ソードアート ・オンライン 2 アインクラッド (12)
激突 の 直前 、再び 右手 を 振りかぶった キリト が 、剣 を 思い切り 壁面 に 突き 立てた。 武器 を グラインダー に かけた 時 の ような 火花 が 盛大に 飛び散る。 が くん 、と いう 衝撃 と ともに 落下 の 勢い が 鈍る。 だが 停 まる に は 至らない。
金属 を 引き裂く ような 音 を 盛大に 立て ながら 、キリト の 剣 が 氷 の 壁 を 削って いく。 あたし は 首 を 動かし 、落ちる 先 を 見 やった。 雪 が 白く 溜まった 穴 の 底 が 見えた。 みるみる 近づいて くる。 激突 まで もう あと 数 秒 も ない。 あたし は 、せめて 悲鳴 だけ は 上げる まい と 必死に 唇 を 嚙 み 、キリト の 体 に しがみついた。
キリト が 剣 から 手 を 離した。 両腕 で あたし を 固く 抱き 、体 を 半 回転 させて 自分 が 下 に なる。 そして──
衝撃。 轟音。
爆発 めいた 勢い で 舞い上がった 雪 が 、ふわふわ と 落ちて きて 頰 に 触れ 、消えた。
その 冷た さ で 、飛び かけた 意識 が 引き戻された。 眼 を 見開く。 至近 距離 に あった キリト の 黒い 瞳 と 視線 が 交差 する。
あたし を きつく 抱きしめた まま 、キリト が 片 頰 を 引き攣ら せてかすかに 笑った。
「……生きて た な」
あたし も どうにか 頷き 、声 を 出した。
「うん ……、生きて た」
数 十 秒 ──ことに よったら 数 分 、あたし たち は そのまま の 姿勢 で 横たわって いた。 動き たく なかった。 キリト の 体 から 伝わる 熱 が 心地よくて 、頭 が ぼうっと する。
しかし やがて キリト は 腕 を 解き 、の そり と 体 を 起こした。 すぐ 近く に 転がって いた 剣 を 拾って 鞘 に 収めて から 、腰 の ポーチ から ハイポーション と お ぼ しき 小 瓶 を ふた つ 取り出し 、一 つ を あたし に 差し出して くる。
「飲 ん どけよ 、一応」
「ん……」
頷いて 、あたし も 上体 を 起こした。 瓶 を 受け取り 、HP バー を 確認 する と 、あたし の ほう は まだ 三 分 の 一 近く 残って いた が 、直接 地面 と 激突 した キリト は レッドゾーン まで 突入 して いた。
栓 を 抜き 、甘 酸っぱい 液体 を 一息 に 飲み干して から 、あたし は キリト の ほう に 向き直った。 ぺた り と 座った まま 、まだ うまく 言う こと を 聞か ない 唇 を 動かす。
「あの ……、あ ……あり が と。 助けて くれて……」
すると キリト は 、例 に よって シニカルな 笑み をかすかに 滲ませ 、言った。
「礼 を 言う の は ちょっと 早い ぜ」
ちらり と 上空 に 視線 を 向ける。
「……ドラゴン が 追って こない の は 助かった けど 、ここ から どう やって 抜け出した もんか……」
「え ……テレポート すれば いい じゃ ない」
あたし は エプロン の ポケット を 探った。 青く 光る 転移 結晶 を つまみ出し 、キリト に 示す。 だが──。
「無駄だろう な。 ここ は もともと プレイヤー を 落っこ と す ため の トラップ だろう。 そんな 手軽な 方法 で 脱出 できる と は 思えない よ」
「そんな……」
あたし は キリト に 目線 で 実際 試して みる と 告げて から 、結晶 を 握り締めて コマンド を 唱えた。
「転移! リンダース! 」
──あたし の 叫び声 が 、空しく 氷 壁 に 反響 し 、消えて いった。 結晶 は ただ 無言 で 煌 く のみ。
キリト は 表情 を 変え ず に 軽く 肩 を すくめた。
「結晶 が 使える 確信 が あったら 落ちてる 最中 に 使った けど な。 無効 化 空間っぽい 気配 が した から な……」
「…………」
しょんぼり と 俯いて いる と 、キリト が ぽん 、と 頭 に 手 を 置いて きた。 そのまま あたし の 髪 を くしゃくしゃ と 撫でる。
「まあ 、そう 落ち込む な。 結晶 が 使えないって こと は 、逆に 言えば 何 か 脱出 の 方法 が 必ず あるって こと だ」
「……そんな の 、判 んない じゃ ない。 落ちた人 が 百 パーセント 死ぬって 想定 した トラップ かも よ? ……てい うか 、普通 死んで たわ よ」
「なるほど 、それ も そう だ」
キリト が あっけなく 頷く の を 見て 、あたし は 再び がっくり と 脱力 する。
「あ ……あんた ねえ! もう ちょっと 元気づけ なさい よ!!」
思わず 声 を 荒らげる と 、キリト は に やっと 笑って 言った。
「リズ は 怒り 顔 の ほう が 似合ってる ぜ。 その 意気 だ」
「んな……」
不覚に も 赤面 し つつ 硬直 して しまった あたし の 頭 から 手 を 離し 、キリト は 立ち上がった。
「さて と 、いろいろ 試して みる かな……。 アイデア 募集 中! 」
「…………」
この 状況 に 至って も マイ ペース を 崩さない キリト の 態度 に 、あたし は 苦笑 する しか なかった。 少し だけ 元気 が 出て きた 気 が して 、ぱち ん と 両手 で 頰っぺ た を 叩く と 、あたし も 立ち上がる。
ぐるり と 周囲 を 見渡す と 、そこ は ほぼ 平らな 氷 の 床 に 雪 が 薄く 積もった 、まさに 穴 の 底 だった。 直径 は 上部 と 変わら ず 十 メートル ほど だろう か。 遥か 高み の 入り口 から 、氷 壁 に 反射 し ながら 差し込んで くる 頼りない 夕 陽 の 残照 に ぼんやり と 照らされて いる。 じきに 完全な 暗闇 に 包まれて しまう だろう。
見た ところ 、地面 に も 、周囲 の 壁 に も 抜け道 の ような もの は なかった。 あたし は 腰 に 両手 を 当て 、必死に 頭 を 働かせ 、浮かんで きた 最初 の アイデア を 口 に した。
「えー と ……助け を 呼ぶって いう の は どう かしら」
「うーん 、ここ 、ダンジョン 扱い じゃない か? 」
だが キリト に あっさり と 否定 されて しまう。
フレンド 登録 して いる プレイヤー 、例えば アスナ に なら 、フレンドメッセージ と いう メール の ような もの で 連絡 する 手段 が ある のだ が 、迷宮 で は その 機能 は 使え ない。 ついでに 言えば 位置 追跡 も でき ない。 念のため メッセージウインドウ を 開いて みた が 、キリト の 言う とおり 使用 不可能だった。
「じゃあ ……ドラゴン 狩り に きた プレイヤー に 大声 で 呼びかける」
「山頂 まで は 高 さ 八十 メートル は あった から なぁ……。 声 は 届か ない だろう な……」
「そっか ……って 、あんた も ちょっと は 考え なさい よ!!」
次々 に 意見 を 退けられ 、あたし が やや ムクレ て 言い返す と 、キリト は とんでもない 事 を 言った。
「壁 を 走って 登る」
「……バカ? 」
「か どう か 、試して みる か……」
あたし が 啞然 と して 見守る なか 、キリト は 壁 ぎりぎり まで 近づく と 、突然 反対 側 の 壁 目掛けて 凄ま じい 速 さ で ダッシュ した。 床 に 積もった 雪 が 盛大に 舞い上がり 、突風 が あたし の 顔 を 叩く。
壁 に 激突 する 寸前 、キリト は 一瞬 身 を 沈める と 爆発 じ みた 音 と ともに 飛び上がった。 遥か 高み で 壁 に 足 を つき 、そのまま 斜め 上方 へ と 走り はじめる。
「うっそ……」
眼 と 口 を ポカン と あけて 立ち尽くす あたし の 遠い 頭上 で 、キリト が アメリカ 製 C 級 映画 の ニンジャ の ごとく 、氷 壁 を 螺旋 状 に 駆け上がって いく。 みるみる うち に その 姿 は 小さく なり ──三 分 の 一 近く も 登った ところ で 、ツルン と こけた。
「わ ああ ああ ああ あ」
両腕 を ば たば た 振り回し ながら キリト が 落ちて くる。 あたし の 頭 めがけて。
「わ ああ あ!?」
悲鳴 を 上げて 飛び す さる と 、寸前 まで あたし が 立って いた 場所 に 、び たん! と いう 音 と ともに人 型 の 穴 が うがたれた。
一 分 後。 二 本 目 の ポーション を 咥 えた キリト と 並んで 壁 際 に 座り込み 、あたし は 大きく 溜息 を ついた。
「──あんた の こと 、バカだ バカだ と 思って た けど まさか これほど の……」
「……もう ちょっと 助走 距離 が あれば イケ たん だ よ」
「そんな わけ ね ー」
ぼ そり と 呟く。
飲み干した 瓶 を ポーチ に 放り込んだ キリト は 、あたし の ツッコミ を 無視 して 大きく 一 回 伸び を する と 、言った。
「ま 、ともかく 、こう 暗く なっちゃ 今日 は ここ で 野営 だ な。 幸い この 穴 に は モンスター は ポップ しない みたいだ し」
確かに 、夕焼け の 色 は とうに 消え去って 、穴 の 底 は 深い 闇 に 包ま れよう と して いた。
「そう ね……」
「そう と 決まれば 、っと……」
キリト は ウインドウ を 出す と 、指 を 走ら せ 、何やら 次々 と オブジェクト 化 さ せた。
大きな 野営 用 ランタン。 手 鍋。 謎 の 小 袋 幾 つ か。 マグカップ 二 つ。
「……あんた いつも こんな 物持ち 歩いてる の? 」
「ダンジョン で 夜明かし は 日常茶飯事 だから な」
どうやら 冗談 で は ない らしく 、真顔 で そう 答える と ランタン を クリック して 火 を ともした。 ぼっと いう 音 と ともに 、明るい オレンジ色 の 光 が 辺り を 照らし出す。
ランタン の 上 に 小さな 手 鍋 を 置く と 、キリト は 雪 の 塊 を 拾い上げて 放り込み 、更に 小 袋 の 中身 を ぱぱっと あけた。 蓋 を して 、鍋 を ダブルクリック。 料理 待ち 時間 の ウインドウ が 浮き上がる。
すぐに 、ハーブ の ような 芳香 が あたし の 鼻 を くすぐり はじめた。 よく 考えたら 昼 に ホットドッグ を 齧った きり だ。 ゲンキン な 胃 が 、思い出した よう に 盛んに 空腹 を 訴えて くる。
ポーン 、と いう 効果 音 と 共に タイマー が 消える と 、キリト は 鍋 を 取り上げて 中身 を 二 つ の カップ に 注いだ。
「料理 スキルゼロ だから 味 は 期待 する な よ」
「あり が と……」
差し出された カップ を 受け取る と 、じん わりと した 温かみ が 両手 に 広がった。
スープ は 、香 草 と 干し 肉 を 使った 簡単な もの だった が 、食 材 アイテム の ランク が 高い らしく 、充分 すぎる ほど 美味しかった。 冷えた 体 に 、ゆっくり と 熱 が 沁 み 通って いく。
「なんか ……へんな 感じ……。 現実 じゃない みたい……」
スープ を 飲み ながら 、ぽつり と 呟いて いた。
「こんな ……初めて くる 場所 で 、初めて 会った人 と 、並んで ご飯 食べてる なんて さ……」
「そう か……。 リズ は 職人 クラス だ もん な。 ダンジョン 潜ってる と 、行きずり の プレイヤー と 野良 パーティー 組んで 野営 する と か 、けっこう ある よ」
「ふうん 、そう な ん だ。 ……聞か せて よ。 ダンジョン の 話 と か」
「え 、う 、うん。 そんな 面白い もん じゃない と 思う けど……。 おっと 、その 前 に……」
キリト は 、空 に なった ふた つ の カップ を 回収 する と 、手 鍋 と いっしょに ウインドウ に 放り込んだ。 続けて 操作 し 、今度 は 大きな 布 の 塊 を 二 つ 取り出す。
広げた 所 を 見る と 、それ は 野営 用 の ベッド ロール らしかった。 現実 世界 の シュラフ に 似て いる が 、かなり 大きい。
「高級 品 な ん だ ぜ。 断熱 は 完璧だ し 、対 アクティブモンスター 用 の ハイディング 効果 つき だ」
に やり と 笑い ながら 一 つ を 放って くる。 受け取り 、雪 の 上 に 広げる と 、それ は あたし なら 三人 は 入れる ほど の 大き さ だった。 再び 呆れ ながら 言う。
「よく こんな 物持ち 歩いてる わ ねえ。 しかも 二 つ も……」
「アイテム 所持 容量 は 有効 利用 しない と な」
キリト は 手早く 武装 を 解除 し 、左側 の ベッド ロール の 中 に もぐりこんだ。 あたし も それ に 倣い 、マント と メイス を 外して 袋 状 の 布 の 間 に 体 を 滑り込ま せる。
自慢 する だけ あって 、確かに 中 は 暖かかった。 その 上 見た目 より は ずいぶん ふか ふか と 柔らかい。
ランタン を 間 に 挟み 、一 メートル ほど の 距離 を 置いて あたし たち は 横たわった。 なんだか ──妙に 照れくさい。
気恥ずかし さ を 紛らわす よう に 、あたし は 言った。
「ね 、さっき の 話 、して よ」
「ああ 、うん……」
キリト は 両腕 を 頭 の 下 で 組む と 、ゆっくり と 話し はじめた。
迷宮 区 で 、MPK ──故意 に モンスター を 集めて 、他の プレイヤー を 襲わ せる 悪質な 犯罪者 ──の 罠 に 引っかかった 話。 攻撃 力 は 低い の に 異常に 堅い ボスモンスター と 、交代 で 仮眠 し ながら 丸 二 日 戦い 続けた 話。 レアアイテム の 分配 を する ため に 百人 で サイコロ 転がし 大会 を した 話。
どの 話 も スリリングで 、痛快で 、どこ か ユーモラスだった。 そして 、全て の 話 が 、明らかに 告げて いた。 キリト が 、最 前線 に 挑み 続ける 攻略 組 の 一人 である こと を。
でも 、そう である ならば──。 この人 は 、その 肩 に 数 千 の プレイヤー 全員 の 運命 を 背負って いる のだ。 こんな 、あたし なんか の ため に その 命 を 投げ出して いい人 で は ない はずだ。
あたし は 、体 の 向き を 変え 、キリト の 顔 を 見た。 ランタン の 光 を 照り 返す 黒い 瞳 が 、ちらり と こちら に 向けられた。
「ねえ ……キリト。 聞いて いい……? 」
「──なんだ よ 、改まって」
「なんで あの 時 、あたし を 助けた の……? 助かる 保証 なんて なかった じゃ ん。 う うん ……あんた も 死んじゃ う 確率 の ほう が 、ずっと 高かった。 それなのに ……なんで……」
キリト の 口元 が 、一瞬 、ほん のかすかに 強 張った。 しかし それ は すぐに 溶け 、穏やかな 声 が 答えた。
「……誰 か を 見殺し に する くらい なら 、一緒に 死んだ ほう が ずっと ましだ。 それ が リズ みたいな 女の子 なら 尚 更 、な」