は キーボード を 静かに 叩き 続けた。


秒速 5センチメートル (13) びょうそく| 5 Zentimeter pro Sekunde (13) 5 Centimeters per Second (13) 5 centímetros por segundo (13) 5 centymetrów na sekundę (13) 5 centímetros por segundo (13) 秒速5厘米 (13) 秒速5公分 (13)

「美人 な のに それ を 鼻 に かけ ない 謙虚で 気さくな 人 」と いう の が 彼女 に 対する 周囲 の 評判 で 、彼 は それ を 不思議に 思った が 、かといって それ を 訂正 して 回る 気 に も なら なかった し 、その 態度 なり 錯誤 なり の 理由 を 知りたい と も 特に 思わ なかった。 びじん|||||はな||||けんきょで|きさくな|じん|||||かのじょ||たいする|しゅうい||ひょうばん||かれ||||ふしぎに|おもった|||||ていせい||まわる|き|||||||たいど||さくご|||りゆう||しりたい|||とくに|おもわ| He wondered about her reputation as "a modest and friendly person who doesn't let her beauty get in the way of her modesty," but he was not inclined to go around correcting her, nor did he particularly want to know the reason for her attitude or her delusions. 彼女 が 人 と 交わり たく ない と 思って いる のならば 、そう すれば いい のだ。 かのじょ||じん||まじわり||||おもって|||||| If she doesn't want to socialize, then so be it. いろいろな 人間 が いる んだ な と 素朴に 思った し 、それ に 誰 だって たぶん 、程度 の 差 こそ あれ どこ か 歪んで いる のだ。 |にんげん||||||そぼくに|おもった||||だれ|||ていど||さ|||||ゆがんで|| I naively thought that there are all kinds of people, and that everyone is probably distorted in some way, to one degree or another. それ から あまり 面倒な こと に 首 を 突っ込み たく ない と も 、彼 は 思って いた。 |||めんどうな|||くび||つっこみ|||||かれ||おもって| He also didn't want to get involved in anything too complicated.

しかし その 日 、彼 は 彼女 に 話しかけ ざる を 得 なかった。 ||ひ|かれ||かのじょ||はなしかけ|||とく| But that day, he had to talk to her. 十二 月 、クリスマス 直前 の 寒い 日 だった。 じゅうに|つき|くりすます|ちょくぜん||さむい|ひ| It was a cold day in December, just before Christmas. その 日 は 数学 講師 が 急用 が ある と か で 帰宅 して しまい 、彼 と 彼女 が ふた り だけ で 塾 に 残り テキスト の 準備 を する こと に なった。 |ひ||すうがく|こうし||きゅうよう||||||きたく|||かれ||かのじょ||||||じゅく||のこり|てきすと||じゅんび||||| The math instructor had to go home that day for an urgent appointment, so he and his girlfriend stayed alone at the school to prepare the textbooks. 彼女 の 様子 が おかしい と 気づいた の は 、ふた り だけ に なって から 一 時間 近く も 経って から だ。 かのじょ||ようす||||きづいた|||||||||ひと|じかん|ちかく||たって|| It was not until nearly an hour after they had been alone together that I noticed something strange about her. 問題 作成 に 集中 して いた 彼 は 、ふと 奇妙な 気配 に 気づき 、顔 を 上げた。 もんだい|さくせい||しゅうちゅう|||かれ|||きみょうな|けはい||きづき|かお||あげた He was concentrating on writing a problem when he suddenly noticed a strange presence and looked up. すると 向かい の 席 に 座って いた 彼女 が うつむいた まま 小刻みに 震えて いた。 |むかい||せき||すわって||かのじょ||||こきざみに|ふるえて| Then, I saw her sitting across from me, depressed and trembling slightly. 瞳 は 手元 の 紙 に 向かって 大きく 見開いて いた が 、そこ を 見て いない の は 明らかだった。 ひとみ||てもと||かみ||むかって|おおきく|みひらいて|||||みて||||あきらかだった His eyes were wide as he looked at the paper in his hand, but it was clear he was not looking there. 額 に びっしり と 汗 を かいて いた。 がく||||あせ||| He was sweating profusely on his forehead. 彼 は 驚いて 声 を かけた が 、返事 が ない ので 立ち上がって 彼女 の 肩 を 揺すった。 かれ||おどろいて|こえ||||へんじ||||たちあがって|かのじょ||かた||ゆすった He was startled and called out to her, but when she didn't answer, he stood up and shook her shoulder.

「ねえ 、坂口 さん! |さかぐち| Hey, Mr. Sakaguchi! どうした の 、大丈夫? ||だいじょうぶ

「……すり」 "...... grated."

「え?

「くすり。 飲む から 、飲みもの 」と 、奇妙に 平坦な 声 で 彼女 は 言った。 のむ||のみもの||きみょうに|へいたんな|こえ||かのじょ||いった I'll have a drink," she said in a strangely flat voice. 彼 は 慌てて 部屋 を 出て 、塾 の 廊下 に 設置 されて いた 自動 販売 機 で お茶 を 買い 、プルタブ を 開けて 彼女 に 差し出した。 かれ||あわてて|へや||でて|じゅく||ろうか||せっち|||じどう|はんばい|き||おちゃ||かい|||あけて|かのじょ||さしだした He rushed out of the room, bought a cup of tea from a vending machine in the hallway of the school, opened the pull-tab and offered it to her. 彼女 は 震える 手 で 足元 の バッグ から 錠剤 の シート を 取り出して 、「みっつ 」と 言う。 かのじょ||ふるえる|て||あしもと||ばっぐ||じょうざい||しーと||とりだして|||いう With trembling hands, she took the sheets of pills from the bag at her feet and said, "Three. They say. 彼 は 黄色い 小さな 錠剤 を 三 つ シート から 剥がし 、彼女 の 口 に 差し入れ 、お茶 を 飲ま せた。 かれ||きいろい|ちいさな|じょうざい||みっ||しーと||はがし|かのじょ||くち||さしいれ|おちゃ||のま| He peeled off three small yellow pills from the sheet, put them in her mouth, and gave her a cup of tea. 指先 に 触れた 彼女 の つややかな 唇 が 驚く くらい 熱かった。 ゆびさき||ふれた|かのじょ||つや や かな|くちびる||おどろく||あつかった Her glossy lips were surprisingly hot at the touch of my fingertips.

彼 と その 女性 が 付きあった の は 三 ヵ 月 ほど の 短い 間 だった。 かれ|||じょせい||つきあった|||みっ||つき|||みじかい|あいだ| He and the woman had been together for only about three months. それ でも 、決して 忘れる こと の でき ない 深い 傷 の ような もの を 、彼女 は 彼 に 残した。 ||けっして|わすれる|||||ふかい|きず|||||かのじょ||かれ||のこした But she left him with a deep scar that will never be forgotten. そして その 傷 は 、きっと 彼女 に も 残って しまった のだろう と 彼 は 思う。 ||きず|||かのじょ|||のこって||||かれ||おもう He thinks that the wound must have left a mark on her as well. あれほど 急激に 誰 か を 好きに なって しまった こと も 、同じ 相手 を あれほど 深く 憎んで しまった こと も 、初めて だった。 |きゅうげきに|だれ|||すきに|||||おなじ|あいて|||ふかく|にくんで||||はじめて| It was the first time that I had fallen in love with someone so suddenly, and the first time that I had hated the same person so deeply. お互いに どう すれば もっと 愛して もらえる の か だけ を 必死に 考える 二 ヵ 月 が あり 、どう すれば 相手 を 決定 的に 傷つける こと が できる の か だけ を 考えた 一 ヵ 月 が あった。 おたがいに||||あいして||||||ひっしに|かんがえる|ふた||つき|||||あいて||けってい|てきに|きずつける||||||||かんがえた|ひと||つき|| There were two months when we thought desperately about how we could make each other love each other more, and one month when we thought only about how we could hurt each other decisively. 信じられ ない ような 幸せ と 恍惚 の 日々 の 後 に 、誰 に も 相談 でき ない ような 酷 い 日々 が 続いた。 しんじられ|||しあわせ||こうこつ||ひび||あと||だれ|||そうだん||||こく||ひび||つづいた After days of unbelievable happiness and ecstasy, there followed a series of days so awful that I couldn't talk about them with anyone. 決して 口 に して は いけなかった 言葉 を お互いに 投げつけた。 けっして|くち|||||ことば||おたがいに|なげつけた We hurled words at each other that should never have been uttered.

──でも。 不思議な もの だ な と 、彼 は 思う。 ふしぎな|||||かれ||おもう It's a strange thing, he thinks. あれほど の こと が あった はずな のに 、彼女 の 姿 で 最も 記憶 に 残って いる の は 、やはり まだ ふた り が 付きあう 前 の 十二 月 の あの 日 だ。 |||||||かのじょ||すがた||もっとも|きおく||のこって|||||||||つきあう|ぜん||じゅうに|つき|||ひ| Despite all that should have happened, the most memorable moment of her appearance was that day in December, before the two of us started dating.

あの 冬 の 日 、薬 を 飲んで しばらく する と 、彼女 の 顔 は 目に見えて 生気 を 取り戻して いった。 |ふゆ||ひ|くすり||のんで||||かのじょ||かお||めにみえて|せいき||とりもどして| On that winter day, a short time after taking the medicine, her face visibly regained its vitality. その 様子 を 彼 は 息 を 呑 んで 、とても 不思議で 貴い 現象 を 目 に する よう に 眺めた。 |ようす||かれ||いき||どん|||ふしぎで|とうとい|げんしょう||め|||||ながめた He gaped at this scene as if he were witnessing a very strange and precious phenomenon. まるで 世界 に 一 房 しか ない 、誰 も 目 に した こと の ない 花 が 開く さま を 見て いる ようだった。 |せかい||ひと|ふさ|||だれ||め||||||か||あく|||みて|| It was as if I was watching a flower bloom, the only one in the world that no one had ever seen before. ずっと 昔 に 、同じ よう に 世界 の 秘密の 瞬間 を 目 に した こと が あった ような 気 が した。 |むかし||おなじ|||せかい||ひみつの|しゅんかん||め|||||||き|| I felt as if I had witnessed a similar moment of secrecy in the world a long time ago. このような 存在 を もう 二度と 失って は なら ない と 、強く 思った。 |そんざい|||にどと|うしなって|||||つよく|おもった I strongly felt that we must never lose such an existence again. 彼女 が 数学 講師 と 付きあって いよう と 、そんな こと は まるで 関係 が なかった。 かのじょ||すうがく|こうし||つきあって|||||||かんけい|| It didn't matter to me that she was dating a math instructor.

* * *

彼 が 遅い 就職 活動 を 始めた の は 、大学 四 年 の 夏 だった。 かれ||おそい|しゅうしょく|かつどう||はじめた|||だいがく|よっ|とし||なつ| It was the summer of his senior year in college when he began his late job search. 彼女 と 三 月 に 別れて から 人前 に 出る 気持ち に なる まで に 、結果 的に それ だけ かかった。 かのじょ||みっ|つき||わかれて||ひとまえ||でる|きもち|||||けっか|てきに||| It took me that long to feel ready to go out in public after my breakup with my girlfriend in March. 親切な 指導 教授 の 熱心な 働きかけ も あって 、秋 に は なんとか 就職 が 決まった。 しんせつな|しどう|きょうじゅ||ねっしんな|はたらきかけ|||あき||||しゅうしょく||きまった Thanks to the enthusiastic efforts of my kind advisor, I managed to find a job in the fall. それ が 本当に 自分 の やりたい 仕事 か 、やる べき 仕事 か どう か は 皆目 分から なかった が 、それ でも 働く 必要 が あった。 ||ほんとうに|じぶん|||しごと||||しごと|||||かいもく|わから|||||はたらく|ひつよう|| I wasn't sure if it was what I really wanted to do or what I should do, but I still needed to work. 研究者 と して 大学 に 残る より も 、違う 世界 を 目 に して み たかった。 けんきゅう しゃ|||だいがく||のこる|||ちがう|せかい||め|||| I wanted to see a different world rather than remain at the university as a researcher. もう 十分 、同じ 場所 に 留まった のだから。 |じゅうぶん|おなじ|ばしょ||とどまった| We have already stayed in the same place long enough.

大学 の 卒業 式 を 終え 、荷物 を 段ボール に 詰めた せい で がらんと した 部屋 に 戻った。 だいがく||そつぎょう|しき||おえ|にもつ||だんぼーる||つめた|||||へや||もどった After the graduation ceremony, I returned to my room, which had become a mess due to all the cardboard boxes I had packed. 東 に 面した 台所 の 小さな 窓 の 向こう に は 、古い 木造 の 建物 の 奥 に 夕日 に 染まった サンシャイン の 高層 ビル が そびえて いた。 ひがし||めんした|だいどころ||ちいさな|まど||むこう|||ふるい|もくぞう||たてもの||おく||ゆうひ||そまった|||こうそう|びる||| Beyond the small window in the kitchen facing east, the Sunshine skyscraper looms in the setting sun behind an old wooden building. 南 に 面した 窓 から は 、雑居 ビル の 隙間 に 新宿 の 高層 ビル 群 が 小さく 見える。 みなみ||めんした|まど|||ざっきょ|びる||すきま||しんじゅく||こうそう|びる|ぐん||ちいさく|みえる From the window facing south, the skyscrapers of Shinjuku can be seen between the multi-tenant buildings. それ ら の 二百 メートル を 超える 建築 物 は 、時間 帯 や 天候 に よって 様々な 表情 を 見せた。 |||にひゃく|めーとる||こえる|けんちく|ぶつ||じかん|おび||てんこう|||さまざまな|ひょうじょう||みせた These structures, more than 200 meters in height, showed various expressions depending on the time of day and the weather. 山脈 の 峰 に 最初に 日の出 が 訪れる よう に 、高層 ビル は 朝日 の 最初の 光 を 反射 して 輝いた し 、しけった 海 に 見える 遠く の 岸壁 の よう に 、ビル たち は 雨 の 日 の 大気 に 淡く 姿 を 滲ま せた。 さんみゃく||みね||さいしょに|ひので||おとずれる|||こうそう|びる||あさひ||さいしょの|ひかり||はんしゃ||かがやいた|||うみ||みえる|とおく||がんぺき||||びる|||あめ||ひ||たいき||あわく|すがた||にじま| Like the first sunrise on a mountain peak, the skyscrapers reflected the first rays of the morning sun and shone, and like distant cliffs on a deserted sea, the buildings were pale in the rainy day's atmosphere. そういう 景色 を 彼 は 四 年間 、様々な 想い と ともに 眺めて きた。 |けしき||かれ||よっ|ねんかん|さまざまな|おもい|||ながめて| He has been looking at such scenery for four years with a variety of thoughts and feelings.

窓 の 外 に は やがて 闇 が 降り はじめ 、地上 の 街 は 無数の 光 を 灯して 誇らしげに 輝き 出す。 まど||がい||||やみ||ふり||ちじょう||がい||むすうの|ひかり||ともして|ほこらしげに|かがやき|だす Darkness begins to fall outside the window, and the city on the ground shines proudly with countless lights. 段ボール の 上 に 置かれた 灰皿 を 引き寄せ 、ポケット から 煙草 を 取り出し 、ライター で 火 を つけた。 だんぼーる||うえ||おかれた|はいざら||ひきよせ|ぽけっと||たばこ||とりだし|らいたー||ひ|| He pulled an ashtray from the cardboard, took a cigarette from his pocket, and lit it with a lighter. 畳 に あぐら を かいて 座り 、煙 を 吐き出し ながら 、厚い 大気 を 通じて チラチラ と 瞬く 光 の 群れ を 見つめる。 たたみ|||||すわり|けむり||はきだし||あつい|たいき||つうじて|ちらちら||またたく|ひかり||むれ||みつめる Sitting on his back on the tatami mats, he exhaled smoke and stared at the swarms of light flickering through the thick atmosphere.

自分 は この 街 で 生きて いく のだ と 、彼 は 思った。 じぶん|||がい||いきて||||かれ||おもった He thought, "I am going to live in this city.

彼 が 就職 した の は 、三鷹 に ある 中堅 の ソフトウェア 開発 企業 だった。 かれ||しゅうしょく||||みたか|||ちゅうけん||そふとうぇあ|かいはつ|きぎょう| He got a job at a medium-sized software development company in Mitaka. SE と 呼ば れる 職種 だ。 se||よば||しょくしゅ| This is a type of work called SE. 配属 された の は モバイルソリューション の 部署 で 、通信 キャリア や 端末 メーカー が 主な クライアント で 、彼 は 小さな チーム で 携帯 電話 を はじめ と する 携帯 情報 端末 の ソフトウェア 開発 を 担当 した。 はいぞく||||||ぶしょ||つうしん|きゃりあ||たんまつ|めーかー||おもな|||かれ||ちいさな|ちーむ||けいたい|でんわ|||||けいたい|じょうほう|たんまつ||そふとうぇあ|かいはつ||たんとう| He was assigned to the Mobile Solutions department, where he worked with a small team developing software for cell phones and other mobile information terminals, primarily for telecommunications carriers and handset manufacturers.

仕事 に 就いて みて 初めて 分かった こと だ が 、プログラマ と いう 仕事 は 彼 に は とても 向いて いた。 しごと||ついて||はじめて|わかった|||||||しごと||かれ||||むいて| He found that he was very well suited for the job of programmer, as he had never known it until he got the job. それ は 孤独で 忍耐 と 集中 力 を 必要 と する 仕事 だった が 、費やした 労力 は 決して 裏切ら れる こと が なかった。 ||こどくで|にんたい||しゅうちゅう|ちから||ひつよう|||しごと|||ついやした|ろうりょく||けっして|うらぎら|||| It was a lonely job that required patience and concentration, but the effort was never wasted. 記述 した コード が 思惑 通り 動か ない 時 は 、原因 は いつでも 疑い なく 自分 自身 に ある のだ。 きじゅつ||こーど||おもわく|とおり|うごか||じ||げんいん|||うたがい||じぶん|じしん||| Whenever your code doesn't work as you expect, the cause is unquestionably you. 思索 と 内省 を 積み重ね 、確実に 動作 する 何 か ──何 千 行 に も 及ぶ コード ──を 創り だす こと は 、今 まで に ない 喜び を 彼 に 与えた。 しさく||ないせい||つみかさね|かくじつに|どうさ||なん||なん|せん|ぎょう|||およぶ|こーど||つくり||||いま||||よろこび||かれ||あたえた It gave him unprecedented pleasure to create something that worked - thousands of lines of code - after much contemplation and reflection. 仕事 は 忙しく 、帰宅 は ほとんど 例外 なく 深夜 で 、休日 は 月 に 五 日 も あれば 良い 方 だった が 、それ でも コンピュータ の 前 に 何 時間 座って いて も 彼 は 飽き なかった。 しごと||いそがしく|きたく|||れいがい||しんや||きゅうじつ||つき||いつ|ひ|||よい|かた|||||こんぴゅーた||ぜん||なん|じかん|すわって|||かれ||あき| His work was busy, he almost always came home late at night, and he only had five days off a month, but even so, he never got tired of sitting in front of the computer for hours on end. 白 を 基調 と した 清潔な オフィス の 、パーティション で 区切られた 自分 だけ の スペース で 、来る 日 も 来る 日 も 彼 は キーボード を 叩いた。 しろ||きちょう|||せいけつな|おふぃす||||くぎられた|じぶん|||すぺーす||くる|ひ||くる|ひ||かれ||||たたいた Day in and day out, he tapped away at his keyboard in his own partitioned space in a clean, white office.

それ が この 職種 に よく ある こと な の か 、それとも 彼 の 就職 した 会社 が たまたま そう だった の か は 分から ない が 、社員 同士 の 仕事 以外 で の 交流 は ほとんど なかった。 |||しょくしゅ|||||||||かれ||しゅうしょく||かいしゃ||||||||わから|||しゃいん|どうし||しごと|いがい|||こうりゅう||| I don't know if this is common in this type of work or if it just happened to be the case at the company where he was employed, but there was little interaction between employees outside of work. 仕事 が 終わって から 飲み に 行く ような 習慣 は どの チーム に も なかった し 、昼食 は それぞれ が 自分 の 座席 で コンビニ 弁当 を 食べて いた し 、出社 時 と 退社 時 の 互い の 挨拶 さえ なく 、会議 の 時間 は 最小 限 で 必要な やりとり の ほとんど は 社 内 メール だった。 しごと||おわって||のみ||いく||しゅうかん|||ちーむ|||||ちゅうしょく||||じぶん||ざせき||こんびに|べんとう||たべて|||しゅっしゃ|じ||たいしゃ|じ||たがい||あいさつ|||かいぎ||じかん||さいしょう|げん||ひつような|||||しゃ|うち|めーる| No team had the habit of going out for drinks after work, everyone ate their lunch at their own seat at the convenience store, there was no greeting each other when arriving and leaving the office, meetings were kept to a minimum, and most of the necessary communication was done via company e-mail. 広い オフィス に は 常に キーボード を 叩く カタカタ と いう 音 だけ が 満ちて いて 、フロア に 百 人 以上 いる はずの 人間 の 気配 は 限りなく 希薄だった。 ひろい|おふぃす|||とわに|||たたく|かたかた|||おと|||みちて||ふろあ||ひゃく|じん|いじょう|||にんげん||けはい||かぎりなく|きはくだった The spacious office was filled with the constant sound of keyboard clacking, and the presence of more than a hundred people on the floor was almost imperceptible. 最初 は 大学 で の 人間 関係 と の あまり の 違い に 戸惑った が ──あの 頃 の 誰 か と の 関係 は つまるところ 際限 の ない 無駄 話 だった し 、理由 も ない の に 皆 よく 酒 を 飲んで いた ──、すぐに そのような 寡黙な 環境 に も 慣れた。 さいしょ||だいがく|||にんげん|かんけい|||||ちがい||とまどった|||ころ||だれ||||かんけい|||さいげん|||むだ|はなし|||りゆう|||||みな||さけ||のんで||||かもくな|かんきょう|||なれた At first I was perplexed by the difference from the relationships I had in college, but I soon got used to such a taciturn environment, even though my relationships in those days consisted of endless idle conversations and drinking for no reason. それ に 彼 は もともと 口数 の 多い 方 で も なかった。 ||かれ|||くちかず||おおい|かた||| He was also not a man of many words to begin with.

仕事 を 終える と 、彼 は 三鷹 駅 から 終電 間近 の 中央 線 に 乗り 、新宿 で 降りて 中 野坂 上 に ある 小さな マンション の 一室 まで 帰った。 しごと||おえる||かれ||みたか|えき||しゅうでん|まぢか||ちゅうおう|せん||のり|しんじゅく||おりて|なか|のさか|うえ|||ちいさな|まんしょん||いっしつ||かえった After finishing his work, he took the Chuo Line from Mitaka Station to Shinjuku Station on the near last train to a small apartment on Nakanosaka. どう しよう も なく 疲れて いる 時 に は タクシー を 使った が 、たいてい は 三十 分 ほど の 距離 を 歩いた。 ||||つかれて||じ|||たくしー||つかった||||さんじゅう|ぶん|||きょり||あるいた I took a cab when I was inexplicably tired, but most of the time I walked the distance, which was about 30 minutes. その 部屋 に は 大学 卒業 後 に 引っ越して きて いた。 |へや|||だいがく|そつぎょう|あと||ひっこして|| He had moved into that room after graduating from college. 会社 の ある 三鷹 の 方 が 家賃 の 相場 は 安かった が 、あまり 会社 に 近 すぎる 住まい に は 抵抗 が あった し 、何より も 池袋 の アパート から 小さく 見えて いた 西新宿 の 高層 ビル 群 に 、あの 眺め に 、もっと 近づいて みたい と いう 気持ち が 強かった。 かいしゃ|||みたか||かた||やちん||そうば||やすかった|||かいしゃ||ちか||すまい|||ていこう||||なにより||いけぶくろ||あぱーと||ちいさく|みえて||にししんじゅく||こうそう|びる|ぐん|||ながめ|||ちかづいて||||きもち||つよかった Although rent was cheaper in Mitaka, where the company was located, I did not want to live too close to the company, and above all, I wanted to be closer to the view of the high-rise buildings in Nishi-Shinjuku that I could see from my apartment in Ikebukuro.

だから かも しれ ない。 Maybe that's why. 彼 が 一 日 の 中 で 最も 好きな 時間 は 、電車 で 荻窪 あたり を 過ぎた 頃 、窓 の 向こう に 西新宿 の 高層 ビル が 姿 を 現し 、それ が 徐々に 近づいて くる さま を 眺めて いる 時 だ。 かれ||ひと|ひ||なか||もっとも|すきな|じかん||でんしゃ||おぎくぼ|||すぎた|ころ|まど||むこう||にししんじゅく||こうそう|びる||すがた||あらわし|||じょじょに|ちかづいて||||ながめて||じ| His favorite time of day is when he rides the train past Ogikubo and watches the skyscrapers of Nishi-Shinjuku appear and gradually approach from his window. 東京 行き の 最終 電車 は ぽつりぽつり と 空席 が ある 程度 に すいて いて 、スーツ に 包まれた 体 に は 一 日 の 労働 の 疲れ と 充実 感 が 心地よく 満ちて いる。 とうきょう|いき||さいしゅう|でんしゃ||||くうせき|||ていど||||すーつ||つつまれた|からだ|||ひと|ひ||ろうどう||つかれ||じゅうじつ|かん||ここちよく|みちて| The last train to Tokyo was so empty that there were only a few empty seats, and my body, wrapped in a suit, was comfortably filled with the tiredness and satisfaction of a day's work. 雑居 ビル の 向こう に 小さく 見え隠れ して いた 高層 ビル を じっと 見つめて いる と 、それ は ガタン 、ガタン と いう 電車 の 振動 と ともに やがて 際立った 存在 と して 視界 に 立ち上がって くる。 ざっきょ|びる||むこう||ちいさく|みえがくれ|||こうそう|びる|||みつめて|||||||||でんしゃ||しんどう||||きわだった|そんざい|||しかい||たちあがって| Staring intently at the skyscraper, which had been hiding in plain sight behind a small building, the train's rattling vibration soon brought it into view as a prominent presence. 東京 の 夜空 は いつでも 奇妙に 明るく 、ビル は 空 を 背 に 黒々 と した シルエット だ。 とうきょう||よぞら|||きみょうに|あかるく|びる||から||せ||くろぐろ|||しるえっと| The Tokyo night sky is always strangely bright, and the buildings are black silhouettes against the sky. こんな 時間 に も 、人 が 働いて いる こと を 示す 黄色い 窓 の 光 が 美しく 灯って いる。 |じかん|||じん||はたらいて||||しめす|きいろい|まど||ひかり||うつくしく|ともって| Even at this time of the day, the yellow windows are beautifully lit, indicating that people are working. 赤く 点滅 する 航空 障害 灯 は 、まるで 呼吸 を して いる よう。 あかく|てんめつ||こうくう|しょうがい|とう|||こきゅう|||| The red flashing air obstacle lights look like they are breathing. 自分 は 今 でも 遠く 美しい 何 か に 向かって 進んで いる のだ と 、それ を 見つめ つつ 彼 は 思う こと が できた。 じぶん||いま||とおく|うつくしい|なん|||むかって|すすんで||||||みつめ||かれ||おもう||| He could look at it and think that even now he was moving toward something far away and beautiful. そういう 時 は 、心 の 奥 が すこし 震えた。 |じ||こころ||おく|||ふるえた At such times, I shivered a little deep inside.

そして また 朝 が 来て 、彼 は 会社 に 向かう。 ||あさ||きて|かれ||かいしゃ||むかう Then morning comes again, and he heads to work. 社屋 の エントランス に ある 自動 販売 機 で 缶 コーヒー を 一 本 買い 、タイム カード を 押して 、自分 の 席 に 座って コンピュータ の 電源 を 入れる。 しゃおく|||||じどう|はんばい|き||かん|こーひー||ひと|ほん|かい|たいむ|かーど||おして|じぶん||せき||すわって|こんぴゅーた||でんげん||いれる I buy a can of coffee from the vending machine at the entrance of the office building, punch my time card, take my seat, and turn on my computer. OS が 起動 する 間 に 缶 コーヒー を 飲み ながら 一 日 の 作業 予定 を 確認 する。 os||きどう||あいだ||かん|こーひー||のみ||ひと|ひ||さぎょう|よてい||かくにん| While the OS is booting up, I check the day's work schedule while drinking a can of coffee. マウス を 動かして 必要な プログラム の いくつか を 立ち上げ 、指 を キーボード の ホーム ポジション に 乗せる。 まうす||うごかして|ひつような|ぷろぐらむ||||たちあげ|ゆび||||ほーむ|ぽじしょん||のせる Move the mouse to launch some of the programs you need and place your fingers on the keyboard in the home position. 目的 に 辿りつく ため の アルゴリズム を いくつか 考え 、検討 し 、API を 叩き 、プロシージャ を 組み立てる。 もくてき||たどりつく||||||かんがえ|けんとう||api||たたき|||くみたてる Think and consider several algorithms to reach the goal, hit the API, and build the procedure. マウスカーソル も エディタ の キャレット も 、自分 の 肉体 に ぴったり と よりそって いる。 ||||||じぶん||にくたい||||| The mouse cursor and the editor's caret are in perfect alignment with one's own flesh. API の 先 に ある OS 、その先 に ある ミドルウェア 、そして その先 に ある はずの 、シリコン の かたまり である ハードウェア の 動作 に ついて 、非 現実 的な 電子 の 振る舞い に ついて 、思い を 馳せる。 api||さき|||os|そのさき|||||そのさき||||||||はーどうぇあ||どうさ|||ひ|げんじつ|てきな|でんし||ふるまい|||おもい||はせる Think about the unrealistic electronic behavior of the OS beyond the API, the middleware beyond that, and the behavior of the hardware that is a chunk of silicon that is supposed to be beyond that.

その よう に プログラム に 熟練 して いく ほど に 、彼 は コンピュータ そのもの に ついて も 畏敬 の 念 を 抱く こと と なった。 |||ぷろぐらむ||じゅくれん|||||かれ||こんぴゅーた|その もの||||いけい||ねん||いだく||| As he became more proficient with the program, he also developed an awe of computers themselves. すべて の 半導体 技術 を 支える 量子 論 へ の 漠然と した 知識 は あった が 、あらためて 職業 と して 日常 的に コンピュータ に 接し それ を 動作 さ せる こと に 慣れる ほど に 、自分 の 手 に した 道具 の 信じられ ない ほど の 複雑 さ 、それ を 可能に した 人 の 所業 に 思い を 馳せ ない わけに は いか なかった。 ||はんどうたい|ぎじゅつ||ささえる|かずこ|ろん|||ばくぜんと||ちしき|||||しょくぎょう|||にちじょう|てきに|こんぴゅーた||せっし|||どうさ|||||なれる|||じぶん||て|||どうぐ||しんじられ||||ふくざつ||||かのうに||じん||しょぎょう||おもい||はせ||||| I had a vague knowledge of quantum theory, which underpins all semiconductor technology, but the more I became accustomed to working with computers as a profession, the more I could not help but think about the unbelievable complexity of the tools I was given and the work of the people who made it all possible. それ は ほとんど 神秘 的だ と さえ 、彼 は 思った。 |||しんぴ|てきだ|||かれ||おもった It was even almost mystical, he thought. 宇宙 を 記述 する ため に 生まれた 相対 性 理論 が あり 、ナノスケール の 振る舞い を 記述 する 量子 論 が あり 、そして それ ら は 来るべき 大 統一 理論 なり 超 弦 理論 なり で いつか 統合 さ れる の かも しれ ない と 考えた 時 、コンピュータ を 扱う と いう こと 自体 が 何 か 世界 の 秘密に 触れる 行為 である か の よう に 思えた。 うちゅう||きじゅつ||||うまれた|そうたい|せい|りろん|||||ふるまい||きじゅつ||かずこ|ろん|||||||きたるべき|だい|とういつ|りろん||ちょう|げん|りろん||||とうごう||||||||かんがえた|じ|こんぴゅーた||あつかう||||じたい||なん||せかい||ひみつに|ふれる|こうい||||||おもえた There is relativity theory, which was born to describe the universe, and quantum theory, which describes the behavior of the nanoscale, and they may one day be integrated in the coming unified theory or superstring theory. I felt as if working with a computer itself was an act that touched on some secret of the world. そして その 世界 の 秘密に は 、もう ずっと 昔 に 過ぎ去って しまった 夢 や 想い 、好きだった 場所 や 放課後 に 聴いた 音楽 、特別だった 女の子 と の 叶える こと の でき なかった 約束 、そういった もの に 繋がる 通路 が 隠されて いる ような ──はっきり と した 理由 は ない のだ けれど 、そんな 気 が した。 ||せかい||ひみつに||||むかし||すぎさって||ゆめ||おもい|すきだった|ばしょ||ほうかご||きいた|おんがく|とくべつだった|おんなのこ|||かなえる|||||やくそく||||つながる|つうろ||かくされて||||||りゆう||||||き|| And in the secrets of the world, there are hidden passages that lead to dreams and thoughts that have long since passed away, places I loved, music I listened to after school, unfulfilled promises to a special girl, and so on - for no clear reason at all, but I had this feeling. だから 何 か 大切な もの を 取り戻そう と する か の ような ある 種 の 切実 さ を 持って 、彼 は 仕事 に 深く のめり込んで いった。 |なん||たいせつな|||とりもどそう|||||||しゅ||せつじつ|||もって|かれ||しごと||ふかく|のめりこんで| So, with a kind of earnestness, as if he was trying to get something important back, he became deeply involved in his work. Così si è impegnato a fondo nel suo lavoro con una certa serietà, come se stesse cercando di recuperare qualcosa di importante. まるで 孤独な 演奏者 が 楽器 と 深く 対話 する よう に 、彼 は キーボード を 静かに 叩き 続けた。 |こどくな|えんそう しゃ||がっき||ふかく|たいわ||||かれ||||しずかに|たたき|つづけた He tapped quietly on the keyboard, as if he were a solitary player in deep dialogue with his instrument.