ソードアート ・オンライン 2 アインクラッド (18)
「俺 は 見えない よ!!」
「じゃあ 、あと で わたし も やって あげる から」
「…………」
脱力 した よう に うなだれる キリト の 頭 に 手 を かけ 、アスナ は 言った。
「さ 、出発 進行! 進路 北 北東! 」
てくてく と 歩き 出した キリト の 肩 の 上 で 屈託 なく 笑い ながら 、アスナ は 痛い ほど の 、二人 で 暮らす 日々 へ の 愛 おし さ を 感じて いた。 自分 は 今 、十七 年 の人生 の 中 で いちばん 《生きて 》いる と 、疑い も なくそう 思えた。
小道 を 歩き 出して ──実際 に 足 を 動かして いる の は キリト だけ だ が ──十 数 分 後 、二十二 層 に 点在 する 湖 の ひと つ に 差し掛かった。 穏やかな 陽気に 誘われて か 、朝 から 数人 の 釣り 師 プレイヤー が 湖水 に 糸 を 垂らして いる。 小道 は 湖 を 囲む 丘 の 上 を 通り 、左手 に 見える 湖畔 まで は やや 距離 が ある が 、近づく うち に 二人 に 気づいた プレイヤー たち が こちら に 手 を 振って きた。 どうやら 皆 笑顔 で 、中 に は 声 に 出して 笑って いる者 も いる。
「……誰 も 見て なくない じゃ ん!!」
「あ は は 、人 いた ね ー。 ほら 、キリト 君 も 手 を 振り な よ」
「ぜったい 嫌だ」
文句 を 言い ながら も 、キリト は アスナ を 下ろそう と は し なかった。 内心 で は 彼 も おもしろがって いる の が アスナ に は 解る。
やがて 道 は 丘 を 右 に 下り 、深い 森 の 中 へ と 続く。 杉 に 似た 巨大な 針葉樹 が そびえる 間 を 縫って 、ゆっくり と 歩く。 葉 擦れ の 囁き 、小川 の せせらぎ 、小鳥 の さえずり が 晩秋 の 森 景色 に 美しい 伴奏 を 添えて いる。
アスナ は 、いつも より 近く に 見える 木々 の 梢 に 視線 を 向けた。
「大きい 木 だ ね えー。 ねえ 、この 木 、登れる の か なあ? 」
「う ~ん……」
アスナ の 問い に 、キリト は しばし 考え込む。
「システム 的に は 不可能じゃない 気 が する けど なぁ……。 試して みる? 」
「う うん 、それ は また 今度 の 遊び テーマ に しよう。 ──登る と 言えば さあ」
アスナ は キリト の 肩 に 乗った まま 体 を 伸ばし 、木々 の 隙間 から 遠く に 見える アインクラッド 外周 部 に 目 を やる。
「外周 に あちこち 、支柱 みたいに なって 上層 まで 続いてる とこ が ある じゃ ない。 あれ ……登ったら どう なる ん だろう ね」
「あ 、俺 やった こと ある よ」
「ええ ー!?」
体 を 傾け 、キリト の 顔 を 覗き込む。
「なんで 誘って くれ なかった の よ」
「まだ そんなに 仲良く なかった 頃 だって ば」
「なに よ 、キリト 君 が 避けて た ん じゃ ない」
「……さ 、避けて たかな? 」
「そう よ ー。 わたし が いっくら 誘って も 、お茶 に も 付き合って くれ なかった よ」
「そ 、それ は……。 い 、いや そんな こと より だ な」
会話 が 妙な 方向 に 行き 始めた の を 修正 する よう に キリト が 言葉 を 続ける。
「結論 から 言えば ダメだった よ。 岩 が でこぼこ して た から 登る の は 案外 簡単だった ん だけど 、八十 メートル くらい 登った とこ で 急に システム の エラー メッセージ が 出て 、ここ は 侵入 不可能 領域 です! って 怒られて さ ぁ」
「あっはっは 、ズル は だめだ ね ー やっぱ」
「笑いごと じゃない ぞ。 それ に びっくり して 手 を 滑らせて 、見事に 落っこ ち て な……」
「え 、ええ !? さすが に 死ぬ でしょう ソレ」
「うん。 死ぬ と 思った。 結晶 転移 が あと 三 秒 遅れて たら 戦死者 リスト に 仲間 入り さ」
「もう 、危ない なぁ。 二度と し ないで よ ね」
「そっち が 言い出した 話 だ ろ! 」
他 愛ない 会話 を 交わし ながら 歩く うち 、森 は どんどん 深く なって いった。 心なしか 鳥 の 声 も まばらに なり 、梢 を 抜けて 届く 陽光 も 控えめに なって きて いる。
アスナ は 改めて 周囲 を 見回し ながら 、キリト に 訊 ねた。
「ね 、その ……ウワサ の 場所って 、どの へんな の? 」
「ええ と……」
キリト が 手 を 振り 、マップ で 現在 位置 を 確認 する。
「あ 、そろそろ だ よ。 もう あと 何分 か で 着く」
「ふうん……。 ね 、具体 的に は 、どんな 話 だった の? 」
聞き たくない が 、聞か ない の も 不安で 、アスナ は 問い掛けた。
「ええ と 、一 週間 くらい 前 、木工 職人 プレイヤー が この へんに 丸太 を 拾い に 来た ん だ そうだ。 この 森 で 採取 できる 木材 は けっこう 質 が いい らしくて 、夢中で 集めて いる うち に 暗く なっちゃって……。 慌てて 帰ろう と 歩き 始めた ところ で 、ちょっと 離れた 木 の 陰に ──ちらり と 、白い もの が」
「…………」
アスナ 的に は そこ で もう 限界 だった が 、キリト の 話 は 容赦 なく 続く。
「モンスター か と 思って 慌てた けど 、どうやら そう じゃ ない。 人間 、小さい 女の子 に 見えたって 言う ん だ な。 長い 、黒い 髪 に 、白い 服。 ゆっくり 、木立 の 向こう を 歩いて いく。 モンスター で なきゃ プレイヤー だ 、そう 思って 視線 を 合わせたら」
「…………」
「──カーソル が 、出 ない」
「ひっ……」
おもわず 喉 の 奥 で 小さな 声 を 洩らして しまう。
「そんな 訳 は ない。 そう 思い ながら 、よし ゃあ いい の に 近づいた。 その うえ 声 を かけた。 そし たら 女の子 が ぴたり と 立ち止まって ……こっち を ゆっくり 振り向こう と……」
「も 、も 、もう 、や 、やめ……」
「そこ で その 男 は 気 が ついた。 女の子 の 、白い 服 が 月 明り に 照らされて 、その 向こう側 の 木 が ──透けて 見える」
「────!!」
必死に 悲鳴 を こらえ ながら 、アスナ は ぎゅっと キリト の 髪 を 摑 ん だ。
「女の子 が 完全に 振り向いたら 終わり だ 、そう 思って 男 は そりゃ あ 走った そうだ。 ようやく 遠く に 村 の 明かり が 見えて きて 、ここ まで くれば 大丈夫 、と 立ち止まって ……ひ ょいっと 後ろ を 振り返ったら……」
「──────っ!?」
「誰 も い なかった と さ。 めでたし めでたし」
「……き 、き 、キリト 君 の 、ばか ────っ!!」
肩 から 飛び降り 、背中 を 本気で どつく べく 拳 を 振り上げた ──その 時 だった。
昼 なお 暗い 森 の 奥 、二人 から かなり 離れた 針葉樹 の 幹 の 傍ら に 、白い もの が ちらり と 見えた。
とてつもなく 嫌な 予感 を ひしひし と 感じ ながら 、アスナ は その 何 か に おそるおそる 視線 を 凝らした。 キリト ほど で は ない が 、アスナ の 索敵 スキル も かなり の 錬度 に 達して いる。 自動 的に スキル に よる 補正 が 適用 さ れ 、視線 を 集中 して いる 部分 の 解像度 が ぐんと 上昇 する。
白い 何 か は 、ゆっくり と 風 に はためいて いる よう に 見えた。 植物 で は ない。 岩 でも ない。 布 だ。 更に 言えば 、シンプルな ライン の ワンピース だ。 その 裾 から 覗いて いる の は 、二 本 の 細い ──脚。
少女 が 立って いる。 キリト の 話 に あった の と 寸分 違わ ぬ 白い ワンピース を まとった 幼い 少女 が 無言 で 佇み 、二人 を じっと 見て いる。
すうっと 意識 が 薄れ かかる の を 感じ ながら 、アスナ は どうにか 口 を 開いた。 ほとんど 空気 だけ の 掠 れ 声 を 絞り出す。
「き ……キリト 君 、あそこ」
キリト が さっと アスナ の 視線 を 追った。 直後 、その 体 も び くり と 硬直 する。
「う 、噓 だ ろ おい……」
少女 は 動か ない。 二人 から 数 十 メートル 離れた 場所 に 立ち 、じっと こちら を 見つめて いる。 もし 、すこし でも こっち に 近づいて きたら 、わたし 気絶 しちゃ うだろう なあ 、そう 思って アスナ が 覚悟 を 決めた その 時。
ふら り ──と 少女 の 体 が 揺れた。 動力 の 切れた 機械人形 の ような 、妙に 非 生物 的 な 動き で その 体 が 地面 に 崩れ落ちた。 ど さり 、と いうかすかな 音 が 耳 に 届いて くる。
「あれ は……」
その 途端 、キリト が 鋭く 両眼 を 細めた。
「幽霊 なんか じゃない ぞ!!」
叫ぶ や 否 や 走り出す。
「ちょ 、ちょっと キリト 君! 」
置き去り に された アスナ は 慌てて 呼び止めた が 、キリト は 振り向き も せず に 倒れた 少女 へ と 駆け寄って いく。
「もう!!」
やむなく アスナ も 立ち上がり 、後 を 追った。 まだ 心臓 が どきどき 言って いる が 、気絶 して 倒れる 幽霊 なんて 聞いた こと も ない。 やはり あれ は プレイヤー と しか 思え ない。
遅れる こと 数 秒 、針葉樹 の 下 に 到達 する と 、すでに 少女 は キリト に 抱え 起こされて いた。 まだ 意識 は 戻って いない。 長い 睫毛 に 縁どられた 瞼 は 閉じられ 、両腕 は 力なく 体 の 脇 に 投げ出されて いる。 念のため ワンピース に 包まれた 体 を まじまじ と 眺める が 、透けて いる 様子 は どこ に も ない。
「だ 、大丈夫 そう な の? 」
「うーん……」
キリト は 少女 の 顔 を 覗き込み ながら 言った。
「と 、言って も なぁ……。 この 世界 じゃ 息 と かしない し 、心臓 も 動か ない し……」
SAO 内 で は 、人間 の 生理 的 活動 の ほとんど は 再現 が 省略 されて いる。 自発 的に 息 を 吸い込む こと は できる し 、気道 を 空気 が 動く 感覚 も ある が 、仮想 体 自体 は 無意識 呼吸 を 行わ ない。 心臓 の 鼓動 も 、緊張 したり 興奮 して ドキドキ する と いう 体感 は ある もの の 他人 の それ を 感じ取る こと は でき ない。
「でも まあ 、消滅 してない ……って こと は 生きてる 、って こと だ よ な。 しかし これ は ……相当 妙だ ぞ……」
言葉 を 切り 、キリト は 首 を かしげた。
「妙って? 」
「幽霊 じゃない よ な 、こうして 触れる し。 でも 、カーソル は ……出 ない……」
「あ……」
アスナ は 改めて 少女 の 体 に 視線 を 集中 さ せた。 だが 、通常 アインクラッド に 存在 する 動的 オブジェクト なら プレイヤー に せよ モンスター に せよ 、あるいは NPC に せよ ターゲット した 瞬間 必ず 表示 される はずの カラー ・カーソル が 出現 し ない。 いまだかつて こんな 現象 に 遭遇 した こと は なかった。
「何 か の 、バグ 、かな? 」
「そう だろう な。 普通の ネット ゲーム なら GM を 呼ぶって ケース だろう けど 、SAO に GM は いない しな……。 それ に 、カーソル だけ じゃ ない。 プレイヤー に しちゃ ちょっと 若 すぎる よ」
確かに そうだった。 キリト の 両腕 に 抱きかかえられた その 体 は あまりに も 小さい。 年齢 で 言えば 十 歳 に も 満たない だろう。 ナーヴギア に は 建前 的 ながら 装着 に 年齢 制限 が あり 、確か 十三 歳 以下 の 子供 の 使用 は 禁じられて いた はずだ。
アスナ は そっと 手 を 伸ばし 、少女 の 額 に 触れた。 ひんやり と した 、滑らかな 感触 が 伝わって くる。
「どうして ……こんな 小さな 子 が 、SAO の 中 に……」
き ゅっと 唇 を 嚙 み 、立ち上がり ながら キリト に 言う。
「とりあえず 、放って は おけない わ。 目 を 覚ませば いろいろ 判る と 思う。 うち まで 連れて 帰ろう」
「うん 、そう だ な」
キリト も 少女 を 横 抱き に した まま 立ち上がった。 アスナ は ふと 周囲 を 見回した が 、近く に は 朽ち かけた 大きな 切り株 が 一 つ ある くらい で 、少女 が ここ に いた 理由 の ような 物 は 何も 見つから なかった。
ほとんど 駆け足 で 来た 道 を 戻り 、森 を 抜けて 二人 の 家 に 辿り着いて も 少女 の 意識 は 戻ら なかった。 アスナ の ベッド に 少女 を 横たえ 、毛布 を 掛けて おいて 、二人 は その 向かい の キリト の ベッド に 並んで 腰 を 下ろした。
しばし 沈黙 を 続けて から 、キリト が ぽつり と 口 を 開いた。
「まず 一 つ だけ 確かな の は 、こうして ウチ まで 移動 さ せられた からに は NPC じゃない よ な」
「そう ……だ ね」
システム が 動かす NPC は 、存在 座標 を 一定 範囲 内 に 固定 されて おり プレイヤー の 意志 で 移動 させる こと は でき ない。 手 で 触ったり 抱きついたり する と 、ほんの 数 秒 で ハラスメント 警告 の 窓 が 開き 、不快な 衝撃 と ともに 吹っ飛ば されて しまう。
アスナ の 同意 に 小さく 頷き 、キリト は 更に 推測 を 連ねた。
「それ に 、何らか の クエスト の 開始 イベント でも ない。 そう なら 、接触 した 時点 で クエストログ 窓 が 更新 される はずだ し な。 ……てこ と は 、この 子 は やっぱり プレイヤー で 、あそこ で 道 に 迷って いた ──と いう の が 一 番 有り 得る と 思う」
ちらり と ベッド に 視線 を 向け 、続ける。
「クリスタル を 持って いない 、あるいは 転移 の 方法 を 知らない と したら 、ログイン して から 今 まで ずっと フィールド に 出 ないで 、《はじまり の 街 》に いた と 思う ん だ。 なんで こんな 所 まで 来た の か は 判らない けど 、はじまり の 街 に なら この 子 の こと を 知ってる プレイヤー が ……ひょっとしたら 親 と か 、保護者 が いる ん じゃない か な」
「うん。 わたし も そう 思う。 こんな 小さい 子 が 一人 で ログイン する なんて 考えられない もん。 家族 が 誰 か 一緒に 来てる はず ……無事だ と 、いい けど」