ソードアート ・オンライン 2 アインクラッド (17)
不意に 、鳴り つづけて いた アラーム 音 が 停 まった。 一瞬 の 静寂 の 後 、今度 は ソフトな 女性 の 声 が 、同じく 大 音量 で 降って きた。
『ただいま より プレイヤー の 皆様 に 緊急の お 知らせ を 行います』
二 年 前 に 聞いた ゲーム マスター ・茅 場 晶彦 の 声 と は まったく 違う 、人工 的 、電気 的 な 響き の ある 合成 音声 だった。 明らかに ゲーム システム に よる アナウンス だ けれど 、管理者 の 気配 を ぎりぎり まで 削り 落として いる SAO で この 手 の 告知 を 聞いた の は 初めて だ。 固唾 を 吞 ん で 耳 を 澄ま せる。
『現在 ゲーム は 強制 管理 モード で 稼 動 して おります。 全て の モンスター 及び アイテムスパン は 停止 します。 全て の NPC は 撤去 されます。 全 プレイヤー の ヒット ポイント は 最大 値 で 固定 されます』
システムエラー? 何 か 致命 的 な バグ が 出た……?
あたし は 咄嗟に そう 思った。 心臓 を 、不安 の 手 が ぎゅっと 摑 む。 でも 、次の 瞬間──。
『アインクラッド 標準 時 十一 月 七 日 十四 時 五十五 分 ゲーム は クリア さ れました』
──システム 音声 は 、そう 告げた。
ゲーム は 、クリア さ れました。
その 言葉 の 意味 が 、数 秒間 分から なかった。 周囲 の プレイヤー も 、皆 凍りついた 表情 で 立ち尽くして いた。 でも 、更に 続く 言葉 を 聞いて 、全員 が 飛び上がった。
『プレイヤー の 皆様 は 順次 ゲーム から ログアウト されます。 その場で お 待ち ください。 繰り返します……』
突然 、うわ あっ! と いう 大 歓声 が 巻き起こった。 地面 が ──、いや 、浮遊 城 アインクラッド 全体 が 震えた。 皆 が 抱き合い 、地面 を 転げ まわり 、両手 を 突き上げて 絶叫 して いた。
あたし は 動け ず 、何も 言え ず 、店 の 前 で ただ 立って いた。 どうにか 両手 を 持ち上げ 、口 を 覆った。
やった ん だ。 彼 が ──キリト が 、やった ん だ。 いつも の ムチャクチャ を……。
それ は 確信 だった。 だって 最 前線 は まだ 七十五 層 で 、なのに ゲーム を クリア して しまう ような 無 茶 、無謀 、無軌道 は 、絶対 に キリト の 仕業 だ。
耳元 で 、かすかな 囁き 声 が 聞こえた 気 が した。
──約束 、守った ぜ……。
「うん ……うん……。 とうとう 、やった ね……」
ついに 、あたし の 両眼 から 熱い 涙 が こぼれた。 それ を 拭い も せず 、あたし は 思い切り 右手 を 突き上げて 、何度 も 何度 も 飛び 跳ねた。
「お ──い!!」
両手 を 口 に あて 、遥か 上層 に いる はずの 彼 に 届け と ばかり に 、力いっぱい 叫んだ。
「絶対 、また 会おう ね 、キリト ──!! ……愛してる!!」
(終わり)
1
アスナ は 毎朝 の 起床 アラーム を 七 時 五十 分 に セット して いる。
なぜ そんな 中途半端な 時間 な の か と いう と 、キリト の 起床 時刻 が 八 時 ちょうど だから だ。 十分 早く 目 を 覚まし 、ベッド に 入った まま 、隣 で 眠る 彼 を 見て いる の が 好きな のだ。
今朝 も アスナ は 、木管 楽器 の 柔らかな 音色 に よって 目覚めた 後 、そっと 体 を うつ伏せ に して 、両手 で 頰杖 を 突き ながら キリト の 寝顔 を 眺めて いた。
恋した の が 半年 前。 攻略 パートナー と なった の が 二 週間 前。 結婚 して 、ここ 二十二 層 の 森 の 中 に 引っ越して きて から は わずか 六 日 しか 経って いない。 誰 より も 愛する人 だ が 、実の所 、キリト に 関して は まだまだ 知らない こと も 多い。 それ は 寝顔 ひと つ とって も 言える こと で 、こうして 眺めて いる と 、だんだん 彼 の 年齢 が 解ら なく なって くる。
少し ばかり 斜 に 構えた 、飄々と した 物腰 の せい で 、自分 より 少し 年上 か な と 普段 は 思って いる。 しかし 深い 眠り に 落ちて いる 時 の キリト に は 、無邪気 と 言って いい ほど の あどけな さ が ある ため 、なんだか 遥かに 年下 の 少年 の よう に も 見えて しまう。
歳 くらい 、訊 いて も かまわない だろう ──と は 思う。 いかに 現実 世界 の 話 を 持ち出す の が 禁 忌 と は 言え 、二人 は もう 夫婦 な のだから。 歳 どころ か 、現実 に 戻って から また 出会う ため に は 、本名 、住所 から 連絡 先 まで 伝え 合って おく べきな の は 確実だ。
しかし 、アスナ は なかなか それ が 言い 出せ ないで いる。
現実 世界 の こと を 話した 途端 、ここ で の 《結婚 生活 》が 仮想 の 、薄っぺらな もの に なって しまい そうで 怖い から だ。 アスナ に とって 今 何より も 大切な 、唯一 の 現実 は この 森 の 家 で の 穏やかな 日々 であって 、たとえ この 世界 から の 脱出 が 叶わ ぬ まま 現実 の 肉体 が 死 を 迎える こと が ある と して も 、最後 の 瞬間 まで この 暮らし が 続いて くれる なら 悔い は ない。
だから 、夢 から 醒 め る の は 、もう 少し 後 に──。 そう 思い ながら 、アスナ は そっと 手 を 伸ばし 、眠る キリト の 頰 に 触れた。
それにしても 、幼い 寝顔 だ。
キリト の 強 さ に ついて は 今更 疑う こと は 何も ない。 ベータテスト 時 から 蓄積 した 途方 もない 経験 と 、絶え間ない 攻略 で 獲得 した 数値 的 ステータス 、そして それ ら を 支える 判断 力 と 意思 力。 血 盟騎 士 団 リーダー の 《神聖 剣 》ヒースクリフ に は 敗れ は した もの の 、キリト は アスナ の 知る 限り 最強 の プレイヤー だ。 どんなに 厳しい 戦場 でも 、傍ら に 彼 が いる 限り 不安 を 味わった こと は ない。
しかし 、寄り添って 横たわる キリト を 眺めて いる と 、なぜ か 彼 が 傷つき やすい ナイーブ な 弟 で でも あるか の ような 気持ち が きゅうっと 胸 の 奥 に 湧き上がって きて 、抑えられ なく なる。 守って あげ なくちゃ 、と 思う。
そっと 息 を つき ながら 、アスナ は 身 を 乗り出し 、キリト の 体 に 腕 を まわした。 かすかな 声 で 囁き かける。
「キリト 君 ……大好きだ よ。 ずっと 、一緒に いよう ね」
その 途端 、キリト が わずかに 身動き し 、ゆっくり と 瞼 を 開けた。 二人 の 視線 が 至近 距離 で 交錯 する。
「わっ!!」
アスナ は 慌てて 跳び 退った。 ベッド の 上 に ぺた ん と 正座 して 、顔 を 真っ赤に 染め ながら 言う。
「お 、お は よ 、キリト 君。 ……いま の ……聞いて た……? 」
「おはよう。 いま の ……って 、何? 」
上体 を 起こし 、欠 伸 を 嚙 み 殺し ながら 聞き返す キリト に 向かって 、アスナ は 両手 を ぶん ぶん と 振った。
「う 、う うん 、なんでもない! 」
目玉焼き と 黒 パン 、サラダ に コーヒー の 朝食 を 終え 、二 秒 で テーブル を 片付ける と 、アスナ は 両手 を ぱち ん と 打ち合わせた。
「さて! 今日 は どこ に 遊び に い こっか」
「おまえ なあ」
キリト が 苦笑 する。
「身 も 蓋 もない 言い 方 する な よ」
「だって 毎日 楽しい ん だ もん」
アスナ に とって は 偽ら ざる 本音 だ。
振り返る の すら も 苦痛 な 記憶 だ が 、SAO の 囚人 と なって から キリト に 恋する まで の 一 年 半 、アスナ の 心 は 硬く 凍りついて いた。
寝る 間 も 惜しんで スキル ・レベル を 鍛え 上げ 、攻略 ギルド 血 盟騎 士 団 の サブリーダー に 抜擢 されて から は 時として メンバー が 音 を あげる ほど の ハイペース で 迷宮 に 潜り つづけた。 心 に ある の は ただ ゲーム クリア 、そして 脱出 だけ で 、それ に 資する 活動 以外 の 全て を 無意味 と 断じて いた。
そう 考える と アスナ は 、なぜ もっと 早く キリト と 巡り合う こと が でき なかった の か と 悔やま ず に は いられ ない。 彼 と 出会って から の 日々 は 、現実 世界 で の 生活 以上 に 色彩 と 驚き に 溢れた もの だった。 彼 と 共に なら 、ここ で の 時間 も 得がたい 経験 と 思えた。
だから アスナ に は 、今 ようやく 手 に 入れた 二人 だけ の 時間 、その 一 秒 一 秒 が 貴重な 宝石 の よう に 思える のだ。 もっと もっと 、二人 で 色々な 場所 に 行き 、色々な こと を 話したい。
アスナ は 、両手 を 腰 に あてて 唇 を 尖ら せる と 言った。
「じゃあ キリト 君 は 遊び に 行き たくない の? 」
すると キリト は に やり と 笑い 、左手 を 振って マップ を 呼び出した。 可 視 モード に なって いる それ を アスナ に 示す。 この 層 の 森 と 湖 の 連 なり が 表示 されて いる。
「ここ な ん だけど な」
指差した の は 、二人 の 家 から 少し 離れた 森 の 一角 だった。
二十二 層 は 低層 フロア ゆえ に 面積 が かなり 広い。 直径 で 言えば 八 キロ メートル 強 ほど も ある。 その 中央 に は 巨大な 湖 が あり 、南 岸 に 主 街 区 である 《コラル 》の 村。 北 岸 に 迷宮 区。 それ 以外 の 場所 は 全て 針葉樹 の 美しい 森 と なって いる。 アスナ と キリト の 小さな 家 は フロア の ほぼ 南端 、外周 部 間近 の 場所 に あり 、今 キリト が 示して いる の は 家 から 北東 へ 二 キロ メートル ほど 進んだ 場所 である。
「昨日 、村 で 聞いた ウワサ な ん だけど な……。 この 辺 の 、森 が 深く なってる とこ……。 出る ん だって さ」
「は? 」
意味 深 な 笑み を 浮かべる キリト に 、アスナ は きょとんと 訊 き 返した。
「何 が? 」
「──幽霊」
しばし 絶句 して から 、おそるおそる 確認 する。
「……それって 、アストラル 系 の モンスターって こと? レイス と か バンシー みたいな? 」
「ちゃ うちゃ う 、ホン モノ さ。 プレイヤー ……人間 の 、幽霊。 女の子 だって」
「う……」
アスナ は 思わず 顔 を 引きつら せて しまう。 その 手 の 話 は 、人並み 以上 に 苦手な 自信 が ある。 ホラー 系 フロア と して 名高い 六十五 、六十六 層 あたり の 古城 迷宮 は 、あれこれ 理由 を つけて 攻略 を サボって しまった ほど だ。
「だ 、だって 、ここ は ゲーム の デジタル 世界 だ よ。 そんな ──幽霊 なんて 、出る わけない じゃ ない」
無理やり 笑顔 を 作り ながら 、やや ムキ に なって 抗弁 する。
「それ は どう かな ー? 」
だが お化け が アスナ の 弱点 と 知っている キリト は 、いかにも 楽し そうに 追い打ち を かけて きた。
「例えば さ ぁ……。 恨み を 残して 死んだ プレイヤー の 霊 が 、電源 入りっぱなし の ナーヴギア に 取り 憑 いて ……夜な夜な フィールド を 彷徨ってる と か……」
「やめ ────っ!!」
「わ は は 、悪かった 、今 の は 不謹慎な 冗談 だった な。 まあ 俺 も 本当に 幽霊 が 出る と は 思っちゃ いない けど 、どうせ 行く なら 何 か 起き そうな ところ が いい じゃない か」
「う う……」
唇 を 尖らせ ながら 、アスナ は 窓 の 外 に 目 を 向けた。
冬 も 間近な この 季節 に して は いい 天気 だ。 ぽかぽか と 暖か そうな 陽光 が 庭 の 芝生 に 降り注いで いる。 幽霊 が 出る に は 最も 適さない 時間 、に 思える。 アインクラッド で は その 構造 上 、早朝 と 夕方 を 除いて 太陽 を 直接 見る こと は できない が 、しかし 日中 は 充分な 面 光源 ライティング に よって フィールド は 明るく 照らされて いる。
アスナ は キリト に 向き直り 、つんと 顎 を 反らせ ながら 言った。
「いい わ よ 、行きましょう。 幽霊 なんて 居ないって こと を 証明 し に」
「よし 決まった。 ──今日 会え なかったら 、今度 は 夜中 に 行こう な」
「絶対 いや よ !! ……そんな 意地悪 言う人 に は お 弁当 作って あげ ない」
「げ げ 、ナシナシ 、今 の 無し」
キリト に 最後 の ひと 睨み を 浴びせて から 、アスナ は に こり と 笑った。
「さ 、準備 を 済ませちゃ おう。 わたし は お 魚 焼く から 、キリト 君 は パン を 切って ね」
手早く フィッシュ ・バーガー の 弁当 を ランチ ボックス に 詰め 、二人 が 家 を 出た 時 は 午前 九 時 と なって いた。
庭 の 芝生 に 降りた ところ で 、アスナ は キリト を 振り返る と 言った。
「ね 、肩車 して」
「か 、かたぐるま ぁ!?」
素っ頓狂な 声 で キリト が 聞き返す。
「だって 、いつも 同じ 高 さ から 見て た ん じゃ つま んない よ。 キリト 君 の 筋力 パラメータ なら 余裕 でしょ? 」
「そ 、そりゃ そう かも しれない けど なぁ……。 おまえ 、いい 歳 こ いて……」
「歳 は 関係ない もん! いい じゃない 、誰 が 見てる わけで もない し」
「ま 、まあ いい けど さ ぁ……」
キリト は 呆れた よう に 首 を 振り ながら しゃがみこみ 、背中 を アスナ に 向けた。 スカート を たくしあげ 、その 肩 を またぐ よう に 両 脚 を 乗せる。
「いい よ ー。 でも 後ろ 見たら 引っ叩く から ね ー」
「なんか 理不尽じゃない か……? 」
ぶつ くさ 言い ながら も キリト が 身軽な 動作 で 立ち上がる と 、それ に つれて 視点 が 一気に 上昇 した。
「わ あ! ほら 、ここ から もう 湖 が 見える よ! 」